第4話 世界は終わらない
夏休み最後の元織の夜は狂おしいほど穏やかで、病院を抜け出した後の私たちを静かに脅す。街灯もなく、近くに店などがないから辺りは真っ暗で、私のスマホのライトが照らす二人の足元しか見えない。そんな中を新はゆっくり着実に進んでいく。
「どこ行くの?」
「今日花火打ちあがるの知ってた?」
「知らない。」
「絶好の場所があるんだよ。」
「だからどこなの?」
「まぁついて来いって。」
「わぁっ、」
急な段差につまずく。新が咄嗟に私の腕をつかんだ。
「大丈夫?」
「ごめん。」
あー、ちょろいな、私。冷静さを演じても、こんな小さなことでなんとなく気持ち悪くなる。これを恋と呼ぶのか、ちんけな小説の一節みたいな言葉が頭の中に並んで、かき消す。
「ねぇ、」
「なに?」
「新の初恋の人のこと、まだ好きなの?」
「んー、どうだろ。わかんない。今思えば、本当に恋だったのかすらわからない。」
「好きになるって、どういうもの?」
「さー。調べたら出てくるんじゃない?」
「胸が苦しいんだけど、でも忘れられない、みたいな?」
「なんか歌みたいだな。」
ただ単に言いたくないだけなのか、こっぱずかしいのか、中々自分のことに関して話そうとはしない。はぐらかされるのは嫌いだ。だから、嫌がらせに、聞いてみる。
「今は、よぼよぼのおばあちゃん?」
「もう亡くなってる。」
自分勝手に、少し間を開けてほしかったと思った。
「あぁ、そうなんだ。」
「お葬式には行けなかったけど。ていうか、お前も知ってる人だけどな。」
「へー、、、は?」
色んな情報が頭の中で錯綜している。
「だれなの?」
「内緒。」
また、いつもの笑顔だ。私が勝手に恥ずかしくなって、新の顔を見て見ないふりをした。心なしか、新の足取りが早くなった気がした。
「おーい君たち。」
前から手持ちのライトで照らされて、強引に元のつまらない世界に戻ってしまったようだった。反射的に眉間にしわが寄る。
「未成年、だよね。親御さんの方とは一緒じゃないの?」
「俺、こいつの兄貴なんです。はたち超えてます。」
よくもまぁそんなにあっさりと警察官に対して嘘をつくものだな。いや、兄だというのは嘘だけど、はたち超えているのは嘘ではない。が、きっと信じてはくれないだろう。
「身分証見せてくれる?」
「あー免許証家に忘れてきちゃいました。」
「僕も一緒にいてあげるから、親御さん呼んで。今日は帰りなさい。この辺暗くて危ないから。」
そう言って警察官のお兄さんは目線を下にずらす。
「新!」
小さく叫んだ私の声に多少驚く。相手が自転車じゃないだけよかった。私は新の右の袖を引っ張って何の目的もなくただ走った。いつの間にか新の体が私を追い越して、もう一度手を握りなおす。本当は能力に長けているのにその能力を表に出そうとしない人は嫌だ。ずるい、かっこよくて、みじめになってしまう。私が足の回転をあきらめてしまいそうになるほどに、新は足が速かった。
ひゅー、ぱち、どん、ぱぱぱ。
どこからか打ちあがる花は、私たちを無視する。待ってくれ、置いていかないでくれ。私を、どこか違う世界にでも飛ばしてくれ。
いつだって、光る世界と、私のいる世界は、平行線だ。最初から分かっていた。追いかけても届かないことくらい。何もかも、私は持っていなかった。
「ここ、どこ。」
「高校だよ。」
「そんな、こと、言われ、なくても、わかるけどさ。てか、なんでここ?」
「知ってた?南高って、元織市にある高校の中で一番高いところにあるんだよ。」
結構な距離をゴールがわからないまま走ったからか、不安と疲れが相まって吐き気を催す。警察官のお兄さんは、まちなさーいとか言って同じ距離走っているのだから大したものだ。昇降口で振り返ると、新が私の持つスマホのライトを正門の方へ向けるように指さした。グラウンドを挟んで位置する正門で立ち止まったお兄さんが、小さく見える。それを見て新は大笑いした後にガス抜きのために出す笑い声のように、掠れて笑った。
「もう終わっちゃったかな?」
「いや、大丈夫。零時になったら、最後の花火が上がる。」
スマホを見る。時刻は十一時五十五分。屋上から見る元織の夜景は、全く自己主張しなかった。
「俺、決めてたことがあるんだ。」
「え?」
五十六分。
見る暇もなく走っていた時には、鬱陶しい程に鳴り響いていた花火の音が無くなって、世界をマイナスにまで引っ張って行ってしまう。さっき表示していた時間から一分経ったことを知らせる音が響く。
「世界が終わる時、俺もこの世界と一緒に終わりにしようって。」
馬鹿みたいだ。
「何言ってんの。」
死ぬってこと?馬鹿馬鹿しい。止めてほしいのか、そんなくだらないことを新は望んでいるのか、そうじゃなかったとしたら、、、。
「楽しかった。幸せだった。だから、終わりにしようと思う。」
「意味わかんないから。馬鹿なの?阿保なの?止めてほしいの?だったら止めるよ。あんただからとかじゃなくて、私は、普通の人間として止める。」
背中の方に倒れたら落ちて行ってしまう。何もない元織の夜景を背負った新の腕をぎゅっと、つかむ。
「そんなところ座ってたら、危ないよ。」
至って、冷静に、いつもの私たちの、ほんの些細な会話からとってつけたようにさり気なく。
「ねぇ、新の好きな人って誰なの。」
五十七分。
「楓さん。柚のおばあちゃんだよ。」
一年前に亡くなったおばあちゃん。お葬式の日、新は来なかった。
「そう、なんだ。」
「毎年ふたりで見に来てた。」
大切な人が亡くなった。新の持つ世界は、一年前に終わったのかもしれない。
「柚は輝いてるよ。俺にはそう見える。」
私はずっと否定し続けてきた。自分の見ている世界を、人を、人とは違う自分自身を。そんな自分を可愛がってきた。かわいそうな自分に浸っていた。そんな自分に気づいて、また、否定した。
「気持ち悪い。いい加減なこと言わないで。」
「いい加減じゃない。」
「私自身が人を傷つけて、他人の不幸を引き換えにしてきた。無視されてた時のこととか、剣道で負けたこととか、未来の不安とかふと出てきて、嫌な気持ちとかになって。自分だってきっと同じことをしてきたのに、そんなことすら、忘れて、」
「そんなもん、皆そうだろ。」
お前と同じだ。とでも言いたいのか。なんで人は他人と一緒だと言えば安心すると勝手に思い込むのか、私は、それが怖いというのに。
「いい加減だね。あんたに何がわかるって、思うよ。何が同じなんだって。」
「俺には未来がない。追いかけるものがないんだ。でも柚には未来があって、追いかけるものがある。」
五十八分。
「ないって、そんなもん。」
「明日を、とか言ってみる。」
「きもいね。」
「今日、世界は終わる。だから、俺も、柚も一緒だ。今日は、誰もが特別じゃない。みんな同じ。」
一度風が吹けば新は落ちる。急に恐ろしくなって、新の袖をつかむ力を強める。
「まぁ、今日世界が終わることを俺らしか知らないとしたら、ちょっと俺らは特別かもな。」
普通過ぎるくらいに特別だった。でも今の私は違う。自分は特別でも何でもないんだって気づいた。
「特別になれるかな。」
「今の俺たちは、最強に特別だよ。」
新と、私の世界。もう少し続けばいい、そう願わずにはいられなかった。相変わらず何もないけど。自分以外他人で、恋人とか友達とか家族とか、私にはそんなくくりは必要なかった。皆平等にどうでもよくて、平等に大切だった。でも
五十九分。
この静けさを切り裂く音にも慣れていた。五十九分という文字がやけにくっきりと写った。
「もう少しだね。花火。」
「そうだな。」
「世界が、もしかしたらまだ続くかもしれないよ。」
「そうかもな。」
「可能性はゼロじゃない。」
「うん。」
「もう少し、生きててよ。」
「俺の世界は、もう終わってる。」
やっぱり、私は何も変えられないのか。自分の人生までも、脇役なのか。
「私には、新が必要だって言ったら、」
あんたの世界が終わっているとか、そんなもん、知るか。
「これからも、ずっと、そばにいてよ。」
私に、他人の意思を変えるとか、そんなことは多分、できない。伝えることしか。
この手を放さずにつかんでいることしかできない。涙は、出てもいいと許可を与えていないときに限って、溢れ出る。
「柚が大人になる時、俺はいないよ。何にも抗えないもんに、ずっと苦しむことになる。」
「未来の私は、まだ他人だから。他人のことなんて考えてられないよ。私は、今の気持ちを、言ってるだけで、」
今の自分以外、つまり他人は、私の思い通りに動いてはくれない。早く返答が欲しくても、そうはいかない。
「一緒に、花火観ようよ。」
五分間くらいずっと腕をつかんでいる事実に、今更違和感を覚える。私は新の腕をぐっと引っ張った。二人ともが少しよろめく。
「あぶな。」
「座ってた方が危なかったでしょ確実に。」
「そりゃーそうだけど。」
「やばいやばい十二時。」
ひゅー、ぱち、どん、ぱぱぱ。
私は新の腕をつかんだまま、上を見上げた。
世界は、終わらなかった。私も、何も変わらなかった。何もかもを、無責任に、次の瞬間からの私に託す。
この世界も、未来も、当たり前に、輝いた。
※ハッピーエンドで終わらせること!
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