バースの決意

 その夜は真冬の分厚い雲が空中を覆っていた。


 月明かりは一切なく、ランゴバルト卿の住まう屋敷の窓から漏れる魔光灯の橙色の灯りくらいしか目立つものはなかった。


 長い廊下に敷かれた真っ赤な絨毯の上、背筋を伸ばして歩く男が一人。


 少年の名前はバース・ランゴバルト。

 彼の誇りでもあった金色の髪の毛は、全て剃られて丸坊主となっていた。


 その翠色の眼が黒く見えるほど目付きは険しく影を落とし、拳は固く握られている。

 

 突き当りの深茶樹色オールド・ブラウンの扉をノックする。


 入れ。と低く重たい声がした。



「失礼します。父上」



 ここはこの屋敷の主の書斎。

 獅子のように髭を蓄えた筋骨隆々な男、エバンス・ランゴバルト。



「何の用だ、こんな夜更けに」


「……単刀直入に言います。父上、リリスとアベルをこの領地から追い払ってはくれませんか?」



 あまりの言葉に、エバンスは言葉を失いつつも、首を横に振る。



「駄目だ」


「何故ですか! あんな奴らっ!」


「前にも言っただろう。リリス殿は単なるメイドではない。私の恩人なのだ。彼女の意向を無視することはできない」


「それが何だというんです!」



 バースは夜の闇に響くほど声を荒げた。

 実のところ、リリスが単なるメイドではないという話は、バースが10歳になった時には父親から聞かされていた話であった。


 地学的には不利な要素が多いこの村が栄えることができているのは、リリスの的確な口添え、アドバイスによるところが大きかった。



「あんな奴に頼らなくても、この領内はもう我々で統治できる。全く問題ないはずだ!」


「……バース。それは違うぞ」


「違う? 何が違うというのですか!」


「父ちゃん。バース兄ちゃん。さっきから一体どうしたんだよ? 廊下にまで声が漏れているけど……」



 扉を開けて寝間着姿のテッドがあくびをしながら入ってくる。

 その足には、治療用のギブスが鉄のようにグルグルと巻かれていた。



「テッド。お前、歩けるのかっ!?」


「うん。ほら! 見てのように普通に歩けるぜ! 元気ビンビンだ!」



 バースの驚愕にテッドはあっけらかんと返す。

 エバンスはそれを見て何かを察したが言葉には出さなかった。



「バース、テッド。時が来たら、お前たちにも真実を話そうと思っていたのだ。リリス殿と私の関係を。どうして私がリリス殿に敬意を払っているということも」


「……父上。貴族が頭を下げるほどの敬意とは一体何ですか?」



 エバンスは一度沈黙をする。


 息子二人にはリリスが魔族であり、故合って匿っていると話す予定だった。


 だが、エバンスは直感した。

 バースは、今、とても薄暗い感情に駆られている。


 息子とは言っても、そんな男に秘密は漏らしてはならない、と。



「お答えにならないのですね」


「今のお前に回答が出来ない」


「ならば! ならば結構っ!」



 煮え切らない父親の言葉を受けてバースは一層に不機嫌になる。

 だが、暫くするとバースは何か吹っ切れたような表情を浮かべて。



「父上! ボクにアースリア魔術学園の推薦を頂けないでしょうか!」


「――――ッ!?」



 バースの言葉を受けた父エバンスは、ゆっくりと首を横に振る。



「それはならん。お前はこの領地に残り、領主としての勉強をしていく。そう約束したはずではないか」



 アースリア魔術学園とは数々のエリート魔術師たちを排出した名門校である。

 ただ、卒業までには最低でも5年はかかることからエバンスは、息子たちの入学には及び腰であった。



「ボクはもっと強大な魔術を学びたいんだ! もっと強く、もっと鋭い。敵を切り刻み、他の追随を容赦なく振り払うような苛烈な魔術を身に着けて見せる! そして平民なんかに。いや貴族にすら、誰にも負けない最強の魔術師になって見せる!」



 エバンスは驚いていた。

 エバンスの眼から見て、バースは聡明でいて、どんな時にも自分の感情を表に出さないような息子だった。


 弟テッドがヤンチャだった分、余計にそう見えたのだろう。



「……バース兄ちゃん。そんなに思いつめなくても」


「五月蠅いんだよっ! この貴族の面汚しがっ!」



 その時、バースが取った行動は父エバンスを愕然とさせるものだった。

 何を思ったのかバースは、ケガをしている弟を勢い良く付き飛ばしたのである。



「コラ! よさないか!」


「だって……。コイツが……。コイツが悪いんだ……! 貴族の癖に平民なんかと仲良くするから!」



 子供のような言動を繰り返すバースに対して、エバンスは評価を改めていた。


 どちらにせよ今の状態のバースには、『領主』としての仕事を任せることはできない。

 そういう意味でバースの希望は、エバンスにとっても好都合なものであった。



「分かった。お前をアースリア魔術学園に推薦しよう」


「……本当ですか!?」


「ああ。国外で見聞を広め、より世界の広さを確かめてくるがいい」


「……父上ならそう言って頂けると信じていました。感謝します」



 エバンスの手を振りほどき、バースは部屋から出て行った。

 その背中を見てエバンスは胸に苦しさを憶えた。何を教え間違えてしまったか。



「……テッド。大丈夫か」


「イテテ。けど、大丈夫だ」


「そうか」



 理不尽な暴力を受けたにもかかわらず、テッドの対応は冷静であった。


 どうやら自分はことごとく息子を見る眼がなかったらしい。

 ヤンチャなようでいて、実のところテッドの方が兄よりも精神的には『大人』だったのである。



「テッド。お前には本当のことを話しておこうと思う」


「父ちゃん?」


「……テッド。私は昔、リリス殿に命を救われた過去があるんだ」


「え?」


「ある雪の日にな。森の中で狩りをしていた時だ。突然に魔物に襲われそうになったのだ」



 遠い昔。ということはあえてテッドには伝えなかった。

 エバンスがリリスと知り合ったのは、優に20年以上も前のことになる。



「そうなのか」


「ああ。それからというものリリス殿には何かと世話になってな。私にとってリリス殿は、良き隣人であり、人生の師匠のような存在だったのだよ」



 当時の2人の関係は、現在のアベルとテッドに少しだけ似ていた。


 あの日のこと。

 どうして『自分のために良くしてくれるのか?』と質問をした際、リリス返ってきたのは意外な言葉だった。



『何時か大切な人が目覚めた時、安心して暮らせるような環境が欲しいのです』



 初めて聞いた時は意味の分からない理由だと思ったが、今ならば理解できる。


 あの日、森の中で魔物に襲われそうになった時、リリスによって『生かされた』のは、全ては、今日のような日のためだったのだろう。



「へぇ。知らなかった。あのメイドの姉ちゃんにそんな一面があったんだな」


「ああ。だからテッド。お前はバースのようになってはいかんぞ。リリス殿たち姉弟と仲良くしてやってくれ」


「言われなくても! アベルはオレ様にとっての舎弟……。じゃなくって、大切な仲間だからな!」



 幼稚な理由でアベルを拒み続けたバースと、受け入れることを選んだテッド。


 2人の兄弟の明暗は、この日を転機としてハッキリと分かれていくことになるのだった。

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