第27話 修羅

 中根を見るなり俺はすぐに皿を置いて手を拭き、彼女の背中を押して二人で玄関の外に出た。




 「ひどぉ~い。あたしせっかく来たのにぃ~」




 「冗談じゃない。一体どういうつもりだ?」




 言うと、中根の顔が豹変した。




 「紗彩、他の女が居たらキレるって言ったよね?」




 「妹はノーカンだろ」




 「でも義理でしょ?」




 おかしい。こいつは一体なんだ?ひょっとして中根のファンがカメラを持っていて、そこの陰から「ドッキリでした~」なんて言いながら出てくるのか?




 「だったらなんだよ。そうだからってなんで俺はキレられなきゃいけないんだ?」




 「別に、なんで紗彩がキレる理由をいちいち説明しなきゃいけない訳?」




 質問に質問で返すなよ。




 「それは知る権利があるだろ。第一そうしないと解決もしてやれない」




 聞いて、中根は俯くと「……そうやって」と呟いた。




 「なあ、何か悪い事したなら謝るから頼むよ。教えてくれ」




 「謝るって、謝ってどうにかなる話なら紗彩だってキレないっつーの!」




 中根が拳を振り上げる。喰らった方がいいだろうか。刹那の思考の中、不意に玄関の扉が開いた。




 「……とりあえず中で話したらどうでしょうか?」




 笑っている。恐ろしい笑顔だ。まともに見れないが夢子……本当に夢子なのか?自信がない。




 「そうですね。あたしも入れて欲しいですぅ~」




 サファリパークに素っ裸でに体に生肉を張り付けて丸腰で歩き回るようなもんだ。誰か助けてくれ。




 ……とりあえず、どちらとも目線を合わせないようにして、ケトルで湯を沸かす。




 「紗彩紅茶」




 「私も」




 ひぇ。頼むから喋らないでくれ。やっぱ喋ってくれ、沈黙に耐えられない。




 一体どういうつもりなのだろうか。中根は部屋に別の女を入れたからキレている、でひと先ずいいとして、夢子までキレているのはどういうことなんだ?




 あぁ、このままお湯が一生沸かなければいいのに。




 しかし、無常にもその時は来てしまった。カチッ、というあっという間の音が俺には酷く苦しい。紅茶のカップは俺と夢子の分しかない。中根には俺のモノを使ってもらおう。




 二人分の紅茶を入れて、カップをソーサーに乗せ(普段はそんなことはしない)て二人の前に運んだ。




 「そのカップ、お兄ちゃんのでしょ?」




 「そうです」




 「なんで?」




 なんでって。もう俺が何してもムカつくのでは?




 中根は何も言わずそれに口をつけた。もちろん感想などない。




 「座りなよ」




 「座れば?」




 俺が突っ立っているのを二人が同時に制した。俺は黙って正座になった。




 人は例え自分が何も悪い事をしていなくても、恐ろしいと自然に畏まったり謝ったりしてしまうものなんだな。出来れば昔の俺には、こんなことを知ってほしくないと思う。




 いや、きっと何かしたんだ。そうでなくてはこうはならない。神様……。




 時計の針の音が聞こえる。この手汗の正体はなんだ?そしてこの人たちはどうして互いにスマホを弄っているんだ?




 このままでは埒が明かない。恐ろしいけど、一歩踏み出さなければ。




 「あの、お二人はどういったご用件で、お気を害されていらっしゃるのでしょうか?」




 下を向いたまま訊く。




 「勘違いしてるよ。私は別に怒ってない」




 「紗彩も別に」




 これ知ってる。女の腹の探り合いだ。




 いつだったか、俺は二人が仲良くならないだろうな、と考えたのを思い出した。……というより、別の事を考えて目の前の事から逃げた。




 落ち着け。ここで俺が慌てるわけにはいかない。どうにかしないと。




 「まずは互いに自己紹介から始めるのがいいと思うんです」




 沈黙。少し後、ちゃぶ台の上にスマホが置かれる音がした。




 「中根紗彩。文也の主人」




 意外にも、先手を打ったのは中根だった。




 「待て待て。主従関係を結んだつもりはない」




 やった事と言えば講義の代返くらいだ。




 「お兄ちゃん、そういうのが好きなの?」




 その顔を見ると、引いているというよりは若干悲しそうに見えた。違う。お兄ちゃんそんなことない。




 「まあ文也は紗彩の言うこと何でも聞いてくれるし」




 「私の言うことだって聞いてくれるよ、ね?」




 言葉にならない。俺はため息を吐いて二人の顔を見た。




 「あのさ、いい加減にしようや。このままじゃ一生終わらないだろ」




 姿勢を胡坐に変えて俺は言った。もう開き直るしかない。




 「中根、スマホいじりに来たわけじゃないだろ?ここお前んちから結構遠いぞ」




 そういうと、観念したのかようやくまともなことを言った。




 「そんなマジにならないでよ。文也が妹と同棲してるっていうから、ちょっとからかいにきただけ。思ったより面白い反応するから調子乗っちゃったの。……悪かった」




 弱気を見せた俺のせいということなのだろうか。続いて夢子に向き直る。




 「夢子、なんでキレてたんだ?」




 そういうと、彼女は膝を抱いてそっぽを向いてしまった。こうなってしまってはもう喋らない。これ以上問詰めるようなことは出来ない。




 「……そういうことだ。中根、悪いけど今日は帰ってくれ。夢子のことはまたそのうち紹介する」




 「わかった」




 「駅まで送るよ」




 立ち上がって中根を外へ誘う。一瞬、中根が夢子の事を見た。俺にはそれが、まるで人が持っているおもちゃを羨む子供のように見えた。




 ……少し冷える。片田舎らしく虫の声が町に響いている。どこかしおらしい中根を見て、今度は申し訳なさが込み上げてしまった。




 「俺のせいか?」




 そう訊くしかなかった。




 「……そう。文也のせい」




 だがそれは、謝ってどうにかならないこと。だから、俺は初めて謝らなかった。その代わりに、何を言うべきか考えていると、再び中根が口を開いた。




 「優しくするとさ、向こうから勝手に惚れてくれるから楽でいいよね」




 ……。




 「じゃあね。バーベキュー、楽しみにしてる」




 そういうと、中根は手を振って駅の中へ吸い込まれていった。いつの間にか、ここまで来ていたようだ。




 もしやり直せるとして、俺は別のやり方を思いつくだろうか。とても、そうは思えなかった。

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