第72話

 帰り道、水瀬の方向音痴のおもむくまま歩かせてみようと、ある程度放っておいてみた。すると、春日大社から出て行くはずなのに一向にそのエリアから立ち退くことができず、気がつけば志賀直哉旧居にまで戻ってきてしまっていた。さすがに、俺は手を繋いで戻ろうと引っ張った。


「今日は戻るけど、今度は志賀直哉の旧居に来たいわ」


「いいけどうんちく禁止な。もう水瀬の志賀直哉の話、耳タコだからな」


 耳に防音性能つきのチャックがあれば、つけてしまいたいと思うほど、水瀬の妖怪話や文豪話は散々聞き飽きていた。それもこれも、夏休みの間中、嫌というほどに水瀬と一緒にいたからであり、気がつけばもうすぐ大学の後期の授業が始まろうとしていた。


 毎日顔を合わせることは無くなりそうだが、何かと理由をつけて週末に呼び出されることは間違いない。さらに言えば、放課後にまで〈妖研〉に顔を出さなければぎゃんぎゃん騒ぐであろう水瀬の姿が想像できてしまい、俺はふふふと笑ってしまった。


 秋になればこの辺りは美しい紅葉が見られる。それを二人で見に来て、河童にちょっかいを出すのも悪くないなどと考えていたら、いつの間にやら夕暮れが迫ってきていた。そろそろ水瀬を駅まで送り届けなくてはいけない。


「――良いわよ」


 人通りが少ない通りで、水瀬が急にそう言いだしたので、何のことだと思いながら隣を歩く妖怪オタクの美少女を見ると、何やらむすっとした顔つきで正面を向いたまま口を尖らせていた。


「……何が?」


 ぼうっとしていたので、話を聞き逃してしまったかと思い尋ねると、水瀬は俺を見上げてキッと睨む。


「だからっ……その……」


 最初は勢いが良かったのに尻すぼみになったかと思いきや、ものすごく不機嫌な顔をされてしまう。俺は何か悪いことをしたのか、銀河の果てまで思考をすっ飛ばしてみたのだが、水瀬に対して悪いことをした覚えがこれっぽっちも見当たらない。


 それどころか、いつも優しくしている、神のような事例しか思い浮かばない。むしろ敬ってもらいたいくらいか、どこぞの寺のご本尊にでもしてもらいたい気分である。


「その、何だよ?」


「飛鳥とつきあうの、良いわよ」


「はいいい?」


 言われて俺の方が目ん玉が飛び出て、新薬師寺にまですっ飛んでいってしまうところだった。が、かろうじて人間だったために、そんな妖怪じみたことはできず、目ん玉は俺の眼窩に残っていた。


「つきあってあげる!」


 そこまで語気も強く言われて、真夏の若草山の山頂で「つきあうか?」と尋ねたことがあったのを、もう使われなくなった情報を処理する脳内の記憶の、端っこの隅の方の暗がりに転げておいたことを思い出す。


「ちょっと飛鳥。返事は?」


 どれだけ遅い返事なんだと思いつつ、笑いをこらえて水瀬の顔を覗き込むと、思い切りたじろいだ挙句に顔を真っ赤にする。そんなのだから、俺は我慢ができずに笑ってしまい、ぼかすかと叩きながら文句を言い始める水瀬を抱きしめて「喜んで」と答えたのであった。


 それを上空で見ていた一反木綿によって、一分後には町中の妖怪たちに、事の顛末が知れ渡ることとなった。


 夜中に花束を抱えた河童がキュートな花柄のシャワーキャップをかぶったまま襲来し、大仏様の大吉のおみくじが、山盛りいっぱいに窓際に置かれて紙吹雪になって部屋中に散乱したのは、また別の機会にでも話すとしよう。


 そういったわけで、本日も古都におきましては、たいそう平和この上ない幸せである。




 ーおわりー

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