第52話


 どういうわけか、俺は後輩の女子と喫茶店に来ている。よりによって、女子向けスイーツ店だ。店内には男の客なんてほとんどいない。客のほとんどが、学校帰りの女子高生と、カップルがちらほらいるだけだ。ちょっと店のチョイスおかしくないですかね?


 一緒に居た友人たち(祐樹を含む)は、店の前で一斉に散っていきやがったし、どうしたものかね。


「あ、あの。私、一年の赤城さやかと言います。今朝は、本当にありがとうございました」


 赤城さんは、取り巻き女子たちと比べて大人しい感じだ。最近俺の周囲に普通の女子がいなかったので、すごく新鮮な感じがする。


 よく見ると、意外と可愛い子だな。清楚で目立たない感じだけど、目鼻立ちは整ってるし、スタイルだって悪くない。肩まで伸びた髪も、サラサラで手入れが行き届いている。


 こういう子が、手の届きそうな美少女というやつか。


「ここのお店、友だちと良く来るんですけど、エクレアが絶品なんです」

「エクレアか。あんまり食べないな」

「ふふ。私もここのお店で初めて食べたんですよ」


 なんだかこういうの良いなぁ。普通に可愛い女の子と一緒に喫茶店に来て、話をして、お茶をして。俺が求めていた高校生活って、こういうやつだったのかもしれないな。ほっこりした気分で、頬の筋肉が緩んでいくのが分かる。俺の幸せは、こんなところに転がっていたのか。


 このまま時間が止まれば良いのに、そう思っていると、本当に時間が止まってしまう。主に俺の体感時間が。


「ふふふ」

「……」

「…九十九クンの、バカ」


 赤城さんの天使の笑顔に見とれていると、彼女の背後に修羅が現れた。


 修羅に引き連れられて店内に入って来た三人組の少女は、あろうことか赤城さんの後ろのテーブルに座る。


「ど、どうかしました?」


 赤城さんの肩越しに、修羅こと笠間十六夜が、俺を睨み付けている。蛇に睨まれたカエル状態で、俺はどうすることもできない。


「し、失礼しますね」


 俺の額に、ふわりと温かい物が触れる。硬直したままの俺を心配して、赤城さんが熱を確かめてくれたらしい。ほんのりと、彼女の甘い香りが鼻をつくと、俺の体から緊張感が飛んでいく。まるで癒しの魔法をかけられたみたいだ。


「え?」


 あまりの嬉しさに、なぜか俺の目から涙が零れ落ちる。最近の喧騒から、命をかけて戦ったあの精神的な疲労から、解放されたような癒し。


緊張の糸が一気に切れてしまったようで、抑え込んでいた何かが溢れだした。


「あ、あの。私、何か気に障るようなことでも?」


 俺の姿を見て、赤城さんはひどく動揺したようで、俺に伸ばしていた手をさっと引っ込めてしまった。


「ごめんね、違うんだ。今日こうやって赤城さんに会えて、俺、嬉しくて。最近、辛い事ばっかりだったから」

「ふぇ!」


 凄く恥ずかしいことを言った気がする。赤城さんも、赤面してしまった。


「わ、私も…今日和泉さんに会えて、本当に嬉しいです」


 耳まで真っ赤にしてそう言ってくれた彼女は、俺にとっての女神様に見えた。リアルな女神なんかより、何倍も神々しく感じるよ。


 そこで、赤城さんの後ろで見え隠れしていた十六夜の顔が目に入った。彼女もなぜか、俺と同じように涙を流していた。




 百花さんたちに、このもやもやした気持ちを相談しようと思って、最近人気の喫茶店に入ったのに、どうしてここに九十九さんがいるの?しかも、さやかさんまで一緒に居るし。


 九十九さんがどこで何をしていようと、それはあの人の自由だ。アタシがとやかく言う資格なんてない。でも、いくら何でも魔が悪すぎるでしょ。なんでこのタイミングで会っちゃうの!しかも九十九さん、あんなに緩み切った顔で鼻の下まで伸ばして。アタシたちと居る時だって、そんな顔したこと無いじゃない。


 少しイラッとしたけど、どうにか平静を装って席に着かないと。笑って、笑って。


「ふふふ」

「……」


 ダメだ。澪さんが無言でこっちを見てる。きっとすごい顔してるんだ。


「…九十九クンの、バカ」


 少しむくれた顔でそう言った百花さんの方が、よっぽど柔らかい表情だ。さすが幼少の頃から訓練している忍びだ。自分の感情も自由に隠せるに違いない。っていうかそれ、可愛くないですか?


「こちらの席へどうぞ」


 店員さん、空気読んでください。その席は、アタシが今一番座りたくない席です。すでに表情が大変な事になっているアタシは、よりにもよって九十九さんの顔が丸見えの席に案内された。どうしよう。九十九さんが硬直してる。


 さっきまでさやかさんの顔見てデレデレしてたくせに、アタシの顔を見て固まるとか、失礼じゃないですか?


「し、失礼します」


 アタシの怒りが頂点に達したタイミングで、さやかさんがそっと立ち上がって、和泉さんの額に触れた。何それ。計算してやってるの?あざとすぎるんじゃないかな?


「え?」


 さやかさんが手を触れた瞬間に、九十九さんの瞳から涙が零れ落ちる。ちょっとちょっと。なんで九十九さんが急に泣いてるの?状況が全く分からないんですけど。


「ごめんね、違うんだ。今日こうやって赤城さんに会えて、俺、嬉しくて。最近、辛い思いばっかりしてたから」


 その言葉が、ひどく胸に刺さった。


 本来なら、九十九さんは転職なんてしないで、普通の高校生活を送るはずだった。それをアタシのせいで、壊してしまったんだ。


 一太郎の件で、ボロボロになって戦ってくれた時は本当に嬉しかった。おかげでアタシは、仲間の大切さを知ることができたし、仲間を護るための力を手に入れることができた。アタシは、救われたんだ。


あの時から、九十九さんはアタシの特別になった。


一緒に居られるのが嬉しくて、一緒に仕事をするのが楽しかった。


でもその気持ちは、きっとアタシだけのものだった。


九十九さんにとっては、辛いだけの生活だったんだ。普通の人に優しくされただけで泣き出すほど、あの人を追い詰めてしまっていたんだ。


そう思うと、とても辛かった。苦しかった。申し訳なかった。


あの時、アタシが教会の戸締りさえちゃんとしていれば、きっと九十九さんには別の未来があった。もっと平凡で、もっと穏やかな生活があった。もしかしたら、別の場所でさやかさんと出会って、恋、したかもしれない。


アタシのせい。きっと、全てアタシのせいだ。


一人では何もできない、邪魔者のアタシが悪いんだ。


息が苦しい。胸が苦しい。心が、とても苦しかった。


そのせいだろうか。アタシの目からも、涙が溢れだした。どうしようもなく心がざわめき立って、気が付いた時には、アタシは店を飛び出していた。







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