第13話 私は、許される 1

 自分の力で出した、自分だけの魔導に感動して、シオンさんも喜んでくれて。


 目が合って、まだ頭がクラクラしていたけど、それも気にならないくらいに笑いあって。


 そうして、倒れそうになるまで魔導を唱えたら。

 今度はまた、手を繋いで。


 その繰り返しをしばらくしてから、


「次は実戦でも1度試してみようか」


 って、シオンさんが言って。

 だから私が、ちょうどいい依頼が無いか組合で確認しようかな、なんて思って。


 思ってしまって。

 シオンさんと別れて、その足で組合に向かう。





「よぉ、無能」


 その足が、止まる。


 咄嗟にいつもみたく顔を伏せるけど、隠しきれなくて、その足が目に入る。


「お前、最近調子良さそうだなぁ」


 また、ニヤニヤしている。

 幻聴じゃない。

 だけど、前ほど胸がモヤモヤしない。


「あぁ? おい。お貴族様に尻尾振ってよぉ」


 シオンさんは貴族じゃないけど、多分それはこの人に関係なくて。


「惨めな体で媚でも売ったのか? おい。何とか言えよ」


 それでもやっぱりまだ怖くて、顔は上げられなくて。


「黙ってんじゃねぇぞ! おい!」


 また、持ち上げられる。


 でも、シオンさんはそんな人じゃないって。

 プリンさんも、メイリさんも、そんな顔で私を見ないって。


 それだけは、許せなくて。


「っ! てめぇ! 誰が誰のこと睨んでんだ! ぶっ殺すぞ!」


 そうしたら、頬を殴られた。

 あっさりと床に打ち付けられて。

 頬が熱い。熱くて、痛い。

 口の中で硬い石のようなものが転がる。

 吐き出す。歯だった。

 血にまみれた歯が床をまた転がる。


 怖い。すっごく、怖い。

 だけどそれ以上に、頬の熱が頭に巡って、許せない。そう思う。


 だからまた、見上げる。

 強く、見つめる。

 もう逃げたくなかったから。

 誰にも、負けたくなかったから。

 シオンさんのお陰で、みんなのおかげで、

 最高の冒険者を、思い出せたから。


「────っ! あぁ!? てめぇ! 本気で殺すぞ!」


 踏まれる。

 何度も踏まれて、そうしてとうとう顔を蹴られて。

 転がる。

 変な音がした。

 肺から空気が漏れる音がする。


 血が吹き出す。


 でもやっぱり、目だけは、逸らさない。


「俺をその目で見るんじゃねぇ! お前は俺らの下だろうが! 殺す! てめぇ殺してやる!」

「お、おい……ホントにやめとけって。死ぬぞそいつ」


 ニヤニヤしてた人がすっごい顔を歪ませて、剣を抜く。

 そうしたら、この前その人に声をかけてた男の人が、また止める。

 だけど、今度はニヤニヤしていない。


 それでも、目は逸らさない。


 いつの間にか、周りの人はいつも私を見る、可哀想な目じゃなくて。

 戸惑ったり、どうしようか悩んだり、

 男の人を止めようとしたりしていて。


 そんな時に、扉が開く。


「あー……疲れた。メイリあんたマジでギルマスに言い付けるからね」


「私は何もしてない。プリンが勝手に罠にハマって落ちただけ」


「あんたが邪魔しなかったら普通に避けてたっつの。マジで痛い目見さすわよ?」


「……ふっ」


「鼻で笑ってんじゃねーよ!」



 そんな風に、まるで今の空気に関係なくて、壊すように、2人の声が響く。


「……ん? 何してんの? ってか……ぁあ? おい、何だこれ」


 プリンさんが、私に気づく。

 倒れた私と、血に濡れた床と、剣を抜いた男の人に。


 また、空気が変わる。

 ビリビリと、震える。

 肌が粟立つ。


「は? んん? え? おい、おいおいおい。お前か? お前がやったのか?」


 いつもの、乱暴だけどちょっと可愛らしい言葉遣いじゃなくて、そんなまるで男の人みたいな風に、プリンさんが言う。


「あ? おい。お前だよ、お前。そこのボーッと突っ立ったままのお前」


 ビリビリした空気を、プリンさんが出して。

 出したまま、男の人に近づく。


 でも、男の人は何も言わない。

 まるでさっきの私みたいに。

 だけど今の私じゃなくて、前の私みたく、震えて。顔を伏せて。


「おい、おい。……聞こえてんのか!? おい! てめぇだっつってんだろ!」


 そのまま、手を握って、男の人を殴った。

 さっきの男の人よりもよっぽど手が早くて、そして男の人の転がり方も早くて。


 怖い。さっきより、怖い。


「メイリ」

「もうやってる」


 気づいたら、血が止まってた。

 気づいたら、体が震えてた。

 顔を、上げる。

 メイリさんが、私に手を向けて、


「治った」


 回復の魔導を、かけていて。


 だけどそれで止まらず、プリンさんはまた男の人に向かって歩く。

 転がって、起き上がれないままの、男の人に。


「てめぇ死にてぇのか? 何してんだ? 何しようとしたんだ? マジで死ぬか?」


 そのまま首を掴んで、持ち上げて。

 この前も思ったけど、体の大きな男の人を、簡単に持ち上げるプリンさんに驚く。

 驚く間もなく、また、音が響く。


 持ち上げた腕を振って、プリンさんが男の人を投げていた。


「あー、マジで殺したい……。いや、待て待て。これじゃギルマスと同じだ。落ち着け私……あーでもやっぱ殺したい! てめぇマジでざけんなよ! おい! 寝てんな!」


 だけど今度は近づかないで、一人で喋る。

 そして私を見て、


「はぁ……大丈夫? ミルミちゃん」


 ちょっとだけため息をついたあと、心配するように言ってくる。

 やっぱり、優しいままで。

 ビリビリは感じなくて。



 でも、それが、悔しい。


 まだ私は、弱いままで。

 守られないと何も出来なくて。

 こうして、心配されて。

 一緒に並んで、立つこともできない。

 悲しくて、泣きそうになる。


「……え!? ミルミちゃん!? 大丈夫!? どっか痛かった!? やっぱあいつ殺す!?」


 違うんだ。

 今はもう痛くない。メイリさんが治してくれたから。

 男の人は、憎くもない。悔しいだけで。


 だけどそれ以上に、自分の無能が、辛い。

 これは、バチなんだと思う。

 勘違いした、バチ。


 黙って、首を振ることでしか意思を伝えられない、弱い私が。

 その弱さが、悔しい。


「……うん。辛いよね」


 そっと、プリンさんが抱きしめてくれる。

 それすら悔しくて、もっと涙が溢れてくる。

 そのまましばらく、組合が静かな空気になる。



「……あー。マジで、どうしよう……。ギルマスにバレたら絶対ヤバいよね、この状況」


 そんな風にプリンさんが呟いて。







「何が、ヤバいんだ?」


「────終わった。無理。あいつ死んだ。あたし知~らない」


 シオンさんの声が、聞こえた。













「なぁ、何がヤバいんだ?」


 見ると、本当に不思議そうにシオンさんがプリンさんに聞いている。


「……あ、大丈夫そう? まだ我慢できてる?」


 その様子に、プリンさんが変な顔で聞き返す。


「何をだ? ミルミが傷ついたことか? 治ったのにか? 望んでるのか? ミルミが?」


 その言葉に、ハッとする。

 だから、口に出す。


「望んでない、です……っ」


「そうだよな。じゃなきゃ違うよな。それが正しいよな」


 うんうんと頷いて、シオンさんが言う。

 やっぱり、シオンさんは分かるんだ。


 分かってくれるんだ。

 嬉しい。だけど、それに応えられる強さが私になくて、やっぱりまだ悔しい。


「良かった……。ミルミちゃんのおかげで何とかなりそう」

「それはそれとしてだ」


 プリンさんがため息と一緒に漏らした言葉は、被さるようにシオンさんから出た声に消える。


「一応、聞いておこう」


「やっぱダメでしたね。知ってた。絶対聞くだけで済まないやつじゃん? そしてごめんミルミちゃん。多分相当絵面ヤバいから見ない方がいいわよ」


 プリンさんから顔を外して、そして組合にいる人達を見回して、シオンさんは一言だけ口にした。

 プリンさんがブツブツ言って、強く抱きしめて、その胸に私を隠す。

 苦しい。


「お前らは、なぜ止めなかった? 見ているだけだったのは、何でだ?」


 ゾッとした。

 ビリビリしない。

 息が、ひゅってなって。

 心臓が、ぎゅってなって。


 そしたらプリンさんが、また強く抱きしめてきて。


「関係ない奴は私の後ろに下がんなさい! 早く! ……早くしろ! 死にてぇのかっ!」


 顔だけ上げて、叫んでる。


「何をしてるんだプリン。関係ない奴なんて、にはいないだろう?」


 息が詰まるのを堪えて、なんとか首を持ち上げて、少しだけ見えるようにする。


 そして、見た。

 見てしまった。


「ここにいて、止めなかった奴は、全員同じだ」


 あぁ、これはバチなんだろう。

 シオンさんが、笑っている。


 その意味を、知っている。


 私が、勘違いしたから。


 シオンさんは、怒ってるんだ。




「もう一度だけ聞こうか」

 シオンさんが手を広げて言う。


「何で、お前らは、動かなかった?」

 ゆっくりと、説き聞かせるように言う。


「お前らはこう考えた」

 ゆっくり、みんなが固まってる所に近づきながら言う。


「いつもやられてるから。どうせあいつだから。────あいつは、弱いから」

 だから、仕方ないんだと、言う。


「仕方ない。仕様がない。だってあいつは、弱いから」

 繰り返して言う。

 でも、どんどん近づく。


「だからお前らは動かない。お前らは奪わず、奪われず。ただの景色としてしか認識しない」

 笑いながら、言う。


「正しいよ。それは正しい」

 笑って、どんどんとそれが深くなって、言う。


「この世の真理だ。力無い者は何も得られない。奪われ、侵され、使われて、全てを無くして」

 もう目の前にいて、そこで立ち止まって言う。


「────だから、お前らは正しい。関わらない。知らない。見ない。聞かない」

 あぁ、魔力が。


「こいつが私のモノだと知っていて、そしてお前らは、そいつを選んだ。私ではなく、その男を恐れて、動かなかった」

 怖い魔力が、湧き上がる。埋まっていく。


「奪う側しか見てこなかったんだろう?」

 笑いが、ちぎれて、裂ける。


「良かったなぁ。これから、今から」


 ────奪われる側を、体験できるぞ。






 そう言って、魔力も裂ける。



「さて……堪能しろ。二度は無いが」


「メイリ!!!」

「無理。私はまだ死にたくない」

 プリンさんの叫びと、メイリさんの首を振った様子が、聞こえて、見える。



 裂けた魔力が、弾ける。


 なぎ倒す。吹き飛ばす。切り裂く。押し潰す。突き刺さる。


 色んな魔力が、形を作って。魔導になって、周りの人に飛んでいく。


「……ぁ……」


 声が震える。怖い。


 潰された人が、叫ぶ。でも止まらない。

 吹き飛んだ人が、目を回す。でもまだ飛んでる。

 打たれて倒れた人が、呻く。でもまたぶつかって転がる。

 切られた人が、血を流す。でもその上からまた切られる。

 刺さった人が、抜こうとする。でもその腕も、刺さって止まる。


「楽しいなぁ。いい経験をしたなぁ」


 シオンさんが、笑っている。でもその魔力は、まだ怒ってる。


「誰も止めないだろう? だって嫌だもんな? 止めたら自分に来るかもしれない。だから関わらない。身をもって経験できるな」


「……あー、予想外。いや良かったけど」

「ん。どうなるかと思った」


 良かった、って、今のどこがいいんだろう。分からない。こんなに怖いのに。


「どうしよ。これ普通に犯罪だと思うの」

「でも、多分レー様あんまし考えてない」

「そういう問題じゃないけど、まぁ……相当我慢してるみたいだし。ついでに死ななそうだし、いいか」


 プリンさんがさっきより随分呆れた口調で言ってる。

 メイリさんがそれに頷いてる。


 こんなに怖くて、みんな血だらけなのに。

 なんでだろう。

 でも、怖いけど、我慢してるって。

 そうやって見ると、確かにシオンさんは。

 笑って、魔導を操って皆を傷つけてるけど。

 まだ、誰も死んでない。


 ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、安心した。


「……ケーキ食べたい」

「さすがにこのタイミングはないわ、あんた」


 でもここまで安心は、まだできないかなぁ。





 だんだんシオンさんの笑い声が大きくなって、笑顔もどんどん濃くなっていって。

 ついでにみんなの怪我もどんどん酷くなっていったけど。

 ボーッとそれを眺めてたら、



「────何をしているっ!」


 そんな声が、聞こえた。


 覚えがある。

 組合の、偉い人の声だ。


「あっちゃ~。タイミング最悪じゃん。空気読めよ」

「ん。これはまずい」


 なのに2人は何も慌ててなくて。


 そして、何よりシオンさんは、


「……」


 偉い人なのに。偉い人の、怒鳴り声なのに。

 全然、全く、これっぽっちも気にしてなくて、どころか無視をして。


 まだ、魔導は飛び交っている。


「おい! そこのお前! 今すぐ止めろ!」


 そしたら偉い人が顔を赤くして、また怒鳴る。


 でもシオンさんは、また無視してる。


「……どうする? 止める? それか黙らせる?」

「んん。見てる。ちょっと面白そう」

「やっぱこいつも大概ヤバかったわ。泣きそう」


 2人はまた、どこかふざけた様に話してる。

 未だに私を抱きしめてるプリンさんに、聞く。


「……どう、しますか」


 プリンさんは困ったような顔で答える。


「んー、ぶっちゃけどうしようもないって言うか、あっち次第というか」


 そうしてモゴモゴと、口の中で何か言う。


「いい加減にしろ! ここがどこか分かってるのか!?」


 でも何を言ったか聞く前に、また怒鳴り声が響く。

 そこで初めて、やっとシオンさんが顔を向ける。


「組合の、待合所だな。それがどうした?」


 笑ってた顔を引っ込めて、無表情で言う。

 また、ちょっと怖い。


「どうしたもこうしたもあるか! お前! こんなことしてタダで済むと思っているのか! 今に警備隊が……ってだから止めろ! 続けるな! 話を聞け!」


 もう顔が真っ赤になってる、偉い人が声を張り上げる。

 最後はちょっと掠れていたけど。


「あっはっは! ツッコンでるし! ウケる!」

「ちょっと面白かった。センスある」


 何でか2人はすごく笑ってる。


「あの、警備隊が来るって……」


 でもその言葉に、私はやっぱり怖くなって。

 腕の中で、プリンさんに言う。


「ん? あぁ、大丈夫。いやホントは全然大丈夫じゃないけど。。安心してなさい」


 でもプリンさんは、やっぱり笑って言う。

 メイリさんも首を振るように頷く。


 だけどシオンさんは、そこでやっと魔力を流すのを止めて、体ごと偉い人に向き直る。


「警備隊が来たら、どうなるんだ? 騎士か? 騎士の次は誰だ? そうなったら、お前はどうするんだ?」


 だけど表情は怖いまま、さっきのことなんて全く悪びれずに、偉い人に聞く。


「な、何を言ってるんだ……? お前、今の状況を分かっているのか!?」


 偉い人は変わらずに怒鳴る。


「んん? おかしいな? それとも私がおかしいのか? お前、今までこいつがどんな扱いを受けても黙ってたんだよな?」


 こいつ、の部分で私を指さしてシオンさんが言う。


「何でだ? それは理由があるのか? 黙っていた理由は何だ? 何で今になって止めるんだ? 同じことをしただけだよな?」


 不思議そうに、聞く。


「……っ! 全然、違うだろう!!!」

「同じだ」


 偉い人の怒鳴り声は、尋ねたはずのシオンさんに止められた。


「同じだろう。強い者が弱い者を虐げて、笑って、それを見てまた笑い物にして。お前らがやったことだ。全く同じだ。そして笑った数だけ、今同じことをされているだけだ」


 多分、笑ってない人も中にはいたと思うけど。

 シオンさんが言いたいのはそういう事じゃないのだろう。


「それをしたら、どうなるんだ? 教えてくれ。そうしたら笑った奴らにもまた同じことをしよう。なぁ、私は、これから、どうなるんだ?」


 そんなことを言う。

 偉い人は、黙ってしまう。

 顔を真っ赤にしたまま、シオンさんを睨んでいる。


 外が、騒がしくなる。


「ギルマスー! 警備隊来たっぽいけど!」

「入れるな。お前のランク見せれば黙るだろう」

「マジか。そういう使い方すんのか」


 だけど、ふわりと腕が離れて、抱きしめられた感触も離れて。

 メイリさんの方に優しく私がどかされて、メイリさんに手を握られて。

 そうした間に、プリンさんが外に出て行く。


 それを見送ったシオンさんが、続ける。


「なぁ。どうなるんだ、これから。タダで済まないんだろう? 本当に分からない。お前がどうやって、そして私に何を為すのか。教えてくれ」


 シオンさんは笑ってない。


「あいつらは許されたんだろう?」


 笑わずに、続ける。


「強いからか? それともミルミが弱いからか?」


 続ける。偉い人は何も言わない。


「それなら、弱いあいつらを自由にしても」


 笑わないまま、言う。


強者は、許されるよな?」



 そうして、ずっと黙ったままの偉い人にため息をついて。


「────帰るぞ」


 シオンさんは、私とメイリさんの手を取って、歩き出す。







「……貴様ら! 本当にタダで済むと思うな! 覚えておけよっ!」


 偉い人の怒鳴り声を、背中に受けながら。



「だから教えてくれって言ってるのになぁ?」


 それをちょっと笑って、シオンさんは私を見る。


 もう、怖くなかった。


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