第24話 憤怒。

「あ、おい……!」

「零っ!」

「ふ、ふふふっフフフフフフフっ!」


 大好きなはずの兄を突き刺した葵。

 腹を突き刺され混乱する兄や狼狽して叫ぶ幼馴染を無視。飛沫のように返り血を浴びた影響なのか、酔ったように紅潮した顔で踊り狂っていた。


 事態が飲み込めずとも問わなければ気が済まない。狂気の笑みを見せる妹に問いかけようとした零だが。


「なんで、だ……。どうし――!?」

「お・や・す・み。おにぃちゃん」


 深層意識まで貫かれたかのような奇妙な感覚。

 本来なら耐えられるはずが、刺された痛みとは関係なくその奇妙な感覚が彼を意識を縛り上げる。


(せ、精神系の!? ――てことは、あれは葵の……!?)


 信じ難い可能性。刺された箇所から流れた能力の影響で鈍くなる思考の中、つい前日遭遇した存在が脳裏に過ぎったが。


(ダメ、だ……意識が、保た……な、い)


 思考回路が狂わされて異能の発動すら出来ない。

 俯いて倒れると無意識に妹の方へ手を伸ばす体勢で意識が途切れたのだ。


「……」


 その様子を黙って見ていた葵の表情は、何故か笑みから冷めたような無のものへと変わっていた。

 いったい何を思ったか、微かに瞳が潤んでいるように見えたが、それに気付いたのは誰もいなかった。


 結局、無表情であったのは数秒の合間だけ、しばらくするとまた踊り始めて心底楽しそうな笑みを浮かべていた。


「あぁ〜〜結局こうなっちゃったかぁ。残念残念」

「っ葵ちゃん!」


 キッとした顔で凪の行動は早かった。

 零ほどではない【武闘】の脚力で踊っている葵に迫ると、手にした釘のような武器を――


『―――』

「っ――こいつ!」


 いつの間にか背後に出現していたボロボロで灰色のローブ。

 微かに感じる瘴気から凪もこいつを魔獣だと即決。空いている手から数枚の御札を用意した。


「【結界陣・密】」

『―――』


 向けた途端、ローブを中心に渦のような球体が発生。

 閉じ込めるように押し込めて、謎のローブの行動を封じたが……。


「異能――【陰陽インヨウ】だったけ? 名の通り術師みたいだねぇ」

「っ……この能力は!」


 次の瞬間には凍り付いてしまった四肢。微かに覆われたように見えるが、指先まで感覚がなくなるほど動かない。


「【氷魔ヒョウマ】――芯まで凍り付かせる息吹の味はどうかなぁ?」

「これがあなたの異能というわけねっ!」


 言いながらも凪は次の行動に移る。体の感覚を奪われて身動きが取れないが、異能は機能している。

 体にしまっている新たな札を操って、葵めがけて術を発動させようとした。


「ざんね〜ん。そうはいかないよぉ〜おねぇちゃん」 

「――うっ!?」


 しかし、行動を先読みしていた葵が更なる一手を既に打っていた。


「あ、あああああああああっっ!?」


 すると今度は各部位から燃え上がる凪の肉体。骨まで溶けるような異常な熱で、感覚が失うほど凍り付いていた彼女の神経を一気に敏感にさせる。全身に受けてしまった凪は、悲鳴と共に両膝を折ってしまった。


「【炎魔エンマ】――焼き尽くせ」

(氷から炎っ!? まさか『ダブル使い』!? 同じ『属性型』だけど対極の系統はなのになんて熱量を……!?)


 神経を焼き尽くすような火炙り。冷静さを保とうする凪ですら、そこまでが限界であった。


「れ、れい……」


 一気に意識を奪われそうになる中、ふいに彼の名を口にするのは信頼かそれとも不安だからか。


「おにぃちゃんは私のモノ。誰にも渡さない。たとえそれが……大好きなおねぇちゃんだとしてもねぇ」


 遮るように葵が倒れる彼女を見下ろして告げる。

 両手には零を突き刺したナイフと倒れた凪から奪い取った鉄釘がある。


「はぁ、トウヤおにぃちゃんの【浄化】を仕込まれた釘か。おにぃちゃんの能力と同じで肉体ではなく、魂を攻撃するこの釘なら私も倒せるかもねぇー」


 と呟きながらポイと屋上のフェンスを超えて外へ捨てる。

 自分にとって邪魔でしかない代物など置いてあるだけで迷惑なのだ。さらに凪の目の前で捨て去ることで心を折る狙いでもあるが、このくらいで諦めるほど弱くないのは葵もよく知っている。……弱々しくも今も意識を残している彼女を見れば、この程度で足りないのは明白であった。


『―――』

「うん、分かってる。じゃ、そろそろあなた達の目的である鍵の覚醒を―――」


 凪が倒れたことで結界が解けた。どこか急かすような灰色のローブに頷くと兄の方へ振り向く葵。

 倒れている彼にいったい何をさせるのか、彼女はニコニコしながら愛しの兄に声をかけようとした。――その時だった。


『―――』

「え、何か飛んで……」


 零達にはバレてなかったローブが張ってくれた結界を貫通して、緑色に輝く一線の何かが力尽きたように倒れる零に直撃したのは。


「……」

「ッッ!? ―――お、おにぃ……ちゃん?」


 微かに零の体がピクリと動いた途端。




 静かな殺意を纏った『真っ黒な死神』が見下ろしているような錯覚を覚えた。





(なんでこうなった? 何が間違ってた?)


 葵の異能の影響で意識を飛ばされた。

 体の感覚を失い無意識世界で雲のように流される。


(分かっていたつもりだった。けど分かってなかったのか?)


 ぼんやりとした意識の中で、さっきまでの流れを……妹の行動を思い返しても俺には何も分からない。

 

(理解しているつもりだった。けど無知だったのは俺の方だったのか?)


 不思議な話だが、偽物とは思えなかった。

 寸前の凪の発言からいつもの葵とは別人となるが、俺の中にある認識力が彼女を別人とは判断してなかった。


(いや、そんなことは関係ないか。結局俺はアイツのことを何も理解してなかったんだから)


 後悔しても遅過ぎる。

 散々親父や母さん、凪や由香さん、英次やあの武にまで忠告され続けられたのに。


(俺は……失敗した)


 理由はなんであれ、本当の裏切り者は妹だったんだ。


(そう失敗したんだ)


 既に異能に目覚めていた。

 最も身近にいたのに俺は気付くことすら出来なかった。


(失敗……)


 取り消せるものか、覆せれるものか。

 なるべく距離を取っていた為に、凪すら気付いた妹の違和感に気付けなかった。


(俺が悪い。俺が失敗したから)


 葵の目的は未だには分からないが、どちらにしても体と意識が切り離されたこの状態では何も出来ない。


 いくら異能者や魔獣に対して無敵に近い【黒夜】であっても、発動出来なければただの飾りにもならない。無いに等しい存在であった。



(そうだ。失敗したから―――俺は倒れてるんだ)



 だから英次に感謝したい。微かにしか感じ取れなかったが、間違いない。


(この感じ……英次の【時間戻しタイムマジック】)


 何処から狙ったか知らないが、背中に撃ち込まれたソレは葵が俺に与えていた能力を無効にして、受けてしまった傷も無い状態に戻してくれた。





 無意識の領域内で発動されるのは、【黒夜】に加速された思考回路。

 余計な感情が阻害されて、意識が戻る刹那の間に自身の心の整理を付けさせた。


 無駄な心の迷いを消し去れる為に。

 代わりにこれまで抑えていた言い表せない憤怒を解放させる。

 裏切られた想いや自分自身の不甲斐なさ。俺にとって心の拠り所だった妹が敵だったことに対する絶望を……静かな怒りへと変えた。


(ああ、そうだった。何を混乱してたんだ?)


 そして静かに覚醒した俺は、血どころか刺し傷も消えていることに疑問も抱かず、ゆっくりと起き上がる。


「おにぃちゃん……」

「……甘く見てたのが間違いだった。念入りに警戒していれば覚醒にも気付けた。英次の予知も凪の危惧にも対応してやれた」


 呆然とする妹……いやといつの間にか居るローブ姿の魔獣を放置。

 倒れている凪の側まで寄るとゆっくりとした動作で彼女に触れた。



 黒き異能―――【黒夜】発動。


 手のひらから漏れ出た黒きオーラが彼女を覆っているを消し去った。

 すると葵が掛けていた『精神系』の幻覚が解けたか、ぼやけていた凪の意識が戻るのを俺は感覚的に感じ取った。


「立てるか凪」

「ッ……れ、零」


 まだぼんやりとしているが、精神的には大きな障害は認められない。

 フラついた状態で無意識に伸ばしてくる彼女の手を掴むと、負荷が掛からないように起き上がらせた。


「うっ……あ、ありがとう」

「礼はこっちだ。それに……悪かった。色々と苦労させた……ようだな」


 目覚めたばかりで判断力が鈍っている凪を庇うように……さっきと逆の立場に青ざめた様子の葵がこちらを見つめるが関係ない。


「ま、待って零……! あの子は葵ちゃんじゃないけど、多分本質は同じで……私も悩んだけど兄さんの能力ならもしかしたら!」

「たとえ同じだとしてもいま目の前にいるのは、異能者である俺の敵だ」


 睨み返してゆっくりと歩み出す。お灸を据えないといけない。兄として。絶対に許すわけにはいかない。


「それにこれは俺のミスが招いた結果。俺の罪だ。凪や冬夜さんが背負う必要はない」

『―――』


 葵を庇うようにローブが前に出た。やはり魔獣と手を組んでいたか。異能の覚醒といい訊きたいことが山のようにあるが、生憎と時間の余裕はあまりにもない。






「それで守っているつもりか? ―――目障りだ。退





 側に妹がいるが、敵である以上もう加減など不要だ。

 精神崩壊を起こしてしまうレベルの【威圧】をローブと葵に向けて解放させた。

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