第6話 真理

 それだからだろう。次の日目が覚めると、異常に腹が減っていた。




 一昨日、冷蔵庫に突っ込んだチキンとポテトをレンジで温め、湯を沸かす。お湯が沸く前にチキンが温まったから、そのまま平らげてしまった。指がスパイスでべっとべとだったが、そんなことはお構いなしだ。目の前にあった食パン三枚を牛乳で流し込み、カップ麺二つに湯を注いだ。




 待っている間、残りのポテトとトマトを二つにスナック菓子一袋、キュウリ一本とオレンジジュースを一本飲み干した。三分経つと、まずカップヌードルを食べ、その二分後に大盛りのカップうどん(あげが二枚のバージョン)を胃の中に入れる。最後に未開封だった牛乳を飲み干して、ようやく腹の虫がおさまった。




 冷静になってこれは確実に夢子に怒られると思ったが、気づいたときにはもう遅い。せめてもの償いにと、バイトに行く前に洗濯と掃除機をかけておいた。




 いつも通りバッソルにまたがってバイト先へ向かう。今日もいつもと変わりなく、かなり忙しかった。




 アルバイトを終えたのはまたしても十九時頃。いい加減、残業の安請け合いもやめなければいけないな。




 玄関に入ると、見慣れない靴が二足置かれていた。リビングからは賑やかな話し声。どうやら、夢子の友達が来ているようだ。




 俺は家に入ると、なるべく音をたてないよう静かに階段を上がった。自室に戻ってようやく一息つくと、バイトで使った制服を部屋の隅に投げて、持って帰ってきたポテトとチキンを食べた。




 油の乗った皮の部分を堪能していると、突然部屋の扉が開いた。夢子だ。




 「やっぱいるんじゃん。どうして引きこもってるの?」




 どうやら男心が分からないらしい。




 「逆に聞きたいんだが、仮に俺の友人と三人で話しているところに夢子は割り込んでくるのか?」




 「場合による」




 そりゃ何事も場合によるだろう。




 「とにかく、お兄ちゃんのご飯も作ったんだから早く降りてきてよね」




 どうやらそういう事らしい。食べた量が少ないと思っていたからそれはうれしい。多少の気まずさは残るが、俺は妹の好意に甘えることにした。




 いつもの短パンではなく、普段履きのジーンズを履いて階段を下りる。




 リビングを開けると、二人の少女が食卓についていた。夢子は人数分の味噌汁を茶碗によそっているところだ。




 俺は盆にそれをのせてそれぞれの場所へ置いた。一瞬、少女の一人と目が合う。俺は軽く会釈をして、席に着いた。




 「はい。それでは食べましょう」




 演技がかった言い方で夢子がそう言った。手を合わせて「いただきます」と発声する。今日のおかずはとんかつとキャベツだった。育ち盛りだからだろうか。夢子の年齢だと女でもカロリーを気にしたりはしないらしい。




 俺が常識の範囲に盛ったご飯を見て、夢子は少し驚いたようだ。しかし、自分でも自分の食べる量は異常だと理解しているから、わざわざ他人の前でそれを披露することはない。




 程なくして、二人が自己紹介をしてくれた。




 「初めまして。望月理子です。宜しくお願いします」




 「あたしは真琴。宜しく」




 挨拶のできるいい子たちだった。やはり類は友を呼ぶが如く、夢子の周りには性格のいい似たような友達が集まるのだろう。兄として、それはとてもありがたいことであった。




 「夢子の兄です。いつも妹と遊んでくれてありがとう」




 きっと不自然な笑顔であっただろうが、それは仕方ない。モテない男は基本的に笑顔が苦手なのだ。俺も例に漏れずその通りでなのだ。




 「いえいえ、こちらこそありがとうございます」




 望月が答える。髪の毛は黒いショートカット、かなりの小顔だった。椅子に座るその姿勢の良さとウェストの細さから、何かの競技者なのではないかと考える。




 一方、真琴と名乗った少女は二人と比べるとやや気の強そうな雰囲気を持っている。暗めの金髪に、ヤンキー的な匂いを感じた。しかし、それにしては可愛らしいヘアピンを付けている。




 特筆すべきは、この場にいる三人が三人ともとびきりの美少女であることだろう。聞く人が聞けば血涙を流してうらやみそうなこの状況だが、俺には眩しすぎてなんだか居心地が悪かった。肩をすぼめてなるべく体を小さくすると、三人の会話をなんとなく聞きながらとんかつをかじった。



 盗み聞きしていると(人聞きが悪いが、他に正しい言い方が見当たらなかった)、どうやら三人の共通点は吹奏楽部のメンバーであるという事と、三人そろって同じ高校へ進学したという事だった。夢子の進学先は県内でもトップの有名校であるから、望月と真琴もかなり成績がいいことになる。




 若者特有の支離滅裂な言葉使いが彼女たちにはない。あれはあれで結構好きなのだが、頭のいい彼女たちにそれが当てはまることはなさそうだ。




 まもなく始まる高校生活に思いを馳せて、三人はとても楽しそうに話をしていた。やがて会話は移ろい、恋の話になっていく。




 「真琴って好きな人とかいないの?」




 夢子が訊く。望月はご飯茶碗を置いて少し前のめりになった。どうやらこの手の話が好きなようだ。




 「いないよ。できたことないし」




 「そんなこと言って~、そういえば卒業式の時呼ばれてたよね?どうだった?」




 「別に、断った」




 散っていった戦士に敬礼。




 「結構かっこよかったのに」




 望月が言う。




 「別にイケメンだから好きとか、そういうんじゃないでしょ」




 「それはわかるけど、かっこよくて優しい人だっているでしょ?」




 「知らない。あたしの周りにはそんな奴いなかった。オラついてるの、ほんとダサい」




 それはきっと、真琴相手だから少しでも強く見せてアピールしたかったんじゃないだろうか。見た目は少しそれっぽいですし。




 「ていうか、理子だって告られてたじゃん。卒業旅行の時」




 卒業旅行か、俺の時は有名なテーマパークだった。だが一緒に見て回る友達がいなくて、一日に四回公演されていたミュージカルと三回あったパレードを全て一人で見た。しかも全部同じ席から。朝から座っていてたから、一番見やすい最高の席だったのを覚えている。




 「あぁ、確かにバス乗る前いなかったよね。あの時?」




 夢子も食いついた。




 「私も断ったよ。だって好きじゃないのに申し訳ないもの」




 かなり大人の意見だと思った。別に勢いに任せて付き合ってしまうのもいいと思うのだが、こうしてしっかり自分の価値を理解している女性は軽率な答えを出さないのだろう。




 人生のパートナーには、互いに自分にはない要素を求めるものだと、とある心理学者が言っていたような気がする。それを考えるのであれば、美男美女が相手に顔を求めないというのは当然のことなのかもしれない。


 しかし、逆説的になんでも持っている(ように見える)この三人には恋人が出来にくいのではないだろうか?皮肉なものだ。




 そういえば俺の母は美人だったし、時子さんも美人だ。父の顔は、俺と似ている。




 ……別に深い意味はない。




 「ところで、お兄さんにはいないんですか?彼女」




 矛先は突然俺に向いた。その流れで行けば次は夢子だったと思うのだが。




 「いや、いないよ」




 「そうなんですね、なんでいないんですか?」




 なんでいないのか、というのは暗に自己分析して聞かせろという事なのだろうか。しかし、ここで皮肉や自虐をするのは明らかに愚策な気がする。というか、俺の浅い考えなどお見通しなのではないだろうか。だから大人しく、これだと思う理由を挙げることにした、




 「人に優しくないからじゃないかな」




 かなり致命的だと思う。俺は人に優しくない。なぜなら……。




 「そんなことない!」




 突然夢子が立ち上がった。望月と真琴は驚いた様子で夢子を見る。妹は真剣な顔で俺を見ていたが、すぐに思い直したのか、座って恥ずかしそうに俯いた。




 ……いつの間にか、二人はにやにやとしている。




 自分に自信があるからなのか、この三人は基本的に保守的な意見を言わない。主張ははっきり、言いたいことを言うようだ。だからこうして衝突してしまうのだろうか。俺に女の子の付き合い方はよくわからなかった。




 そういえば、俺は二人に自分を夢子の兄だと自己紹介したっけ。名前ではなく兄と呼ばせてしまったことに、多少のむず痒さを覚える。




 夢子はまだ俯いているが、果たして今のはそこまで恥ずかしがるようなことだったか?大声を出すことくら誰でもあると思うのだが、思いの外妹は恥ずかしそうだった。




 しかしこうなってしまうと、俺の存在は邪魔でしかない。大人しく残りのごはんとおかずを平らげて御馳走様を言い、皿を片付けてからリビングを出ることにした。




 いてくれて構わないと二人は言っていたが、普通に考えればそうはいかない。丁重に断ることにした。




 「一緒に食事できて楽しかった。夢子もわざわざ俺の分までありがとうな」




 二人が会釈し、夢子はそっぽを向いていた。 




 「それじゃあゆっくりしていってくれ。冷蔵庫や戸棚にあるものは、全て飲み食いして大丈夫だから」




 そういって俺はリビングを出た。

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