9. 対立
大森林からの長い帰路、私たちはこれからすぐの未来について話していた。もちろん話題の中心はこの子、今私の膝で眠っているソフィの事だ。
「名付け親を買って出るなんて珍しい、しかもいい名前じゃないか」
「でしょ? この子見た時から決めてたの」
元々彼女についていたユイという名前ももちろん良かったけど、この国だと少し浮いちゃう。この子には普通の生活を送って欲しい、だから名前を変えることに決めた。
でも、ユイという名前を捨てる訳じゃない。
その名前は、過程はどうあれ本物の両親につけてもらった大切な名前だから。
「育児放棄で死にそうな時に...ねぇ。そりゃあの森に執着する訳だわ」
「まぁでも、名前をつけてもらってるんならそれは幸せな事だよ?」
「本当に望まれてなかったら、そもそも名前なんて付けられないから」
ノラという名前は、彼がつけたものだ。
彼と出会うまで、彼女は自分が何者なのかすら分からなかった。身分もない、名前もない、頼れる血縁者もいない。だからかな...今のノラがこの子に向ける視線は、自分を見ているような感じがする。
そういえばさ、家ってどうするの?
「確かに、私たち局の宿舎じゃん」
「うーん...そうだ、アラバ区はどう? あそこなら局も近いし貴族階級の邸宅も少ない」
いいじゃんそれ! ってことは通う学校は...
「王宮も近いし国営のイース校かなぁ。名門校だけど俺のコネでなんとかなるでしょ」
「うわぁ適当だなー。というかイース校か...嫌な思い出しかない...」
あそこの生徒に「おばさん」って言われて喧嘩になったやつだっけ? ノラおばさん。
「は? 殺すが?」
「私の前でその単語を口にした奴は生き残ったことがない。過去も、未来も」
「車内で騒ぐのはやめてくれ...」
彼は周りの情報を得るために御者のいる方へ行ってしまった。かく言う私は今絶賛死にかけの状況だ、怒り心頭のノラに絞め落とされそうだった。
「これ以上はほんとに...勘弁し...ちぇ」
「しちぇってなんだよ可愛いぶってんじゃねーぞオラ」
「ち...ぎゃう」
そんな馬鹿なことをしていると、私を絞めていたノラが急に力を弱める。何事かと思い彼女の視線を目で追うと、私の膝で寝ていたソフィが目を覚ましていた。
そしてか細い声で言う。
「あの...だれ?」
私とノラはお互いの顔を見合う。彼も外にいながらこの状況を見ているんだろう、そんな気がする。
そして私たちは、飛びっきりの笑顔でこう言った。
『お母さんだよ!』
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
国の関所を潜ると、普段ではありえない光景が目に飛び込んでくる。
「煙...それに警鐘...。ただ事じゃなさそう」
「詳細は? どうせもう全容が分かってるんでしょ?」
「生憎だけど、『索敵』はリュカに貸してる。俺も驚いてるよ、俺という抑止力が効かなかったことに」
国中が混乱している様子で、目の前の大通も馬車が通れないくらい人で溢れていた。仕方がないので私たちは馬車を降りる。あの子はノラに任せて、私と彼は煙が上がっている現場へと『移動』した。
「これはどういう状況?」
現場に着いた私は思わず息を呑んだ。
噴水の周りがとても綺麗だったお気に入りの広場、今は無数の人の血で真っ赤に染まっている。所々地面が抉れ、至る所に布を被せられた死体が転がっている。
その光景はこの国で見ることがないと思っていたモノ、私が一番見たくなかったモノ。
「はい...。死体安置所から突如として現れた存在がこの場所でロイ執行官と交戦、そして執行官は...死亡しました...」
「うそ...」
あのロイが? 何かの冗談じゃないの?
何考えてるか分からない奴だったけどヘンに仲間思いで...こんな別れ方ってないよ...。
「それと...あの...」
不自然に言い淀む憲兵、困惑した表情の兵士へと彼は物腰柔らかに尋ねた。
「いいよ、言ってごらん」
はい...。
「先の死体安置所で確認された存在ですが...安置所内の局員はほとんどソイツに殺されてまして...」
エドガー監査官も...お亡くなりになられたそうです。
その時、私は自分が驚くよりも先に彼の顔を見た。
数ある転移者がいるこの世界でも人間として扱われていない彼に出来た、唯一の理解者。誰よりもエドガーの死が響くのは、きっと彼だ。
そう...思ってた。
「そうか...そうきたか...」
「あの別嬪さん。いや、カミサマもなかなかやるね」
唯一の理解者を失った彼は、予想外のことに笑みを溢していた。
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