イオナズン色の空の下で

松田

1ー1

 ぼくの家は山の上の辺りにあったから、多摩川まではいくつかの坂道を下る必要があった。風を切ってクルマを抜き去るのは爽快だけど、下り坂自体はスピードが出過ぎるから常にブレーキができるように気を配って、そしてペダルを漕ぐのは少し勇気がいる。だから、ぼくが一番好きなのは坂を下った後の直線だ。坂道からもらったエネルギーをそのままに、思い切りペダルを漕いでスピードを加速させる。

 土瀝青アスファルトの、湯気みたいな放射熱がぼくのナイキのスニーカーに届くよりも速く。太陽が沈んでいくのと一緒に青みがかった夜が川崎の街を包み込むよりも速く。前輪ブレーキの壊れたママチャリのフレームがギシギシ軋む音よりも速く。今のぼくは誰にも止められない。ゲームで無敵アイテムを手に入れた、みたいなそんな感じ。頭の中でプレステが発する軽快な電子音のBGMが流れていて、うん、今のぼくは無敵だから、ガードレールも、カーブミラーも、軽トラックも、きっと全部吹き飛ばして走り続けるんだ。

 ただ、そんな無敵の時間はそう長くは続かなかった。坂道のエネルギーの余韻が無くなると、頭の中のチップチューンは霧みたいに消えてしまう。耳に入ってくるのは自分自身の息せき切った激しい息遣いと、ぼくを悠々と追い越すクルマたちの駆動音だけで、あんなに軽かったペダルも、まるでギヤが錆びついたみたいに重い。

「だめだ、止まるな……!」

 また、ムリヤリ無敵BGMを鳴らした。こんどはロクヨンのやつ。マリオでもカービィでも、なんでもいい。とにかく、BGMが流れているということは、ぼくは無敵だということだ。つまり、もっと速く走れるし、もっと速く走らなきゃいけない。さっきとはあべこべの理屈で必死にペダルを漕いだ。

 漕がないと。漕ぎ続けないと。夏が、終わってしまう。むせ返るような暑さを、額に滲む汗を、言葉にならないむしゃくしゃを。全部ぜんぶ後ろへ置き去りにして、一心不乱にひたすらにペダルを漕ぐ。

 まだ家を出てから30分も経っていないはずだ。窓から射し込んでいた西日はあんなに眩しかったのに、辺りはだいぶ暗くなってきている。秋の日はつるべ落とし。自転車の右側に落ちる、長く伸びる影が夕闇に溶けていくのを横目に、そんなことわざが頭にちらついた。

 秋。

 ——ああ、夏が終わる。

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