第2話 地下に潜む怪物
「は? シュミー、地下水道に潜るのかい?」
僕――クローニン・サイナンは、友人の私立探偵――シュメート・アラヴァーの話に目を白黒させた。
「いったいなんでそんなことを?」
「いや、探偵としての依頼でね」
シュミーは初めての依頼に純粋に喜んでいるようだった。
「どうも、ペットを誤って水道に流してしまったらしいんだ。それで、そのペットを探してくれって話さ」
「ペットを水道に流した……? 亀でも飼ってたのかい、その飼い主は」
僕は首を傾げる。水道に流すというくらいなのだから、水を替える際に流してしまったということなのだろう。
シュミーは「亀ならまだ可愛いほうなんだがね」と静かに笑っていた。
「それで、クローニー。僕たちと一緒に地下水道まで来るかい? 小説の取材がしたいなら、地下水道に入るなんてなかなか出来ない経験だと思うがね」
「うーん……正直気乗りはしないな」
地下水道というと、どうしても下水で汚いイメージがある。臭そうだし、遠慮したいところではある。
「お前に拒否権などないぞ、クローニン・サイナン」
僕が座っているソファの背後から、女の冷たい声がする。――元傭兵のレベッカ・ブラッドレインだ。白黒のメイド服に美しい銀髪を持った美女だが、いかんせん性格がキツい。
「お前はアラヴァー大佐に黙ってついてくればいいんだ。アラヴァー大佐の目覚ましい活躍を取材して、そのヘボな小説で大佐を一躍有名にするのだ」
「レベッカ」シュミーは苦笑いをしている。「流石に失礼だよ。クローニーはいくつか賞も貰ってる立派な作家大先生なんだぜ」
シュミーの言い方は少々オーバーだが、まあ事実である。現在は小説のネタに詰まって新作が書けていないが、かつてはサイン会に人が詰めかけるほど、僕の小説は人気だった。
だからこそ、元国軍大佐、現私立探偵の友人に取材を申し込んでいるのだ。こんな面白い題材なら、また小説が書けるのではないかと期待している。
「わかったよ。そこまで言うなら、シュミーを主人公にした探偵活劇でも書いてやろうじゃないか」
「君がワトソンってわけだ?」
僕の言葉に、シュミーは愉快そうに笑う。
「大佐の助手役は譲りません」と、レベッカは対抗意識を燃やしているようだった。
まあそんなわけで、僕たち三人は地下水道へと降りることになったのである。
「うう……やっぱり臭うな……」
「まあ、下水が流れているからそこは仕方ないさ」
僕の発言に、シュミーは肩をすくめる。
水道局の許可を得て地下水道へと降り立った僕たちは、通路を歩いてペットを探す。通路のすぐ横には下水が流れていて、絶対に足を滑らせて落ちたくないな、と思う。
足元を見ると、あの茶色い害虫がカサカサと通り過ぎて、思わず「ひっ……」と声が漏れた。やっぱり来るんじゃなかった。
「は、早くペットを見つけて、こんなところからおさらばしようぜ。ところでこんな広大な地下水道で、ペットを見つける算段はついているのかい?」
「ああ、それは大丈夫。飼い主がチップを埋め込んでいるから、場所はすぐわかるんだ」
シュミーは受信機を取り出して、発信機の信号を受け取る。
「良かった、思ったより近くにいるようだぞ」
「じゃ、じゃあ早く捕まえてここを出よう」
「問題はどうやって捕まえるかだがね」
シュミーの不穏な言葉に、僕は一抹の不安を覚える。
シュミーがそこまで言うなんて、どんなペットなんだろう。いやそもそも、僕たちが探しているペットってなんだ? 僕は何も聞かされていない。
すると、横を流れている下水からゴポゴポと泡が立ち始めた。
「どうやらお出ましのようだな」
「ヘボ作家、下がってろ」
シュミーとレベッカが、大きな注射器のようなものを懐から取り出しながら警戒態勢に入る。
ザバッ、と下水から何かが飛び出してきた。
――ワニだ。
巨大なワニが、凶暴な牙を剥き出してこちらを襲おうとしている。
「ま、まさかこれがペットなんて言うんじゃないだろうな!?」
「ご明察だよ、クローニー」
「嘘だろ!?」
僕はパニックに陥る。
こんなワニ、ペットとして飼えるわけがない。どんな大富豪が飼っていたというんだ。そもそもこんな巨大な怪物が水道に流されて地下水道まで落ちてくるはずがない。
混乱している僕を背後に隠し、シュミーはワニに向かって麻酔弾を放つ。
が、ワニの硬い鱗では弾かれてしまう。
「思った通り、背中側からは無理だな」
「柔らかい腹部分、でしょうか」
シュミーとレベッカはワニと対峙しながら言葉を交わす。
「頼めるか?」
「出来れば無傷、とのことでしたね。力加減を間違えないように致します」
そう言って、レベッカはワニの方へ駆け出していく。ワニは大口を開けてレベッカに食らいつこうとする。何をしてるんだ、自殺行為だ!
しかし、レベッカはワニの口を掴んで、そのままバチン! と閉ざし、抑え込む。な……なんつー馬鹿力だ……。
レベッカはワニの口を押さえたまま、暴れるワニをものともせず、グルンとひっくり返した。ワニの腹が顕になる。
そこへシュミーが駆け寄って、ワニの腹に注射を刺した。麻酔だったらしく、暴れていたワニは次第に動きを鈍くしていく。バタバタと忙しなく動いていた尻尾が、くた……と地面についた。
「……よし」とシュミーは額の汗を拭う仕草をする。
「あとはこれを依頼人の元へお届けすればよろしいのですね」
レベッカは何十キロもありそうなワニの体をひょいと担ぐ。……本当に馬鹿力だな……。
「シュミー、話が違うじゃないか」
僕はシュミーに抗議する。
「こんなバカでかいワニが排水溝に流されるわけないだろ。なんで嘘をついたんだ」
「ははは、騙してしまったようで悪かったね」
非難がましい僕の目を見ながら、シュミーは場違いなほど朗らかに笑う。
「探偵には守秘義務があるが、君にだけは話しておこう。このワニは軍の実験動物だ」
「――!?」
「三日前、軍が移送している途中で逃げ出したらしくてね。当時はまだこんなに小さい幼体だったらしいが、軍の実験で成長が早くなる改造をされたらしい」
目を剥いている僕を気にすることなく、シュミーは三日前のワニを表現するように指を広げてこのくらいの大きさだったと語った。
「それで、軍は既に僕がレベッカを匿っていることを把握している。流石は軍の情報網だね。軍の依頼をこなせば、お咎めなしというわけさ」
「……なんで僕を巻き込んだんだ?」
言ってしまえば、僕は軍とはなんの関係もない。ワニの捕獲に付き合う必要はなかったはずなのだ。
「僕はね、クローニー、君の小説が大好きなんだ。新作を読みたいくらいにね」
シュミーは僕に微笑む。
「新作小説のネタになれば、と思ったんだ。僕が主役の探偵活劇、書いてくれるんだろ?」
……本当にこの親友は、食えない性格をしている。
そうして、僕は新作を書き上げた。
しかし、担当編集者からは「これをノンフィクションというのは無理がある」と信じてもらえなかった。
〈続く〉
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