第63話

 どないしたんやと言われて、俺は本を閉じたまま、草むらにゴロンと寝そべって青空を眺めた。もちろん、辺りに鹿の落し物がないかを、きちんと確認したうえでだ。そうでないと恐ろしい結末が待ち受けている。


「……別に」


『つれないなあ。お嬢さんと喧嘩でもしよったか?』


「喧嘩はいつもだ。ただ……」


 ただ、水瀬と俺とはどういう関係なんだろうと思うと、どう説明していいのかが分からずに苦しむわけである。


 冗談とも本気とも取れないプロポーズに、実家にまで押し掛ける傍若無人っぷり。さらに極めつけは、毎日のように妖怪探しを手伝わされるのだが、その理由がサークルだからというのには、少々度が過ぎる。


 平日ならまだしも、今は夏休み期間中である。毎日のように顔をつき合わせなくてはいけない理由が、他に欲しいと思っても何らおかしくはない。


「なんだかなあと思ってな。水瀬は、何考えているのか分からない」


『そら、女心と秋の空っちゅう有名な言葉があるやないの。移ろいやすいねん、乙女心は』


「妖怪から一ミリも移ろわない水瀬は、やっぱり乙女ではないと認識していいのだな」


 ちゃうわ、と河童は目を瞬かせる。


『不器用なだけや。全力で飛鳥に向かってきてはるのがわからんの?』


「あれが全力なら、俺は全力で拒否したいぞ。そもそも、妖怪が見えるからって、それだけで好きになられたら、俺が妖怪見えなくなった時、好きという気持ちはなくなるわけで。つまりそれは一種のまやかしにすぎないだろう」


 見えなくなりたいか、と河童が聞いてきたので、俺は思わず河童を見つめた。そんなことができるのかと、半身を起こして身を乗り出す。


「そんな方法があるのか?」


 河童はじっと俺の目を見つめたあと、『草餅五個や』と呟いてきた。俺は頭に来て、河童の頭上の皿を叩き割ってやろうとげんこつを伸ばしたのだが、ひょいと身軽に避けられてしまった。


「いいか、買ってきてやるから教えろよ。そうじゃなかったら、三枚おろしにして鹿の餌にしてくれる!」


 俺はぷりぷりと怒りながらも、妖怪が見えない世界というものを体験したいがために急いで草餅屋へと行き、草餅を自分の分も含めて六つ個購入した。それを持ってとんぼ返りして浮見堂へ行くと、河童は短い足を組んで寝そべって昼寝をしていた。


 ついついイラついて靴の先で小突き、でろんと嘴から出ただらしない舌先を摘まみ上げたところで、河童が目を覚ました。


 しまった、先に舌先でも切っておけば、大英博物館にでも売れたかもしれないと思ったのだが遅かった。


 草餅を分け与え、ありがたく食べるように言うと、河童は草餅に飛びついて喜んでそれを頬張った。


 うんまい、うんまい、と噛みしめている姿が面白くて、もう二、三個買って口に詰め込んで、のどに詰まらせてひいひいしている姿を見ればよかったと後悔したのだった。

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