第38話
『ああ、この世は諸行無常とは、よう言ったもんやわ。ここに挟まれて出られなくなって二年……やっと見える人間が来たと思ったらこないに冷たいとはなあ……これやから最近の若いもんっちゅーのは……』
何やらぶつぶつと言い始めた一反木綿は、盛大にしょげつつ、人差し指どうしをつんつんととつつき合いながら口を尖らせている。
「二年? 二年もここに挟まっていたっていうのか?」
『せや! お前さん、わしのこと可哀想と思わんのか? こんないたいけな付喪神が、こんなところに挟まってしもて動かれへんのやで?』
「っていうか、なんで挟まったわけ?」
そこまで言って、人が来た気配がしたので、思わず一反木綿にしーっと人差し指を口の前に持って合図したのだが「大丈夫や。わしの声は人に聞こえへんやろ?」と言われてそれもそうだと、俺は気が抜けてしまった。
人が去って行ったのを確認すると、一反木綿は本棚の上で器用に側臥位に寝そべって、肘をついて頭を乗せて俺を見つめた。正式には、目のようなものは布の一部に切れ目が入っている様子なので、見つめているのかは分からないのだが。
『よう聞いてくれた。実はな、今わしが挟まっとるんは、妖怪のことが陳述された本や』
「妖怪の本?」
言われてみてみると、確かに〈妖怪見聞録〉と書かれている、なんとも古めかしい本で、分類番号なども貼られていない。
誰かが持ち込んだ本が紛れてしまったのか、それとも誰かが設置したのかは分からないが、図書館の所蔵品ではなさそうであった。
『ほんでな、この本にわしのことがキュートに書かれとるかと、確認しようと思ったら、最後のほうに何やら変な呪符みたいなのが書かれとって、まんまと引っかかってしもたんや』
「つまりは、妖怪退散の札に引っかかったってこと? 仕掛け罠にかかった鹿みたいに?」
『鹿やないけどな。布やけどな。まあそんなところや』
せやから助けてと一反木綿は細い切れ目の目をぱちくりとさせて、両手をこすり合わせて俺のことを拝んできた。
乗り掛かった舟ということで、俺は誰も人がいないのを確認すると、本を棚から引っ張り出して、一反木綿が挟まってしまっているページを開いた。
そこには、何やら謎めいた文字のような模様のようなものが描かれていて、ばっちり一反木綿の一部が密着してしまっていた。それを剥がそうとすると。
『いっ……いだだだだだだだ! あかん、あかん! 破けてまう!』
世にも奇妙なガラガラだみ声が書庫に響いて、俺は驚いて脚立から落ちかけた。慌ててバランスを取りなおして、今度はもう少し丁寧に剥がそうとしたのだが、ちっとも剥がれない。一反木綿がギャーギャー言いながら痙攣したように、身体をぴくぴくとさせる。
『あ、あかんわこれ……お前さん、もう少し優しくできんの?』
「優しく剥がしてる……つもりだけど」
爪の先でカリカリと引っ掻くと、どえらい声を出して一反木綿は全身をわなわなと震わせた。
もう仕方がないので本を閉じて、俺は脚立を下りる。痛かったのか、白目を剥いてただの布になってしまったかのような一反木綿をずるずると引きずりながら、俺は探しものの本を探すと足早にカウンターへと向かった。
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