ハナと将校 後編
戦争は終わった後もハナは相変わらず雑用係として大学内を駆け回っていた。その矢先、ハナはノートの落とし物を拾ったことをきっかけとして大学院生であったレミという女性と交流を始めた。レミはハナより7〜8歳ほど上の■■国民だが、○○国の文化史や言語を研究しており勉強がてらハナに話しかけては世間話をして盛り上がっていた。ハナは聡明で且つ温かいレミに恋をしたが、まだこの国では戦争の禍根から○○国民を蔑視する傾向が強かった為に自分など釣り合わないと感じ、せめて彼女の話し相手でいさせてもらえたら良いなぁと1人夢見ていた。
同じぐらいの頃のある夜、ハナは将校の夢を見た。夢の中で将校は難民キャンプの子供達に授業をしていたが、その中でこんな話をしていた。
『ペンは剣よりも強い。剣は争いしか生まないが、ペンは争いを生むことも止めることもできる。距離を縮めることも』
そういえば将校さん、そんなことを言っていたなぁ。ハナは将校との思い出を懐かしみ、そしてふと思い立った。自分の想いを物語に載せ、それとなくレミに知らせようと。
ハナは大学内の掃除で出た廃棄品の中から筆と紙を取り、どんな物語にするか、案を思いつく限り書き出した。それから沢山書き出した案のから内容として使う部分を絞り込み、文章を組み立てていった。
そして何日も、何度朝と夜が過ぎ去ったかわからないくらい時間をかけて、ようやく次のような物語を完成させた。
『ある大きな街の片隅に、孤独な少年がいた。
少年は遠くの村から連れて来られた労働者で、街の人にしてみればよそ者だった。
街の人は「よそ者と仲良くしてはいけない」と少年に冷たく当たっていた。
優しくしてくれる人のいない街で暮らすことは、少年にとって永遠の暗闇の中で過ごすようなものだった。
ある日、少年の前に1人の少女が現れた。
少女は街の人だが、少年に興味津々でいつも少年に話しかけに来た。
少女は一冊のノートを持っていた。
ノートには息を呑むような美しい海の絵が描かれていた。
「おばあちゃんが昔描いてくれた絵。この場所に行ってみたいけど、周りの人達は口を揃えてそんな場所無いって言い張るの」
どうか一緒にこの場所を探して欲しい。少女の願いを聞いて、少年は少女と共に海の見える場所を探した。
道行く人に変な目で見られながら、時に陰口を叩かれたりしながら、2人は何日もかけて探した。
そして何度目かの夜を越えた頃、2人はとうとう見つけた。
街の外れにある鉄塔の上、朝日を浴びてキラキラと輝く水面が広がる美しい海。
「ここよ。まさにここ」
朝日に照らされながら、少女が輝かんばかりの笑顔を浮かべる。
一方で暗闇が広がっていた少年の心にも陽光が差したようで、彼は
「君が僕に夜明けをもたらしてくれたんだ」
と少女を抱きしめて涙を流した。』
作中の少女こそがレミなのであるが、彼女は果たして気づくだろうか。ハナはドキドキしながらも紙を携えレミを探そうと大学構内を歩き回った。そこで真っ先に出会ったのはレミでなく、所用で大学へ入ってきていた出版社勤務の男だった。ハナは男とぶつかってしまい、顔を青くして謝った。紙は四方八方へ散らかったが気にしている場合ではなかった。
対して男は散った紙を拾い上げ、そこに書き綴られた異国の文章を断片的でも読むや否や目を見開き「君が書いたのか」と問うた。この男もレミと同じくハナの国の文化を研究していたのだ。
「君、これ本にしなよ」
男はそう勧めたが、レミに見せる気しか無い上に自分の国に対する蔑視の風潮に囚われていたハナは「いやちょっとそれは」と戸惑ったが、男は「本にすべきだ」と熱く推した。
「この荒んだ世の中には君のような人が必要なんだよ」
"必要"などと言われると断りづらいが、それにしたって。ハナは暫く戸惑い迷ったが、ふと将校の言葉を思い出した。
『ペンは争いを生むことも止めることもできる。距離を縮めることも』
もしかしたらレミのみならず国同士の距離を縮めることができるかも。ハナは男の言葉に従い物語を本にすることにした。
間もなくハナの物語は翻訳され出版された。翻訳には男もといジュンと、事情を触りのみ知ったレミが携わった。
ハナの作品は本屋の片隅に置かれ殆ど手に取る者はいなかったが、それでも何人かは手に取り買っていった。ジュンは「まだいけるぞ」と作品の宣伝に奔走したが、ハナは自分が書いた物語を読んでくれる人が僅かにでもいることを喜んだ。代わりにレミに対しての想いを伝えづらくなった。
それから何年か経った後、ハナの作品は突如として売れ行きを伸ばした。■■国の中において長く蔓延していた排外主義の思想に疑問を持つ者が増えたのだ。きっかけは大手新聞社がある日に出した夕刊で、ハナと同じように難民キャンプから連れて来られた移民の労働者達を取り上げたこと。所々破れたツナギをそのままに、光の無い目でカメラを睨みつける移民達の写真が世間を騒がせた。
ハナの作品は子を持つ人や教育機関を中心に読まれ、児童文学としての立ち位置を確立した。同時にハナは"児童文学作家"の肩書を与えられ次回作の執筆に追われた。
作家として名が知れたハナは大学の雑用係を解雇された。再び住居を失ったハナは大学側の理不尽と寝る場所の無い苦しみに悶えたが、間もなくレミの好意により彼女の家に身を寄せることができ、そこで作品の執筆に勤しんだ。
そうして作品が増え知名度も以前以上に上がってきたある日、ハナはとうとうレミに自身が書いた物語の意図を伝えることができた。夕飯の片付けを終えてのんびりとしていた矢先のことで、作中に出てくる少女のモデルを知ったレミはしばらく目を丸くして固まっていたが、ややあって「いやいやそんな」と顔を赤くした。
「本当ですよ」
「いやだって、私はただ話してただけだし」
「レミさんが話しかけてくれるようになって、僕の心にパッと光が灯ったんです。長いトンネルを抜けた後のように、暗くて寒い夜を終えて暖かな朝がやってきたように、僕の心に光をもたらしてくれたんです」
あなたが好きです。畳み掛けるような言葉の後に放ったその一言に、レミは更に目を丸くした。そして戸惑いながらもこのように答えた。
「…まだ付き合ってなかったんだっけ」
どうやら両想いだったようだ。
ハナがレミと恋人同士になって間もなく、レミの勧めで訪れた街中の喫茶店で、ハナは懐かしい人に出くわした。レミの知人だという○○国移民の女給と何やら楽しげに話す身体の大きな軍人。難民キャンプで授業をしていたあの将校だった。
激戦地で頭をやられてしまったのか、言葉は拙いが屈託の無い笑顔は当時と一切変わらない。
覚えているだろうか。いや、覚えていなかったらそれはそれで─。嬉しさか、はたまた緊張か、ハナは鼓動の激しい高鳴りを感じながら将校へと近づいた。
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