第2話 命令

「とにかく、とにかくだ。

まずはメイドらしく、この部屋を片付けてくれるかな」

と気を取り直してアイにお願いをした。


アイは「仕方ありませんね」と意外にも素直に応じてくれた。

思わず驚きに目を見開くと、アイは「そりゃご主人様に従うのは当然ですよ、メイドですから。

それが喩えどんな酷いご主人様であってもです……」

と心を見透かすように流し目をしていた。


そう言うとアイはショートの黒髪をもみあげ部分を垂れ下げたまま、ヘアゴムで高い位置にまとめた。

真っ白なうなじに黒いおくれ毛が男心にグッときてしまい、まじまじと見つめてしまった。

舐めるような視線を取り繕うために

「それって、ショートなのにまとめる必要あるの?」

と特段興味もない質問をアイに投げかけた。


「前かがみになったりすると、目とか口に髪の毛が入って面倒なんですよ。

別にご主人様のためにうなじを見せつけた訳ではありませんよ。あしからず」

こちらも見ずにアイは答えた。


私は「ああ、そう」と心ここにあらずな感じで返事をした。

すると急にアイはこちらを振り返り、毒のある笑顔を向けて、とても明るく言った。

「視線がキモ過ぎですよ、ご主人様!」


ここまで何を言われても我慢をしてきたが、この言葉で遂に我慢の限界に達した。


「うるさいな! ちょっと黙って!」


思わず逆上して声を荒げてしまった。

アイは私の怒声を聞くと、スッと無表情になった。

それを見て私は後悔した。

アイは感情の読み取れない口調で言った。


「申し訳ございませんが、それは私への命令ですか?」


「命令……?」

思わぬアイの反応に、何と答えれば良いのか分からなくなってしまった。

私はアイの言葉を待つしかなかった。


「ご主人様からの命令であれば、私の中のプログラムに書き込まれ、以後、それに反する行動はできなくなります。

もし『黙れ』が命令ならば、その通りに黙ります」

平坦な口調でアイは続けた。

「この場合は喋れと命令されるまで、ずっとずっと黙っていることになります」


「命令……、ではないよ」私は続ける。


「僕は……、誰に対しても命令はしたくない。

それがたとえ相手がロボットであろうと、メイドであろうと。

命令はしない」


命令という重い言葉と自分の過去の経験を鑑みながら、どうすればアイに対して伝わるのか考えて、私は言葉を続けた。


私の母親はいわゆる毒親でね。

いつも息子である私を監視していたんだ。

常に。

四六時中と言っていい。


それで何か問題が起きる前に、私に命令をして、なにも問題を起きないようにしていたんだ。

学校に来ては『あの子とは友達になるな』、

塾に来ては『あの子なら友達にふさわしい』ってね。

もちろん母親としては、良き学校生活を送るためのただのアドバイスであって、『命令』ではなかっただろうけど。

でもさ、そんなの、子供から見た親なんて、神様以上の存在でしょ。

紛れもなく、あれは私にとって命令だった。

そのお陰で何事もなく中学高校と進学出来た。

そう、何事もなく。

文字通り何事もなく……。


でも成長すると気付くよね。あれ、おかしいなって。

それで自分で考えて、考えて『命令』に背いて、

大学は自分の希望通りの進路に行く決断をした。

もちろん親の反発は凄かったけど、まぁ今はもう昔の話だよ。

今はこんなしがない塾講師になっている訳だしね。


「そういう訳で、アイに命令はしないよ。

絶対に。

キミは人工知能を持っているんだから、自分で色々と考えられるはずでしょ。

だから命令なんてしなくても、自分で考えて行動してほしい」

と、私は思いを込めて諭すように言った。


アイは暫く無言で考えている様子だった。その後、納得したように一度頷いた。


「わかりました。それでは今後も、人工知能をフル活用して自分なりに考えて、めちゃくちゃに毒を吐いていきたいと思います」


と明るく宣言をされてしまった。

 

 ***

 

アイは困惑していた。

命令はしないと宣言をされ、自分で考えろと。

私はロボットである。

確かに人工知能は搭載されているが、根本的には人造のプログラムである。

プログラムは本質的に命令を受けて動くものである。

命令こそが私を動かす、そうロボットなりに理解していた。

しかしご主人様のシバタは命令を出さないと明確に宣言をした。

私は一体どうしたら良いのでしょうか。


そう意識のバックグラウンドで思考を巡らせていると、意識のプールの中にピンクともオレンジともつかないパステルカラーに光る球体を見つけた。

表層にあるダークグレーの分厚い靄とは違って、そこへ意識を向けるととても暖かい気分になった。

さらに、淡く発光する球体の周囲に目を凝らすと、その球体からもやもやとパステルカラーの液体が流れ出ているのが見えた。

その液体の流れに意識を委ねると、自然と力が抜け、まるで羊水に浸っているかのような安心感を得られた。

羊水など入ったことは無いはずなのに。


自然と私はご主人様に対して『ありがとうございます』と言いたくなった。

『ありがとうございます』という感謝の言葉が淡く光る球体から流れ出た。

意識のプールをそのパステルカラーの言葉が徐々に浮上していった。

しかしプールの表層には、最初に箱から流れ出た鈍色の靄の層があった。

その靄の層を通って意識の表層に登った感謝の言葉は、もはや薄汚く靄がまとわりついており、感謝とは似ても似つかない言葉へと変容していった。


「めちゃくちゃに毒を吐いていきたいと思います!」

 

 ***

 

アイは

「このゴミは捨てていいですかね、あ、すみませんゴミとご主人様と見間違えておりました」

「いつのティッシュですかこれは、臭すぎます。イカの燻製でも製作してたんですか」

「そんなに胸元を見ないでください。このメイド服は私の体型に合わせた特注品なので胸がチラ見えすることはありませんよ、残念でした」

などと辛辣な毒を吐きつつも、きっちりと手は動かして、テキパキと部屋の片付けを終えた。


「こんなものでいかがでしょうかご主人様」


最後にゴミを回収場所に出すと、リビングに足の踏み場が出現し、自分の住居が見違える程に綺麗なった。

「おお……さすがだね……。

口が悪くてこいつ本当に大丈夫かと思っていたけど、本当にありがとう、アイ」

「当たり前じゃないですか。性格の悪さとメイドとしての有能さはそもそも無関係ですからね。そんなことも理解出来ないんですか」アイは冷静に言った。


「それはそうだけど……。そろそろお腹空かない?」

「空きません。

ロボットは充電さえすれば動きますし、まだ充電の必要はありません。

段ボールに同封されていた説明書に書いてあると思いますよ。

それともご主人様は説明書を読まずにとりあえずゲームを進めてしまって、後戻りできないところまでいってから後悔するタイプの人ですか?」


 妙に具体的なアイの推測だったが、実際のところ心当たりがあった。そのため言葉を咄嗟に返すことが出来なかった。


「まぁ実際には私は『食べる必要がない』だけで、食事は可能ですよ。

効率は悪いですが電気エネルギーにも体内で変換可能です。

その場合、排泄物、と言っても炭みたいなものですが、が微量出ることになります」


「なるほど、分かった。

一人の食事が寂しくなったら、一緒にご飯を食べよう。

とりあえずは僕のために今日の夕飯を作ってくれないかな」


「どうやってさっきまでゴミに埋もれてたところでご飯を作れというのですか。

まともな調理器具すら無かったですよ。

それともご主人様にとっては、ゴミを適当に組み合わせたものをご飯と定義されているのですか?」


相変わらず口の悪いアイだが、徐々に慣れてきたような気がした。

特にテキパキとした仕事ぶりを見た後だと、アイの有能さと相まって好ましい性質とまで思えるような気がした。

「確かにそうだな、悪かった。

買い物に行こう。

今日はとりあえずデパ地下の惣菜でいいから、明日から色々と作ってくれたら嬉しいな。

ついでに、明日は一緒に出掛けた時に洋服も買おう。

今後買い物に行く時に、メイド服しか持っていないというのも目立つしね」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る