世界の衰退



「……アベル様。食事の準備が整いました」



 約束通りにリリスから起こされたのは1時間後のことであった。


 眼を覚ました時には既にテーブルの上に料理が並べられており、家の中には食欲が掻き立てられる良い香りが漂っていた。



「グッスリと眠られていたのですね」


「ああ。どうにも子供の体だと眠気が襲ってくる頻度が高くていかんな」


「……聞いても良いでしょうか。不自由だと知りながら、どうして子供の体を?」


「まぁ、たしかにリスクはあるが、これはこれでメリットが多いからな」



 曰く。この世界には3つのピークがあるとされている。


 それ即ち――学習能力のピークが10代。体力のピークが20代。魔力のピークが30代といった感じである。


 俺が10代に入る前の子供の体を選択したのは、200年後の未来の世界では、たくさんの新しいことを学んでいかなければならないはずだと考えたからだ。


 まぁ、それとは別にせっかく新しい人生を送るなら子供の体からやり直したいという個人的な事情もあったんだけどな。



「おお……。随分と手の込んだ料理を作ったのだな」



 本日の夕食はアサリとトマトのクリームパスタだ。

 メニュー自体はシンプルなのだが、センスの良い食器、サイド横に添えられた副菜のせいか、やたらとオシャレに見える。



「どうぞ。召し合がって下さい」


「いただきます」



 どうやら200年の間も眠りについていた間に、俺の体は随分と贄となる食事を欲していたらしい。

 俺は味の感想を述べる間もなく、瞬く間のうちに目の前の料理を平らげていく。



「どうでしょう。味の方は」


「ああ。かなり美味いと思うぞ。何処かで勉強したのか?」


「いいえ。そんな大層なものではないのですが、料理の本を読んで少し勉強したくらいです」


「なるほど……。今は料理に関する本まで出る時代なんだな……」



 200年前の世界では本というのは超が付くほど高級品であった。

 もともと紙自体が高価というのもあるのだが、1冊1冊が手書きで作っているために恐ろしく人件費がかかるためだ。


 更にタチが悪いことに同じタイトルの本であっても、何度かコピーをしていくうちに内容が書き換えられて行って質が低下してしまうのである。


 前の時代では本と言うと、九割は魔術に関する本であり、それ以外には歴史の本が少しあるくらいだった。


 少なくとも料理の内容を本にするという発想は、俺の暮らしていた時代では考えられないものである。



「昔は本1冊で小さな家が買えてしまう時代でしたからね……」


「ああ。俺も稼いだカネをつぎ込んでいたから貧乏生活が耐えなかったよ」



 俺の場合、質の悪いコピー本ではなく原本に拘っていたから正直に言ってカネは幾らあっても足りなかった。


 ふふふ。

 しかし、これは今後の楽しみが増えてきたな。


 人類の進化というものは目覚ましく、俺が期待をしていた以上に、この世界の文明レベルは劇的な進化を遂げていた。


 おそらく今の時代ではかなり安価に本を読めるようになっているのだろう。



「よろしければ食事の後は、二階に用意した書庫を案内しましょうか?」


「おお……! そんなものまで用意してくれたのか……!」


「はい。アベル様が大の読書家だということは知っていましたし、何より今の時代を知るには本を読んでしまうのが一番手っ取り早いかと」



 リリスの言葉に釣られた俺は足取りを軽くして、書庫のある二階に向かう。


 大好きな本が読めるのであれば、退屈な子供時代を有意義に過ごすことができるに違いない。


 当時の俺はこの世界で密かに起こっている『衰退』に気付かず、呑気にそんなことを考えていたのだった。

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