友人の国軍大佐が軍を退役したら元傭兵のメイドがついてきたらしい
永久保セツナ
第1話 元大佐の探偵と元傭兵のメイド
「――大佐! アラヴァー大佐!」
雨の中、傘もささずに歩く男の背を女が追う。
黒いコートの男は聞き覚えのある女の声にふと立ち止まり振り向いた。
「……レベッカか」
「大佐、国軍を退役したとは本当ですか」
「ああ、だから私はもう大佐じゃない」
そう言って、『大佐』と呼ばれた男はまた背を向けて歩き出そうとする。
――その手を、女は握っていた。
「私も、ご一緒させてください」
「君にはまだ未来があるだろう。若いからまだまだ軍で活躍できる」
「大佐だって大して年取ってないくせに」
「……もう疲れたんだ。私には軍人は向いてないらしい」
「大佐が辞めるなら私も辞めます。大佐がいないなら傭兵の私が軍に残る意味なんてありません」
「まったく、君は……」
呆れたようば目を向けた男は、諦めたようにフッと笑う。
「――私についてきても、君にメリットはないぞ。退職金だって大して出ないだろうしな」
「構いません。大佐のおそばにいられることが、私にとってのメリットです」
そうして、女は傘を差し出し、二人は雨の街に消えていった――。
「シュミー、どうだい、探偵事務所の客入りは?」
僕は最近国軍を退役して探偵事務所を開いた友人、シュメート・アラヴァーの事務所を訪れていた。
僕の名前はクローニン・サイナン。しがない小説家をやっている。
シュメートが探偵を始めたと聞いて、小説のネタにならないかと冷やかしに来たわけだ。
しかし、「いやあ、まだ事務所を開いたばかりだからね。この数週間は閑古鳥さ」とシュメートは肩をすくめる。
そこへ、
「お茶をお持ち致しました」
ガチャ、と給湯室のドアを開けてメイド服を着た女が銀のお盆に紅茶の入ったティーカップを運んでくる。
「おいおいシュミー、探偵業が儲かってないのにメイドなんて雇ってるのかい? しかもべらぼうに美人じゃないか」
僕はたいそう驚いた。
美しい銀髪と白黒のメイド服の対比がもはや芸術の領域である。無表情で整った顔立ちはまるで精巧な人形のようだった。
「ああ、ちょっと事情があってね……」
シュメートは苦笑いで言葉を濁す。
その『事情』とやらを根掘り葉掘り聞き出したい僕の気持ちを察したのか、「ちょっとトイレ」と彼はソファから立ち上がってしまった。
トイレのドアがバタンと閉まると、その次の瞬間、ソファの傍らに控えていたメイドがズイッとこちらに迫ってきていた。
「お前が大佐の話していた苦労人・災難か」
「な、なんで漢字に変換したんだい」
突然のメイドの豹変に僕は目を白黒させる。
メイドはゴミを見るような目で僕を睨んでいた。
「大佐の親友だかなんだか知らないが、小説家というからには大佐のことをネタにするつもりなのだろう? 大佐のご気分を害するような小説を書いたら、タダじゃ済ませな――」
「こら、レベッカ」
いつの間にトイレを済ませたのか、レベッカと呼ばれたメイドの背後に立ったシュメートはコツンとメイドの頭を軽く小突く。
「クローニーは私の友人だ。あまり手酷く扱わないでくれ」
「――は。失礼致しました、大佐」
「私はもう大佐じゃないと言っているのに……」
シュメートはかしこまったメイドに苦笑を浮かべる。
「お、おいおいシュミー! なんだいこの物騒なメイドは!」
「ハハッ、すまない、紹介が遅れてしまったね。彼女はレベッカ・ブラッドレイン。君も聞いたことあるだろう?」
レベッカ・ブラッドレイン……?
「――『
その名は世界中に知れ渡っている、伝説の傭兵だ。
世界各国を渡り歩き、国軍から革命軍まで、金さえ積めばどこにでも雇われる。敵対軍同士で条件のつり上げ合戦が行われるほどである。
当然命を狙われることになるが、すべて返り討ちにしてしまう最強の傭兵。
彼女がいるところには、血の雨が降る――。
最近まで我が国の軍に召し抱えられていたが、ある日突然、上官の机に辞表だけ置いて煙のように消えてしまったという。
今頃、国軍が血眼になって彼女を捜索しているはずだ。
「な、なんで傭兵がメイドに……!? いや、それよりこんな物騒な女を匿っているのか!? 軍にバレたらどうなるか……!」
「落ち着いてくれ、クローニー。彼女は傭兵を辞めたんだ」
「はい。私は大佐とともに軍を退役し、同時に傭兵を引退致しました。今はただのメイドです」
レベッカはスカートの裾を持ち上げ、お辞儀をする。
「いや、それにしたって、傭兵として軍の機密情報を握っている君は、あらゆる軍やそいつらに雇われている傭兵、暗殺者に狙われることになるだろう?」
「私と大佐の平和を脅かす者に容赦は致しません」
その美しい微笑が怖い……。
こうして僕は、軍人を辞めた友人に雇われている元傭兵のメイドという奇妙な関係に巻き込まれることになる。
〈続く〉
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