声を届けて...... (全話連結形式)

声を届けて......

「しにたい」


 抱きついてきて、彼女が呟いた。


 聞き間違いだと思って、次の言葉を待った。


「しにたいの」


 しにたいと言っている。ここで。このタイミングで。


 誰もいない体育倉庫。


 体育の講義が終わって、ボールを片付けていたときに、閉じ込められた。


 よくある漫画のような、外からしか開けられないような仕組みではない。中にも鍵の取っ掛かりがついてて、普通にこじ開けることができる。というか、単純に古い。


 こじ開けようとしたとき、抱きつかれて、言われた。二回も。しにたいと。


 しにたいのか。


 体育の講義で、頭を打ったのかもしれない。少し頭をさわるが、特に異常はなさそうだった。髪の感触だけが、手に、やわらかく残る。


 恋人同士ではない。

 お互いに、なんとなく意識している間柄だった。漫画のように突然出会うことはないが、漫画のような、友達以上恋人未満の雰囲気は、たぶん、あった。


 しにたいと言われるまでは。


 抱きつかれて、言われたことが、しにたい、とは。


 なんて、こたえればいい。


「なんで?」


 かろうじて出てきたのが、コミュニケーションの基本になった。


「そうだ。理由。せめて理由を教えて?」


 聞き返そう。


「なんか、きっかけとか、そういう」


 彼女が目を丸くして、縮こまる。


 離れる身体。


「ごめん、なさい」


 謝られた。


 そういえば、彼女のほうから話しかけてくることは、今まで、なかった、気がする。


 だいたい、体育係だからと話しかけたり、講義終わりの時間が同じだからと一緒に帰ったりしているのは、自分のほうだった。


 彼女は、やさしい。でも、自分からは、決して話しかけてこない。


 なんとなく、自分がリードしないと、彼女がいなくなってしまうような、気がしていた。


 いなくなってしまうような。


 気が。


 していた。


 そうだ。


 彼女は、最初から。


 じゃあ。


 俺に対しての、これは。


「ええと」


 縮こまった彼女。


 彼女は、俺に対して、何かの、救難信号を発している。それだけは確か。


 でも。


 どうしようもない。


「ええと、そういえば、お友だちは。酒彩さやかは」


 彼女には、友達がいたはず。いつも付いていて、彼女と話している。


 初めて会ったときも、彼女ではなく、友達である酒彩が話しかけてきた。彼女が、用事があるからと。それで、仲良くなった。


 そして、その友達から、頼まれている。


 自分が取っていない授業に、なるべく出てほしい。


 自分が見れないときに、彼女を見ていてほしい。できれば、助けてほしい。


 たしかに、言っていた。


 じゃあ。


 これが。


「どうしたら」


 どうすればいいか、わからない。


 彼女。縮こまった、まま。


 冷静に。


 冷静でいよう。


 そして。


 はっきりと、分かったことが、ひとつ。


 彼女が自分に向けて発しているのは、救難信号。恋愛的な気持ちではない。


「そっか」


 想っていたのは、自分だけか。


 冷静になったところで、絶望的な気分は拭えない。


 だからと言って、しんでしまえとも、言えない。自分はそういうタイプじゃなかった。


「ごめん。ごめんね。うまく言えないけど、ごめん」


 謝って。


「力にはなれない。きみのことが、好き、だったから。ごめん」


 それでどうする。


「まず、ここから出よう。こんな暗いところでしぬのは、いやでしょ」


 心の底でおかしくなりそうだった気持ちを、鍵をこじ開けるのに、使った。


 扉が開く。


 夕陽。


 しゃがみこんだ、彼女を照らす。


「あ、ごめん。眩しかったね」


 片側の扉を閉じて、彼女に陽が当たらないほうの扉を開ける。


「さ。行こう」


 彼女。


 動こうとしない。


「出たくないの?」


 首が横に、振られる。


 どうしたらいい。


 しにたい彼女をここに放っておいて、彼女の友達を探すのか。それとも。


「じゃあ、おんぶなら」


 彼女を運んで、ここから出るか。動けないなら、こちらで運ぶしかない。


 好きだったけど、こちらに気がない、それでも助けてほしいという彼女を、運んで。


「いくよ。よいしょっ、と」


「いやっ」


 彼女を背負おうとして、転んだ。


 蹴られた。


「いてて」


 身体は丈夫なので、蹴られた程度では、いたいだけ。


 彼女の顔。


 今にも、泣きそう。


「ごめん、なさい」


 また、謝られた。


「いや、謝るのは」


 こっちのほうかもしれない。


 彼女に触れてはいけない。さっき抱きつかれたから、接触してもいいと思った。


「ごめん。ほんとに。ごめん」


 彼女。こちらから顔を背けて、また、縮こまる。


 なんか、自分が、急に、みじめになってきた。


 好きだった人間の助けを求める声に、手を、さしのべられない。


「しにたくなってきた」


 つい、口に出てきてしまった。


 彼女。


 また、抱きついてくる。


「ちょ」


 速度と威力が高かったので、躱しきれず、正面から受けた。彼女に衝撃が行かないように、後ろに倒れる。


 背中。


 床にぶつかる音。


 いたかったけど、歯をくいしばって、声を出さないで耐えた。


 いたいといえば、また、謝られると、思った。声は出せない。いたいという素振りも、最大限、しない。それが、今できる、精一杯だった。


「大丈夫ですか?」


 彼女に、声をかける。


 彼女の顔。


 目の前にある。


 せつない、顔をしている。


 どうしたらいいか、分からなかった。


 彼女が乗っかったまま、とりあえず起き上がろうとした。


 ぐらつく。


 身体。


 彼女が乗っかったままだと、さすがに体重移動がしんどいか。


 彼女の顔。


 顔に。


 赤い斑点。


「あっ、しまった」


 血だ。自分の頭から落ちた血が、彼女の頬を濡らしている。


 すぐに理解した。後ろに倒れたときに頭を打った。


 そこからの自分の行動は早かった。運動部で何度もやってるから、かもしれない。


 彼女との体勢をすぐに変えて。彼女の頬に付いた血を服で拭って。立って心臓よりも頭を上に。


 傷口。


 すぐに見つかった。右側頭部。ちょうど床にぶつかった場所。彼女を乗せたまま、体勢を変えようとしたときに、無意識に左に向いたのか。それで彼女に血が。


 見られないように、左側を彼女に向けて立つ。


「ごめんね。頬」


 彼女。


 気付いたのかは、微妙。


 頬になにかくっついた感触ぐらいは、あったかもしれない。


 参ったな。どうやってごまかそう。


 しにたいといっている人間に、血は、見せられない。


 右側頭部を抑えている、右手の感触。さすがに、血はかなり出てる。頭は他の部位と違って、切れると血がたくさん出るんだっけか。


 大丈夫。


 外側をほんの少し切っただけ。縫う必要もない。傷は丸く、小さい。ただ、血が。


 はやく止まれ。


 はやく。


 はやく。


 扉。


 開く。


 また、彼女が照らされる。


期弥きみっ」


 よかった。


 友達が。


 来た。


酒彩さやか、ごめん。きみちゃんを頼みます」


 彼女は。これでもう。大丈夫だ。


「あ、しにたいって言ってたので、そういう行動だけ、取らせないように。ごめんなさい、おれはちょっと用事が」


 まずいまずいまずい。


 走れ。


 せめて、彼女の目のつかないところに。


 血を拭わないと。


 そこで。


 視界が。消えた。


 おかしいな。


 手も震えてなかったから、脳は大丈夫な、はず、なのに。




 気付いた。


 最初に確認したのは、右側頭部。ガーゼが当てられている。包帯すら必要ない程度だったか。よかった。


 安心して、次の確認。


 右手。左手。右足。左足。全て動く。頭を、持ち上げて、下ろす。


 大丈夫。脳も身体も震えてない。


「ふう」


 起き上がろうとして、掛けられた毛布に重みがあるのに、気付いた。


 右側。見る。


 彼女。


 ベッドに寄りかかるようにして、眠っている。


 起き上がるのを、あきらめた。


 今は、何時だろうか。


 左側。窓から外が見える。空が、まだ、ぎりぎり、紅い。


「あ」


 窓際。彼女の友達がいる。


「起きました。すいません。起き上がれなくて」


「大丈夫、じゃ、ないか」


「大丈夫です。身体も脳も問題ないですし、頭の傷も小さい」


「そっか」


「ありがとうございました。彼女、ええと、きみちゃんを、助けてもらって」


「いいえ。あなたのおかげよ」


「おれ、なんで倒れたか、って、わかります?」


「お医者さんは、睡眠不足っぽい症状って言ってたけど」


「睡眠不足。いま何時ですか?」


「午前四時。昨日寝てなかったの?」


「いや、普通だったとおもいます」


 体育でつかれたわけでもない。


「じゃあ、もう片方かも」


「もう片方」


「脳で一気に物事を考えようとしてショートすると、急に眠くなって突然寝ることがあるのよ。それかもしれない」


「それは」


「正常。わたしも頭を使うと急に眠くなるから、わかるの」


「そうですか」


 よかった。身体の異常ではない。


「なにが、あったの?」


「体育の終わりに倉庫に閉じ込められちゃって。で、鍵こじ開けようとしたら彼女が抱きついてきて」


 彼女のほうを見る。ぐっすり、眠っている。毛布をひっくり返して、折って、彼女にかかるようにした。


「しにたいって、言われました」


 いちおう、もういちど、身体を確認する。大丈夫。眠くもなっていない。


 友達のほうを見る。空の紅さ。


「彼女。しにたがって、ました。それで、どうしたらいいかわかんなくって」


 思い出す。自分に事実を染み込ませるように、話す。


「つい、しにたくなってきたって呟いちゃって。そのとき彼女がぶつかってきて、とっさに彼女を守ったら、頭を打ちました」


「そっか」


 友達。複雑な顔。空の紅さに、照らされる。


「あなたには言わないで、って期弥には言われてるんだけど、もうむりね」


「何をですか」


 しにたくなってきた。今度は、ちゃんと、口に出さず。思うだけ。


「彼女。言語野に特別な性質があるの」


「言語野」


「訊かれたことには答えられる。受け身のコミュニケーションはできるの。でも、能動のコミュニケーションに、不具合があって」


 不具合。


 たしかに、いつも自分から話しかけていた。彼女から話しかけてきたのは、しにたいと、いわれたときだけ。


「自分から発話するとき、相手の深層心裡にある言葉を、読み取って発話しちゃうの」


「ごめんなさい。よく」


 わからない。


「自分から喋るとき、言葉がうまく喋れないのよ」


「じゃあ、しにたい、ってのは」


「彼女が、そう言ったのは、深層心裡にそれがあったってことじゃない」


「そっか。よかった。しにたいわけじゃなかったんだ、きみちゃんは」


「それよりも問題は、彼女が伝えたかった言葉のほう」


 そうか。


 しにたい、という言葉が、彼女から出た言葉ではないなら。


 なにか、伝えたい言葉が、あったんだ。


 おれに。


「期弥、たぶんあなたに、好きって、伝えたかったんだと思う」




「最悪ね。最悪」


「ほんと、ですね。なにやってんだろう、おれ。彼女の、きみちゃんの言葉が本当だと思って。かなり、焦って。俺は」


「ちがうの」


「え?」


「わたしも。好きだったのよ。あなたのことが」


「いや、あの」


「わたしはね、期弥が好きだったの。むかしから。言語野の性質は知ってたけど、わたしは、期弥が好きだから、一緒にいるとき、期弥は、自分から話してもよかったの」


「そうか。好きって思ってたら、彼女の発話も、好きになるのか」


「そう。わたしから訊けば応えてくれるし、期弥から会話をはじめるときは、最初の言葉が、好きからはじまるの」


「それなら、おれは」


「わたしがね。あなたのことを好きになったの。おかしいでしょ。目の前にいるおんなのこが好きなのに、おとこのこも一緒に好きになるとか。救われないわ」


「そう、ですね」


「そうこうしてるうちに、どうやら期弥も、あなたのことが好きかもしれないと、気付いて。最初は、どうにでもなれって思って、あなたに近付いたの。あなたと期弥、両方とも手に、入る、かも、って。ばかね私」


 答えられなかった。


「そして、あなたに期弥のことを頼んで、期弥とあなたが、仲良くなるのを、見てた」


 空の紅さ。


「もう、だめだとわかってたのにね。二人とも好きになった時点で。だめなのは、私なの。そう。わたし」


「しにたい、って、いうのは」


「わたしの深層心裡よ。期弥が言ったのは。わたしがいなくなれば、すべてうまくいく。あなたと期弥が付き合って、しあわせになる」


「酒彩さん」


「やめて。もういいの。わたしが。わたしがいなくなれば。全部解決するの」


 空の紅さが、広がっていく。


「わたし、しぬね。今までありがとう。好きだった。みんな好きだったのよ。おしあわせに」



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