第93話


 思川さんの実験というだけでも、嫌な予感しかしないのに。そこにぽっくりとかって不穏な単語まで含まれてる。


 まあ、ここで俺が死んだところで、戦力的には大差無い。それどころか、足手まといがいなくなるんだからプラスかもしれないな。


『ということで、とっとと実験始めるっす! ここからは、笠間さんにも同時通信でお送りするっす』

「な、なんですかこれ! 思川さんの声が頭に直接? き、キモイです!」

『がーん!』


 十六夜の気持ちはわかる。直接頭に響いて来るこの感じは、正直言って気持ち悪い。


『ごほん! 時間がねえんすよ? お二人ともわかってるっすか?』

「あ、はい。そう、ですよね」


 返事はするけど若干引いている。あからさまに思川さんから視線逸らせてるし。


『まず、和泉君を仰向けで寝かせるっす』

「はい」


それでも、思川さんの指示はちゃんと聞くようで、指示されるように動いていく。思川さんのように引きずられるかと心配したが、十六夜は俺の体を優しく抱き抱えて横に寝かせてくれた。


『こっから先は、生かすも殺すも笠間さんの集中力次第っす。覚悟は良いっすか?』

「アタシが九十九さんの生殺与奪を握る。これって、メインヒロインっぽいですよね、ね?」


 それはメインヒロインでは無く、死神の間違えではなかろうか。でもそんな事言わないよ?こんな事で十六夜の集中力を欠いたら俺が危険だからね。


『和泉君、ごめんっす。テレパスをリンクさせたんで、思考は全部あたしと笠間さんに筒抜けになってるっす』

「ふふふ、大丈夫。メインヒロイン、失敗しないので」


 やばい、目がイっちゃってる。本当に大丈夫なの?


 もうこの際、俺が死ぬのは仕方ない。でも、十六夜のミスで俺が死んだとなると、こいつにトラウマを残しかねない。残してやるなら、良い思い出だけで十分だ。だから、俺はここで死んでやるわけにはいかない。


「九十九さん、そこまでアタシの事を」


 うん。だから絶対失敗しないでね?集中だよ?集中するんだよ?絶対だからね!


「そんなに必死にならなくたって、失敗なんてしませんよ。だってアタシは、九十九さんを護るのが仕事なんですから」


 そう言って笑った十六夜を見て、俺の中にあった不安は消し飛んだ。そうだ、仲間を信じないでどうするんだ。十六夜ならきっと、俺を助けてくれる。


『じゃあ、笠間さん。ホーリーヒールを使う時に、損傷部だけに霊力が循環するようにするっす。幸い呪いの核があるのは右手っす。左半身だけなら、霊力の制御を完璧にこなせば呪いは発動しないはずっす』

「損傷部だけに、霊力を……わかりました。やってみます」

「十六夜、失敗しても誰も責めないからな。気楽にやれよ」


 十六夜は無言でうなずくと、俺の傷口を左肩から腹部にかけて、なぞるようにまじまじと観察していく。見ていて気持ちの良いものではないだろうが、その視線は真剣そのものだった。


「いきます……ホーリーヒール」


 俺の傷口に手を翳しながら、十六夜が魔法を発動する。いつもの全身を包み込むような温かさは無い。傷口だけを熱が包み込むような感覚。切り裂かれた皮を、千切れた筋肉を、熱が無理矢理つなぎ合わせていく。


 痛みはあるが、呪いが発動した時の痛みとは違う。チクチクとしたこの感覚は、十六夜の感情がこちらへ伝播して来ているのだろうか。少しばかりの不安と緊張が、傷口を通して伝わってくるようだ。


「ふぅ…ふぅ……出血は止まりました。次は…傷口を塞がないと」

「いや、ここまでで良いよ。お前、もうふらふらじゃないか」


 額から溢れたのか、顔中は汗で溢れている。顔色も赤みが消え失せて青くなっている。繊細な作業のせいで相当精神力を酷使したのだろう。これ以上は、十六夜が倒れてしまう可能性もある。


「でも、まだ傷が」

「血は止まったんだ。おかげですぐすぐ死ぬこともなくなっただろ? ありがとな」


 出血は治まり、痛みが嘘のように消えていた。いまだ生々しい傷口は残っているが、どうにか体が動かせる。俺は動くようになった左腕を持ち上げて、十六夜の頭の上に置いた。


「少し休んだら、続きをしますからね」

「そうだな、少し休んでな」


 ゆっくりと体を起こしながら、現状を確認する。戦況は先ほどと変わり無いように見えるが、全員に疲労が伺える。特に澪は、刀を炎神に溶かされてから、素手で戦闘に参加しているようだ。両手はひどく火傷しており、戦い続けていられるのが不思議なくらいだ。


 何か澪が扱える武器があれば良いのだが。そう考えた際に、一つ思い当たった。先ほど炎神が投げ捨てた、水の神剣だ。あれがあれば、状況が覆せるかもしれない。


 どこかの木に突き刺さっていたはずだ。どうにかあれを澪に届けよう。幸い、立ち上がって歩いても出血も痛みも無い。ただ血が足りないせいか眩暈がする。ふらふらとした足取りで、まだ無事な木が並んでいる場所まで歩きだす。


「うおっと」

「もう! 黙ってどこ行くんですか」


 ふらついた俺を、頬を膨らませた十六夜が受け止めてくれた。こういうのって、普通逆だと思うんだけど。相変わらずこいつは漢らしいな。


「女の子だって、男の子を支えるくらいします。むしろ、女の子が男の子を支えてるんです。それで、何するんですか?」

「澪に、水の神剣を届けたいんだ」

「それなら、あっちです。見ていてあんまり気持ちの良い物じゃないですけど、そのせいで場所はしっかり覚えてますよ。ほら、あの木です」


 十六夜が指差した先には、確かに気持ちの悪い物がぶら下がっていた。


青く透き通った刀身は月光に照らされて美しい。しかし赤黒くただれ血に塗れた壬生の両腕が、それを全て台無しにするようにぶら下がっていた。腕を斬り落とされてなお剣を離そうとしないとは、さすが桜観斬月流の剣士だ。


 どうにか神剣の元までたどり着くが、ちょっと触りたくない。ここは十六夜ちゃんの漢気でどうにか引き抜いてもらいたいところなんですが……


「……普通、こういうのは女の子に任せませんよ?」


これ、澪や百花なら平気で引き抜くだろうなぁ。それはもう、選定の剣を引き抜く王が如く。きっとこれは、真のヒロインを決めるための剣なんだろうなぁ。


「こんな禍々しい聖剣なんてありませんよ。大体、引き抜けって言うのは木からですか? それとも腕からですか?」

「もちろん、木からだよ」

「でもあれ、どこを持って引き抜くんですか?」


 あの刀身と柄しかない剣のどこを持てって、それを聞いちゃいますか?両刃になっているから、刀身を掴むのは無理。選択肢は最初から一択しかないわけだ。


「つ、九十九さんが抜いて良いですよ? ほら、あれを抜いて伝説になってください」

「いやいや、ここは十六夜に譲るよ。あれを抜いてメインヒロインになるんだろ?」

「やだな~。あんなの抜かなくても、アタシはもう九十九さんのメインヒロインじゃないですか」

「え?」

「え?」


 え?って何?みたいな顔すんなよ。こっちが何?だよ。こんな状況でアホな事言ってないで、とっとと引き抜いてくださいよ。俺が引き抜こうとしたら、腹に力が入ってまた出血しちゃう。どうせそこら辺も考えて十六夜が抜いてくれるんだろうから、早くして。


「どうせってなんですか! ぶ~、どうせアタシは都合の良い女ですよ!」

「ちょ、言い方!」


 ぶーぶー言いながらもやってくれるところは、愛らしいと思うのだが、剣の真下で蟹股になって刀身を白刃取りしている様は、実に勇ましい。漢だね。


「ふんぬ! ぬ、抜けましたよ!」


 十六夜が剣をぶらぶらさせていると、それに合わせて壬生の腕もぶらぶらと動いている。実にシュールな絵面である。






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