第7話


 登録を終えた翌日。朝8:30。営業時間開始直後のハロージョブの前に立っていた。


「朝一なら、会いたくない奴は来ませんから」


 という理由だけのために、春休み初日の朝は、全く休む間もなく始まった。



 俺の家に家族はいない。別に両親が死別したというわけではない。去年地方に転勤になった父に、母がついていっただけだ。


 約1年の期間を一人で過ごしていると、他人に干渉されない生活の素晴らしさに気づいてしまう。昨今の独身率の高さは、この誰にも侵されることのない空間の素晴らしさを、皆が気づいてしまったからではないだろうか?


 そんな素晴らしい俺の素敵空間に、早朝から玄関を文字通り破壊してやってきたのが、このモンスターシスターである。家の住所は、昨日俺が登録用紙を書いている時に覚えたとのことだ。俺は朝食を食べることさえも許されず、ハロージョブへと連行されてきたのだ。


「おつかい系のお仕事ですと、こちらの一覧をご覧ください」


 先日の男性が、満面の笑みで数枚の書類を手渡してくれる。



業務案内一覧


・犬の散歩1時間   『獲得経験値:80』

・指定場所の草むしり 『獲得経験値:120』

・チラシ配り     『獲得経験値:100』

・コンビニ店員    『獲得経験値:100』



 ○○を××に届ける、みたいなのをイメージしてたんだけど、これじゃあ普通のバイトじゃん!


「ちなみに、給料も支給されますよ」


 完全にバイトじゃん!


「みなさんクエストの報酬で生活されておりますので、お仕事に対して相応の報酬が出るようになっています」

「職業のクラスが上がれば、それだけ高収入のお仕事がもらえますよ」

「ちなみに最低ランクの仕事は?」

「最低賃金ですかね」


 世知辛い。


「おつかいクエストっぽいのだと、荷物配達とか、おつかいっていうのもありますよ? 他のクエストに比べれば経験値は少ないですけど」

「荷物配達、獲得経験値50か」


 渡された一覧表には、『犬の散歩1時間』のように、拘束時間が書かれている物もあれば、今紹介されたような、『荷物配達』のように達成目標が明確に記された物もある。


 コンビニ店員とかだと、給料は良くても経験値が少ないらしい。経験値と給料は、必ずしも比例しないようだ。


「和泉さん、あんまり時間かけないで、一番経験値が高いやつにしちゃいましょう!」


 そう言って、十六夜が指し示すのは、『道場の雑用』と書かれた仕事だった。獲得経験値は250!他に比べて圧倒的に高い。


「ですが、そちらのお仕事の拘束時間は1日となっていますので、本日は他の仕事を受注することはできませんよ?」


 1日拘束されるとなると、今日は250しか経験値を得られないことになる。短時間で終わりそうな仕事は、獲得経験値が50前後。そちらを5つ以上受けたほうが効率良い気がするのだが……


「じゃ、この仕事受けましょー!」


 そう言って、十六夜は詳細の書かれた依頼書と俺をひっつかんでハロージョブを飛び出しやがった。こいつは無駄にフットワークが軽いが、頭も軽い。それに俺の扱いも軽すぎる!せめてもうちょっと相談とかしようよ。これで今日手に入る経験値は250しかなくなった。


 それに、道場って、なんだか嫌な予感がするんだよな……



「さ、和泉さん! ここが本日の職場、さくらかん? きるげつりゅう? 道場です!」

「あ~……」


 ここ、よく知ってる。トラウマレベルで知ってる。


 以前通っていたということではない。この道場、『桜観斬月流おうかんざんげつりゅう』は、俺の知り合いの家なのだ。俺のところに、この道場の孫娘は毎日のようにやってきて、俺をここに連れてきた。


 そしてあいつは、俺で稽古を繰り返していた。道場に閉じ込められた俺を、木刀を握りしめたあいつは、毎日毎日、追い回し続けた。小学校入学頃から、毎日毎日。


「十六夜さんや、ワシは急にお腹が痛くて頭痛で便秘なので、今日は帰らしてください」

「大丈夫ですよ! 一応低級の治療魔法は使えますので、すぐ治療しますから」


 なんでこいつ、こういうときだけ優しさを発揮するの?せめて仕事選ぶ時に俺に配慮してくれていれば、俺だってこんな仮病使わない。そもそも、仕事場がここだと知っていれば、何があってもこの仕事を受けなかった。


 こうなれば、道場の関係者に気づかれる前にこの場を離れなければ!


「いやいや、これは治療魔法なんかでは癒えることのない、深い深い心の傷なのです。では、御免……ぐへ!」


 走りだそうとした俺の襟元を、力づくで掴みあげる十六夜は、ずるずると俺を引っ張っていく。どうして俺より体の小さい少女がこんなに力が強いのか。ステータス、不公平です。



「ひっさしぶりじゃのう、九十九」


 道場の上座で胡坐をかいて座っている老人。ニヤニヤと俺を見るこの老人こそ、桜観斬月流師範、桜山千十郎。齢70を超えているとは思えない肌の張り。銃弾すら弾き返しそうなほどに厚い胸板。丸太のように太い腕。いまだ衰えを知らないその肉体は、まるで巨大な岩山を前にしているような威圧感がある。


「せ、先生。俺はそろそろ帰りますので……」

「おいおい、来て早々帰るとはなんじゃい。用があって来たんだろう?」


 俺はこの人のことを先生と呼んでいる。この道場で指導を受けたことはないが、毎日ここに引きずられてくるうちに、皆が先生と呼んでいるのを聞いて、俺もそう呼ぶようになってしまった。どうやら先生は、俺が先生と呼ぶので、俺も門下生になったと思い込んでいる。


「職安の依頼で来たということは、九十九はワーカーになったのか?」

「先生、ワーカーをご存知なんですか?」

「ご存じも何も、ワシもワーカーじゃ」

「は?」


 さらっと、何のことはないと言うようにそう告げる先生。転職する前から先生を知っているが、認識できなかったことなんてなかったし、むしろ存在感の塊だった。


「普段は一般職の、『指導者』をセットしとるからな」


 なるほど、表の世界でも仕事がある人はそうやって職業を使い分けているのか。


「これでも、剣士と闘士をマスタリーして、『武芸者』の職業を持っている」


 道理で化け物じみた強さだと思った。先生はとっくに世界の外側に外れていたのだ。


「それで、本日の道場の雑用という業務は何をすれば?」

「そうさなぁ、本当は掃除に飯炊きを任せようと思っていたのだがなぁ。せっかく九十九が4年ぶりに道場にきたんじゃ、給料と経験値を増額するから、みおの修行に付き合ってくれぬか?」


 俺は無言で走りだす。


やばいやばいやばい。


逃げなくては、逃げなくては、逃げなくては!


「甘い!」


 まもなく出口に到着する。そう思って安堵しかけた時、目の前に先生が現れる。先生は腰を落とすと、軽く拳を打ち出す。


 その瞬間に、先生の拳から突風が発生し、俺の体は吹き飛ばされる。


「ぐへ!」

「ふむ、まだしっかりと受け身はとれるようじゃのう」


 軽く拳を突いただけで突風が発生するって、どういうことですか先生。そう言えば、一度も先生の戦う姿を見たことはなかったけど、ここまで強かったのかよ。


「す、すごいです! アタシ、今見習い闘士を目指しているんですけど、稽古をつけてもらえませんか!」


 お願い、十六夜さん。もう少し俺を大事にしてください。俺、仰向けでひっくり返っているんですけど?


 そんなことを考えながら目を閉じると、急に頭が持ち上げられ、後頭部が柔らかい感覚に包まれる。これは、いわゆる膝枕というものでは?


 なんだ、十六夜の奴、良いとこあるじゃないか。そう思いながら目を開けると、そこに十六夜の姿はなかった。


「大丈夫?」

「み、みみみっみみ」

「ん?」


 俺の眼前には、1年ぶりにまじまじと見た、桜山澪の顔があった。






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