第3話 仮面泥棒を捕まえろ

「『超人になれる仮面』、ねえ……」

 僕――クローニン・サイナンは、胡散臭く思いながら顎を撫でた。

「はい。その仮面を盗もうとするコソ泥から守っていただきたいのです」

 ザック・マシュラと名乗るその男は、古物商だという。

 なんでも、『超人になれる仮面』を偶然手に入れたのだが、『仮面泥棒』と呼ばれる泥棒――この場合は怪盗と言うべきなのだろうか? ――に狙われているらしい。

「どう思う、シュミー?」

 僕はこの探偵事務所の主――シュメート・アラヴァーをちらりと見る。

「まず、その仮面が気になりますね。どういった代物なんです?」

 シュミーは興味深そうにマシュラ氏に訊ねる。彼は胡散臭いと思うより好奇心のほうが勝っているようだった。良くも悪くも純粋な男なのだ。

「その仮面をつけると超人的な能力を手に入れるそうです」

「ならその仮面をつけて泥棒に応戦してみては?」

 僕が口を挟むと、

「お前は黙ってろ、ヘボ作家」

 気配もなく背後に回っていたメイドに頭を小突かれた。元傭兵であり、今はシュミーの忠実なメイド――レベッカ・ブラッドレインだ。僕を小突いたあと、静かにテーブルに紅茶を置いた。

「いやぁ、そこの作家さんは鋭いですな。たしかに仮面をつければ撃退できるかもしれませんが」

「そう出来ない理由がおありで?」

 紅茶を啜るマシュラ氏に、シュミーが質問を投げかける。

「その仮面を売ってくれた男の話によると、どうもその仮面、一度つけると二度と外れないらしいんですよ」

 まるで呪いの装備だ。

 超人的な能力を得る代償として、二度と仮面を外すことが出来ない……なるほど、そんな不気味な仮面はつけたくないな。

「手に入れたはいいがそんな代物は他には売れないし、泥棒に盗まれて悪用されても敵わんでしょう。ほとほと参っちまいましてね」

 マシュラ氏はそう言いながら、自分でティーポットから紅茶のお代わりを注ぎ、角砂糖を三個入れた。

「その仮面、売りにも出せない危険な代物なら破壊してしまったほうがよろしいのでは?」

「いやぁ、アタシもそう思ったんですがね、火にくべても燃えないし斧で割ろうにも傷ひとつ付きやしない。もうお手上げですわ」

 マシュラ氏は一度ティーカップをテーブルに置いて、わざわざお手上げのポーズをとる。

「おまけにその仮面泥棒って奴が予告状を寄越してきたから大変ってもんでさ。とにかく今回守ってもらって、それから処分の方法を考えようかなってね」

「ふむ、なるほど。事情はよくわかりました」

 シュミーは深く頷いて依頼を受けることにしたようだ。

「しかし、妙な話だな」

 マシュラ氏が事務所を出ていったあと、僕はやっと口を開いた。

「その超人仮面とやら、火にくべても燃えないだって? 地球上で炭にならないものは水と塩だけって聞いたことあるぜ」

「そうだな……ちょっと気になる」

 そう呟くように言うと、シュミーは黒いコートに袖を通した。

「どこへ行くんだい?」

「まあ、聞き込みみたいなもんさ。クローニー、君はどうする? レベッカと一緒に電話番か、自宅に戻っても構わないが」

「ハハッ、このメイドと二人きりになったら何をされるか分からないからな。僕は一度家に戻って執筆でもするよ。何か進展があったら呼んでくれるんだろ?」

「もちろん。何せ私は君の小説のために探偵をやっているようなものだからね」

 冗談なのか本気なのかイマイチわからないことを言うシュミーとは、事務所の前で別れた。

 おそらく僕がお呼ばれするのは、仮面泥棒が予告した三日後だろう。シュミーとレベッカのおまけみたいなものだから、特に何か準備するわけでもない。手持ち無沙汰ではあったが、僕も仕事があるので暇ではなかった。

 あの巨大なワニを仕留めた私立探偵とメイドの小説は、僕を再び売れっ子作家にしてくれそうだ。そのくらい反響があったのだが、誰もノンフィクションだとは信じてくれないし、そもそも編集がノンフィクションとして売り出さなかった。僕の気が狂ったと思われても嫌なので、ひとまずは譲歩することにした。

 今度の仮面泥棒のお話は、どんな展開が待っているのだろう?

 それは単にお金儲けの心配だけでなく、親友と立ち向かう事件にワクワクする期待感があった。


 そして、三日後。

 僕はシュミーに呼ばれて、マシュラ氏の骨董品店に来ていた。

 客はまばらだが、もしかしたら仮面泥棒も下見に来ているのでは、と思わず目を光らせてしまう。

「仮面は陳列棚に並べていないのですね」

「売り物にできませんからなぁ」

 シュミーの言葉に、マシュラ氏は肩を竦めた。

「仮面はいま、何処に?」

「店の奥の倉庫です。とりあえず現物を見てもらったほうがいいかな」

 マシュラ氏とシュミー、レベッカがカウンターの奥に入っていく。僕もついていこうとすると、

「あの、もしかして……クローニン・サイナン先生ですか?」

 不意に声を掛けられて、振り向くと、男の子が立っていた。学生のようだが、年齢はよくわからない。東洋人特有の童顔で、かなり幼く見える。

「ああ、僕がクローニンだけど……?」

「わ、やっぱり! あの、僕、先生のファンで……よろしければサイン、いただけませんか?」

 男の子はショルダーバッグからハードカバーの本を取り出す。それは、僕が作家デビューした初期の頃に出した本だった。

「へえ、これ初版本じゃないか。相当僕のファンだね」

「それはもう。こうやってカバンの中に入れて、暇さえあれば読んでいます」

 僕はすっかり舞い上がって、気分よく本にサインを書いてやった。

「わぁ……! ありがとうございます! 宝物にしますね」

 男の子はとても嬉しそうに本を抱きしめる。

「君、名前は?」

「テイイチ・モリヤです。日本から来ました」

 こんな小さな身体で、随分遠くから来たものだ。僕は親近感から、まるで自分の子供を見るような気分だった。

「先生の新作、読みました。あの巨大なワニを捕まえる探偵とメイドのお話! 突拍子もないのに人物描写がやけにリアルでしたが、モデルがいらっしゃるのですか?」

「ああ、まあね」

「ヘボ作家、いつまで油を売っているんだ」

 どうやら仮面の下見が終わったらしい。レベッカとシュミーが戻ってきた。

「え? メイドさん……? もしかして、モデルって……」

「クローニー? 誰だいその子は?」

「テイイチくんだよ。僕の熱烈なファンらしい」

「顔が緩みきってるな。調子に乗るなよヘボ作家」

 探偵とメイドの登場に、テイイチくんはパチパチと瞬きをする。

「テイイチくん、紹介するよ。僕の親友で私立探偵のシュメートと、メイドのレベッカ」

「こんにちは、テイイチくん」

 僕が紹介すると、シュミーは愛想良くテイイチくんに微笑みかける。

「シュメートさん、はじめまして」

 テイイチくんは少し恥ずかしそうにモジモジしていた。

「あの……巨大ワニのお話、読みました。あれは本当にあった話ですか?」

 テイイチくんがそう言うと、シュミーは片眉を上げた。僕も驚いた。あの突拍子もない話を実話だと信じてくれる人間はいなかったからだ。

「テイイチくん、君は――」

 シュミーが言いかけた瞬間、店の中が真っ暗になった。

「! おい、シュミー……!」

「大丈夫、仮面の傍にはレベッカが控えてる」

 さっきまで一緒にいたと思ったのに、いつの間に。

 懐中電灯を持って倉庫に向かうと、奥からキン、キンと金属音がする。灯りを向けると、レベッカと誰かがナイフで斬りあっているらしい。

 ガチャン、と音がして、倉庫の電気が点いた。マシュラ氏がブレイカーを上げたのだろう。レベッカとやり合っている相手は――タコのような妙な仮面をつけていた。

「おい、もう仮面を盗られてるじゃないか!」

「クローニー、落ち着け。例の仮面はあそこにある。まだ盗られていない」

 シュミーが指すほうを見ると、確かに倉庫の奥に仮面が飾られている。

 なんだか、猿のような顔の仮面だった。面の周りにはたてがみのようなファーまでついている。

 仮面をつけた男は、レベッカの顔を目がけてナイフを突き出す。それを避けるために首を曲げた隙をついて、男はレベッカの身体を蹴り飛ばした。

「チッ……」

 レベッカは両腕をクロスさせて蹴りを受け止めるが、その勢いで後ろに下がる。あのレベッカと互角なんて、かなりの戦闘能力だ。男はその一瞬で、飾られていた猿の仮面を奪い取った。

「しまった!」

 そう思っても、もう手遅れだった。

 男はタコの仮面の上から猿の仮面をかぶる。仮面をつけた瞬間、猿の仮面から爪のようなものが出てきて、ガチンと男の頭をホールドした。

「オオオォォォ!」

 男が雄叫びをあげる。

 ドクンドクンと音がする。どうやら猿の仮面の爪から男の頭になにか液体のようなものが注ぎ込まれているらしい。

 男の身体はみるみるうちに巨大化し、屈強な大男になっていく。二メートルはあるだろうか。腕だけでも丸太のように太い。

「これが超人化か!」

 シュミーは腰から拳銃を抜く。

「レベッカ! コイツを逃がしてはいけない!」

「承知しております、大佐」

 レベッカはナイフを構えて応戦体勢を整える。

 シュミーは仮面の男に発砲した。しかし、弾は当たっているはずなのに、男はピンピンしている。

「筋肉が弾をはじいている……? 嘘だろ……」

 僕は息を飲んだ。これが超人か。最悪のスーパーマンだ。

 レベッカがナイフを投げつけるが、拳銃の弾が通用しない相手に刺さるわけもなく、男の身体に当たった途端、ナイフはアルミホイルのようにクシャクシャになった。仮面の男が腕を振り回し、レベッカにマトモに直撃する。

「グッ……!」

 レベッカの身体は宙を舞い、倉庫に仕舞われた商品の山の中に吹き飛んだ。

「レベッカ!」

 叫ぶシュミーと僕たちのほうへ、仮面の化け物が歩み寄ってくる。まずい。最強の傭兵でも敵わない相手に、僕たちが勝てる道理がない。

「クローニー、マシュラさんを連れて逃げろ。ここは私がどうにかする」

「どうにかって……どうするんだよ」

「さて、どうしようかね……とにかく、マシュラさんの安全は確保しないと」

 シュミーは拳銃を仮面の男に向けながら、僕らを逃がそうと注意を引く。

「なあ、君。どうして仮面なんか盗んで回ってるんだ?」

「……」

 シュミーは仮面の男に話しかける。気分としては人喰い熊に言葉をかけて説得するようなものだ。男は無言のまま答えない。

「どこで仮面の話を聞いたんだ? その仮面がなにかわかってるなんて、ただの一般人ではないな」

「……」

 仮面の男は何も話さない。猿の口からはフシュー、フシューと興奮しているような息を漏らしている。超人化の影響で理性を失っているのか?

「ひょっとこの仮面をつけた暗殺者、レベッカから聞いたことがあるよ。『影』だろう、君は」

「……!」

「レベッカからはただの仮面コレクターと聞いていたが、超人になれる仮面、君も興味があったんだな。どうだろう、一度腹を割って話さないか?」

「ウウ……アアアァァァ!」

 男は話をするつもりはないらしく、頭の上で両手を組んで振り下ろす体勢に入る。あれが直撃したらシュミーは死ぬだろうなと思った。

「シュミー!」

「大丈夫、時間は稼いだ」

「――大佐に手出しはさせないぞ」

 レベッカの声だ。

 商品の山の中に吹っ飛んだ彼女は、仮面の男に気付かれないように商品の陰に隠れながら、男の背後に回り、首の後ろまでよじ登ったのだ。

「ナイフもピストルも効かないなら、これでどうだ!」

 レベッカは男の首に腕を回し、三角絞めを決めた。

「……! ……!」

 男はバタバタと暴れるが、パニックになっているのかレベッカまで腕が届かない。レベッカはロデオのように暴れる男をいなしながらギリギリと絞め落としていく。

 ……やがて、仮面の怪物はガクンと落ちた。

「やったか?」

「ああ、あとは仮面を外すか」

 レベッカはその怪力で、一度つけたら二度と外せないと言われていた仮面をバリッと剥がした。男の頭に食い込んだ仮面の爪は、男の血を吸って赤黒く光っている。

「マシュラさん、この仮面は私が買い取ります」

 シュミーはマシュラ氏に小切手を渡して、仮面を透明な証拠品袋にしまった。

 やがて、通報を受けて駆けつけた警察により、ひょっとこ仮面の男――『影』は逮捕されたのであった。


「結局、あの仮面はなんだったんだ?」

 後日、僕はわけを知ってそうなシュミーに訊ねた。

「軍の情報網によると、とある研究施設で作られた人体改造兵器だそうだ。あの仮面をかぶると爪から薬品が注ぎ込まれて、超人のような身体能力を得る」

 シュミーが聞き込みに行ったのは軍の人間だったのか、と納得する。元大佐の彼は軍とまだパイプが繋がっているようだ。

「ただ、仮面をつけ続けていると薬品を注がれ続けてやがては廃人になる。あの暗殺者も危ないところだった」

「それで、あの仮面、どうしたんだ?」

「軍に引き渡したよ。私たちが持っていても危ない代物だからね」

 おそらくは軍で厳重に保管してくれるだろう、とシュミーは肩を竦めた。

「しかし、問題はあの仮面をマシュラさんに売った人物と、仮面があそこにあると『影』に教えた人物が誰か、ということだが……同一人物なのだろうか……?」

 シュミーは独り言のように小さく呟いた。

 そこへ、事務所のドアが開いた。ドアに繋いだベルがチリンチリンと鳴る。

「おや、君は……」

「こんにちは、シュメートさん」

 あの僕の熱心なファン、テイイチ・モリヤくんだった。

「なにか事件かな?」

「いえ、実は……」

 テイイチくんはどう話を切り出そうかとモジモジしている。

「――僕を、ここで働かせていただけませんか?」

「ほう?」

 シュミーは片眉を上げる。

「先日の仮面の事件、実はこっそり見てたんです。あの巨大ワニの事件といい、やはりあなた方の話は実話……なんですよね?」

「だとしたら?」

「僕は犯罪心理学を研究している大学生なんです。是非シュメートさんのお傍で活躍を間近に見てみたいんです」

 大学生だったのか。僕はそこに驚いた。まだジュニアハイスクールの学生くらいかと思っていた。東洋人の年齢不詳さには舌を巻いてしまう。

「……」

 シュミーは値踏みをするようにテイイチくんを見つめていた。

「いいんじゃないか、シュミー。テイイチくんは真面目そうだし、きっといい働きをしてくれるよ」

「……うん、まあ、いいよ」

「ありがとうございます!」

 テイイチくんは嬉しそうにぱあっと目を輝かせた。

 こうして、我らがシュメート探偵事務所に新しい仲間が加わったのである。


〈続く〉

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