ワンダーランド・ネバーランド (砂浜とドリームメーカー)
砂浜(1)
空は良く晴れて、砂浜は太陽に輝いている。
私はパラソルの下の寝椅子で横になっている。隣には妻がレジャーシートに座り、娘は波打ち際でビニール製の浮き板を持って波と戯れている。
パラソルは砂浜にくっきりとした陰影を作り、日差しの強さを物語っている。しかし海水浴には問題のない天気である。風もなく、穏やかな波がゆっくりと海岸に打ち寄せている。そして海は滑らかに広がり、水平線で空と交わっている。
平和である。
穏やかな天気にどこまでも白い砂浜、どこまでも青い海。
心を満たす幸せな気分に、私は思わず口元を緩める。
「いやあね、何をにやにやしているの?」
妻が声をかけてくる。
「いや、何、なんでもないさ」
「そうね、今日はのんびりしましょ」
ふふ、と妻が笑う。私はその笑顔の魅力にいまさらどきりとする。
「ところで」と、私は顔が赤くなったのを悟られないように話題を振る。
「どうして今日はこんなに静かなんだろう」
耳を澄ましても聞こえてくるのは潮騒と娘の嬌声だけだ。
広い砂浜には誰もいない。右にも左にも、誰もいない砂浜が広がっている。
後ろを走る海岸沿いの道路に車は一台も走っていないし、その道路沿いの土産物屋は開いているのに店の人がいるような気配はしない。海の家が砂浜の向こうのほうに小さく見えるが、そこにもやはり人の気配はない。
人の声だけではない。この時期にはあれほどうるさいはずのセミの鳴き声も一切聞こえてこない。
辺りを満たすのはやさしい波音だけである。寄せては返す波音が、ただ静かに、ただ静かにあたりを満たす。
誰もいない。私たちだけがこの砂浜で遊んでいる。
「あら、静かなのは嫌いだった?」
妻の問いに、私は慌てて首を振る。
「いいや、大好きさ」
私は元来人ごみは苦手で、静かなところが好きだ。街中の、あの雑踏を想像するだけでうんざりする。静かに時間を過ごすことが出来れば、どれだけ安寧な時間を送れることか。
世界はうるさすぎる。そしてここは本当に静かなのだ。
「だったら、何も心配することはないわ」
その通りだ。不満は何もないではないか。静かな世界を満喫すれば良いではないか。
私は満足な気分で、ゆっくりと目を閉じる。
ドリームメーカー(1)
ソフト室に急にチーフがやってきた。私は自分の作業を中断してそちらを見た。見た目にも分かるほど慌てている。
「ちょっと聞いてくれ」
入り口のところでソフト研のメンバー全員に声をかける。
「事故がおきた、DM研だ」
室内がざわめく。チーフは続ける。
「DMX‐二〇〇のドリーミングを調整中の事故だ。『戻って』これない」
DM――ドリームメーカーは次世代のバーチャルリアリティ・システムだ。今までのバーチャルリアリティが単純に高速かつ複雑な物理演算によって世界を構築しようとしていたのに対し、DMは人間側の記憶に頼って世界を構築する。いわば『夢を見させる機械』である。
使用者は〈コクーン〉と呼ばれる繭状のカプセルに入り、ヘッドセットに似た電極でシステムと脳のA細胞群を『接続』する。システムは微弱電流を解析し、調整し、それを使用者に戻す。そうすることで使用者はシステムが調整した『夢』を見るのである。
「戻ってこれないって――」メンバーの一人が聞く。「いつから?」
「状況がはっきりしたのはついさっきだが、被験者がドリーミングに入ってからなら、すでに六時間が経過している」
聞いて、私はじわり、と体全体に嫌な汗がにじむのを感じた。六時間と言うのは、すでに危険な時間だ。
夢を見る、と言うのは寝ているのとは違う。夢を見ている間、人間はかなりのエネルギーを消耗している。特にDMで強制的に夢を見る状態になっていると、自然に夢を見るのに比べて比較にならないくらい重い負担が体にも神経にもかけられている。DMで安全が確認されているのは、今までのデータからすれば五時間がいいところだ。
「被験者は大丈夫なのですか」
「今のところは。しかし一刻も早いサルベージが必要だ」
当然だろう。冗談ではなく、命にかかわる。
「杉下君」と、チーフが私を呼んだ。
「はい」
「とりあえず来てくれ、必要そうなツールやデータはディスクに入れて、地下の第一DM研だ」
「分かりました」
「それから池本君は昨日のバージョンの脳波エンコーディングルーチンに問題がないか確認してくれ」
「はい」と池本が返事をする。
「他の人はとりあえず現在の作業を続けてくれ、ただしいつ呼び出しがあるか分からんから、一応そのつもりで。杉下君、先に行くぞ」
チーフがソフト室を出て行く。
DMのインターフェイス部分――システムによってエンコーディングされた『夢』を実際に電流パターンに変換する部分は私が主担当だ。だから呼ばれたのだろう。
私はコンピュータからディスクに必要なツールとデータを放り込み、それを持って立ち上がった。
――これらが役に立てばよいのだが。
砂浜(2)
あなた、と呼ばれたような気がして、私はふと目を開ける。
「呼んだか?」
と隣を見ると、妻が立ち上がって手を差し伸べている。
「呼んだわ、ねえ、海に入って遊びましょ。せっかく来てるのに、ここにいるんじゃもったいないわ」
「ああ……そうだな」
私は海に泳ぎに来たのだ。ずっと日陰にいたのでは、何のためにきたのか分からない。
寝椅子をきしませて私は立ち上がり、妻に手を引かれてパラソルの影から出る。太陽で熱せられた砂が裸足に熱い。足を交互に跳ね上げるように歩き、波打ち際に行く。それからふと思い立つ。
「なあ、ちょっと……泳いでもいいかな」
「え?」
「いや、泳ぐのさ、黙々とね」
妻が笑う。「ええ、いいわよ。私は娘と遊んでるわ」
「ああ、よろしく」
私はざぶざぶと海に分け入る。水は少し冷たい。腰まで浸かってから手で水を体にかけて慣らす。それから海底を蹴り、娘が遊んでいるのとは逆のほうに向かって泳ぎ始める。
泳ぐことは好きだ。
最初はクロール。足を上下に繰り返し動かし、手は交互に回転運動させる。時折息を継ぐ。泳げない人はここで顔を全部出そうとするが間違いだ。クロールの息継ぎは首を軽く横に回して顔を半分だけ水面に出すのが正しいのである。足を動かし手を回し、息を継ぐ。
こうやって思い切り泳ぐのは久しぶりだ。前はいつ泳いだのか思い出せない。
疲れてくる。私は平泳ぎに切り替える。
手で水を掻き、足で水を蹴る。クロールのスピード感のある泳ぎも良いが、平泳ぎのぐいぐいと水面を進む感じも好きだ。
体を使うのは心地よい。健康的な生活のためには適度な運動をしなくては。それが正しい人生というものだ。
しかしそんな暇はない。休みはそんなに取れない。
親子三人の生活のために稼がなくてはならない。
それが嫌なのではない。妻と娘のために働くことは、むしろ生きがいの一つでもあるのだ。妻と娘に絶えない笑顔があれば、それは私の幸せでもある。彼女たちのために仕事をするのは少しも苦ではない。
私の妻、私の娘。
私は平泳ぎにも疲れ、背泳ぎのように背面で浮かぶ。太陽がまぶしくて、目を閉じる。
妻を、娘を幸せにしたい。
湾内の穏やかな波がゆらゆらと私を揺らす。
私はその心地よい揺れに身を任せ、海面をたゆたう。
ドリームメーカー(2)
第一DM研は騒然としていた。
広いフロアの中央に鎮座するカプセルが、マン―マシンインターフェイスの〈コクーン〉だ。
〈コクーン〉の中には上部のスモークガラスを通して確かに人影が見える。
「被験者は誰なんです?」
私は〈コクーン〉から少し離れたところにある制御端末の一つに座って、横にいるチーフに尋ねた。
「第二ハード研の福井さんだ」
「……そうですか」
残念ながら言われてもピンとこなかった。ソフト研の人間はあまり研究所内でも他チームとの接触が少ない。一日中コンピュータの前で孤独な作業を続けるソフト屋というものの習性だろう。
私はディスクを端末に突っ込み、状態を調べるツールを走らせた。普通にコンソールで操作できるものとは違い、デバッグ用の特別版だ。夢をモニタリングする。
「……海、ですね」
「そのようだな」
ディスプレイの一部に被験者が見ている『夢』の一部が表示されている。そこには海が映っている。どうやら被験者は海にいる夢を見ているようだ。
「この夢は最初から設計されたものなのですか?」
近くの操作の担当者と思しき人に聞く。
「ああ、テスト用に。処理を落とさないように余分な他人が出てこないようにしたものなんだ」
「確かに――誰も映ってませんね。一人で泳いでる」
私はキーボードをたたく。次のツール。
「P信号には脳波的な反応がない……」
接続状態を調べるツールだ。今ので反応がなかったこと考えると、一部のA細胞群制御用の信号線に接触不良のような不具合があるのかもしれない。つまりこちらの制御があちらに届かないのだ。
「制御信号の一部が届かないようなんですが……物理的な接続をちょっと確認してもらえますか」
「わかった」
隣の人が〈コクーン〉まで行って、ケーブルの接続や〈コクーン〉についているパネルを点検する。それから〈コクーン〉を覗き込む。
「OKだ、どこも外れてはいない」
だとすると少しまずいことになったな、と私は思った。
おそらくドリーミング中に何らかの事象で制御回線が切断されてしまったのだ。一旦失われた回線を取り戻すのは容易ではない。
「困ったな……」
私はこめかみを押さえた。信号が届いていれば持ってきたツールのいくつかも役に立つのだが、信号が届かないのでは指令の出しようがない。
「外部的な操作はあきらめるしかないですね、これは」
「どうする?」
「……どうしましょうか」
そうは言ったものの、実は一つだけ心当たりがあった。外部操作が不能なら、内部からの刺激で被験者を起こすのだ。
ドリーミング中、被験者に対しては、現実の手足などが感じている五感を完全に遮断する必要がある。そうして『夢』をよりリアルに近づけるのだ。MV――メモリヴォイディング、記憶無効化と言われる機能だが、五感を遮断するほかに、もう一つ、役割がある。
それは被験者が自らの体験により「主観的に」増幅してしまった部分を取り除く機能だ。必要以上に赤い夕日とか、妙に早い車とか、リアリティを失わせる部分を補正するのである。
しかしこの補正機構の一部に不具合があるのか、原因不明の問題が一つある。それは『キーワード共振』と呼ばれる現象で、『夢』の中である特定の『キーワード』を『聞いた』被験者が、脳電位励起状態に陥り、システムの制御を外れて目を覚ましてしまうというものだ。
つまり、これを利用するのである。『キーワード共振』で、被験者を目覚めさせようというのだ。
「『共振』ぐらいしかないですかね?」
私はチーフを見た。チーフは少し考え込んだ。
無理もない。これはきわめて不確実な手段だ。被験者がいったいどんな単語に反応するかは分からず、それに直接信号を送れないため、〈コクーン〉にスピーカーをつけて音声で『キーワード』を聞かせる、というような方法しかない。しかしほかに手はないだろう。
「……それしかなければしかたない、やろう」
チーフはため息をつくように言った。
「分かりました」
私は後ろを見た。ハード研やメカ研の何人かが待機している。その人たちに声をかける。
「すみません、『キーワード共振』を起こしたいと思います、ですので誰かあの方に詳しい方がいたら、どんな言葉があたりそうか教えてもらえますか」
キーワードは当てずっぽうというわけではない。被験者が無意識的に印象に残している言葉が最も当たりやすい。
だからこそこの現象はDM開発で厄介もの扱いされているのだが、こんな方法で役に立つとは思わなかった。
一人がこちらへ来た。
「僕は一応福井の同期ですし、何とか考えてみましょう」
「お願いします。すみません、スピーカーの準備をしてもらえますか、〈コクーン〉に取り付けて、音声で被験者に送ります」
研究室があわただしく動き始めた。
砂浜(3)
どれくらいたゆたっていたのか分からない。私はぐるりと体を回し、今度は砂浜へと向かって泳ぎ始める。
砂浜では妻と娘が昼食のバーベキューの準備をしているのが見える。
私はゆっくりと平泳ぎを続け、やがて足が付くところまで来て、海から上がる。ぽたぽたとしずくの落ちる髪を掻き揚げ、水滴を払うように顔を振る。
砂浜は相変わらず熱いが、水の染みた体には程よい程度の熱気を提供してくれる。足跡をつけながら妻たちのいるところへ戻る。
「お父さん、遅いよー」
「あなた、火起こして」
「ああ」
私はすでに組み立てられたバーベキュー用のコンロに着火剤を入れる。その上に炭を乗せ、先の長いライターで着火剤に火をつける。着火剤は勢いよく燃え上がるが、炭に火がつくには時間がかかる。慌ててはいけない。
妻と娘は小さなテーブルで肉と野菜を切っている。
やがて炭に火がまわる。全体が赤い。
私はおもむろに網を乗せ、それから網の上に肉を乗せる。
「お父さん、それじゃ肉ばっか」
娘の非難に応えて、私は野菜も乗せる。
炎天下、肉と野菜の焼ける音が響く。食欲をそそる香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
静かだ。そして平和だ。
どうして誰もいないのだろう。どうしてだろう。考えなくてもいいはずなのに、気になる。
妻がいる、娘がいる。静かな砂浜で親子三人で楽しんでいる。邪魔は何もない、誰もいない。
私は何が不満なのだろう。
不満ではないのだ、と考え直す。
どちらかと言えばそれは不安である。漠然とした不安である。
あるはずがないこと、ないしはあってはならないこと。そんな感じがするのである。
誰かに呼ばれたような気がして私は振り向く。しかしもちろん誰もいない。
砂浜は静かで、誰もいない。私と、妻と、娘と、そして静かな砂浜。まさに理想の世界にいる。
そして思い当たる。
だからこそ私は不安なのだ。どうしてこんな理想郷に、私はいるのだ。
「少し休む」
パラソルの影に入り、私は寝椅子に横になる。後頭部の辺りをちりちりとした痛みが走る。
呼吸を整えるように大きく息を吐き、またゆっくりと目を閉じる。
ドリームメーカー(3)
『夢』の中では刻々と時間が進む。どうやら被験者の妻や娘らしき人物も見える。
キーワード共振はなかなか起きそうになかった。すでに三〇分以上が経過している。
それでも少しは功を奏しているのか、脳波に多少の乱れが見られる。しかし状況が変わったわけではない。
「起きませんね」
被験者の同期の人が呟く。少し疲れているようだ。
「そうですね。しかし、とにかくヒットすればすぐですから」
慰めるように私が言う。そう、キーワードがヒットさえすれば、おそらく被験者はすぐにでも目覚めてくれるだろう。
「すこし攻め手を変えてみましょう」
「そうですね、海の夢を見ているから、それに関係するかとも思ったけれど、そういうわけでもなさそうだし」
たしかに夢の内容に囚われ過ぎている感はあった。状況が『海』であることから、被験者が音声で聞いた単語を夢の中で意識しやすいようにそういった単語を選んできたが、そこから離れてみるのも手かもしれない。
「それにしても静かでよさそうな『夢』ですね。休暇中、という設定ですかね?」
同期の人が苦笑する。
「うらやましいな、こっちは仕事でかかりきりなのに。少し意地悪してみるか。仕事関連の単語を流してやろう」
「それもいいアイディアかもしれませんよ」
「よし、それじゃ……『ドリームメーカー』」
言われて、私はキーボードをたたく。それは音声信号に変換され、〈コクーン〉に貼り付けられたスピーカーから繰り返し吐き出される。
『ドリームメーカー、ドリームメーカー、ドリームメーカー、……』
〈コクーン〉の中で、体が動いたような気配がした。脳波計が覚醒時の始まりの跳ね上がるような脳波を描き始めた。
砂浜(4)
軽い頭痛に私は目を開ける。
いい匂いがする。肉と野菜の焼けた匂い。私は寝椅子から起き上がる。
肉と野菜が焼けている。火のそばには誰もいない。妻も娘もいない。
しんと静まった誰もいない砂浜に、パラソルと寝椅子、小さなテーブルと椅子、火のついたバーベキューのコンロが、ただ芝居のセットのように置かれている。
そう言えば、もともと一人だったような気がするのだ。
誰もいない砂浜、誰もいない海、どこまでも続く砂浜、どこまでも続く海。
静かである。
私は誰もいない砂浜をゆっくりと歩き回ってみる。
何もない。あるのは白い砂と青い海だけである。
波打ち際で波に足を洗わせる。もう一度泳ごうかとも思うが、やめる。
空を見上げれば雲ひとつなく、太陽が私と砂浜を照り付けている。
歩き回ったせいか、少し暑い。私は再び戻ってきて、パラソルの影に入りこむ。
息をつき、そして私は突然呟く。
「『ドリームメーカー』」
単語に呼応したように酷い頭痛が私を襲う。静かな世界の中、まるで頭痛が音を立てているかのように響く。
世界が崩れるかもしれない、と反射的に考える。
立っていられない。私は再び寝椅子に横になる。顔を手で覆う。
そして思い出す。
ドリームメーカー(ワンダーランド)
被験者は無事に目を覚ましてくれた。
一時はどうなることかと思っていたが、何とか間に合った。結局『ドリームメーカー』という単語でキーワード共振が起き、被験者は目を覚ました。
私は自分の机まで戻ってきて、時計を見る。もう定時だ。私はそそくさと帰り支度を始めた。
池本がこちらを見る。
「なんだ、戻ってきたと思ったらもう帰るのか」
「ああ」
「そうか、今日はデートの日か」
私は照れたように無言でうなずく。今日は平日デートの日だ。
「遅れるなよ、理子ちゃんに宜しく」
「ああ。――お先に」
私はソフト研の部屋を出る。
今のところ、人生でもっとも幸せな時期だった。
理子は名前の通り理性的で聡明な女性だ。完璧というわけではない、それでも充分私の理想に近いし、何より今では彼女のことを心から愛している。
少し後頭部が痛んだ。自分も何度もドリーミングしているせいかもしれない。最近は時々頭痛がするのだ。体を休めなければ。
結婚式も半年後だ。倒れるわけにもいかない。
本当の人生は、これからなのだ。
砂浜(ネバーランド)
パラソルの下、寝椅子の上で、私はゆっくりと目を開ける。
「夢を見ていたよ、理子、郁美」
いつの間にか、いなくなったはずの妻の理子と娘の郁美が隣に立っている。二人とも、黙ってやさしく微笑んでいる。
「理子と結婚するちょっと前のころだ。あのころは本当に幸せだったなあ」
砂浜はどこまでも白く、海はどこまでも青い。
「思い出したくなかったんだ」
良いじゃないか、今ここには理子がいる。娘の郁美もいる。あのころよりもずっと幸せだ。
――交通事故。今でも信じられない。二人がいなくなってしまったとは。
「おまけに私の体も、もうボロボロだ」
テストで繰り返されるドリーミング試験、脳細胞の過負荷。今ではMV機構はほとんど効果がない。正常なドリーミングは期待出来ない。
しかしそれでいいのだ。そのおかげでここにいる妻も娘も、私の主観が入った、私が心から愛していた二人なのだ。客観なんてのはどうでも良い。私が感じていた幸せを再現できればそれで良い。
せめて最期ぐらいは美しい思い出に浸っていたいではないか。
システムの物理的な安全装置は完全に切られ、出来たばかりの『キーワード共振』をブロックするモジュールも組込み済みだ。私が目覚めることはない。
ドリームメーカーを、こんな風に使うのは間違いなく私が初めてだ。新型インターフェイスの資料はコンピュータに残してあるから、今後の製品では防止策としてわざと『キーワード共振』が起こる構造にされるかもしれない。
私は妻と娘という生きる意欲を失い、そしてドリーミングが正常に出来なければ、DM技術者としてはやっていけない。
意欲も
もちろん仕事はどんなものでもある、やろうと思えばいくらでも仕事はあるだろう。転職すればいい、しかしいったい何のために。
いつの間にか太陽が沈みかけている。
綺麗な夕日だ。
「なあ、綺麗だなあ」
答えはない。妻も娘もただ微笑んで夕日を眺めている。
静かだ。
「綺麗だ、本当に綺麗だ……」
この幸せが永遠に続くようにと、私は祈る。
潮騒に耳を澄まし、私はゆっくり目を閉じた。
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