前期試験
長きに渡り続いた梅雨時も終盤に差し掛かり、前期試験の実施まで残すところ3日を切っていた。
試験を直前に控えて学園全体の雰囲気は、全体的にピリピリとした殺気立ったものになっている。
こういう日は部屋に籠って、のんびりと自分の研究を進めるに限るな。
そう考えた俺は学園の地下階段を下りて、秘密図書館を訪れることにした。
「アベル!」
図書館に一歩足を踏み入れると、何時ものようにノエルが出迎えてくれる。
やれやれ。
まるで尻尾を振っている子犬だな。
理由は未だによく分からないのだが、どうやら俺は知らないうちにノエルから随分となつかれることになっていたらしい。
「今日も新しい魔術を教えて欲しい」
おそらく学外から持ち出してきたのだろう。
見覚えのない年季の入っていそうな魔導書を片手にノエルは言う。
そういえば聞いたことがある。
準備校に在籍していた時点でノエルは、1学年~5学年の勉強範囲を完璧にマスターとしており、その為、授業免除の権利を与えられることになった優等生なのだとか。
ノエルに魔術を教える時間は嫌いではない。
体力面には不安が残るものの、底なしの好奇心と優れた理解力を併せ持ったノエルは、この時代の魔術師としては稀有な人材と言えよう。
「ああ。別に構わないぞ」
ノエルと一緒に奥に進んで行くと上機嫌に鼻を鳴らしながら、本のページを捲るエリザを発見する。
何時の間にかエリザも夏仕様の制服になっているようであった。
「~~♪♪」
この様子だと試験勉強に対する目途が付いたようだな。
エリザが手にしたのは『特集! 夏を満喫する秘密スポット200! 旬のグルメから探す食べ歩きツアー! 大好きな彼と過ごす大人のデートスポット編』というタイトルの本であった。
なんというか、随分と欲張りな内容の本もあったものだな。
既に試験の勉強を済ませたエリザの頭の中は、この後の休みのことで一杯になっているようであった。
「試験勉強はしなくても良いのか?」
「わわっ! ア、アベル!?」
何気なく隣に座って尋ねると、本を背中の後ろに隠したエリザは分かりやすく動揺しているようであった。
「うん。もう必要な勉強は済んだから。後はテスト前の確認くらいかしら」
「そうか。それは何よりだな」
ノエルと比べると見劣りする部分はあるが、エリザもまた優れた学習能力を持った生徒の1人である。
学習能力の高さという意味において、俺の中の評価は ノエル >> エリザ >>>>>>>> 一般生徒 >>> テッド という感じである。
おそらく初めての試験ということで過剰に不安になっているだけで、エリザもまた試験前に慌てて勉強をする必要がない人間の一人だったのだろう。
「アタシは大丈夫だと思うのだけど、そっちで寝ている人が心配ね」
「…………」
それを言われると頭の痛いところだな。
先程からなるべく気にしないようにしていたのだが、テッドの状況が芳しくないのは誰の目から見ても明らかであった。
おそらくテスト勉強に追われて、ロクに睡眠時間を取ることができていないのだろう。
表情を蒼白にして、参考書を前にして項垂れるテッドは、ミイラのような有様であった。
「ねえ。見て! ドングリってば、まだこんなところ勉強している!?」
「信じられない。魔術論語の初歩のところ……」
エリザとノエルが口々に驚きの声を上げている。
まさかと思って、テッドが開いている問題集を取り上げる。
うーん。
流石にこれは予想していた以上だな。
試験勉強の進捗が芳しくないのは百歩譲って許せるとしても、肝心の解答が間違いだらけなのが救いようのない感じである。
やれやれ。
前々から頭の出来が良くないやつだとは思っていたのだが、ここまで悲惨だったとは思いも寄らなかった。
この理解度のままテスト当日を迎えると、本当に進級できない事態に発生するかもしれない。
「アベル。何かフォローしてあげた方がいいわよ。このままだとドングリ、本当に赤点になると思う……」
はあ。俺としては可能な限り、助け舟を出さずに自力で取り組んで欲しいところではあったのだが、手段を選んでいられる状況ではなさそうである。
仕方ない。
テッドが進級できないとなると、面倒事が起きた際の『隠れ蓑』を1つ失うことになるわけだからな。
多少のフォローはしてやることにするか。
「テッド。少し教科書を借りるぞ」
そう前置きした俺は、テッドが使っている教科書に線を引いてやることにした。
「アベル。何をしているの?」
「何って……。見ての通り、テストに出る問題にペンを入れているのだが……」
「す、凄い! そんなことが分かるの!?」
「内容の重要度、授業の中で優先的に説明していたポイント、担当教師の性格、その他、諸々を考慮した結果だな」
もちろん個人的な予想なので、的中率100パーセントというわけにはいかない。
だがしかし。
所詮は人間が作っているもので以上、ある程度の予測が可能である。
最低限ここだけ抑えておけば、赤点を回避することができるだろう。
「……生体反応ゼロ。まったく興味がないみたい」
ピクリとも動かない状態のテッドを確認してノエルは告げる。
やれやれ。
どうやら今のテッドに必要なのは、効率的な学習方法ではなく、勉強に対するモチベーションのようだな。
まったくもって、世話の焼ける男である。
「ねえ。そう言えば話は変わるけど、アベルって夏休みの予定とかってあるのかな?」
「――――ッ!?」
んん? 俺の思い過ごしだろうか。
エリザが口にした『夏休み』というワードに反応して、テッドの体が一瞬だけピクリと動いたような気がする。
「そうだな。夏休みは故郷であるランゴバルト領に帰るつもりでいるが、それ以外は特に決めていないかな」
正確に言うと、ランゴバルド領は本当の俺の故郷というわけではない。
だが、転生前の俺が過ごしていた本当の故郷は、戦火に飲み込まれて焼失している。
そういう意味で言うと、俺にとってランゴバルト領は、第二の故郷と呼べる存在なのかもしれないな。
「そうだ! 夏休みは皆で海に行きましょうよ!」
エリザが突拍子のない提案を口にした。
この女、唐突に何を言い出すかと思えば。
メンバー各々のスケジュールを確認しないで提案しても、受け入れられるはずがないだろう。
「エリザ……。もしかして天才? 悔しいけど、認めざるを得ない」
等と思っていたのだが、どうやら俺の心配は杞憂だったらしい。
理由はまったく不明だが、ノエルまで乗り気のようであった。
ここまで強く他人の意見に同調するノエルを見るのは初めてかもしれない。
「魔導列車に乗れば、ほんの数時間でキレイなビーチが見えるらしいわ!」
「何処に泊まるかも考えないとダメ。宿の予約は早ければ早いほど良い」
「美味しい食物」
「キレイな景色」
「「今年の夏は楽しくなりそう!」」
参ったな。
俺の知らないうちにどんどん話が進んで行っているような気がするぞ。
どちらかというと正反対の性格を持ったエリザ&ノエルが、ここまで意気投合するのも珍しいな。
「費用はどうするんだ?」
「その点については問題ない。研究会の合宿、ということにすれば、学園から経費が下りるはず」
「…………」
そういうものなのだろうか。
なんだか制度を悪用しているようで気が引けるが、会長であるノエルが言っているのだから問題ないのかもしれない。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
半ば無意識の中にあっても、俺たちの会話をしっかり聞いていたのだろう。
起き上がったテッドの眼には、未だかつてないほどの活力の炎が燃え上がっているようであった。
「海、行きたいッス! ヤル気が漲ってきたッスよおおおおおぉぉぉ!」
やれやれ。
勉強の方には全く興味を示さなかった癖に現金な奴である。
どうやらテッドを動かすには最適なルートを示すよりも、目の前にパンをぶら下げるのが最も効率が良いみたいだな。
今後の参考にさせてもらおう。
「気を付けた方がいいわよ。赤点を取ると、夏休みは補習と追試で潰れるらしいから」
「はうっ!」
果たしてテッドは、無事に研究会の夏合宿に参加することができるのだろうか。
前途は多難な感じであった。
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