第64話

「で、妖怪が見えなくなる方法はあるのか?」


 食べ終わった後も草餅の余韻を楽しんでいる河童に尋ねると、河童は至極真面目に俺の顔を見つめてきた。ごくりと俺がつばを飲み込んで、まじまじと見つめ返す。


『そんなもの、あるわけないやろ』


「はあああああ?」


 俺は素っ頓狂な声を上げて、なぜかそれに驚いて、鯉がびちゃんと跳ねながら去って行く。


『見えなくなりたいかと聞いただけや。見えなくなる方法を教えるなんて、一言も言うてないやろ。草餅美味しかった、ごちそうさん』


 河童は俺のこぶしがやって来ると察知して、ひょいと立ち上がると三歩後ろに下がった。


「このクソ河童め、善良な俺をだましやがったな!」


『騙しとらん。見えなくなってまう方法があったとしても、飛鳥には教えへん』


「なんだと!? 草餅代とそれに伴う労働費を今すぐ払え。労働基準法違反で訴えてやるぞ!」


 河童は俺の腕の届く範囲からすでに逃げていて、にんまりと笑っている。あまりにも小癪なその態度についつい噴火しかけた。だが、温厚を絵に描いたような俺が、阿修羅像のような憤怒の形相になって河童と対峙している姿は、河童が見えない人間からしたら異常事態だ。


 すぐ横を通り過ぎて行った観光客が、通報しかねない勢いの不審な目線で俺を見ていることに気がついて、俺はこぶしを押さえてごほんと咳払いをした。


 観光客が過ぎていくのを見計らって、笑い転げている河童をメドゥーサも目をひん剥いて驚くほどのにらみっぷりで睨みつけた。


 残念なことに河童は俺の眼力で石になることもなく、腹の立つ笑い方をしながらいつまでも笑っていやがるので、俺はもう仏の境地に達して仏頂面で水面を眺めた。


『教えへん、そんな方法。だって、飛鳥としゃべられへんの、嫌やもん』


「俺はお前としゃべらなくても生きて行ける」


『せやかて、俺らが見えなくなってしもたら、そら寂しんとちゃうの?』


 そう言われてみれば、友達という友達もおらず、妖怪ばかりと接してきているせいで、気がつくと周りには妖怪と妖怪オタクしかいない。見えなくなったら、その全てが失われる。平穏無事な世界が訪れるかと言われたら、ただただつまらない人間に成り下がってしまうような気がした。


『百人の知人がおるよりも、たった一人の親友の方が価値があんねんで?』


 河童に諭されて、まさかの俺が言い返せずにうっと声を喉に詰まらせるに至ったのは、それがあまりにも正論だったからである。


『せやから、俺は飛鳥の親友や。めっちゃ価値高いで』


「……自分で言ったら価値が下がるだろうが!」


 それに河童はけけけけと笑って、池の中へと音もなくすいーと入ってしまう。


「こんな緑色のヘンテコな親友なんぞ要らん! 俺は認めないぞ」


『つれないなあ。話聞いてやったのに。まあ、お嬢さんとは頑張り。二人ともよおお似合いや』


 結婚式には呼んでなと、いらない一言とともに河童はすいすいと泳いでどこかへと消えてしまった。俺は立てていた青筋をしまうと、何やらどっと疲れが押し寄せて来て、その場にへたり込んだ。


「親友が河童だなんて、冗談じゃない」


 そう呟いてはみたものの、結果として親友と呼べるような生き物は河童しかおらず、理解者は変態妖怪オタクしかいない。


 俺はまだしばらくはこの妖怪たちに大いに振り回される日々が続くことが予想できた。そしてそれはそれで、人生面白いものだと思ってしまうのである。

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