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彼女にフラれた。
部活から帰り、氷水に浸かった揖保の糸を啜っていたら届いた一通のメール。携帯はテーブルの端に置いていたからバイブで落っこちてしまった。慌てて拾い上げて中身を確認すると、彼女のイズミから『ごめん』というタイトルの『急で悪いんだけど』から始まり『今までアリガト』で終わるメールが届いていた。要するに『私たち、別れましょ』ってことらしい。
一応『受験勉強に集中したいから』というそれらしい理由もひっついていたけれど、でもぼくは、彼女が元々想いを寄せていたバスケ部の夏目くんが最近別れたらしいことを知っていた。まあそれを追求したところでどうしようもないし、『Re:ごめん』というタイトルで『分かった。今までありがとう。バイバイ』とクールに、あたかもノーダメージであるかのような返信をした。本当は割と傷ついてたし、動揺したんだけれど。
というのも、今日は多摩川で花火大会が行われるその当日だったから。浴衣姿の女の子(それもただの女の子じゃなくて『彼女』だ。なんて甘美な響き!)と花火を見に行ける、と密かに楽しみにしていたのだ。部活の仲間たちにも「俺は今年は彼女と行くわ!」と宣言してしまっている。でももう後には引けず、これでフラれたとバレたらいい笑い者だ。ああ、過去の自分をぶん殴ってやりたい。
多摩川の花火大会。毎年8月の終わりの方の土曜日に川沿いで花火大会が開催される。それなりに規模は大きくて、噂によると千葉とか埼玉とかから来る人もいるらしい。地元民のぼくたちは小学生の頃から、河川敷まで自転車を走らせてはしゃぎ散らす、というのが恒例行事になっていた。
特別花火が好きなわけではないけれど、みんなが浮かれるどんちき騒ぎの中心で、誰よりもぼくたちが一番イベントを楽しんでやる、という気概は大切だった。そうしていると、まるで盛大な花火がぼくたちのためにあがっているみたいだったから。ぼくたちが世界の中心にいるみたいで気持ち良いんだ。花火大会で重要なのは花火そのものじゃない。なにせぼくたちは花火なんてロクに見もしないし。わざわざ会場に集まっても、空なんて見上げずにDSの新作ソフトがどうとかフロンターレがJ1でどこまでやれるかとかの話題に花を咲かせるのが関の山だ。それでも、ぼくたちにとっては夏の最後を彩る欠かせないイベントだった。
そのはずだった。少なくとも、去年までは。
「花火、どうしようかな」
独りごちる。イズミの浴衣姿を拝む予定が、急に宙ぶらりんになったから。
「リンもユウヤも来ないしな……」
倫太と優也。もしも二人がいたなら「フラれたからお前らと一緒だぜ」とでも言えば、笑い飛ばして変に腫れ物に触れるような対応はされないはずだ。こんなことならぼくも同じ塾にすればよかった。夏期講習って言っても、1日くらいどうにかならないのだろうか。だって毎年、楽しかったじゃんか。
初めて花火大会に行ったのは小学三年生の時だったから、今年でもう7年目になる。最初は同じクラスで仲良しの3人だけ。その頃クラスのみんなは大体家族で花火大会に行っていたから、子供だけで行った、というだけでぼくたちはヒーロー扱いだった。家に帰ったらもうめちゃイケが終わっていて「ぼくはこんな遅くまで外で遊んでたんだ」と大人になった気分だったのを覚えている。
「コバ達はいいなあ」「俺も行きたい」と持て囃され、15人くらいの大所帯になったのが4年生の時。その後も、多少のメンバーの増減はあったけれど、台風で中止になった時を除いて毎年花火大会に赴いてはお祭り騒ぎを楽しんでいた。
それが、今年は様子がおかしかった。リンが夏期講習があって今年は行けない、と言い出したのを皮切りに、俺も僕もと次々に仲間が不参加表明をし、結局行くのはぼくを含めて5人だけだという。それも冴えないメンツだった。親友で初期メンバーのリンとユウヤが行けない、というのでなんだか裏切られたみたいな気分になって、その後ぼくもなんとかイズミとのデートの約束を取り付けたのだ。それももう水泡だけど。
思い返してみれば、夏休み前からその兆候はあった気がする。塾だ試験勉強だと付き合いが悪くなって、引退試合も終わってないのに今では3年生の半分くらいは部活にも来ていない。来年は高校がバラバラになるだろうし、みんなで花火大会に行けるのも最後になるかもしれないんだ。なのに、どうして。
夏休みの宿題はとっくに全部終わらせた。今日の試合形式のミニゲームもハットトリックの大活躍だった。それなのに、花火大会で集まれないだけでどうしてこんなに心が晴れないのだろう。何かをやり忘れたみたいな不安が、魚の骨みたいに喉の奥の方に引っかかって取れなかった。
それじゃあどうしようか、と考える。サッカー部の冴えない仲間たちのところへ顔を出す。そんなのは論外。だから、クーラーの効いた快適な部屋で勉強でもしようか、とも思ったけれど、自分の知らないところで花火大会が勝手に始まって勝手に終わる、というのはなんだか許せなかった。ぼくの夏が知らないところで終わってしまうような、夏に置いていかれてしまうような、そんな気がした。それに、家にいても結局プレステに手が伸びるのがオチだろう。何を考えても、心にモヤモヤが溜まっていくばかりだった。
結局、一人で花火を見に行く、という結論に至るまで相当な時間を費やした。理由は単純だ。花火大会に行きさえすれば、少しはこのモヤモヤが晴れてくれると思ったから。
実際、こうして自転車を走らせていると気分は良かった。目先の、手が届く範囲だけれど、何かを求めて行動していたからかな。そうさ、難しいことを考える必要なんてない。花火を見に行くだけさ。
そういえば、花火大会には何度も行ってきたけれど、花火を見に行くのは初めてだった。
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