第16話 晴れの下に彼らは 1

「どうなっているんだ!」


 その声は、虚しく響いた。

 聞いた者も、醒めた目付きや、呆れた溜め息や、諦めの沈黙など、反応は様々ではあったが、どれも芳しいものでは無かった。


「何故悪魔がいない! 何があったんだ! 誰も知らないのか!」


 その、冒険者組合における高い地位を持つ人間の言葉は、やはり虚しく、何も反応が無い。


「あの女だ……」


 そうしてしばらく静かになった組合に、誰かの呟きが通る。


「あの女が俺たちの邪魔をしてるんだ……」


 以前に起きた、記憶に新しい、痛ましくおぞましい事件。

 未だその傷が癒えない者が大半で、無事な者も満足に動けないような状況。


 確かに、そう考えてもおかしくは無い。


 その事件を起こした、貴族らしい女が、今の状況を引き起こしているのだ、と。


「おい、滅多なことを言うな。また怪我をしたいのか」


 だがその中でもある程度冷静で、また先の事件に巻き込まれずにいた者は、多少思うところもあるのか、その言葉の主を窘めるように言う。


「あぁ!? お前はあんな目に合ってないから言えるんだろうが! 何もしてねぇのに身体中刻まれてみろ! それとも今からやってやろうか!?」


 そしてその言葉に過剰に反応する、巻き込まれた側の誰か。


「やめろ! 暴れるな!」


 何度目かも分からないほど、近頃荒れている冒険者達の諍いにまた大声を上げる。


「と、ともかく……調査を出す。領主に頼んで細かい状況の割り出しを行う。何が起きたか分かるまで、お前らも大人しくしていろ」


 そうして初めに怒りを撒き散らしていたはずの彼は、どうにか冒険者を落ち着かせ、疲れたように告げる。



「何故、こんなことになったんだ……」


 果たして組合は、貴重な収入源と、そして街の運営に直接関わる冒険者の懐具合がほぼ途切れたこの状況に、思ったよりも遥かに困窮していた。











 ────────────



「と、まぁ今頃こんな感じだろう」


 そんなふうに、シオンさんが言う。

 今日の訓練を始める前のちょっとした時間だった。


「でも、まだ沢山悪魔はいますけど……」


 だけど昨日までにいっぱいの悪魔を倒したからこそ、疑問に感じる。

 組合が困るほど悪魔がいなかったら、私たちも出会うのすら難しいはずだから。


「あぁ、全部纏めてるからな。毎回メイリがそこから連れ出しているだけだ。そもそもお前らで対処できないのはこっちで処理してるしな」


 その口から出たのは、唖然を通り越して気絶しそうになるくらい恐ろしい言葉だった。


「え……、あの。悪魔の保護は禁止されているはずじゃ……」


 だってそれは、国に指定されている中でも特に罰則の厳しい、禁忌と言われるような行為のはずで。


「保護ではないだろう。倒すまで捕まえておくだけだ。ちょっと量が多いだけだな」


 それに、とシオンさんは笑って言う。


「どっちにしても、バレなければ問題ない。そして絶対にバレないからな」


 やっぱり問題ないな、だなんて。


 問題しかない気がするけど、いいのだろうか。

 いいんだろうな。

 だって他の人は誰も気にしてない。

 プリンさんも平然としているし、メイリさんはぼーっとしてるし。

 リデルさんは何も言わずに目を瞑ってるし、シズキくんとスズカちゃんはまだ2人で自主的な訓練をしている。聞いてはいるはずだけど。

 そしてプリンさんが「養殖とかまぁ普通よね」って言ってるけど、悪魔を培養でもしてるのかな。それって保護よりもっと危ない気がするけど。


 とにかく、だから多分、疑問に思うのが間違いなんだろう。

 そうじゃなきゃいけない。



 ────多分。


「────あぁ、いい天気だなぁ」


 空を見上げてシオンさんが言う。

 確かに、よく晴れた気持ちのいい日だ。

 血にまみれて、見える場所のあちこちがえぐれて、戦いの傷跡が残って、悪魔の死体が折り重なってさえいなければ。


 リデルさんが起きて、皆で訓練を始めてから、今日で1週間が経った。





 相変わらず一歩間違えたら死ぬかもしれないような訓練だけど、確かに私たちは強くなっていて。

 前より、それこそ魔導さえ出せなかった時よりも遥かに強く。

 体も隅々まで意識が行き渡って、どこか熱を持ったように軽くて、熱い。


 そうして今日も4人で、危なげなくとは全く言えないほどボロボロになりながら、訓練をこなす。



「────お、来たな」


 そうして終わって、外なのに皆で作ったお風呂に順番に入って。


 お腹いっぱいシオンさんが作ったご飯を食べて、まだ日は沈んでないけど、夜は効率が悪いらしくて。後はもう寝ようかっていう時だった。


「メイリ、人避けを払っておけ。折角来たんだ、歓迎しよう」


 そんな風に言って、シオンさんは相変わらずすごく悪い顔で笑う。


「意外と早かったな。やっぱり隣の街に討伐証明を全部流したのが効いたのかな」


 まさか私たちの知らない所でそんなことまでしていたとは知らなくて。というかたまにプリンさんがおっきな荷物をひょいと持っていなくなるのはそういうことだったんだ。


 多分、来てるっていうのは。朝の話から考えたら、貴族のお使いの人で。


 なんで、そんなに怖くないように笑えるんだろうか。

 偉い人は怖い、なんて当たり前なのに。


「あぁ、楽しみだなぁ」


 なんで、笑ってるんだろう。








「冒険者組合所属、一位冒険者シオンと、その仲間と見えるが宜しいか」


 そんな、まるで騎士みたいな、多分実際に騎士だろうけど。口上を述べて、前に立つ人達が一斉に並ぶ。


 その、見るからにこの街のシンボルは、シオンさんに習って知ったけど、領主の家紋らしい。それを身につけて、両手じゃ足りないくらいの沢山の人を並ばせて、すごく立派な鎧を着た人を見て、


「ど、どうするんですか……? シオンさん」


 さすがにちょっと、ちょっと所じゃないくらいにまずいんじゃないかな、って思って。

 恐る恐る、隣に立って腕を組んでるシオンさんを見上げる。


「だとしたら、何だ?」



 ……うん。何となく想像はしていた。そうなって欲しくはなかったけど。


 なんでこの人、こんなに楽しそうに笑っているんだろう。


 何だもなにも、組合で起きた(起こした)事件とか、悪魔を乱獲、と言っていいか分からないけどとにかく沢山奪って。

 その件と、あと何より貴族の呼び出しを無視して。しかも呼び出された本人じゃなくてシオンさんが勝手に無視させて。


 よくそんな、本当に不思議そうな声で聞けるなって思う。


 騎士さんが持っている剣とか、怖く無いんだろうか。


「シ、シオンさんがいくら強くても……切られたら死んじゃいますよぅ……」


 そしたらやっぱり、シオンさんの返答に騎士さんはちょっと怒ったような目で見てきて。

 本当に怖くなってきて、シオンさんの袖を掴んで見上げる。


「……あのな、ミルミ」


 そっと、私の頭を撫でて、私の方が年上のはずなのにまるで妹を宥めるような優しい顔をして。

 そうして凄く保護者然としたまま、シオンさんは。


「人はな、胴体が離れたくらいじゃすぐには死ねないんだよ」


 全然優しくないことを言う。

 固まる私に構わず続ける。


「そして私ならちょん切れた体くらいはすぐにくっつけることが出来る」


 優しい顔のまま、悪魔のようなことを言う。


「つまり切られても、死なない」


 やっぱり普通じゃなかった。というかそういうことじゃない。

 見上げたまま固まってしまった私に、やっぱりすごく優しい顔のままその手を髪から、頬から、首まで撫でて。


「だから狙うならここだな」


 撫でた手を、そのまま剣のように翳して、私の首元に添える。


「ここなら誰でも一発で死ぬ。ミルミでも殺せる。動いている相手に当てるのは難しいが、たった第2位の風ですっぱりと落とせる」


 優しいまま、まるで指導をするかのように微笑んで告げてくる。


 何故だろう。笑っているのに怖い。怖い顔じゃないのに、怖い。足が震える。


「ちょいちょい。何でミルミちゃんを脅してんの。やるならあっちでしょ。いやあっちにやられても困るけどね?」


 プリンさんの声に、優しい顔のまま、シオンさんは手を下ろす。

 震える足が、体まで伝ってきて、そのままへたり込む。


「……ぁ、ぅ」


「マジビビりじゃん。何でそんな慈悲に溢れた顔で人の殺し方とか教えられんの? 血塗れ聖人かよ。そういや一部で呼ばれてたわ。怖すぎるわ。ミルミちゃーん、大丈夫だから。怖くないから。いや怖いけど大丈夫だから」


 プリンさんが近寄って背中を撫でる。

 けど、震えは中々収まらない。

 優しいシオンさんも、怖いシオンさんも知っていたはずなのに。


 本当に殺すっていう話になると、途端に顔も見れなくなる。

 多分、私はまだ弱い。


「……よろしいかね?」


「いいぞ。むしろ何故早く答えない。お前は賊を相手に事を対話と誠意で納めようとするのか? それなら商人の方が向いてるな。今からでも遅くはない。そうしたらどうだ?」


「いやホントなんで普通の会話でいきなり挑発してんの? 何がしたいの? いや殺したいのか。欲望に正直過ぎるでしょ。強欲かよ」


 シオンさんを待っていた騎士さんの言葉に、すごくおちょくるように答えるシオンさんに、そしてやっぱり口を挟むプリンさんがちょっとおかしくて、震えが少し収まる。


 そして私が落ち着いた分、あっちはそれどころじゃなくなるみたいで。


 シオンさんの言葉に、


「────無礼なっ!」


 並んだ騎士の人達が、一斉に殺気立つ。


「だから、早く答えろ。私がお前らの探してるシオンだ。この後どうするんだ? 何をするんだ? 連れていくのか? それとも切り捨てるのか? 領主の言葉を伝えずにそうするのか? それならお前らも賊と同じだな」


 だけど、シオンさんは変わらない。態度を変えない。


「そうでないならさっさと答えろ。お前らは何をしに来た。何の用だ。この私に、何を求めてるんだ」


「多分(求められてるのは)素直な態度だと思う」


 そしてプリンさんも変わらない。ある意味すごい。

 ちょっと後ろでずっと呆れたようにそれを見てるメイリさんもすごい。


 その更に後ろではスズカちゃんが騒ぎそうになるのを必死に口を止めて抱えてるシズキくんに、やっぱり目を瞑って腕を組んで黙ってるリデルさん。


 この状況は、何なんだろうか。

 全く分からないけど、何故か怖くはない。怖くなくなってきた。


「……っ。領主様がお呼びだ! 疾く着いてまいれ!」


 騎士の人たちがいよいよ剣を抜きそうだったのをひと睨みで止めて、前に立っていた騎士さんがそう告げる。すっごく、憎々しげな目で。


「断る」


 そして、空気が固まる。


「……なんっ」

「と、言いたいところだが、まぁいいだろう」


 騎士さんが口をパクパクして、ちょっと面白い。


「何をしてるんだ。早く行くぞ」


 そんな様子の人達を清々しい程に無視して、シオンさんは街に向かって歩き始める。


 何故か、プリンさんもメイリさんも着いていく。

 そして当たり前のように、私たちもそれに続く。



 なんで、こうなったんだろう。










「少しでも触れたら殺すぞ」


 シオンさんのその言葉は、普通に聞いたら騎士の人達をもっと怒らせる物のはずなのに。


 何故か、というよりは当然のように。

 その言葉に込められた強さがはっきりと感じられて、確かに誰も触れようとはしなかった。


 まるで騎士を従える勇猛な姫のように、シオンさんは騎士達を引き連れて。

 そうして、当然のように、まるで自分がこの家の主だと言わんばかりに、堂々と領主の屋敷に足を踏み入れる。


「え? あの……? え、でも連れてきた……? というか連れてこさせられてる?」


 門を守っていた騎士の人も、シオンさんを見て、あまりの自然さに全然仕事が出来てなくて。

 そして後ろを着いてきている騎士の人達を見て更に混乱して、結局何も言えずに門を開けたのは、本当に不思議な光景だった。

 幻想的というよりかは、非現実的で。




「どこだ」


 屋敷に入ってすぐ、シオンさんの声が響く。


「……は、その」


「お前らの主がいるのは、どこだと聞いている。面倒だからこのまま向かうぞ」


 おかしいな。お客様でも無ければ、屋敷の主人にそのまま向かって行けるような立場でもないはずなのにな。


 だって貴族と会う時は、必ずそれなりに長い時間を客室で待たされて、お茶を何度もおかわりしてやっと、長い廊下を歩き回されてから会えるって。


 そういう風に、シオンさんから聞いたんだけどな。


「その、お待ち頂ければ……」


「こっちか」


 出会った時は、すごくシオンさんを恨むように見てたはずなのに。

 屋敷の中まで着いてきた一番前にいた騎士さんと、あと2人いる騎士さん達は。

 シオンさんの声とか、動きとか、態度とかで。

 段々口数が減っていって。

 街に入る頃には、何だか本当はシオンさんの付き人なんじゃないかってくらいに、大人しくなっていた。

 多分、すっごい偉い人なのかもとか、それか普通に怖くなったんだと思うけど。大体合ってるはず。


「すいません! そちらではないです! あぁ! そこは給仕の娯楽室です! 勘弁してください!」


 シオンさんは多分、分かってて違う方に歩いてる。

 だってこれも前に教えて貰ったから。



「貴族の屋敷を攻める時は、必ずある程度の構造を理解しておけ。現代の建築基準と傾向から見ると、少なくとも入ってすぐの右手側は基本的に使用人のスペースになっている。逃げ込むのも、攻め入るのもここからが一番簡単だな」


 って。

 ちょっとの部分を思い出しても全然普通じゃないんだけど、確かにそう言ってた。


 そして、だから、貴族だったシオンさんなら、入ってすぐに右に歩くなんてことはしないはずで。


「本当に大人しくしてください! 案内します! させてください! だから止まって!」


 多分、これも嫌がらせの一つなんだろうなって思いながら、


「まぁーじでいい性格してんなあいつ」


「レー様のご飯の方が美味しい」

「え? 今の一瞬で厨房から取ってきたの? 勝手に? もしかしてあんたギルマスより頭おかしいんじゃない?」


 呆れたように目を細めてるプリンさんだけど。


 呆れてないで止めて欲しいなと思った。

 あとメイリさんは本当に止めた方がいいと思う。

 給仕服を着た女の人がすっごい驚いた目でこっちを見てるから。







「────君の目的は、なんだね?」


 そうして騎士さんが必死にシオンさんを止めて、何とか説得して。

 だけどシオンさんは止まらなかったから、仕方なく近くにいた使用人さんに伝言を頼んで。

 そのままの足で、私たちは領主の人と出会う。


 出会って、その人は座っていて、しばらくむっつりと黙って。

 目を細めてシオンさんを上から下まで見て。


 それを立ったまま見下ろすようにして、シオンさんもまた見る。

 上も下も観察すらせず、ただ下らない物を見るような目で、眺める。


 少したじろいだように、領主さんが身をぶるりと震わせて。

 そうして一つ咳払いをしてから出た言葉。


 それに対してシオンさんは。


「それはこちらの台詞だろうに。お前こそ、何がしたいんだ?」


 全然、普段と変わらない、とびっきり偉そうな口調で。

 しかも全く答えになってないどころか、その場で問い返すようにして言う。


 おかしい。

 シオンさんに習ったはずの貴族とのやり取りが、今のところ何一つ合っている所がない。

 シオンさんがやっていることは、なんて言うか全部教わったことから真逆な気がする。多分気の所為ではないと思う。


「……なんだと?」


 ピクリ、と領主さんの眉が跳ね上がった。

 やっぱり、間違ってる。


 そんなことをぼんやりと思ったけど。

「ねぇねぇ」


 ちゃんと大人しく着いてきていたはずのスズカちゃんに声を掛けられる。


 そっと隠れるように耳を貸して聞く。


「あの人、変なの」


 こしょこしょと、まるで内緒話を楽しむかのようにすごく笑ってスズカちゃんが続ける。


「髪の毛がね。頭のてっぺんに無いの。なのに横からみょーんって伸ばしてるの。生やしてあげた方がいいのかなぁ?」


 多分、シオンさんの態度よりよっぽどゾッとした。

 なんて恐ろしいことを言うんだろう。


 ちょっと想像すら怖くて、顔を青くしていたら、そのままスズカちゃんがこっそり杖を握りしめていて。


「えぇ~と、髪の毛だからぁ……『ぼーぼーに』」

 慌ててその口を押さえる。


 必死に首を振ってスズカちゃんを止める。

 横を見たらシズキくんがすっごい肩を震わせて笑いを堪えていた。

 止めて欲しい。


 そしてその横でまたいつものようにリデルさんが黙ってる。

 おじさんはむしろ本気で止めるべき立場だと思う。


 ちょっと怒って、リデルさんを睨む。




「聞こえないのか? 耳が悪いのか? 理解が出来ないのか? つまり頭が悪いのか?」


 そんなこっちのやり取りに、絶対聞こえてるはずのシオンさんは表情をひとつも変えずに、領主さんと会話を続けている。やっぱり凄い。隣のプリンさんはちょっと口が引き攣ってるのに。


「頭というか脳が足りない。いや、すまん。髪のことではないぞ。安心しろ」


 表情をひとつも変えずに、続けて出た言葉で。

 本当に、少しの間意識が飛んだ。

 やっぱりシオンさんは凄い。

 でもその凄さは全然凄くない。



「な、な、な……っ」


「また黙る。お前らはいつも黙るな」


 多分それいつも怒らせてるんじゃないかなって思う。

 でもどうやら違うみたいで。


 空気が、変わる。


「もう一度、聞くぞ」


 温度が、下がる。

 息が、詰まる。


 チラリと横を見ると、スズカちゃんもシズキくんもリデルさんに抱きついて震えている。


 たまに見せる、シオンさんの怖い顔。


 今は後ろ姿しか見えないけど、多分、今もその顔で。


「お前は、何がしたいんだ? 私にどうして欲しいんだ? 私に、何を、求めてるんだ?」


 笑ってるんだろう。

 声が楽しそうに弾んでいる。

 それが分かる。


「そして代わりにお前は、何を示せるんだ?」


 それはきっと、


「お前の力か? 命か?」


 本当に、楽しいからなんだろう。






「貴様……っ、私を誰だと思っている!」


 驚くように、引き攣るように震えていた領主さんだけど、

 多分、怒りとか、自尊心の方が勝ったんだろう。

 そんな風に、シオンさんを睨んで言う。


「あぁ……つまらない」


 そして途端、空気が晴れる。

 元に戻る。


「立ち向かう力も無く、ことさらに荒げなければ伝わらない名前を」


 本当に、つまらない顔をしているんだろう。

 そんな声だった。


「今、この場で口にして。どうにかしようとしている」


 淡々と、飽き飽きと、


「何の力も無く、重みもなく。ただの記号のそれを、勘違いして必死に掻き集めて見せびらかす」


 とうとう、溜め息が聞こえた。


「お前程度の力じゃ、その名前は意味を持たないぞ」


 そして、また雰囲気が変わる。

 嗜虐的な、多分また違う笑い方をして。


「お前は、誰なんだ? お前という存在は、何ができるんだ? ヤィントアルの、ミナンデラというお前は」


 なぁ? とシオンさんが嘯く。


「ただのミナンデラが、たったその身一つで、一体何ができるんだ?」


 教えてくれ、とシオンさんが尋ねる。


「────お、お前たち! この狼藉者を拘束しろ!」


「そうだな。それもお前の力だ」


 だけど、足りてないんだよ。


 そんな風に、シオンさんが優しく笑った。











「────なんで、こうなったんだろう……」



 諦めたように、溜息混じりに私は呟く。


 彼女たちと出会う、少し前にも口癖のように同じことを言っていたけど、込められた思いは全然違った。


 だってあの時は、もっと、泣きそうな声だったから。














 指一本で吹き飛ばされて目の前で倒れている騎士さんを見てると、別の意味でちょっと泣きそうにはなるけど。











「さて、殺すか」


 まるで日々こなす日課をやり忘れたように軽く言って、シオンさんが領主さんに手を伸ばす。

 さっきからシオンさんがずっと喋ってて、だけど今の光景が信じられなくて、そして信じたくなくてだと思うけど。

 領主さんは、掛けていたソファから転げ落ちて、腰を抜かしたまま伸びてくる手をただ眺めてる。


「はいすとーっぷ」


 剣を抜いたプリンさんが2人の間にそれを差し込む。


「────ヒ、ヒィッ!」


「いやこっちにビビんないでよ。助けようとしてんのに」


 その、鈍く、だけど鋭く光る剣の輝きにやっと現実に戻ったのか、領主さんが悲鳴を上げる。


「なんだ、またお前は敵になるのか?」


 そしてそんな領主さんから一瞬で興味を失って、シオンさんは剣を持ったままの、だけど全然緊張感のないプリンさんに笑いかける。すごく怖い顔で。


「マジで勘弁。つーかこの人も大したことしてないじゃん。さすがに節操無さすぎじゃない? 殺すまでもないでしょうよ」


 確かに。だってこの人は悪いことをしたと聞いている(というか実際にしている)シオンさんに対して、普通に領主としての制裁をして。

 その後にも謝罪を求めていただけのはずなのに。

 プリンさんの窘めるような言葉に、さすがにシオンさんに対して理不尽だと思う気持ちになってきた。


「お前、それで私が止まると思ってるのか?」


「思ってねーけど止まれって言ってんだよ」


 だけどそれでも不思議そうなシオンさんに、ちょっとイライラしたようにプリンさんが告げる。


「あんたが傍若無人なのは知ってるけど、さすがにやり過ぎ。ミルミちゃん達の立場も考えろよ」


 その言葉で、ちょっとシオンさんがこっちを見て。

 そうして考えるようにして、










「不思議だ。とても不思議だなぁ」


 そしてだけど、


「お前に偉そうに物を言われたことに対する腹立たしさよりも気になって仕方ないんだ。どれだけ考えても私には分からないんだ」


 ちょっと寂しげに笑って、


「何でだ? 何故私がミルミのことを考えてを抑え込まなければいけないんだ? 殺してはダメな理由って何だ? 殺したら何が起こるんだ? それができる力があって、その後を抑える力すらもあって」


 本当に、分からないんだろう。


「何で私が我慢しなきゃいけないんだ? こいつらだって弱い者を痛めつけてきたんだろう? だから今回もそうだと思っていたんだろう? なのに自分が、自分の命が危なくなると何でそれさえ許されるような状況になるんだ?」


 笑ってる。だけど、泣いている。

 プリンさんが、辛そうに見てる。


「誰が許すんだ? 何で許されるんだ? こいつよりも正しいはずの私が、何で間違えているように扱われるんだ? 昔からだ。私はただ自分がそうされたように、そうされないように、敵を殺しているだけなのに」


 私は、弱い。

 弱いから、そうされた側のことはよく分かる。

 だけどシオンさんは、強いのに、そう扱われる。

 それが耐えられなくて立ち向かうと、





「なぁ、教えてくれ。私が、許すべき私が、ただことすら、お前らは許してくれないのか?」


 皆に、止められるんだ。


 笑う。

 シオンさんの笑いがドンドン濃くなっていく。








「お前らは、敵になるのか?」




「あんた……」


「だが、それでいい」


 そんなシオンさんの様子に、プリンさんが耐えられないように声をかけようとして。


 それが、途切れる。


「それが正しい。前に言ったな。見ないように、関わらないように」


 でも、笑いは止まらない。


「突出した異物なんか、まるで無いかのように扱わないと支障が出るんだ。だから抑えようとする。隠すように、見ないように」


 だったら、ずっとシオンさんは。

 もしそうなら、今までも。


「だから私も、お前らを考えない」


 多分、誰も、本当の意味で。

 シオンさんという存在を、知らない。

 理解できない。


 この人は、理解されない。




「私を見ない誰かより、敵の方がいい」


 少しだけ俯いて、呟いたように言ったそれは。

 胸が締め付けられるほどに冷たい声で。

 涙が出そうになるほどに痛々しい言葉で。



 体の底から震えるほどに、低く、おぞましい殺意に溢れていた。





「愛情表現が、殺意と直結している」


 プリンさんがいつか言った言葉の意味を、私は知ろうとしなかった。

 理解できなかった。

 そしてそんなはずはないって、見ようとしなかった。







「あぁ、今日は」


 あぁ、今日は。



「いい天気だなぁ」


 最悪の、日だ。





「これは、無理ね」


 その殺気に、いつもなら軽く文句を言ってシオンさんに向かっていくはずのプリンさんが。

 すごく辛そうに顔を歪めて、何か呟く。


 次の瞬間、プリンさんがいた場所が抉れる。

 抉れて、消える。


「────っ! メイリ! 手伝いなさい!」


 そしていつの間にか別の場所に、私のすぐ近くに移動していたプリンさんが、私と、そしてリデルさんとリデルさんに集まってる2人と、あと何でか領主さんを引っ掴んですごい強い魔力で囲む。


 ギリギリその内側にいたメイリさんが、一瞬だけ。

 俯いて、まだ動こうとしないシオンさんを見て。


 ちょっと、泣きそうになって。だけど頭を振って。


 シオンさんが手をかざして、魔導が出そうになる。

 それを、メイリさんが止める。


 止めた瞬間、プリンさんが唱えていた魔導が発動して。







 私たちは、シオンさんから逃げるように転移した。










 ────────────



「どうしよっか」


 ここがどこかは、はっきりとは分からない。

 けど、多分、凄く遠い。


「メイリはどうする?」


 転移の魔導が発動して、理論上でしかまだ語られていないはずの魔導に驚くよりもまず、シオンさんの事が頭に浮かぶ。


「ん……分からない。でも、レー様のところに行く」


 シオンさんが、分からない。

 だってあの人は、すごく怖くて、すごく優しくて。

 乱暴で、丁寧で、可愛くて、野蛮で。


「まぁーね。このままほっといてどっかに、とはいかないしね。というかまさかあんな地雷があるとはなぁ……」


 私が、分からない。

 あの人にとって、私は弱くて、惨めで。

 なのに、手を差し伸べて、引っ張って、立たせて。


「問題は、こっちかなぁ」


 プリンさんが見てくる。

 だけど、それどころじゃなくて。


「はぁ、どうしよ」

「わ、私は助かったのかね……?」

「そうそう。あたしが助けたのよ。だからちょっと静かにしてて。ホント今大変なんだから、あんたのせいで」




 プリンさんが溜め息を吐いて、そうして皆が黙る。領主さんは黙らされる。

 黙って、静かになって。


 離れた場所の、どこか薄暗い、小さな家で。

 私たちは、身を小さく丸めて。

 まるで先の見えない未来に怯えるように。


 沈黙が、落ちる。












「────俺は、止めに行く」


 しがみついたまま震えて、そして気絶した2人を、リデルさんが寝かせて、戻ってきて、しばらくしてそう告げる。


 私は、黙ったまま。

 プリンさんが、ちょっと目を鋭くする。


「ふぅん? いいの? 多分死ぬけど」

「構わない」


 即答だった。

 すごい勢いで挟まれた言葉に、刺々しかったプリンさんが今度は鼻白む。


「はぁ? こっちは冗談じゃねぇんだぞ?」

「知っている。俺は以前間違えた」


 これだ。

 多分、リデルさんは。

 シオンさんのことを、レレィシフォナ様って呼ぶ。

 それが、理由だ。


 何があったか、知らない。

 だけど、私よりも、シオンさんを知っている。それだけは分かる。


 ずるいなって、思った。







「────私も、行きます」



 だから、顔を上げる。

 上げて、言う。


 シオンさんに、会いに行く。

 知るために、私はそうする。


 だってそれが、シオンさんに教わった。



 冒険者の、姿だから。












 だけど、だから、私はまだ。



 多分、勘違いを、したままだった。


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