あいあい傘



 それから。

 暫く図書館に滞在した俺は、陽が落ちる前のタイミングを見計らって、荷物をまとめて離席することにした。

 それにしてもテッドのやつは大丈夫なのだろうか。

今日も勉強の途中で体調の不良を訴えて、早々にフェードアウトしていたようだし、なんだか少し心配になってきたな。

 手取り足取りと勉強を教えるつもりはないが、何処かのタイミングで助け舟を出した方が良いのかもしれない。


「ねえ。アベル。もしかして今、帰るとこ?」


 図書室を出ようとした折、同じく荷物をまとめていたエリザに呼び止められる。


「良かったら一緒に帰りましょう。勉強に区切りが付いたところだったの」

「ああ。別に構わないぞ」

 

 エリザと一緒に地上に続く階段を上る。

 この秘密図書館は、地下深くに作られており一般の生徒たちの出入りは、禁じられた特別な場所であった。


「わっ! 知らなかった。外はこんなに降っていたのね」


 何気なく外の景色に視線を移すと、先の景色が霞んでしまうほどに雨脚が強まっていくのが分かった。

 少し面倒なことになったな。

 これ以上、雨足が強くならないうちに早めに寮に戻った方が良いのかもしれない。


「んん?」


 異変に気付いたのは、俺が本校舎の玄関の前に到着して暫くしてからのことであった。

妙だな。

傘入れの中に置いてあったはずの傘がないぞ。

 雨に濡れた傘を校舎の中に持ち込むのは衛生的な観点から厳禁であり、俺たち学生は傘入れの使用を義務付けられていたのである。


「アベル。どうかしたの?」

「参ったな。朝入れておいたはずの傘がなくなっている」


 おそらく誰かが間違えて持って行ってしまったのだろう。

 最初は悪意のある第三者が傘を盗んだのかとも考えたが、流石にそんなレベルの低すぎる嫌がらせをしてくる人間はいないと信じたい。

飾り気のないシンプルなデザインが災いしたのだろうな。

 

「そ、そうなんだ」


 僅かに視線を反らしたエリザは、頬に朱を散らして意外な言葉を口にする。


「ねえ。アベル。もしよければアタシの使っている傘、貸してあげましょうか?」

「……? どういうことだ?」

「べ、別に深い意味はないのよ。ほら。アタシの傘、無駄に大きいし! アベルには普段、色々と助けてもらっているから!」


 なるほど。

 つまりは俺に作った貸しを返そうと考えているのか。


「いや。別に気を遣う必要はないぞ。これくらいの距離なら『雨避けの魔術』を使えばどうとでもなるからな」


 術者の情報に風の膜を発生させて雨を弾き続ける『雨避けの魔術』は、俺のいた200年前の時代では日常的に使われていたものであった。


「いくら大きな傘でも、二人で入ると狭いだろう。俺に対する貸しならば、気にしなくても良い」 

「そっか……。そうだよね……。ごめんね。余計なことを言っちゃったみたいで……」


 何故だろう。

 提案を断ると、エリザはあからさまにガッカリと落ち込んでいるみたいであった。

 ふうむ。

 相変わらずに女心というものは良く分からないな。

 普通に考えれば、二人で使うよりも、一人で広々と傘を使えた方が嬉しいはずなのだけどな。


「ヒューヒュー。モテる男はツラいね~。アベルくん」


 異変が起きたのは、そんなことを考えていた直後であった。

 何処かで見たことのあるような内部生の男子生徒たちが、俺たちの行く手を阻むようにして立っていた。


「アベル君。これ、な~んだ!」


 内部生の男の手に握られていたのは、俺が傘置きに入れておいたはずの傘であった。

 やれやれ。

 本当にコイツ等は、俺の想定を常に下回り続けるレベルの低さを見せてくれるな。


「まったく。劣等眼にお似合いの貧乏臭い傘だな!」

「悪く思うなよ。公爵様に逆らったお前が悪いんだ」

「サイバネ様を怒らせるなんて命知らずのやつめ!」


 次に内部生の男たちが取った行動は、流石の俺も驚くほどにレベルが低すぎるものであった。

 何を思ったのか、内部生たちは、俺の傘を地面に叩きつけると、集団で踏みつけ始めたのである。

 買ったばかりの新品の傘の骨がグニャリと曲がり、見るも無残な状態に形を変えていく。


「アイツ等……! 許せない……!」


 この展開を受けて怒りの感情を露にしたのはエリザだった。

 怒りの炎をメラメラと燃やしたエリザは、今にも内部生たちを魔術で燃やし尽くしてしまいそうな殺気を放っていた。


「よせ。エリザ」


 コイツ等、今公爵の名前を出してきたな。

 おそらく俺に対する執拗な嫌がらせは、以前に絡んできた公爵の指示を受けてのものなのだろう。

 ここで安い挑発に乗ってしまえば、今後はエリザが公爵様に付け狙われる結果を招きかねない。

 俺はともかく、エリザまでもが、下らない連中の相手をする必要はないだろう。


「でも……! でも……!」

「コイツ等の相手は俺がする」


 エリザを庇うようにして前に出ると、内部生たちはニヤニヤと薄気味の悪い笑みを零していた。


「ヒュー! ヒュー! 格好いいねー! 騎士(ナイト)様の登場っていうわけだ!」

「かかってこいよ! オレたちが軽く捻ってやるからさ!」


 この気配、何か妙な感じだな。

 先程から好戦的な台詞を口にする内部生たちであったが、攻撃の気配を全く感じないのが不自然である。

 疑問に思った俺は解析眼を発動して、不審な魔術の気配がないか探ってみることにした。

 なるほど。

 コイツ等の狙いが、なんとなく、見えてきたぞ。

 後方に陣取る内部生たちがポケットの中に隠し持っている魔道具は、レンズを通して見えている映像を記憶する類のものである。

 おそらくコイツ等は、挑発に乗った俺が、校則に反するような強力な魔術を使用する映像を撮影することにより、俺を陥れようと企んでいたのだろう。

 実に下らない。

 策と呼ぶことすらも憚られるレベルの低い計画である。


「裁きの雨(ジャッジメントレイン)」


 そこで俺が使用したのは碧眼属性魔術の中でも、やや特殊な位置づけにある《裁きの雨》であった。

 周囲の雨を操ることを可能とする《裁きの雨》は、使えるシチュエーションが限定的な為、俺も実戦では数えるほどしか使用したことのない魔術である。


「ほらほら! どうした! アベル君!」

「ビビっているのか! 雑魚がよぉ!」


 狙い通りに俺が挑発に乗ってこなかったので焦っているのだろう。

 内部生たちの野次には益々と熱が入ることになっていた。

 実に滑稽な光景である。

 お前たちを裁くための準備は、こうしている間にも着々と進んでいるのだけどな。

 内部生たちの頭上には、地上に降り注ぐことなく、空の上に溜まった雨が固まりとなって浮かんでいた。


「アベル……! これって……!?」


 流石にエリザは異変に気付いたか。

 何時になったら内部生たちが気付いてくれるのか興味が沸かないわけではなかったが、生憎と今回は時間切れである。

準備が整ったところで俺は、頭上に貯め込んだ巨大な水の塊を一気に落としてみることにした。


 ザバッ!

 ザババアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァン!


 瞬間、大地に落ちた巨大な雨粒が内部生たちの脳天を直撃する。


「「「ぎゃああああああああああああああああああああああああああ!」」」


 降り注いだ大量の雨は、やがて濁流となり、内部生たちの体を綺麗サッパリと洗い流していく。

ふうむ。

俺としたことが少し迂闊だったかな。

 せっかく盗まれた傘を取り返すチャンだったというのに、内部生たちと一緒に洗い流してしまった。

 壊れてはいたが、黒眼系統の魔術を用いれば、十分に修復が可能な範囲だったと思うのだが。


「凄い! 雨を操って……!? こんな魔術があったんだ……!」


 俺の構築した魔術がそんなに珍しかったのだろうか。

 エリザは暫く『心此処にあらず』といった感じの表情を浮かべていた。


「はい。これ。助けてくれたお礼……!」


 次にエリザが取った行動は俺にとって少し予想外のものであった。

 何を思ったのかエリザは、俺に向かって自分の傘を差しだしてきたのである。


「アタシのことは気にしないでいいから。これくらいの雨、走って帰ればどうとでもなるし!」


 なるほど。

 自分のことは良いから1人で傘を使ってくれ、ということか。

 たしかにエリザの持っていた大きめの傘は、男の俺が使用しても違和感のないデザインをあひていた。


「それじゃ、アタシは先に帰るから! また明日! 学校で!」


 やれやれ。

 仕方のないお姫様だな。

 俺は雨の中を走ろうとするエリザの首根っこを掴んで、グッと体を引き寄せてやることにした。


「やはり気が変わった。今日は傘を借りさせてもらうことにするよ」

「…………!?」


 んん? これは一体どういうことだろう。

 俺が体を抱き寄せてやると、エリザの頬がカァァァッと熱みを帯びていくのが分かった。

たしかに魔術は便利だ。

だが、全ての問題に対して、魔術を使って問題を解決するのは野暮というものだろう。

 実のところ、傘を差して歩くのは嫌いではない。

何故なら、この傘という道具は200年前と比べても、あまり形が変わっていないからである。

 時が移ろい、多くのものが変化していく中で『変わらないもの』に出会うと少しだけ心が安らぐのだ。


「……本当?」


 やれやれ。

 悲しんだり、驚いたり、照れたり、喜んだり、感情の浮き沈みの激しい女だな。

 俺の提案を受けたエリザの表情は、陽が差したかのように晴れやかなものになったような


「ねえ。アベル。あの……」

「ん? どうかしたのか?」

「ううん。何でもないの……」


 尋ねてみると、エリザは頬を赤らめてプイと視線を反らす。

 何故だろう。

 この女、心なしか急に口数が少なくなっているような気がするな。

 気心の知れた仲間と2人、同じ傘を差して歩く。

 こうして俺の学園生活はゆっくりと時が流れていくのだった。


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