些細な変化


 それからのことを話そうと思う。


 あの日の一件から一カ月、俺はとても平穏な日常を手に入れていた。


 朝は小鳥のさえずりで目を覚まし、リリスと一緒に朝食を頂き、昼過ぎまで書庫で勉強。リリスの作り置きの昼食を食べた後、1時間だけ昼寝。


 目が覚めたら書庫に籠り、魔術の研究を続ける。


 昼の陽ざしが差し込む書庫。

 俺はあくびをしながら、不意に窓に映った自分の顔を見る。


 あの日以来、ボンボン貴族(弟)との鬼ごっこは、一度もしていない。


 ふぅ。

 やはり定期的に運動をしなければ体が鈍ってしまっていかんな。 


 本に視線を落とす。が、すぐに本を閉じることにした。

 俺の耳は、部屋の外の『騒音』を聞き逃さない。


 そう。

 あの1件以来、鬼ごっこ『は』あれ、一度もしていない。



「たのもーっ! 今日もよろしく頼むぜ! 師匠!」



 扉が乱雑に開けられて、テッドが書庫に乱入してくる。

 バースとの決闘依頼、代り映えのしない日常の中に1つだけ小さな変化が訪れることになった。



「……おい。何度も言っているだろう。俺が読書をしている時は扉を静かに開けろと」


「そんなことより師匠! 早く昨日の魔術の続きを教えてくれよ! オレ様、実はもうコツを掴みかけていんだぜ!」


「…………」



 そう。

 俺の日常に訪れた変化とは、何時の間にかテッドが俺のことを『師匠』として慕うようになったということである。


 もちろん最初は断った。

 ただ、テッドは俺が何度断ってもしつこく食い下がり、『師匠』と呼ぶことを止めようとしなかったのである。



「足はもう不自由ないみたいだな」


「へへっ! 当然よ! これしきのケガ、テッド様にとっては掠り傷のうちにも入らないやい!」



 嘘を吐くな。嘘を。

 屋根から落ちた時は、大粒の涙をポロポロと流していたじゃないか。



「なら、久々にやるか?」


「え? 何をやるんだ?」



 俺は掛けてあるマフラーを取り、首に巻いた。



「鬼ごっこだ」



 ボンボン貴族(弟)は、まるで遊んでもらえると分かった犬のように目をらんらんと輝かせた。



「よっしゃああ! 今日こそ師匠を負かしてやるぜえええ!」


「自信満々なのは結構だが……。昨日、教えた身体強化魔術の応用を使えよな。コツを掴んだのだろう?」


「へへーんっ! 任せとけって!」



 返事が良いのはテッドの数少ない長所なのだが、コイツの場合は本当に返事だけ、とういケースが多いところが悩みの種である。


 外に出るために窓を開く。

 爽やかな風が吹き込んで、テーブルの上に置かれた本のページを捲っていた。


 こうして俺の何気ない日常は、ゆっくりと流れていくのだった。


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