そうして彼女は目指し進む
第10話 無能。それか、疫病神 1
「分からないな」
手を広げて言う。でも私も分からない。
「分からない。なんでお前はどうにか出来ると思ってたんだ?」
見下ろして言う。多分、出来ないと思う方が変です。
「お前が偉いからか? それは何でだ? 権力があるからか? 力があるからか?」
説き伏せるように言う。なんで説教されてるんだろう。その通りだと思うし。
「力っていうのは、あればあるだけ偉いのか? そうだとしたら何をしても許されるのか?」
倒れる騎士達を見やって言う。思いっきり吹っ飛ばした人の言う言葉ではないと思う。
「お前の持つ力はどこまでのものなんだ? 私を超えているのか? お前の持つ全てをもって、私の力を抑えられるのか?」
権力と、金力と、暴力だと言う。でも誰もこんな少女に力があるなんて思わない。
「答えは、否だ。私の方が強い。お前の全てを足しても、私の持つ力の方が強い。たった指一本で、お前の全てを私は奪うことができる」
それを暴力だけで超えるのだと言う。確かに指一本で実演してはいたけども。
「分からないのか? 貴族なのに? より力を持つ者が偉いんだろう? ならば今この瞬間、この場所では」
お前が弱者だと、言う。
「────偉いのは、私だろう?」
そうだろうか。分からない。
「ん。当然」
「や~っぱ、こうなるよねぇ……」
何でこの人たちは慌ててすらいないんだろう。いや私もだけど。
本当に、分からない。
「────なんで、こうなったんだろう……」
諦めたように、溜息混じりに私は呟く。
彼女たちと出会う、少し前にも口癖のように同じことを言っていたけど、込められた思いは全然違った。
だってあの時は、もっと────
────────────
「なんで、こうなったんだろう」
私の呟きは、降りしきる雨の音に溶ける。
思えば村を出たのが間違いなのだろうか。
それとも村を出て、冒険者に登録したのが悪かったのだろうか。
それとも登録した時、流れる魔力が常人よりも多かったことか。
そこで皆から期待されて、でも私が期待に応えられなかったからなのか。
諦めて帰れば良かったのに、足掻いても足掻いてもダメで、しまいには村が滅んだのがいけなかったのか。
きっと、全てなんだろう。
だからもう、どうしようもなくて。
でも、それでも私はまだ冒険者を続けている。
小さく溜息を吐いて、扉を開ける。
「……チッ」
「おい、疫病神だぜ……」
「やめろって。変に関わるな」
聞こえる喧騒に混じって、私に目を向けた人の目が、蔑んだそれに変わるのを感じる。
多分、これは幻聴だ。
イヤだと思ったことが、そう聞こえてくるんだ。
だけど顔を上げる勇気も無くて、伏せたまま隠れるように、足早に回収部署に向かう。
「よう、疫病神」
運が悪い。
声をかけて来たのは、前に一度チームを組んだ大柄な男性だった。
ニヤニヤと顔を歪めて、私を見下ろす。
その視線に、体が震える。
「お前、まだ冒険者をやってるのか」
黙ったままの私に、そうやって言葉を刃物にしてくる。
「無能のくせに、よく頑張るなぁ」
────無能。
私が一番よく知ってて、でも何も言い返せないその言葉を。彼は吐く。
「やめてやれよ。こいつだって頑張ってるんだから」
横から助けるように男に言った人はでも、やっぱり笑ってる。
「ドブさらいを、か? 街のために偉いこった」
また、遠くから幻聴が聞こえる。
その貧相な体でも売ればドブさらいよりマシなんじゃないか。
ドブよりも死体漁りの方がお似合いだとか。
イヤな笑い方をして、聞こえる。
全部、私の耳に入ってくる。
足を進める。
何も聞こえない。
「無視してんじゃねーぞ! 無能が!」
その声と、首元に圧迫感と、体が浮き上がって、
「無能のくせに生意気だなぁ……! 痛い目見てぇのか! あぁ!?」
「おい、やめとけって。見られてる」
耳が痛い、喉が痛い。
胸の真ん中が、痛い。
だけど体は強ばって動かなくて、
「チッ!」
舌打ちと共に離された手から、ずり落ちるように床に座る。
あぁ、本当に、
なんでこうなったんだろう。
無言のまま換金札を受付に出して、ほんの少しの報酬を貰って、
逃げるように冒険者組合を出て、ご飯を買って、
隠れるように、薄暗い路地に向かう。
お金が無い。稼ぐ力もない。
だから、私は宿にも泊まれない。
ここには、私みたいな人がたくさんいる。
でも、私みたいな無能はいない。
みんな怪我をしたり、仕方なくだったり、小さな子供だったりが、必死に生きようとして、ここにいる。
私には、無い。
だけど、それでもやっぱり、諦めることが出来なくて、
路地の奥まった、生暖かい床に座って、
口の中で、魔導を唱える。
何も出てこない。いつも通り。
また唱える。呼吸が荒くなる。これも、いつも通り。
構わずに唱える。頭がクラクラする。
いつも通り、倒れるように、眠る。
また、明日もドブさらい。いつも通りだ。
匂いだけはやっぱり気になるから、毎日奥の川で水浴びをしている。
この時だけは、汚れを落とすのと一緒に、胸の中にあるグチャグチャしたものも流れる気がする。
すぐに戻るから、この時だけ。
サッパリして、やっぱりボロボロの服を来て、冒険者組合に向かう。
足音を殺して入ると、いつもより少し、明るい感じがした。
賑やかという訳でもなく、照明が強い訳でもなく。
理由はすぐに分かった。聞こえてきた。
凄く強くて、凄く若いチームがこの街に来ているらしい。
みんな女の子で、しかも美人で。
だからみんな、浮かれている。
私とは、違う。
いつも通り、ドブさらいの依頼を取って、また出る。
今日は少し、頑張れた。
いつもやっている、ドブの中でも固くて、重くて、全然取れなくて、こびりついたそれを必死に剥がすだけで終わってしまう作業は。
たまにだけど、柔らかくて、そんなに重くなくて、溝にも全然くっつかない時がある。
そういう時は、ちょっとだけ作業が進んで、ちょっとだけ報酬が増える。
そのちょっと増えたお金で、それでも全然少ないけど、いつも空かせているお腹にちょっとだけご褒美をあげられる。
いつも買う、酸っぱくて、美味しくなくて、硬いけど、お腹にだけは溜まるパンだけじゃなくて、
お肉を使った、でもお肉はほとんど溶けて残ってないドロドロのスープも買える。
体が温まる。
人目につかない所で、食べる。
食べて、また帰って、いつも通り魔導の練習をして、いつも通り進歩がなくて、
いつも通り、眠る。
また、明日もドブさらいだ。
今日も、組合はちょっと浮ついているみたいだった。
そして今日も、ドブは柔らかかった。
ちょっと嬉しくなって、油断して、
ウキウキした気持ちで、組合に戻って。
「なぁ、お前。お前だな」
イヤだな。またなのかな。
体が震える。浮かれていた気持ちが無くなる。
胸の奥がギュッてなる。
「お前、なんで冒険者やってるんだ?」
また、幻聴が聞こえる。
「おい、聞こえてるのか? お前だぞ。そこのお前。無視か? 私を無視するのか? おーい!」
怖い。顔を上げられない。
放っておいてほしい。
何も無い。私には、何も。
からかっても、脅しても、私が貴方に渡せるものも、見せられるものも無い。
なんでだろうな。
「ギルマス、完全にチンピラになってるって……この子完全に怯えてんじゃん。かわいそ~」
また、笑う。
笑い声が聞こえる。
「なんだぁ嬢ちゃんたち。こいつが気になるのか?」
また増えた。一昨日の声だ。無理だ。
ムカムカしたものがせり上がる。
喉から、温かくて、気持ちの悪い物が出そうになる。堪えようとしたけど、無理だった。
「っ、ぅえ……」
「……っ、こいつ、吐きやがった!」
また、笑い声。
本当に、なんでこうなったんだろう。
溶ける、溶ける。溶けてしまう。
痛む胸が、静かになっていく。
「プリン」
「はいはい」
「黙らせろ」
「あーい」
だけど、次の瞬間、元に戻る。
戻る前よりも、静かになってる。
でもまたすぐにうるさくなる。
何か大きな音と、叫び声と、
ちょっとだけ、顔を上げる。
一昨日見た男の人が、ひっくり返ってる。
その上に、その喉に、桃色の髪をした女の人が、足を乗せてる。
「ちょっとみんな静かにしてね。これ以上騒いだら多分死ぬから。マジで」
面倒臭いからもう殺すか、って言ってるし。勘弁してよ。
女の人はそう言ってる。多分、幻聴じゃなければ。
そうして、目の前にいる人を見る。
「やっと見たな? お前だよ。なぁ、もう一度聞くが、なんでお前は、冒険者をやってるんだ?」
ちょっとだけ優しいのかなって思ったけど、でもそんなことは無くて。
すっごく怖い顔で、すっごく可愛い顔を笑うようにして。
でも全然安心できない顔で、その人は、さっきの声の人は。
「気になったんだ。何も出来ないのに、何でだ?」
そんな、いつも聞こえる幻聴より、はっきりとイヤなことを。
だけど、いつも聞こえる幻聴より、優しく聞こえる声で、聞いてくる。
「行くところ無いんならそういうもんじゃないの? たまにいるじゃん、ずっとバイト続けてるような大人」
大きなお肉にかぶりつきながら、桃色の髪の人が言った。
バイトが何かは分からないけど、私には確かに行くところは無い。
「お前は本当に馬鹿だなぁ。あっちと違ってこっちは身分の証明も、住むところもいらないんだぞ? 探せばいくらでもあるに決まってるだろう」
同じように、こっちはスープだけど。飲みながら怖い顔の人が言う。
「……」
何も言わないけど、同じようにすごい量の甘いものを食べ続けてる人がこっちをちょっと見る。
なんで、こうなったんだろう。
私の前にある、いつも食べてるものより随分と高くて、酸っぱくなくて、美味しくて、お腹にもそこそこしか溜まらないパンと、お肉がたくさん入ってて、溶けてなくて、形がはっきりと分かるほど浮かんでいるスープを見て、
やっぱり、私は何も言えない。
「お前が冒険者を続けている、その理由が知りたいんだよ」
その後ろで桃色の髪をした人が、倒れている男の人の首を掴んで、立たせて、何か言って、黙らせて。
でもそんなことまるで起こってないかのように、怖い顔の人がまた私に言う。
幻聴じゃない。
何も言えなくて、固まっていた私のお腹から、大きな音が鳴って、そうして怖い顔をした人の隣にいた、やっぱりちょっと怖い目付きをした、でもどこかぼんやりとしたような女の子が、
「お腹空いた……」
そう言って、怖い顔の人を見た。
そしたら怖い顔の人が、
「ご飯にするか」
って、そう言って、
何故か、私の腕を取って、隣にある酒場に歩いていって。
何故か、一緒に座ってる。
「だからさぁ……ギルマスみたいな完璧超人には分かんないだろうけど、そういう子もいるよって話でしょ? そうよね?」
桃色の人が私に聞いてくる。
多分、この人は優しいんだろう。
私を見る目が、たまに余り物をくれるおばさんに、少しだけ似ている。
勇気を出して、
「……そう、です」
なんとかそれだけ口にする。
でもその言葉に、怖い人はとても変な顔をして、
「違うだろう。その機会はあったはずだ。お前が望んでここから出る機会が。お前を救おうとして声をかけた人間が。全部振り払って、ここにいるんだろう」
そんな風に、私が言った、私自身の行動を強い口調と、言葉で否定してくる。
「とりあえず、食え。これはお前から話を聞く、正式な依頼の、れっきとした報酬だ」
だけど何も言い返せなくてまた黙った私に、今度は優しそうな声でそう言う。
この人は、よく分からない。
怖いのに、優しい感じがして、でもそれがもっと怖い。
それでも、報酬っていう言葉で、私はゆっくりと、パンを取る。
「ほら。
そんな行動の何がおかしいのか、怖い人は嬉しそうに笑う。
それを見て、桃色の人が不貞腐れた顔をする。
「ずっるいわ~。ザ、正論マンって感じ」
「正論かどうかは関係ないだろう。それが動く理由になるかどうかだけだ。それに私は例え国がこうしろと言っても、私が気に入らなかったら絶対やらない」
「ホントそういうとこだからねあんた」
難しい、けど、すごく楽しそうに話す2人と、相変わらず黙ったままずっと食べてる人を見ていると、何故か胸がモヤモヤする。
黙って、パンを食べる。
美味しい。美味しいけど、どこか、何かが、足りない気がした。
羨ましい、って思った。
悔しいって思った。
でも、パンはやっぱり、美味しかった。
「おい、しい」
泣きそうになる、けど、堪える。今度は耐えた。
何でか分からないけど、負けたくないって思った。
「お前はさ、他に行くところが無いんじゃなくて、ここにいようって選んだんだろう? 何にもできなくて、皆に馬鹿にされて、離れられても、ずっと」
また、優しい声だ。
怖い。この人の声は、まるで私のことを全部剥き出しにしてきそうで、怖い。
「それは、何でだ? 冒険者じゃなきゃいけない理由って、なんだ? ドブさらいも、わざわざ組合に行かない方がまだ貰える額も増えるのに、なんで冒険者であろうとするんだ?」
この人は、何がしたいんだろう。
私の何を知って、どうするつもりなんだろう。
私のことが、なんで気になるんだろう。
強ければ。
私に力があれば、こんなことにならなかったのかな。
こんな風に、
放っておいて欲しいのに、
「────
でも私の口から出たのは、そんな言葉だった。
変だ。
おかしい。
いつも言われる。
でも、私はいつも、そう思ってる。
冒険者になりたい。
あの日、あの時憧れた、
最高の、冒険者に。
単純。とても単純な話だ。
たまたま村から離れた小山に入って、そこで迷って、たまたま悪魔に出会って。
そこでたまたま依頼に来てた冒険者が助けてくれた。それだけの話。
でも、悪魔をたった魔導の1つであっさりと凍らせて、
気負いもせずに振り返って、
「大丈夫か?」って言ったその人は、その冒険者は。
私にとって、間違いなく最高の冒険者だった。
だから、私もなりたいって思った。本当に、ただそれだけの話。
「無理だな」
また、否定される。
「お前じゃあ無理だ。今のお前には何も無い。切り開く力も無い。どうにかする術もない。 ずっと、何にも変わらない毎日を過ごして、どうにもならないことを繰り返して、それでも魔導に夢見て、結局変わらない」
また、いつも聞こえる幻聴だ。
お前には無理だ。さっさと諦めろ。
でも、この人の顔は、ひとつも笑ってなくて、
「諦めた方が、いい」
とても真剣な声で、そう言う。
多分、優しいんだろう。
でも、怖い人の声が、さっきまでまるで聞こえなかった喧騒がやっと戻ってきて、それに溶けそうになって。
私は、
「……嫌、です」
絶対に、嫌だ。
怖い。怖いけど、頑張って怖い人を見つめる。見つめて、睨んで、言う。
「────腹いっぱいのご飯と、ぐっすり眠れるフカフカのベッドと、泡だらけになって温まるお湯と、もうちょっと頑張ったらお小遣いが貰える生活は欲しいか?」
また、少し優しく言ってくる。
いきなりで、何をと思う。
だけど、黙って食べてた人が食べるのをやめて、じっとこっちを見てくる。
怖いけど、その言葉に、やっぱり胸がモヤモヤする。
「欲しいなら、諦めろ。私がそれを叶えてやる。私がお前を守ってやる。私がお前に、色んなものをあげよう」
その代わり、と続ける。
「冒険者は、諦めろ」
見られてる。
黙ったまま、観察するようにぼんやりした子が見つめてくる。
さっきまで優しかった桃色の人も見つめてくる。
ドキドキする。
胸が騒がしい。耳もうるさい。
だけど熱くて、何も聞こえない。
とても、魅力的な話なんだろう。
今みたいにお腹を空かせることも、路地で眠ることも、川で水浴びをすることもないんだろう。
そうして多分、甘やかされて、何も出来ないまま、幸せに生きるんだろう。
悔しい、って思った。
だから、それを、口にする。
「嫌です。────絶対に、嫌」
頬が濡れる。
熱い何かが、目から落ちる。
だけどその熱からは逃げたくなくて、やっぱりまた、私は怖い人を見つめて言う。
「あ~あ、泣いちゃった。ギルマスが泣かせた」
桃色の人が言う。怖い人は答える。
「違うな。私の優しさに触れて、美味しい物が食べられて、幸せで、嬉しさが感極まって泣いたんだ。そうだろう?」
違う。そんな訳無い。望んでない。
私はそんなもの、いらない。
だから睨んで、黙る。
何でか、怖い人は優しい雰囲気を消して。
とても、とても嬉しそうに笑う。
「違うよな。悔しいだろう。私が憎いだろう。馬鹿にされるより、避けられるより、安くて不味いご飯を食べるより。何も無いまま優しくされるのが、どこまで行っても悔しいんだろう?」
嬉しそうに続ける。
「お前は弱い。だから優しくされても何も返せない。受け入れるしかない。でもお前は決して受け入れない。ドブに塗れようと、誰に何と言われようと」
悔しい。とても、悔しい。
まるで見透かしたようにいうのが悔しい。
「ほら、私の言った通りだ」
嬉しそうなまま、ぼんやりした人と桃色の人に怖い人が言う。
「ん。びっくり」
ぼんやりした人が答える。
声は変わらないけど、本当に意外そうに。
「分かるんだけど。分かるんだけどさぁ、言い方とかあるじゃん……?」
桃色の人はちょっと嫌そうに、だけど納得しているような声で言う。
「────お前が、自分の力で美味しい物を食べられて、ちゃんと宿にも泊まれて、お湯にも入れて、ついでに魔導も使えるようにしてやる」
また、雰囲気が変わる。
とても、とても怖い顔で言う。
あぁ、やっぱりこの人は、怖い。
「私がお前を、そういう風にしてやる」
だってそんなこと、できっこないのに。
なのに何でか、ドキドキするんだ。
今度は、嫌な感じじゃなくて、でもさっきよりも熱くて、胸の奥が、
痛い。
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