この物語
ねくたい
第1話 ハッピーエンドなんて知らない
たくさんの人が見飽きているであろう物語のハッピーエンド。
でも、一つのハッピーエンドの裏にたくさんのバッドエンドはあることも事実だ。
最終回の終盤で、いい奴ぶって好きな女の子を他の男の元へ送り出すイケメン。
急に勉強のやる気に目覚め、三か月くらいの勉強期間で志望校に受かった奇跡の受験生に枠を取られた、高校三年間を勉強に捧げたはずの眼鏡君。
そして、全国出場者が決まる大会の決勝の舞台で、今まで勝ったことのない因縁の相手に勝ち、称賛を浴びるヒーローの前で立ちすくむ相手選手。
輝かしい青春を見せつける主人公が迎えるハッピーエンド。私はまだ、ハッピーエンドを知らない。
私は、中高五年間続けてきた剣道の大会で、決勝どころか準々決勝で負けた、私とは違う主人公のいる物語の女Aなわけで。
そして、この試合が、私の引退試合となった。
最悪にも主人公はうちの学校の子で、今は他の部員が皆してその子を囲んでいる。喜びを分かち合っているのだろう。多分。群がっている子たちは何が嬉しいのか、なぜ笑顔で迎い入れることができるのか。私は皆と少し離れたところでただ、立っていた。
顧問の先生は最後のミーティングで、勝つために努力してきた時間に意味がある、といった。私には意味なんて見いだせなかった。勝利が欲しかった。
優勝した子が大きく頷いているのに腹が立って、早くミーティングが終わることを願った。
「柚希ー、今から打ち上げ行くけど、行くよね?」
「あー、ごめん。病院寄って行かなくちゃいけなくて。」
「そっかー、じゃあまた別の日にしよっか。」
「いいよいいよ。行ってきて。」
「え、先輩来ないんですか?」
「ごめん。まじで気にしないで。行ってきて。写真とか送ってよ。」
「分かった。じゃあめっちゃ送りまくるわ。」
「それはやめて。」
卒業写真の撮影の時のような、無理やりの笑顔を見せる。きっと皆悔しいはずで、それを隠して、最後の時間を楽しく過ごそうとしているのに、私が水を差したくない。いや、違う。
私は最低だった。
今の私に、そんな優しさは微塵もない。楽しそうにしている皆の顔にむかついて、後ろから皆もろとも蹴っ飛ばしてやりたいくらいだ。思い切り剣道ができたことの清々しさとやらも、負けてしまえば何も感じない。後悔はしていない。けど、相手に一本取られた時の忌々しさが、透明な水の中に、絵の具を垂らしたように、頭の中いっぱいに拡がっていく。同時に、自分の性格の悪さに嫌気がさした。
「夏実。」
「ん?」
言葉が思うように外に出ていかなくて、なんでもないとはぐらかしてしまおうと考える前に、言葉が勝手に動く。
「優勝、おめでとう。」
「うん。ありがとう。」
誰にも見えない、自己満足の強がりを吐く。
少し歩いて、誰も見えなくなったところで立ち止まる。熱くなった頭がふわふわして、誰かにゆっくり、強く叩かれているような痛みがある。加えて、真夏の逃げ場のない暑さが、歩く気力を萎えさせた。でも、ここにずっといたら倒れてしまうので、母が働く小さな病院に避難しなければならない。
「柚ー、外暑かったでしょ。」
「死にそう。」
「クーラーの下にいなさい。」
「あー、生き返ったー。」
「おかーさんも休憩。」
全身を包んでしまった汗を機械的な冷風で冷やした後、タオルで拭いてしまえば、体は冷えていくものの、頭の痛みは簡単には消えなかった。受付入り口の前に並べられた長い二つのソファーの片方に寝転がる。
「聞かないんだ。」
「ん?」
「結果。」
「あんたが言ったんでしょ、前に。いい結果だったら自分から話すから、何も言わなかったら聞かないでって。」
「あーね。」
「聞いていいの?」
「聞かないで。」
目から流れ出しそうになった液体を止めるために、右腕で顔を覆う。
「お疲れ様。」
私の頭を乱暴に撫でた後、誰かに呼ばれて行ってしまった。上体を起こして髪の毛を整える。頭のてっぺんにおもりを乗せられている感覚が離れず、もう一度頭からソファーに落ちる。少し破れた革の感触は冷たくて、少し気持ちがいい。
本当に疲れた。痛くて、苦しい。やり場のない心の声を、自分の中に落とし込む。それを拒否したとしても、どこまでもついてくる。一つ、ため息をつく。そのまま寝落ちして、多分一時間くらいがたった。大きな窓が連なって壁になって、赤白い光の波を病院内に伝えている。
私は、ある人がいる病室に向かった。
ガラガラ_。
すぐこちらに気づいて、読んでいた本を横に置く。
「よう。新作?」
「今日はない。」
「あの場面から全然進んでないんだな。」
「うるさい。別に、今日は、まぁ、暇を持て余した末に来ただけ。」
予定がなくなって暇になった。これは嘘ではない。
十三号室の九野新(くのあらた)。いつの日かここに来て、月一度の外出以外はここにいるらしい暇人。そして、私が書く小説の唯一の読者で、うるさい批評家だ。
そんな彼は不思議な不治の病を患っている。
「もうすぐ誕生日だね。」
「もうすぐでもないだろ。」
彼は、誕生日を迎えるごとに若くなっていく『リバース症候群』という病気だ。
まぁ、勝手に自分でつけた名前らしいけど。
「八月三十一日で同い年だね。」
「だいぶ年上。敬え。」
「敬われることしてください。」
「例えば?」
「例えば、」
今の私を、私の気持ちを、どうにかしてほしい。そんなことを言ったら、新は私にどのような言葉を返すだろう。
「何か奢ってくれるとか?」
「やだよ。」
「けちかよ。」
「ていうか、大会どうだったの?あ、待って。優勝してたら何か奢ってやろう。」
言葉に期待が含まれていることに腹が立った。あぁ、ぶん殴ってやりたい。
「残念。負けました。」
「なんか、ごめん。」
「うん、大丈夫。」
猫背で背中が丸まって、少し前に出た肩に手を乗せる。私はすぐに払いのけた。
「今度の外出の時、どっか行く?」
「行かない。行くわけない。」
、、、、、、。
「そう。」
新は、空気の読める優しい人間だということに気づかされる。きっと世界一ひねくれているであろう今の私には、その優しさが頭痛をさらに悪化させる原因になった。
「やっぱ行く。」
うつむきがちな私に、新はいつものぞき込んで、いたずらっ子みたいに笑う。
「その日、気が向いたら。」
「出た、いつものやつ。じゃあ、気が向いたらどこ行こうか?」
「てきとーに新が行きたいところでいいよ。」
月に一度しか外出できなくなったのは、ここ最近、半年くらい前のことだ。理由は知らないけど、新は別に気にしていないらしかった。
「俺は、」
言葉を発しようとして自制する。
「いや、俺はどこでも。」
「あ、そういえば、最近新の映画やってるよ。」
「え、俺の映画?」
「リバース症候群の人の映画。」
「フィクションでしょ?」
「まぁそうだけど。」
リバース症候群は、まだ前例のない病気で、おじいちゃんも、亡くなったおばあちゃんも、お父さんも、お母さんも、大学院に進学したお兄ちゃんも、海外の論文や似た症例を探してみても、なにもリバース症候群に繋がるものは見つからないらしい。いつか、お母さんが新に謝っているのを見たことがある。その時、新は
俺、幸せですよ。
と柔らかく笑っていたことがずっと忘れられずにいた。
「じゃあ気が向いたらその映画見にいこっか。」
「気が向いたらね。」
「はいはい、向くといいね。」
「そうだね。」
外は暗くなることを恐れているかのように、頑なに夕方色に染まっていた。ここは、白石病院を出るとすぐに森が見える程の田舎で、映画館に行くには二駅先の町まで行って、更にバスで向かわなければならない。ポケットからスマホを取り出す。洋画、『奇特な道』のホームページから、映画館とは逆の方向に帰るため、電車の時間を調べようとホーム画面に戻す。
「まじか。」
緑色に目立つLINEのアイコンの右上が、赤く、百三というメッセージ数を表していた。
どうやら涙は溢れないものらしい。泣いてもいい時だと自分に許可を出した時に限って壁を越えない。妙にむしゃくしゃして、意識的に頭をかく。
「なんなんだよ。」
とか言ってみる。案の定この世界は何も変わらなくて、私はこんなにもつらいのにとか悲劇のヒロインのような言葉を付け足す。
「気色悪。」
そうだ。私は私が許せないんだ。自分という存在が気持ち悪くて、しんどくて、許せない。青春を剣道に捧げてきたのに、報われなかったかわいそうな自分として、ちゃんと私は主人公だったと言い聞かせていた。でも違った。
そんなの、自覚なんてしたくなかったのに。
自分が消えてなくなってしまいそうだった。
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