梅雨の日の出来事
俺が学園生活を送るようになってから、どれくらいの月日が流れただろうか。
校舎の至るところに植えられていたサクラの木はすっかりと花弁を散らして、新しい緑を芽吹かせていた。
季節は梅雨。
空から落ちる雨がアジサイの葉を揺らしている。
ここ最近は雨が続き、騒がしかった学園の雰囲気も心なしか少し落ち着いたように思える。
そう言えば、あの日、200年前に《黄昏の魔王》と戦った日も、こんな風な雨の日だったな。
さて。こう雨の日が続くと読書も捗るというものである。
授業が終わって放課後。
俺は日課である読書に興じるべく、古代魔術研究会の部室である『秘密図書館』を訪れていた。
「アベル……!」
俺が図書室に到着をすると、中で待機をしていた少女が足音を弾ませて駆け寄ってくる。
やれやれ。
まるで人懐っこい子犬だな。
その少女、ノエルは『氷の女王』と呼ばれる学園屈指の秀才であり、この古代魔術研究会の設立者であった。
「どうかな。衣替えしてみたの」
スカートの裾の部分を軽く持ち上げたノエルは、クルリとその場で回って見せる。
どうやらこの梅雨のという時期は、学生たちにとっての『衣替え』の季節でもあるらしい。
「ん……。まあ、似合っているんじゃないか」
元々の素材が良いという部分もあるのだろうな。
小柄でいて、線の細い体型をしたノエルは、夏仕様になった学生服を上品に着こなしているようであった。
「嬉しい。アベルに見せたくて早めに衣替えをしてみたの」
薄手のブラウスに包まれた体をピタリと俺に寄せながらノエルは言う。
参ったな。
なんだか知らないうちに俺は、この少女にすっかりと懐かれてしまったらしい。
さて。
全体的に和やかな雰囲気の俺たちとは対照的に、ピリピリとした空気を漂わせていたのは別の二人である。
「うわ~ん。どうしてウチの学園の試験はこんなに範囲が広いのよ! 鬼! 悪魔!」
弱音を零しながら、テーブルの上に山積みになった参考書と格闘しているのはエリザである。
色々と縁があってエリザは、古代魔術研究会の正式なメンバーとして秘密図書館を出入りするようになっていた。
「見える! 見えるッス……! あの峠を越えた先に、クリームパンの山とチョコレートの川が見えるッスよ……!」
テーブルの上で項垂れながら、ブツブツと意味不明な言葉を呟いているのはテッドである。
誰が誘ったというわけではないのだが、何時の間にか、この男は古代魔術研究会のメンバーとして振る舞うようになっていた。
「なんだか大変そうだな。二人とも」
テーブルの席に着いた俺は、鞄の中から読みかけの本を取り出すことにした。
さて。
実のところ、俺たち古代魔術研究会の活動内容の方はというと、特にこれといった決まりがあるわけではない。
それぞれ各メンバーが好き勝手なことをやっている感じである。
目的がない、というと聞こえは悪いが、理不尽な規則によって行動を制限されることもないので俺にとっては何かと都合が良い部分もあった。
「ねえ。一応、聞いておくけど、アベルは試験前の勉強とかしないわけ?」
暫く読書に興じていると唐突にエリザが不思議そうな表情で尋ねてくる。
「勉強? どうして試験前になると勉強する必要があるんだ?」
「えっ……? ど、どういうこと?」
「アベルと同じ意見。日頃から学習の習慣があれば、何も準備する必要はない」
「…………」
俺の思い過ごしだろうか?
正直に思ったことを口にするとエリザは、心なしか納得のいかなそうな表情を浮かべていた。
「エリザさん。諦めるッスよ。あの2人には、オレたち凡人の気持ちは分からないッス」
「えっ! アタシ、こっちサイドの人間だったの!?」
悪意のないフォローが、逆に人を傷つけることもあるのだろう。
テッドに励まされたエリザは、ショックを受けて落ち込んでいるようであった。
「……エリザはともかくテッド。お前、試験の方は大丈夫なのだろうな?」
聞くところによるとウチの学園の試験は、それなりに難易度が高く、毎年かなりの数の『脱落者』が出ているらしい。
元々の地頭が良さそうなエリザはともかく、テッドに関しては不安が残るところである。
「ギクッ!」
やはり図星か。
俺の指摘を受けたテッドは、分かりやすく動揺しているようであった。
「師匠。知っていましたか? ウチの学園の試験では毎年、学年が上がる毎に1割の脱落者が出ることになっているんスよ」
「そうなのか。で、それがどうかしたのか?」
「恐ろしいシステムッス。毎年10パーセントの生徒が脱落するということはつまり……。5年生の卒業時には半分になるってことなんスよー!?」
「…………」
いや。違うだろ。
100人の生徒に対して10パーセントの除算を5回続けると、最終的には59人が卒業できる計算だ。
全体の6割の生徒が卒業資格を得られると考えれば、そこまで高いハードルというわけではないだろう。
この程度の計算もできないようでは、テッドの進級について本気で心配になってくるというものである。
「ううう……。師匠、助けて欲しいッス……」
「知るか。自分でやれ」
テッドが泣きついてくるので、俺はあえて冷たく突き放すことにした。
勉強を教えてやることは簡単であるが、個人に対して過度な干渉することは大抵の場合においてロクな結果を招かない。
これもテッドのためだ。
何か困難にぶつかる度に俺に頼るようでは、今後の魔術師としてのテッドの成長も危ぶまれるというものだろう。
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