第9話 珍馬名

東京競馬場のパドックの裏側。

そこには池があり、ちょとした日本庭園の様になっている。

開催日でも、人が少ないこの場所に、毎週集まる3人のおじさんがいる。


今日も3人はいつものように、モニターで競馬を見ている。

スタンドまで行けば、生でレースを観戦できるのに、3人はいつもモニターで見ている。理由はいくつかあるのだが、1番の理由が、単純に人混みが苦手なことだ。

それなら家でテレビを見ながらやっても同じだろうと思うかもしれない。

しかし全く違う。

家でやると、余計なものが多く競馬に集中できない。

テレビをザッピングしたり、ゲームや漫画など、競馬と関係ないものが山ほどある。

しかし、競馬場には競馬を中心に全てが回っている。

子供を遊ばせたり、グルメフェアをやっていたりと誘惑もあるのだが、全ての場所で馬券が買え、競馬を観戦できる。

競馬を中心にして、全てのものがあるため、何かに気を取られてもすぐに競馬に戻ることができる。家とは大違いだ。


「あ〜もうダメだ〜」

レースがスタートした直後、シゲさんの本命が大きく出遅れた。

「今日の馬場じゃあそこからじゃ届かね〜よ!何やってんだ!」

シゲさんの言うように、今日は前が残っている。

前が残ると言うのは、逃げ馬や先行した馬がレースで勝っていると言うことだ。

競馬には馬場バイアスと言うものがあり、その日の馬場状態で前に行く方が有利だったり、後ろからレースを進めた方が有利だったりするのだ。

それ以外にも、内枠が有利だったり、外枠が有利だったりと色々あるのだが、

今日に関していえば、前に行った馬が有利にレースを進めている。

案の定、シゲさんの馬はそのままビリでゴールした。

「次だ次!」

そう言ってシゲさんは競馬新聞を覗き込む。


「シゲさん、祐介さん。今日はあの日ですよ!」

マモルくんが真面目な顔で僕たちを覗き込む。

「あの日って?」

「祐介さん。今日は珍馬名の日です。」

マモルくんの提唱では、年に数回、珍馬名が活躍する日があるのだそうだ。

確かに、不思議なことにちょっとおかしな名前の馬ばかり来る日がたまにあるには

ある。

今日がその日だと言うのだ。

「見てください。1レースを勝ったのがウチノヨメ。3レースを勝ったのがソコントコドウナノ。そして今の5レースを勝ったのが?」

「テンテコマイ。」

「そう!つまり、今日は珍馬名を追っていれば勝てるんですよ!」

マモルくんは自信満々、誇らしげに、ベンチに座っている僕たち2人を見下ろしている。

「そして次のレース見てください。16番。」

「ウシ?」

「シゲさん!こいつが次のウィナーです!」

マモルくんはベンチの上に立ち、さっきよりも高い位置から誇らしげに見下ろしている。

「ほんとかよ?」

「シゲさん。オカルトだけど、絶対にあるんですよ珍馬名の日って。その日はなぜか珍馬名が勝ちやすい日で、珍馬名が不自然に集まるんです。ほらここにも、そしてここにも。」

確かに、他のレースにも結構な数の珍馬名が集まっている。

「カエルにヒツジ?馬になんて名前つけてんだ?」

「こっちにはプルンプルンなんてのもいますよ。シゲさん、祐介さん。今日はこの中から勝ち馬を見つければいいんです。簡単なお仕事ですよ!」

確かに、ふざけた名前がたくさんある。

「馬にウシなんて名前つけるって、どういう神経してんだ?走らないって言ってるようなもんだろ?」

確かに。気になって馬名の由来を調べてみた。

「ウシじゃなくて雨師(うし)だそうです。雨の師。雨を司る神だそうですよ。」

「無理あんだろ〜。母親カウガールだぜ。絶対牛(ぎゅう)の方のウシだろ。」

「それに今日は雨。雨の日のダート戦は、体重の重い馬から買うのが鉄則。

雨を司る神に全てが微笑んでますよ!」

「だとしても、580キロってほぼウシじゃね〜か!」

「ウシだとしてもです!」

マモルくん、牛じゃダメだろ。

「まぁ、ちょっと参考にしてみるか。ここでも勝つなら、今日はマモルに乗ってやるよ。」

「シゲさん。勝ち確ですよ。」

そう言ってマモルくんは、馬券を買いに行ってしまった。

「祐介。よくみたら、ウシもヒツジもカエルも、全て同じ馬主だ。」

「本当ですね。どんな感覚なんでしょうか?」

「金持ちの考えることはわからんな。」

サラブレットは決して安い買い物ではない。そんな高価なものにウシやカエルなんて名前をつけて走らせることにどんな意味があるのだろう?

金持ちだから、馬を買うこと自体、自転車を買うくらいの感覚なのだろうか?

あるいは、そういう感覚がわからないようでは金持ちになれないということなのだろうか?

だとしたら、僕もシゲさんもお金持ちにはなれないのかもしれない。


結局、シゲさんも僕もウシを買うことにした。

買わないと来そうだからという理由だ。

間も無くレースが始まる。

自信満々に「まぁ、みててくださいよ。ウシが競走馬に勝つ瞬間を。」

そういって、マモルくんはベンチの上に立ち胸を張った。


各馬がゲートに収まっていく。

ウシもゆっくりとゲートの収まる。

体制が整って、レースのスタートが切られた。

全馬まずまずのスタート、出遅れはほぼないが・・・ウシがいない!

ウシはどこだ?後方か?

モニターではわからない。今日に限って、なんでモニターで見ているのだ!と思ってしまう。するとアナウンサーが

「おっと、1頭ゲートを出ていません。」

そこに映し出されたのは、ゲートに収まり、レースがスタートしたにもかかわらず、

ゲートの中でおとなしく、足元の芝を食むウシの姿だった。

「ウシ、ゲートから出ていません!」


「やっぱ牛じゃね〜か!!」






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る