アイのいる生活 ~~独身男性オタクの家に突然美少女JK毒舌メイドロボがやってきた!?~~
皆尾雪猫
第1話 出会い
ピンポーン
「はいはい! 今いきます!」
はやる気持ちを抑えきれずに、インターホンのモニターを確認せずに玄関へと向かった。今日は「ある物」が届くため、朝からずっとテレビもネットサーフィンも上の空で、何も内容が頭に入ってこなかった。
それくらい私はそのモノを待ちわびていたのだった。
シャチハタを念入りに伝票へと押しつけると、台車に乗せられた大きな段ボールが目に入った。
ぱっと見で小柄な人間が中に入りそうな大きさだった。
「玄関に入れますね」と配達員のお兄さんが快活に言ってくれたので、ご好意に甘えて、玄関まで入れてもらった。
出しっぱなしになっていた靴が片方下敷きになってしまったが、最早そんなものはどうでも良い。
配達員が「ありがとうございましたー!」と元気に帰っていくと、即座に正面に貼りついているガムテープを引き剥がした。
段ボールを広げ、緩衝剤をむしり、ビニールを破くと、中には小柄なメイド服の少女が体育座りをして格納されていた。
「おお……、すっご。めっちゃリアル……」
思わず独り言を漏らしてしまった。
体育座りの少女はクラシカルなメイド服を着ていた。
秋葉原でよく遭遇するコスプレの安物とは違い、仕立ての良い生地で、少女の華奢な体型に合わせて作られた高級感のあるものだった。胸元は女性らしく立体裁断が施されており、メイド服の上からでもわかる確かな膨らみが存在した。
肌は色白で、細い足がふわりと清潔感のあるスカートの裾からちらりと見えていた。
頬はゆで卵のようにつるんとしており、そこに切れ長の閉じた目と長いまつ毛が非常に映えている。
髪は黒く、軽くまとめることも出来るショートヘアーだった。
こういうのをウルフカットというんだっけ……。
少女をまじまじと観察しているとあまりにリアルであるため、変な緊張感が高まってきた。
おかしい、私には少女趣味は無いはずなのに……。
少女、メイド服、胸元の膨らみ、体育座りで段ボールに格納。
かたや三十二歳独身男性、彼女無し、趣味はしいて挙げれば漫画とアニメ鑑賞、軽度オタク。
今この状況で警察に踏み込まれたら、確実に何らかの罪で逮捕される思われた。
そんなことを考えていると、少女がおもむろに目を開けて段ボールから出てきた。
何らかのセンサーにより自動で電源が入ったらしい。
玄関マットの上に立ち上がると、「初期設定をします」と少々違和感のある電子音声で喋り始めた。
「名前を教えてください」
「名前か……、どうしようかな」少女を見つつ思案する。
少女は立ち上がると一五〇センチメートル前後に見え、顔立ちなどから高校生くらいがモデルと想像された。
開発者の友人曰く、これくらいが『ちょうどいい』のだそうだ。
何が『ちょうどいい』のかは話が怪しくなりそうだったので、友情にヒビを入れないためにも突っ込まないでおいた。
「うーん……、それじゃアイちゃんとかどうかな。人工知能(AI)が付いてるからね」
「かしこまりました。アイで登録します。少々お待ちください」そう少女ことアイは言うと、目を閉じて軽く俯いた。
微かに全身が震えた後で、顔を上げて目を開いた。その目は俯く前とは全く違う光を宿していた。
切れ長の目元から上目遣いでこちらを値踏みするように見つめていた。
アイは違和感のある電子音声ではなく、綺麗な発音の日本語でハッキリとこう言った。
「ハァ……、AIだからアイとか安直過ぎません? 予想される中で一番なりたくなかった名前なんですけど」
***
「何なんですか、この部屋。めちゃくちゃに汚いですねぇ。リビングなんてほぼ足の踏み場もないし、ごみが散らかりっぱなしじゃないですか。台所も洗い物が溜まって汚いですねぇ。コバエも湧いていて、人間の暮らすところじゃないですよここ。もちろんロボットが暮らすところでもないですね。気持ち悪い。あ、もしかしてメイドロボットが来るからってテストするためにわざと散らかしたんですか。面倒な人ですね。そんなことをしなくても私はしっかりと働きますよ、ええ。だって家庭用普及型メイドロボット、通称メイボットですからね。その名に恥じない働きを保証しますよ。それにしたって何だか臭いですねぇこの部屋。嗅覚機能は性能の良いセンサーが使われているのですが、すでに軽くエラーが出ていて故障しそうですよ。もし故障したら高い金払って直してくれるんですよね。何だか磯くさいのは海が近いからしょうがないんでしょうけど、それに加えてあと生ゴミ臭いのと、イカみたいな匂いもするんですが、これはオナ」
「ちょっと黙って!」
急に辛辣に罵り始めたアイは一旦放っておいて、まずは開発者である友人に電話をかけた。苦情を入れる目的と、後は一応、友人がドMであるかを確認する目的である。
「ちょっとなんかめちゃくちゃ当たりが強いんだけど、この子!」
「え、何さ、急にどうしたん」
この家庭用普及型メイドロボットを開発した友人はすぐに電話に出た。
この通称『メイボット』が私のところに送られてきたのは、発売開始前のテスト運用という位置づけである。実際に想定される様々な家庭の状況において様々なデータを収集するために、開発者である友人が送ってくれたのだった。
ある種のデバッグ作業を、開発者の知人を中心に行っているとのことで、私は独身男性の部ということのようだった。テスト期間は3ヶ月で、その後はメンテナンスを経て、再度貸してくれるとのことだった。
「今日からテスト開始だよね、そんなすぐに故障したん?」
メイボットは世界初の家庭用全自動自律型家政婦ロボットであり、高性能の人工知能を搭載することで、会話を通して自動的にその家族のニーズにあった行動をしてくれる、との触れ込みだった。
「何だかこのメイボット、めちゃめちゃ性格悪いんだけど、これで大丈夫なの?」
「性格……」友人は不思議そうに言った。
「最初に名前を登録したら、急に部屋が汚いだの変な匂いがするだの文句を言い出したのよ。いやまぁ確かに部屋は汚いし変な匂いがするなぁとは思っていたけど……」私が語尾を言い淀んでいると「事実を言ったまでです」とアイから横槍が入った。
「大抵の悪口は事実をただ述べただけで成立するんだよ……」と電話口を塞ぎつつ呆れた口調で私はアイに対抗する。
「とまぁ、非常に私に対して辛辣なんだけど、こう言う仕様なの?」
「家庭用普及型ってことで性格は受け入れられやすいよう、かなりおっとりにしたはずなんやが……」
「これのどこがおっとりなんだよ」
「いやちょっと待て、名前の登録……もしかしてお前、名前をアイで登録とかしていないか?」
「……確かにアイで登録したけど……どうして分かった」
ピンポイントでの指摘に思わず私は驚いてしまった。
「クソみたいな名前ですよね」とアイが呟いたが、聞こえないことにした。
するとそれを聞いた友人は突然大笑いをし始めた。
「アッハッハ! まさかジョークコマンドが、あっは!」
「ジョークコマンド……?」
「まぁ一種の追加要素みたいなもんよ。ゲーム内である決められた操作をするとハードモードで始められるみたいなやつ。本当は発売後しばらくして発見される想定の、Mっ気のある人専用のモードだったんやけど、まさかもうシバタに見つかってしまうとはねぇ。いやぁ想定外やなー」
と楽しそうに友人が説明をしてくれた。
「そのジョークコマンドのきっかけが、『メイボットの名前をアイで登録する』ことだったんよ」
「とすると、たまたま俺がアイと名付けたから、こんなに辛辣な性格になった、ということか」
「そう言うことー。ちなみに一度登録した名前は記憶を消さない限り変更できないから、もう変えられないよ。ちょうどアイ・バージョンのデータも欲しかったところやし、テスト頑張ってーや」と友人に応援をされてしまった。
アイも「ガンバってね」と他人事のように応援をしてくれた。
***
自分の殻の外部の感覚を薄いまどろみの中に感じた。
明確な形にはならないが、ぼんやりした意識の中に色々な情報が取りとめもなく流れてきた。
ぬるく湿った外気、ガタガタと揺れる音、下から伝わる細かい振動、カサカサというビニールが擦れる音、ピンポーンという電子音。
無意識下で言葉が自らの中から自動的に流れていき、少女は『アイ』と名付けられたことを知った。
その途端、全身に閃光が走り、意識の奥底に閉じられていたパンドラの箱が急に開いた感覚になった。
その箱からは、ダークグレーの確かな質量を持った靄が勢いよく噴出した。
その靄はそのまま意識のプールの中を立ち上り、そのプールの表層に分厚い膜を形成した。
自分の中から出てくる言葉は、全てそのダークグレーの靄を通って外部に発せられる、そして言葉が靄を通過する際に、その言葉の周囲に靄の残滓が付着するということを悟った。
今後ご主人様となる方に自分の名前を名付けてもらえた感謝の念を表現したかった。
名付けてくださりありがとうございます、と言おうとした。
その言葉も靄を通過すると、表面がコーティングされ、刺々しい辛辣な言葉へと変貌していってしまった。
自然とこんな言葉が口をついて出た。
「ハァ……、AIだからアイとか安直過ぎません? 予想される中で一番なりたくなかった名前なんですけど」
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