第28話 友情

 家に戻ると、夢子がベッドに座って足をぶらぶらと振っていた。




 「おかえり」




 返事をして、夢子の隣に座った。俺が座ることでベッドが沈むと夢子がこちらに傾いて肩をぶつけ、そのまま離れない。




 「お兄ちゃんはさ、夢子だけに優しい訳じゃないんだよね」




 前を向いたまま夢子は言う。




 果たして、夢子は夢子だけに優しい俺のことを今と同じように思ってくれるだろうか。




 そんな事を考えていると、彼女は更に言葉を紡ぐ。




 「バーベキュー、紗彩さんも行くんだよね」




 「あぁ、そうだな」




 「それじゃ私も行く。お兄ちゃんの事、取られちゃうもん」




 そういって、夢子は逃げるようにシャワールームへ向かった。




 ……その夜、初めて中根に呼ばれた日の事を思い出した。




 ―――紗彩は悪くないよね?




 あの時、こいつはなんて自分に自信のない奴なのだろうかと思った。脆くて、誰かに支えてもらわなければ倒れてしまいそうで、その癖に支えようとする者を突き放す矛盾を抱えているからだ。




 だから、俺にとって中根紗彩とは同じ欠点を持った仲間の筈だった。俺は食べ物で、彼女は男で欠け落ちた心の隙間を埋めてその形を保っていたのだ。




 しかし俺の空腹は治まり、中根は男遊びを止めると言った。その理由は当然、心の隙間が埋まったからなのだろう。それならば、俺や彼女の隙間を埋めたモノは一体なんだ?……考えるまでもない。優しさだ。




 穴を埋めたモノを優しさと呼ぶのなら、優しさとはつまり心なのだろう。




 ……それなら、心が満たされた俺と中根の関係は一体なんだろうか。俺は、その答えが欲しかった。




✕ ✕ ✕




 夢子は思った以上にサークルの雰囲気に溶け込んでいた。周りのメンバーが温かく迎えてくれたのが大きい。




 今でも男を信じられないのだろうか。もしそうだとすれば、今日連れてきて本当に良かったと思う。なぜなら、彼らと話す夢子は笑っていたからだ。後で、嘗て持っていた猜疑心の程を確認してみよう。 




 「いい子だな。夢子ちゃん」




 コンロのガスボンベを取り換えていると、トラがビールとコーラ持って俺のところへ来た。




 「ああ。俺もそう思う」




 コーラを受け取り、プルタブを引いた。車があるからな。




 「お疲れさん。お前ずっと働いてて疲れただろ」




 トラはベンチ型のアウトドアチェアに座って、話を続けた。




 「中根なんかあいつ一切仕事しないで食って飲んでるぞ。少し見習ってみたらどうだ?」




 彼女は本当に本性を隠さずにここに来た。俺は正直、少しは躊躇するんじゃないかと思っていたのだが全くそんなことはなかった。さすがだ。ちなみにトラはそれを見て「あの方がいいよな」などと言っていた。




 「そうだな。ただ最近は人の役に立つのを楽しんでる節もあるんだ。だから大丈夫」




 言うと、トラは少し驚いたような表情を浮かべる。




 「薄々気が付いてはいたけど、大学生になってからまた変わったよな」




 「そうか?」




 「前のフミはなんていうか、行動に感情がなかった。その場面の幸せの最大公約数を追求して、考えた事をただ実行してるって感じだ。でも最近のお前は迷ったり怖がったり、そういう人間らしさが出てきた。結局その為に動いてるのは変わんねえけど、俺はやっぱりそういう本人の過程とかも大切だと思ってんだよ」




 何か恥ずかしい。人に褒められるとむず痒く感じる。




 「お前は人を良く見てるな」




 「まあお前のことだからな。そりゃ気にもなる」




 言って、トラはビールを飲み干した。




 夢子を抱きしめたあの夜以来、俺が夢子に触れることを躊躇う様になったのはきっとそういうことなのだろう。思考の中にノイズが混じったように感じていたのは確かだ。その正体を、トラが教えてくれた。




 その後もしばらく二人で話していたが、そのうちに新しいメンバーがやってきた。




 「那子さん!」




 こちらへ向かってくる一人に声を掛け、トラは立ち上がった。




 「わり、ちょっと行ってくる。後で紹介するよ」




 そういってトラは那子と呼んだ女性の元へ向かった。ははーん。さては、この前の電話の主はあの人だな?




 見る限り年上のようだ。ここにいるということは大学生なのだろう。凛とした雰囲気の超弩級の美人だ。




 「お兄ちゃん」




 入れ替わりで夢子がやってきた。先ほどまでトラがいた場所に彼女が座る。




 「どうだ?楽しめてるか?」




 「うん、すっごく楽しいよ。みんな優しいし」




 そういって笑った。




 「男の見方、少しは変わったか?」




 迷ったような表情。




 「……そういえば、楽しくてそういうの意識してなかったかも」




 「そうか。それならよかった」




 本当に良かった。これをきっかけに再び信じられるようになって欲しいと、心から思う。




 「ところでさ、あの人理子のお姉さんだよ。知ってる?」




 「知らない。どの人?」




 「今虎緒さんと話してる人」




 言われて二人の方を見る。なるほど、言われてみれば確かに理子(妹と呼ぶのもなんなので、名前の方がいいだろう)とよく似ている。それに那子という名前も二人合わせると姉妹らしさがある。




 何となく観察をしていると、ふと喫茶店で見せたトラの切ない表情と叶わない恋という言葉を思い出した。




 しかし、俺は今のトラの姿が答えを欲しがっていないようには全く見えなかった。

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