第2話 映画のようにはいかない

「どうするの?大学。」

「いけるところありますか?」

「病院継ぐの?」

「まぁ、それも一応考えてますけど。」

「一応じゃ困るな。お医者さんになるにはまず医学部に行かないとだめだし。ていうか、今の白石の成績だと医学部は正直難しいよ。」

「じゃあいいです。」

「なにが?」

「医者は、諦めます。」

「いや、諦めろって言いたいわけじゃなくて。浪人するのもありだけど、お母さんは現役合格にこだわってらっしゃったでしょ?県内だとこことかもいい学校だし、まぁ医学部は無理だとしても同じ学校の生物学部とか。」


実質諦めろってことだろ。こっちだって成績が足りていないのに医学部行きたいなんて図々しいことは言わない。第一、将来のことなんてあまり考えてこなかったのでよくわからない。でも、大学選びにおいて、一つだけ譲れない条件があった。


「県外がいいんです。」

「どうして?」


一回すべてをリセットしてしまいたいから。なんて、言えるわけがない。


「まぁ、なんとなくです。」

「なんとなくかー。もうそろそろ絞っていかないと。推薦ならライバルの動きも見なくちゃいけないし。」

「はい。オープンキャンパスとか行って、考えます。」


八月早々引退試合に負けたモブキャラから一転、今度は進路が決まらず二者懇談で担任を困らせる受験生に切り替わる。凹んでいる場合じゃない、お前は受験生だろ。という声が聞こえる気がする。現実は鬱陶しいほど早く、強く、私の背中を叩く。高校三年生の夏という肩書が、妙に重くのしかかる。


はぁ。


私は大げさにため息をついた。


「柚希?」


三年生の教室は一列に並んでいる。私が懇談を終えて教室から出ると、隣のクラスの前で主人公が立っている。


「夏実?練習は?」

「午後から。てか、練習午後からなのに懇談のために学校早く来なくちゃいけないとか最悪。」

「私なんかわざわざ懇談のためだけに来たんだよ。」

「それもだるいね。」


良かった。普通に会話できてる。多分。でも、振られた相手と会話しているような居心地の悪さはある。まぁ、実質勝利に振られたのかもしれないけど。って、全然うまくない。


「練習来てよ。」

「ごめん、行きたいんだけどさ。その、勉強とか、あるし。あ、てか、全国もうすぐだね。頑張ってよ。」

「うん。」


顔を見ずに、早歩きで昇降口まで向かう。無神経だ、なんで自分が出るわけじゃないのに練習相手にならなくちゃいけないんだ、こっちだって暇じゃない。否定的な思いと同時に湧く、頼ってもらえて嬉しいという気持ちが喧嘩をする。その喧嘩の勝者は、圧倒的に、私を暗い方へと引っ張っていく。


最後の大会から一週間。外はずっと先まで青空が広がって、狂ったように暑い。澄み渡る天気とは裏腹に、寝ても覚めても私の心は全く晴れなかった。引きずってもしょうがない、全国大会に出場する夏実をきちんと応援しなくちゃいけない。そう思えば思うほど、心は逆の方向に向かっていく気がした。


「なんか制服の女の子連れてるって、結構やばくない?」

「まぁ、なんとでも思わせておけばいいじゃん。」

「そりゃそーだけどさ。」


適当に返したけど、変質者だと思われて困るのは新だ。私が決めていいことじゃない。


「兄貴とかに見えるんじゃない?」


と、フォローにもなっていないフォローをする。


「顔似てないけどね。」

「他人の顔なんてそんなまじまじと見ないでしょ。大丈夫だよ。新が思ってるより、人は他人に興味ないから。」

「そういうもん?」

「そういうもん。」


この町にしては大きいショッピングモールの中にある映画館は、夏休みということもあり、たくさんの人で溢れかえっていた。チケットを買うことにも時間がかかり、ショッピングモールに十三時についたのに、十三時十五分から始まるチケットが取れず、やむなく十五時からのチケットを買った。映画が終わった後、感想を話し合うまでもなく、走って駅に向かうバスに乗り込む。


「映画の内容忘れそう。」

「大丈夫。パンフレット買ったから。」

「また見せて。」

「いいよ。」


病院がある元織駅に着くまで、このくらいの会話しかなかった。どうやら、新はこの映画を気に入ったらしい。普段全く洋画を見ない私でも、とても見やすい映画ではあった。

八十歳で生まれたリバース症候群の男が主人公の物語。彼が三十五歳になった時、年下の女性と恋に落ちるが、彼女が未来に向かって歩いていく姿に、自分は彼女を幸せにできない苦しみに主人公は苦悩する。しかし、女性は、どんな姿になっても愛していると約束し、誰が見ても子供と祖母にしか見えないくらいの年の差になったとしても、恋人同士の愛を育み、マイナス一歳になる誕生日、主人公はこの世界からいなくなる。来世でもう一度二人が出会うシーンが最後に描かれている。


「よかったね。気に入ったみたいで。」

「でも結局リバース症候群でも何でもない人が作った映画だけどな。」

「まぁね。」

「所詮、物語だけの話で、俺なら、」


色違いのブロック状に作られた道の同じ色だけを踏むゲームを一人でしている。何気なく会話をしていても気づくほどの意味深な間だった。私はこのゲームを一時中断して、後ろを歩いていた新の方を向く。


「俺なら?」

「いや、なんにも。まぁそんな幸せなことあるかってこと。」

「そういう相手、見つければいいじゃん。」

「元織にいるかなー。」

「もう、病院内で探すしかないんじゃない?」


そんな冗談を漏らして、会話は途切れる。

元織駅から十分くらい、大橋橋という橋を通るとき、毎回と言っていいほど、大橋でよくない?と思うが、私には分からない、造り手のロマンがあるのだろうと勝手に解釈する。人間は、こうして気にはなるが熟考するほどでもないことを独断と偏見で勝手に解釈する節がある。

大橋橋を渡るとすぐ、一週間前に大会があった会場の駐車場が見える。道を挟んだ向かいには、私が高校一年の時にできた真新しい陸上競技場がある。その競技場を見て、新はここに立ち寄りたいと言った。


「なんで?」

「人が走ってるとこ好きで。」

「自分は走るの嫌いなのに?」

「疲れるから。」

「見るのは疲れないね。」

「行こうよ。」


半ば強引に連れていかれる。ていうか、グラウンドに人がいるのかすらも分からないし、それにもし大会があったとしてもとっくに終わっている時間だ。残念無念また来週、新の願いは叶わない。


「たぶん誰もいないか、片づけているかの二択だよ。」

「それがそうでもないんだなー。」


客席に上がっていくと、グラウンドには数十人の生徒と大人たちが見える。大人が手を叩くと、陸上のユニフォームを着た女子生徒三人が走り出した。客席には生徒の親らしき人たちもいる。


「島野高校が合宿に来てるらしい。」

「島高?てなんでそんなこと知ってんの?」

「雪子さんから聞いた。」

「お母さんが?あぁ、患者さんから聞いたんだ。」

「あれ?柚希じゃん!」


こちらがびくつくほどに大きな声で私の名前を呼ぶ。その声には、嫌なほどに聞き覚えがあった。


「おー麻鈴!」

「なんでいるの?久しぶりすぎー!てか彼氏?」


と、これまた大きな声で言う。


「違うよ。普通に友達。今休憩?」

「そう。もうすぐインターハイでさー、皆めっちゃ気合入っててさ!」


まりーん、とグラウンドから声がかかる。


「またね。」

「うん。」


あまりに勢いがよく一瞬の出来事で何が何だかよくわからなかった。私の知り合いと呼べる人たちの中でも群を抜いて麻鈴はうるさい。


「元気な友達だな。」

「勢いすごいよね。」


私たちは同じ方向を向いて呆気に取られていた。


「中学の友達?」

「うーん、敵、かな。」

「え、敵?」

「そう。私いじめられてたから。まぁいじめられてたっていうか、はぶられたりパシリにされたりとか、そんくらいなんだけど。人づてに私の悪口を伝える遊びが流行ったみたい。」

「あくまで自分はやってませんと?」

「そ。くだらないよね。」


いつの日か、謝ってきた時があった。また急なことだった。その時は確か、あぁ、うん、とか、咄嗟に言ったと思う。そこからはやけに馴れ馴れしくなった。


「全くさ、私の青春って何なんだって話だよね。」


輝かしい友情も、胸焦がれるような恋も、青春をかけた部活動の勝利も、大きな夢も特にない。かと言って何もなかったわけでもない。でも、何かを成しえたり、私という人間の大きな誇りとなる成功体験もない。あるのは挫折と、後悔ばっかりだ。だからリセットしてしまいたかった。なにもかも、忘れたふりをして。


「柚の青春は、輝いてるよ。」


私の後ろで、新はそう言った。気づけば、勝手に自分の不甲斐ない今までを見返して、泣きそうになっていた。


「青春時代ってもんがあるわけじゃない。自分が思う、輝く何かを探して、追いかけている時が青春ってことだろ?」

「そんないいもんじゃないよ。」

「気づかないだろうね。追いかけてるうちは。でも、俺には、すげー眩しいんだよ。」


そうなのかな。納得したい、私はこれでいいんだと、自分を認めてやりたい、でもできない。やっぱり私には、何かが足りないんだと思う。


「新は、何を追いかけてるの?」

「うーん、そうだな、終わり、とか?」

「え、なに、中二病?」


柄にもなく新が吐いた冗談を、私は危うく真剣に聞き返すところだった。


「八月三十一日に、この世界は無くなる。」





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