水の勇者デイトナ
それは今から200年以上も昔の話。
この世界に暗黒の時代をもたらした厄災の魔族である《黄昏の魔王》を、俺たち勇者パーティーが倒した後の話だ。
魔王を倒したからと言って俺たちの旅が直ぐに終わるというものではない。
俺たち勇者パーティーのメンバーは、それぞれ手分けをして各地に散らばっていた魔族の残党たちを相手に戦いの日々を繰り広げていた。
「やあ。待っていたよ。アベル」
その日、立ち寄った宿の中で俺を待ち受けていたのは、青色の髪の毛をした女だった。
彼女の名前はデイトナという。
水の勇者デイトナは、俺たち勇者パーティーの中にあっては珍しい商人上がりの魔術師だった。
彼女の魔術は、空気を凍らせて、物体の振動すらも停止させる。
こと碧眼系統の魔術に限っていうと、俺と同等か、それ以上の力を持っていると言えよう。
「約束のものは持ってきてくれた?」
「ああ。一応な」
魔王の討伐後、俺はデイトナに1冊の本をプレゼントする約束をしていた。
個人的には自分で書いた本を他人に渡すことには抵抗があったのだが、彼女には旅の中で助けられたこともあったので、嫌とは言いづらい雰囲気があった。
「今更だが、聞いても良いか。どうしてこんなものを?」
10代の中頃から《転生魔術》の完成を目指していた俺は、研究の過程で生まれた魔術を書物として残していた。
だが、俺の書く魔導書は、黒眼、灰眼系統の魔術について書かれたもの大半だ。
普通に考えれば、水属性魔術を得意とするデイトナにとっては、役に立たないもののはずであった。
「……アベル。アンタはきっと後世に名を残す最高の魔術師になるよ。だからいまのうちに偉大なる魔術師様の私物を記念にいただいておこうと思ってさ」
パチリとウィンクしながらデイトナは告げる。
はあ。よくもまあ、こういうタイミングで白々しい台詞を言えるものだな。
この女がそんなに女々しいことを思う奴ではないということは、長い付き合いから承知の上である。
「で、本音を言うと?」
「ふふふ。もちろん錢のためだよ! アンタの書いた魔導書なら、きっととびきり凄い値段で売れるようになると思うんだよね!」
そうだと思ったよ。この守銭奴が。
だが、約束は約束だしな。
実際、この本は俺が若い頃に手慰みに書いたもので、俺にとってはとうの昔に不要になっているものである。
自分で読み返すことがない以上、渡してしまっても構わないだろう。
「そうだ! せっかくだし、サインもちょうだいよ! そっちの方が高値で売れると思うんだよね!」
「……仕方のない奴だな」
そこで俺はデイトナにささやかな悪戯を仕掛けた。
いくら不要な本と言っても、このまま金銭と引き換えに誰かの手に渡るのは癪に障る。
親愛なる戦友 デイトナへ
だから俺は自分の名前ではなく、彼女の名前を本の最終ページに記述したのだ。
我ながら地味な悪戯ではあるが、これで少しは他人に譲渡するのが難しくなっただろう。
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