キュル准尉とボン少尉 その2
憲兵隊の執務室は夕方になると人が捌けていく。仕事が片付いていない者は少しくらい残るが、それでも日が落ちきらないうちに帰っていく。
そんな中で、分隊長のボン少尉は1人で物思いに耽る。茶の入った水筒を片手に窓際へと座り、ひたすら窓の外を眺める。日没と共に暗く翳っていく横顔はひたすらに美しく、左頬についた大きな傷は痛々しくも彼の美貌を引き立てる為の装飾として成立している。
それにしても、彼の目はなんだか寂しそうだ。自身の帰り支度を進めつつ、窓の外を眺めるボン少尉を横目に見てキュルは思い、それから何を見ているのか気になりボン少尉の目線と同じ方向に目を向けてみた。しかしそこにあるのは西端に強い橙色の残った群青色の空と、広い中庭の向こうに煉瓦造りの建物が幾つも見えるのみ。
見慣れ過ぎた景色だろうに、それを見ながら彼という人は何を考えているのだろう。コートを羽織りかけていたキュルの手は止まり、ただただ眼前の美男子に釘付けになった。 まるで絵画のようだと打ち震えすらした。そして彼の長い横髪の間からうっすらと刈り上げが見えること、実は耳に沢山のピアス穴が開いていることと、今まで意識してこなかったことを幾つも発見した。彼が手にしている水筒が、暖を取るために一度火にかけたものであることも。
キュルはボン少尉の背後に回り、コートを彼の肩に掛けた。突然にして肩にかかった重みにボン少尉は思わず背後を振り返り、キュルの童顔を捉えるや「ありがとう」と微笑んだ。
「冷えますよ。家に帰らないと」
「うん。その力を蓄えてるんだ」
何ですそれ。怪訝な顔で問うキュルに、ボン少尉は微笑んだまま「疲れてんだよ」と答えた。
「疲れてんだけど、家には歩いて帰らなきゃいけないじゃん。でもウチちょっと遠いんだよな。だからここで休憩してる」
「ええ、勿体無い。じゃあ僕の家がすぐ近くなので泊まって行かれませんか」
言い終わってから、『勿体無い』と口にしたことを失礼すぎたかとキュルは反省した。どこでどんな時間を過ごそうが個人の勝手なのに。現にボン少尉の顔を見てみれば笑顔に寂しさが窺える。
「す、す、すみません」
「いや、ありがとう。お言葉に甘えようかな」
「えっ本当に来られるんですか?」
「えっ冗談だったの?」
「えっ?いや違う違うそっちの『本当に来られるんですか?』じゃなくて」
「あっ泊まってって良いんだ」
「大歓迎です」
ややこしーとボン少尉が声を上げて笑う。つられてキュルも笑う。一頻り笑ってから、ボン少尉が席を立ちキュルの手を取った。
「1人でじっとしてると色々嫌なことを考えてしまうんだ。憲兵として正しい仕事をしてるのかとか、昔参加した戦争のこととか。考えたくないんだけど、どうしても浮かんでくるんだよね」
『昔参加した戦争』というと10年ちょっと前のアレか、とキュルは当時見てきた光景を思い出した。当時のキュルは士官学校に在籍していた為に出征することは無かったが、出征していく兵士を見送りはした。そして戦前から終戦に至るまで、学校にいようと家にいようとずっと何処を制圧したとか誰が活躍したとかいう話ばかりがついて回り、関係無い話をするのが許されないような気になっていた。キュルはそれらを当たり前と思っていたが、今になってみるとかなりしんどい時代だったように感じる。
そうか、この人は戦地側の経験者か。自分達よりも遥かにしんどい世界を生きてきたのであろう相手に、キュルは少し心が痛んだ。
「だから誰かと一緒にいたいんだけど、あんまり頼りすぎると迷惑がかかるよなって思って、誰にも言えなかったんだよ。だから誘ってくれて嬉しいよ」
「少尉…」
「ありがとう、准尉。本当に泊まってって良い?」
手に取ったままのキュルの手を撫でながらボン少尉が問うのに、キュルは思わず「むしろウチに住んで下さい!」と返して抱きついた。殆ど同じ身長の男が抱きつくことで顔の距離がグッと縮まってか、それともキュルの返事に困惑してかボン少尉は「離れて」とキュルの腕を叩いたが、その顔は紅潮していた。
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