第7話 酒乱
なんとなく家にいずらかったから俺はまたロードワークに出る事にした。廊下を歩いている時、リビングの前で微かに俺の事を話しているのが聞こえたが、黙って出ていくことにした。
大量に食事を摂る俺にとって、ロードワークや筋トレは重要なライフワークだった。やめてしまえばたちどころに太ってしまうだろう。別に見た目にこだわりはないのだが、不健康なのはよくないと思っている。だからこそ、運動を続けていられる。
いつものコースを走り終えて家に戻ると、俺は真っ先にシャワーに向かった。リビングの前を通った時、やけに中が盛り上がっているようだった。二人の高い声が廊下にまで響いている。なんなら、シャワーを浴びている間もずっと聞こえていた。……もう一人はどこへ?
脱衣所で体を拭いていると、何故か急に扉が開いた。そちらに目を向けると、夢子が陰から俺を覗いている。俺は何かを隠すわけでもなく、ただ水滴を拭きとって下着を身に着けた。髪の毛は短いから、ドライヤーはしていない。
「この前のお返しだから」
何を言っているんだこいつは。
しかし、何やら様子がおかしい。顔が妙に赤く見える。
「夢子~?お兄さんいたの~?」
向こうから望月の声が聞こえる。さっきよりも、どこか張りのない声だった。
その時、俺に電流が走る。
「あぁ、お前ら酒飲んだのか」
「えへへ」
夢子はふにゃふにゃだった。避けて通ろうとすると、よくわからない言葉を口にした後、肩に寄りかかって壁と自分の体で俺をサンドイッチにしてしまった。
「缶ビールか?それとも父さんのウィスキー?」
「わかんない」
ならば自分で確かめるしかない。夢子を反対側の壁にそっと傾けて、半袖のシャツと短パンを身に着けてからリビングへ向かった。
「あ~、お兄さんだ~」
望月がグラスを片手に俺を出迎えてくれた。部屋の反対に目を向けると、真琴がうなり声をあげてソファに倒れている。どうやらアルコールに適性が無かったらしい。
「おいしかったか?」
置いてあったウェスキーの瓶を持ち上げて望月に訊く。グラスの中を見る限り、どうやらロックかストレートでこいつを飲んだらしい。誰か一人でもハイボールを知っていれば、こうはならなかっただろうに。
「おいしくないで~す~」
そういってへらへら笑った後、彼女はアーモンドチョコをつまんだ。あれは父のモノだ。彼はバーボンをロックで、チョコレートとミックスナッツをつまみに飲むのが好きなのだ。夢子はおそらくそれを真似したのだろう。
三人の代わりに広げられたグラスと瓶とお菓子を片付けていると、夢子が後ろから抱き着いてきた。
「酔ってる」
そうだな。
「酔ってるんだよ~」
わかってるよ。
向き直って、頭を撫でてやった。熱がこもっている。触れている肌からそれが伝わってくる。夢子の心臓の音が高鳴っている。果たしてこいつは何杯飲んだのだろうか。
「あ~、そういうことする~」
言いながら、望月はにやにやしながらこちらを見ていた。俺は不自然な苦笑いを向けた後、夢子を引きずりながらキッチンへ入り、新しいグラスに水を汲んだ。
一つを望月に、一つを真琴に、一つを夢子に。
夕飯の皿がそのままになっていたから、俺はそれを洗うことにした。作業中ずっと夢子は引っ付いていたが、その軽さからあまり気にはならなかった。
洗い終わってからペットボトルのコーラ(当然のように2リットル)とグラスを持ち、テーブルに着いた。夢子は俺の隣に座ったかと思うと、糸が切れたマリオネットのように突っ伏して寝息を立て始めた。
妹の口にその長い髪が入っていたから、それを指先で動かす。唇に触れたとき、夢子は俺の指を舐めた。
一連の流れを見ていた望月は終始にやにやとしていた。ひょっとしてこいつ、趣味が悪いな?
「普段から飲むのか?」
俺が訊く。
「そんなわけないですよ~。今日が初めてです~。でももう高校生なので~」
一応言っておくが、お酒は二十歳になってからだ。高校生から飲んでいいのはオーストリアくらいだ。日本ではだめだぞ。と、口に出すわけではない。
「お兄さんは飲まないんですか~?」
「そりゃ飲まないよ」
というか未成年だし。等とここでいうのはナンセンスなのだろう。
何年か前に一度だけ飲んだことがあったが、俺はラッキーなことにほとんどアルコールが効かない体質だという事が判明した。だからこそ、俺は飲みたいと思ったことが少ない。
「きっと大学でたくさん飲むことになりますよ~。そういう場所って私知ってるんです~」
語尾が伸びるたびに深く息継ぎをしている。俺が思っている以上に酔っているのだろう。
「そうだな、気を付けるよ」
コーラを飲む。シュワシュワと音を立てているのが聞こえる。他に何の音もないからだ。
「布団、準備しておくよ」
俺は立ち上がり、物置として使っている部屋のクローゼットを開け、中から敷布団と毛布を取り出した。夢子の部屋で寝るのだろうから、部屋に持っていってやった方がいいはずだ。無許可で部屋に入るのは忍びないが、この際仕方がない。
ちなみにこの布団、休みに入る前に時子さんが外で干していたのを覚えている。こうなることを夢子が先に伝えておいたのだろう。
夢子の部屋の扉を開く。俺がここに入るのは、実は初めてだ。
この前もらったであろう卒業アルバムが広げられていた。ページは一番後ろ。寄せ書きのように、様々な形の文字でたくさんの前向きな言葉が綴られていた。
……そこって、そうやって使うものだったのか。
寝床を作ると、俺は足早に部屋を出た。
「いたた。頭痛い」
再びリビングに入ると、そのタイミングで真琴が目を覚ましたようだった。片手で頭を押さえでいる。目はほとんど開いていない。
「夢子の部屋に布団敷いておいたから、そこで寝なよ」
「あぁ。ありがと」
軽く右手を挙げると、彼女はそのまま上へ行ってしまった。元居た場所を見ると、空のコップが置いてある。
「じゃあ私も寝ます~」
望月も席を立つ。
「夢子~?行くよ~」
そういうと、望月は突然力尽きたのか、立ち膝をついてテーブルの脚にしがみつき、そのまま眠ってしまった。
「……やれやれ」
まず望月を抱えて、上に運ぶ。あまりこういう事はしたくないのだが、あの状態で朝まで過ごして具合を悪くするよりは余程マシだと思った。
再び夢子の部屋に入ると、真琴が足元に転がっている。下に引いた布団を全て占領する形で眠っていた。
仕方がないから、俺は望月をベッドの上に寝かせて毛布を掛けた。すると、彼女はすぐにそれを蹴飛ばして寝がえりを打った。どうやら寝相は悪いらしい。
さて、夢子はどうしようか。もう妹の部屋に人が眠れるようなスペースは残っていない。ならば仕方ないが、俺のベッドで眠ってもらう事にしよう。
夢子を抱えて、再び階段を上る。自分の部屋に入ってから無香料の消臭剤を適当にベッドの上にかけ、少し叩いてからそこに夢子を寝かせた。
完全に熟睡しているかと思った妹だが、布団をかけたタイミングで目を開けた。
人差し指に、夢子の小指がかかっている。
……。
「おやすみ」
それだけを言って俺は立ち上がり、部屋の電気を消した。
三度下に降り、俺は適当なブランケットを引っ張り出して、ソファの上に寝そべるとそれを被った。
アラームをいつもより早くかける。彼女たちより早く起きられるように。
しかし、それは杞憂であった。なぜなら翌日三人が部屋から出てきたのは、俺が外へ出かけた後のことだったからだ。
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