3. 隷属

『僕は都心部に住むことにするよ、だから今まで本当にありがとう。生んでくれて、育ててくれて』


『今まで甘えてきたから、これからは独り立ちしなきゃ』


引き出しから通貨の入った子袋を手に取り、カバンの中へとしまう。その他にも生活に必要なものを次々と持ち出していた。お父さんとお母さんはそれを咎めることなく、その一連の流れをただじっと見つめている。



『それじゃあ行ってくるよ。バイバイ、お父さん、お母さん』


二人は最後まで返事をすることなく、こちらを向くことなく椅子に座っている。荷物を馬車に乗せ、家の扉を閉める。そして立ち去ろうとした時、ドサドサと何かが倒れる音がした。たぶん二人が倒れた音だと思う。




町を出る前に、僕はエレンの元へ向かう。彼女は外で倒れていた。

目を閉じて安らかな表情をしているものだから、雪をベッドにして眠ってるように見える。そんな彼女を抱きかかえ、前会った木の切り株まで運んでいった。


雪を集めて枕を作り、そこに彼女を寝かせる。

そして近くの切り株に集めてきた小さな花を供えようとした時、そこに契約を交わしたリスがいることに気づいた。


リスはこちらをじっと見つめている。僕はそんなリスへと手を伸ばした。


『ついて来るかい?』


そう言うとリスは僕の手のひらへと乗り、そのまま腕を伝って肩まで登ってきた。居心地がいいのか、そこから頑なに動こうとしない。何を考えているのか、そもそも思考が出来るのかも分からないリスを、僕はちょっと不思議に思った。



『じゃあね、エレン』

荷物を載せた馬車が置いてある町の出入り口、最後に僕は振り返ってそう言った。手を振ってくれる人は誰もいない、笑って送り出してくれる人は誰もいない、みんな静かに倒れているだけ。



死体の山を背に、僕は馬を走らせた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


宿をとって一息つくと、僕は食材を買い出しに行く。

路上に並ぶ出店を巡って食材を吟味する、そして今僕はリンゴを品定めしていた。


質の良いものを購入し店を離れる。道中に買いすぎたこともあってパンパンに膨れた袋を抱えて宿へと戻ろうとした。



人込みの中を歩いていると不意に誰かとぶつかる。

勢いよくぶつかったので上にのっていたリンゴが落ちてしまう。そしてそれを拾おうとした時、そのリンゴは誰かに持ち去られてしまった。


持ち去ったのはぶつかってきたその人。僕より少し背が低い少女で、その身なりはあまり整ってないように見えた。


少女を完全に見失ってしまったので、溜息をつきながら人込みから外れた場所に出る。そしてどこかしらに隠れていたリスを呼び寄せた。


「さっきの子を探すんだ。さぁ、いっておいで」


そう言うとリスは裏路地へと一目散に駆けていき、そして見えなくなった。

リンゴ一つくらい奪われても何も思わないけど、これからのことを考えると人手があったほうがいい気もする。いざというときは駒にもなるし。


そうして僕は元来た道を引き返し、さっきのリンゴ屋の前まで戻ってきた。



「すみません、リンゴもう一個ください」




リスの情報を頼りに複雑な路地裏を進んでいくと、薄暗い場所に先程の少女が蹲っていた。僕から奪ったリンゴを一心不乱に食べてるみたいだ。


「やあ、さっきぶりだね」


その言葉に気づくと少女は飛びあがり、瞬時に逃げの姿勢を作っていた。


「ちょっと待ってよ、僕は君と取引がしたいだけなんだ」


「...取引?」


走り出そうとしていた足を止め、少女はこちらを振り返る。話を聞いてくれるみたいだ。


「そうだよ。あー、あぁ...キミはリンゴ一個なんだ...。相当弱ってるね」


「え? なんのこと?」


困惑する少女を無視して話し続ける。


「このリンゴをあげる代わりに、キミは一生僕に隷属してくれない?」


「あ、逃げちゃだめだよ? 『はい』か『いいえ』で答えるんだ、じゃなきゃ死んじゃうからね」


理解不能、少女はまさにそんなような顔をしていた。



あぁ、でも返事はちょっと待ってね?


「悪魔。僕の爪四枚と引き換えに、


瞬間、左手の指先から激痛が体を駆け巡る。指先を見ると爪が四枚剥がれており、剥がれた部分から血がポタポタと零れ落ちていた。


そして少女を見ると、契約を断りたいのにうまく口が動かない様子だった。『いいえ』と言いたいのに言えない、まるで見えない何かに押さえつけられてるみたいに。


「...は、はい...」


抵抗するのを諦めたのか、少女は力なく呪いの言葉を口にする。


「ありがとう、これからもよろしくね?」

「大丈夫、奴隷になれって言ってるわけじゃない。キミには少し手伝って欲しいことがあるだけなんだ」


そう言って僕は手を差し伸べる。

少女はなかば自暴自棄のような表情をしてその手を取った。よかった、色々と丸く収まって。


「キミの名前は?」


「リズ...名字は忘れた」





いつから心まで無くしてしまったんだろう。


憎しみが突然僕を襲って、そして取り込まれてしまった。

まるで自分が自分じゃないみたい、人間じゃないみたいに思えて仕方がない。


昔は普通だった、何に関しても無邪気だった。

エレンとたくさん遊んで、両親の愛情に触れて、シスターの優しさに惹かれて...。

命を奪おうだなんて思わなかった、その時は。



ふと思い出す、いつ変わったんだろうって。



それは、メアリー・スーを初めて見たとき?



『悪魔よ、最後のお願いです』


『私の命と引き換えに、この少年に契約の力を与えて』


それとも、シスターに呪いを移されたとき?



それとも...






このモノガタリが始まったとき?


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