第7話 レレィシフォナは笑わない 1

「討伐隊……ですか?」


 ラダトキィシヤの護衛後、いつも通り鍛錬に精を出そうとしたヘイリシュを、珍しくブララマンが止めて。


「うむ。どうやら上位悪魔が目撃されたらしい」


 下手をしたら国から騎士の出動命令が来るやもしれぬ、というようなことを伝える。


「それはいいのですが……」


 しかしながらヘイリシュは、


「僕、未だに他のシシハリットの自由騎士と話したことすらないんですけど」


 そうなのである。

 当然、討伐「隊」であるからには、それなりの人数でもって連携を取り、連絡を取り、その役割を明確にするのが本来である。

 そしてこれも当たり前ではあるが、地方の中位以下であれば数人程度だが、シシハリットを含む高位貴族はそれなりの人数の自由騎士や魔導師を雇用している。

 その規模は各家の分野にもよるが、少なくともたった片手で足りるだけ、等ということはまず無い。


 しかしながら何であれば正式に雇用されるよりも前から本邸に離れにと出入りし、しかも何を介すことも無く当主やその娘と直接の交流を交わし、ましてや騎士の宿舎や鍛錬場にすら一度も足を運んでいないヘイリシュである。

 それはもう、先に雇用されている「彼ら」からしたら、物珍しく、関わりづらく、そして妬ましい存在であろう。


「それについては、色々と考えてはみる。君の先輩もいるらしいし、そこまで悪いことにはならないはずだ」


 しかしまあ、多少はブララマンにも思うところがあるのか。

 そういうことになった。







 


「上位悪魔だと?」


 そしてそんな話を当然隠すこともなく、彼は足を運んだ先でレレィシフォナに報告する。

 その言を聞きながら、珍しく屋敷の中でお茶の時間を嗜んでいたレレィシフォナはそれを一口含む。


「うーん。そろそろ私もここを出ていくし……、丁度いいのか」


 魔導の証をもう後何週かしたら手に入れて、そして本人の意思が変わらない限り出ていくのは決定事項らしいレレィシフォナはそう呟く。

 ちなみに、ヘイリシュと言えばブララマンからレレィシフォナに着いて行ってもいいとは言われていた。

 言われてはいたが、現時点でかなり前向きにその実力を高め、また彼の本懐は恐らくレレィシフォナとは別にあり、そして騎士としての誇りを天秤にかけた時、果たして着いて行くべきか。

 未だ決められずにいた。

 恐らくその道程は未知なる発見と、新たな出会いと、そうして冒険の憧憬が待っているだろう。つまり楽しそうではある。

 だがそれは自分にとって求めていることなのか。そして何より、

 レレィシフォナに着いて行くという事実そのものに、はっきりと彼は恐怖していた。


 その強さに溺れることはない。彼は先の(見るも無惨にやられた)件以降、レレィシフォナを明確に超えるべき師であり、倒すべき敵(この場合ヘイリシュの意地としての意味である)であると認識していた。

 そして彼女にいたぶられることへの恐怖も、あるにはあるが決意を鈍らせるほどでもない。

 彼にとっての恐怖とは、恐らく何処へ行こうと変わらぬレレィシフォナが絶対に巻き起こす(何なら無理やり引き起こす)騒動によって揺さぶられる彼の騎士としての立場と。そしてヘイリシュより余程好戦的な彼女とその妹(的なメメィディカラ)のおかげでヘイリシュが戦闘の分野で新たな気づきを得る機会が多分に減るだろうことである。


 つまりはまあ、


 ヘイリシュにとって、レレィシフォナは隣に並ぶものでも、守るべきものでもなく。


 どこまでも、相対すべき人物なのであった。

 分かりやすく言うのであれば、好敵手である。


 そんな風に頭を悩ませるヘイリシュではあるが、


「その討伐隊、魔導師も参加するんだよな?」


 レレィシフォナの言葉に意識を現実に戻される。


「……えぇ。恐らく上位悪魔であるからには混成隊になるかと思います」


 そうしてその返答に一つ頷き、


「メイリを魔導師枠としてねじ込むから、連れて行け」


 そんなことを宣う。


 メメィディカラは実質的にレレィシフォナの専属ではあるが、いない者に誰かをつけることは出来ないため、シシハリットの使用人兼魔導師見習いとして登録されている。

 そのため出来ないことはないのだが、


「メイリをですか? 絶対危ないですよ?」


 他の魔導師達が、である。

 何故かと言えば


「頑張る。うぞーむぞーの魔導師を蹴散らして一番取る」


 同じくレレィシフォナと共にお茶(というより菓子)を楽しんでいたメメィディカラは、ムン、と拳を握り気合い十分な様子で。


「蹴散らすとか言ってますし」


 そういう意味である。


 そして何故レレィシフォナはその言葉を聞いて楽しそうに笑うのか。

 褒めるんじゃない。メイリが快楽殺人者になったらどうするんだ。

「いっぱい倒したらご褒美だからな!」じゃない。倒すのは魔導師じゃなくて悪魔だ。


 溜め息をつきつつ、


「他の人と連携取るより先に、メイリを抑えるので苦労しそうだ」


 そんな言葉を飲み込むヘイリシュであった。













 そんな彼らであったが、現在は何故か騎士の鍛錬場で向かい合って剣を合わせていた。


 そしてその様子を見ているのは、


「なぁ」

「おう」

「……俺ら、いらなくない?」

「そうだな……いらないな」


 誰あろう。シシハリットの雇用する、他の自由騎士と、魔導師達である。

 まぁ要するに、隊を組むより先に顔を合わせる機会を得て、ヘイリシュは騎士達に、メメィディカラは魔導師達に。

 やはりと言うべきか、多分に胡乱な目付きをぶつけられ、手っ取り早くその実力を見せて黙らせようとした結果である。

 初めはそれぞれの分野の先達とやる予定ではあったが、メメィディカラの

「雑魚とやってもつまらない」発言により、そして怒りに目を吊り上がらせる魔導師達を見て慌てて取り押さえたヘイリシュへの八つ当たりにより、こうして2人はいつもの鍛錬より多分に過激な戦いを見せることになった。


 その、互いに一瞬で立っている場所を入れ替え、魔導の発現を感知するよりも早く顕現させ、それを当然のように避け、打ち消し、そしてまた打ち合い、揃ってともすれば狂気に犯されたと思うほどの笑顔で戦う2人の様子に、既に彼らは精神的に追いやられていた。

 明らかに人外と言える2人の動きにしかし、魔導師達は驚きより興奮が勝るらしく、


「すごい……! 無詠唱ですら驚愕なのにそれを同時に幾つも展開してる……!」

 だとか、


「制御と展開速度も凄まじいわ……。低位でも瞬きすら許さない速さだとあそこまで脅威になるのね。あ! 今の見た!? 出した水を動いてる相手の目にぶつけたわよ! ……あれ生活用の第一位魔導よね?」

 だとか、


「思考速度がとんでもないから出来るんだろうな。見ろよ、振りかぶった剣との間に風の魔導を発動させて無理やり軌道を変えてるぞ。しかも合わせて反対側から土弾まで出してる。手足と同じような感覚で出せるまでどれだけの修練をして来たんだ」

 だとか、


 まぁつまり彼らにとって、肩書きだとか位だとか、プライドだとかよりも。

 貴族に雇用されるほどに魔導に傾注している故に、大概がその魔導の仕組むを究明する方が大事であり、またそれをいとも簡単に顕現させる2人は、既に敵ではなかった。


 結果として、最終的に埒があかなくなった(魔導では一歩先を行くものの剣では及ばない)メメィディカラが容赦なく見物者達にそこそこ危険な(普通に死ぬレベルの)魔導を連発して、それを防ぐのに必死なヘイリシュを物理でもって黙らせたその戦いによって、彼らは概ね受け入れられたのである。


ヘイリシュが無様に負けた」

 として、彼がそれなりに必死な思いで守った者達に囲まれてチヤホヤされているメメィディカラを見るのはすこぶる業腹であったが。










「改めて、俺はシシハリットの筆頭自由騎士、アインスだ」


 そうして場が和んだ所で、今回の混成討伐隊が紹介される。


「短い間だが、お前は一応俺の部下って形になる。……嬢ちゃんはあっちだな。ともあれ、よろしく頼む」


 何故か騎士側に立っているメメィディカラに告げて、アインスはヘイリシュに腕を出す。

 その手を軽く握り、ヘイリシュもまた、


「ヘイリシュです。何分部隊で動くのが久々なのでご迷惑をお掛けするかと思いますが、ご指導ご鞭撻の程お願い致します」


 丁寧な言葉を返す。

 そんなレレィシフォナと居る時よりも遥かに騎士然と、そして好青年らしい様子を見てメメィディカラがびっくりしたようにヘイリシュを見上げ、


「……気持ち悪い」


 年頃の男子に何とも残酷な一言をかけて、さっさと魔導師組の方へ歩いていく。


「ヘイリシュと言えば天才中の天才だとか、孤高の騎士だとか聞いていたが、お前も人の子と言うことか。俺の娘も最近では全く近寄ってもくれなくてなぁ」


 そしてしょげたように肩を窄めるヘイリシュを見て、豪快な笑い声とともにアインスがそう励ます。

 どうやら仲良くはなれそうである。


「……はぁ、まあ」


 だがやはりそれなりに可愛がってるつもりだった彼にとっても妹のような者からの一言は、思いのほか攻撃力が高かったらしい。


 そんなこんなでそれなりに友好的な出会いと、そしてシシハリットの名に恥じぬくらいのそれなりに厳しい行軍演習と、皆で取る賑やかな食事によって、2人は部隊に馴染んでいった。



 そうしていよいよ、


「上位悪魔が再度目撃され、冒険者が数名被害にあった。これから隊列を組み、現地へと赴く」


 メメィディカラにとって初の、そしてヘイリシュにとって久々の実戦が近づくのである。








 ────────────



 とまれ、慌ただしくも的確な準備を終え、いざと門をくぐり、街を出て、敵地へと馬車を引いていた彼らであったが。


「他家の騎士、というか部隊は気にしなくていい」


 ということらしい。

 悪魔や喰人の氾濫であったり、戦争であったりなど、とかく人を要するものでもない場合、どちらかというとこういうものは早い者勝ちが基本だ。

 もちろん国から出ている騎士の出動命令とは「取りようによっては」他家と組むように書かれているらしいが、


「逆に言ったら、結果的に他家が間に合わなかった」ということで通ってしまう程度のものなのだという。


 つまりはこういう場合、貴族としての権威やら、領民からの支持やら、そして上位ともなれば馬鹿に出来ない討伐報酬が期待出来るため、やはり貴族らしい何やかんやは当然発生するみたいである。


「なんか、騎士らしくないですね」


 やはり若いヘイリシュは納得がいかないらしく、口を尖らせる。


「まぁな。だが仲良しこよしでやっていたら、後ろからブスリと刺された、なんてことになるよりはマシだろう」


 何であれば、貴族の名を背負う者にとって、蹴落としたい相手の優秀な騎士はいくらでも減らしたいものだろうから。


「……それは、怖いですね」


 想像して、(出来るかどうかはともかく)そんなやり取りに巻き込まれる未来に慄く。


「まぁお前さんはこういう時にしかこっちに関わらないからな。あんまり気にするな」


 どっちにしてもどうせ短い間で他家と連携を組むなど余程でもない限り難しいのだから、と付け加えてアインスは笑う。


 ちなみに、2人とも歩きである。

 魔導師組はやはりと言うべきか基本的に体力が少ないので、馬車に待機しているが、騎士はその足で地面をならすことこそが本懐とされている。


 しかしながら


「だから、そうじゃない。ムムってなったら壊れないようにギューってして、そのまま相手にぶつけるの」


「しかし圧縮する時に漏れないよう周りを固めるのなら、陣を描いて固定しても同じではないか?」


「全然違う。あれは魔導を助けるものじゃなくて、内側の流れをそのまま外で行うための回路だってレー……師匠は言ってた」


「なるほど、外から外、ではなくてあれも手足の一部と捉えるべきなのか……。参考になるな」


 お前は絶対こっちだろう、と、やたら楽しそうに魔導師達と語り合っているメメィディカラを眺めて思う。


 だがまぁそんなことよりも、


「そろそろですかね?」


 そんなことを言いながら、幌からヒョイと悪戯げな顔を出すその人物に、若干意識が飛びそうになるのを堪えて言う。


「……まだです。だから大人しくしていてください、ラダトキィシヤ様」


 なんで貴女まで来ているんですか────


 出発してしばらくして(当たり前だが)発覚して、最初に出た言葉がやはりまた口をつきそうになる。


 そして笑わないでください、アインス様。

 貴方責任者でしょ。何かあったら首が飛びますよ。


 これもまた最初に言ったが、言われた本人は何が面白いのか笑いながらそのまま行軍を続けてしまったため、彼はまた苦労をより背負うことになるのであった。













 そしてこの時、無理をしてでも彼女を帰すべきだったと、彼は非常に後悔することとなる。








────────────





 基本的に悪魔とはそのままの意であり、「悪意ある魔」もしくは、「悪に呑まれた魔」の総称であり、どこか別の場所からやって来たとか、人の欲を食らうとか、契約に縛られるとかの類ではない。

 純粋な魔が何かしらの要因で澱み、歪み、その影響を含んだ魔力を内包して生まれた種族を指し、人族以外の姿形を有する。

 これは人族の魂に内包される魔力が割合少なく、それ以外で大半が収まっているため、悪意があろうとそれに染まりきることがない故の僥倖であるのだが、これを「人族は選ばれし存在だ」として打ち立てられた宗教やら理念やら、国やらがあったのは過去のことである。

 つまるところ鬼族であったり、魔族であったり、妖精族であったり。果ては精霊であったりなどが、その形だけ同じくして、魂の性質が大きく変わり、「世界に対する悪意」を持った者、ということなのである。

 特徴として、悪意に侵された魂はそれが強ければ強いほど、本来の彼らと真逆のように「文化的」に見える。

 欲と感情の容量を減らして魔力が埋まるのは同じだが、減った分だけ悪意が増え、悪意という一つの根源を強く持つがために、言葉を発し、策を弄し、人を惑わせる。

 全ては、壊すために。

 そうして強い悪意にその身を捧げ、本来なら存在し得無いはずの、額に大きな魔力の結晶と、まるで憎しみを体現するかのように真っ赤な瞳や、上位であれば髪をもって、彼らは悪魔と呼ばれる。







 その悪魔を追わんとする彼らにとって嬉しい誤算は、想像よりもはるかにヘイリシュとメメィディカラが強かったことである。


 そしてその誤算により、上位悪魔でさえも怪我なく討伐できるだろうと考えてしまうのは致し方なかったし、そのためちょっと油断が混じった行軍だったのも否めないし、いくら実力があろうとも雇用主の娘であるラダトキィシヤが同行してるのに誰も咎めなかったのも、まあ仕方がないのかもしれない。

 何故なら彼らならば、実際ラダトキィシヤどころか騎士達すらも守りながら上位悪魔を滅ぼせる力を有していたため、その飛び抜けた実力は、確かに普段の判断力を鈍らせた。

 それだけの実力を、見せてしまっていた。



 そして嬉しくない誤算としては、その守られるべきラダトキィシヤが想像よりも遥かに強かったことである。




 事の起こりは、先行していた部隊からの報告だった。


 曰く、「既に上位悪魔と思しき存在と他家の騎士が会敵している」という内容である。


「ちっ、先を越されたか……。急ぐぞ!」


 そんな風に舌打ち一つ、アインスは本隊をその場へ逸らせる。


 そうして、川を越え、ちょっとした林を抜け、少し開けた谷に辿り着くと、既に状況は逼迫(ひっぱく)していた。


「ほぅ。また餌がやってきたか」


「シシハリットが騎士、アインスだ! 状況を報告しろ!」


 その、悪魔というにはどうにも文明的な出で立ち。仕立てられたような立派な衣服に、真っ直ぐと背を伸ばして立つ姿。明らかに尋常ではない溢れる魔力。

 上位悪魔という存在は、強くその魂を主張するかのように、そこに佇んでいた。

 対するは、満身創痍の状態で大きな盾を構える騎士。

 そしてその後ろに倒れる、数人の騎士と、騎士だったらしき物。

 もはや全滅まで秒読みのその状況に、アインスはしかし悪魔の言葉を無視して冷静に問いかける。



「ラグラグリン家が騎士! フリオだ! 見ての通り押されている!」


 どう見ても押されているどころか壊滅の様相を呈しているが。


 そしてその家名を聞いたアインスが苦みばしった顔で、


「中位貴族がっ、功を焦ったな! 総員! 隊列を組め! 魔導隊! 援護!」


 それでもかの悪魔を打ち倒さんと指示を出す。


 しかしそのアインスの脇を


「すいません、出ます」


 ヘイリシュが、抜ける。

 当初より、自由に動いていいと言われていたために、躊躇いもなく駆ける。


 止まらない。


 倒れた者を目にして。

 焼かれた者を目にして。

 その全身を酷く傷つけながらも、盾を構える者を目にして。


 止まらない。

 敵に。紛うことなき、完膚なきまでの敵に。


 守るためという大義名分の元、止まらない。


 今の全力を、誰にも憚ることなく相手に。

 剥き出しの殺意を、壊しても構わないという敵意を。

 師でもなく、身内でもなく。

 それこそ初めから「何をしてもいい」という絶好の相手。

 強さの弊害とも言える、騎士の誇りを持ったままに殺していい相手。

 引き上げられ、無理やり出した殺意ではなく、己が望むままに振るえる剣は、やはり久々で、そして甘美で。


 故に、止まらない。


 剣を振るう。


 今まさに目の前に立つ騎士を殺さんとしていた悪魔は、それを後ろに下がりやり過ごす。

 と、その場所に、地面から大きな炎が生まれる。


こんがり焼けちゃえ炎よ、立ち昇れ


 メメィディカラのそんな気の抜けた詠唱により、蠢くように轟々と燃え上がる。


 だが次の瞬間、


「危ないな」


 その声と共に、燃え盛る炎があっさりと霧散する。

 果たしてその体に一切の傷も、火傷跡すらも見せず悠々と立ってみせる悪魔に、


「展開が早すぎる……! 散開しろ! シビィ! 無事な者を救助!」


 そして剣を構え、無事を確保するかのようにその場から動かないヘイリシュと、

 やはり気の抜けたままの様子のメメィディカラがその隣にふわりと立ち。

 そして何故か下がっていないラダトキィシヤが(ギリギリ他の騎士に守られながら)その少し後ろから様子を見る。


 そんな中、


「幾分か実力のある者がいるようだ。いい手土産になる」


 その後ろに別の何かの存在を匂わせて、悪魔は獰猛に笑う。







 が、


「期待はずれ」


 メメィディカラが発したその言葉は、その場にいた全員がはっきりと耳にできるほどよく通った。


「期待はずれ……だと?」


 そしてしかし、その意味は誰も、言われた当人すらも理解するのに大変難儀した。


「ん。相殺が遅い。回避も遅い。私なら下がった時にリジーを5回は殺せる。炎が発現する前に打ち消せる」


 いや絶対させないしそれは盛りすぎだろう。せめて1回だ。

 と怒鳴ってやりたい気持ちを抑えてヘイリシュは、


「メイリ、黙って」


 この状況で何故そんな緊張感の無いことを言えるのかと。

 しかしまぁヘイリシュをとても嫌そうな顔でチラと見て、


「……分かった」


 やはり凄まじく不満そうな顔ではあるが、渋々と頷く。


「期待はずれかどうか、今から見せてやろう」


 多少琴線に触れたのか、悪魔はそう言って、そのおぞましい魔力を迸るように紡ぐ。


「遅い……」


 ぐ、と今から起こる現象に警戒し、緊張感が高まる一同だったが、やはりその気が抜けた言葉と共に、


「何……?」


 顕現するはずだった魔導が、打ち消された。


「メイリ……!」

「すごいですわ……!」


 ちょっとラダトキィシヤ様は黙っていてください。

 さすがにこれはどうなのか、とヘイリシュですら責めるような目付きでメメィディカラを見るに。



「レー様は、上位悪魔はすっごい強いのから大して強くないのまでいるって言ってたけど。……全然強くない方だった。残念」


「メイリ!? お前ホントやめろって!」

「す、すごいですわね……」


 たった片腕の一振のみでそれを成した彼女は心底つまらないとばかりの顔で溜息をつく。


 いやお前本当にふざけるなと。

 ラダトキィシヤ様ですらちょっと引いてるし。

 騎士達なんてむしろメイリの方を恐怖の顔で見ているし。

 悪魔なんて頬が何か引き攣ってるし。

 怒らせてどうするんだ。


「き、貴様は中々やるようだな……。中々楽しめそうだ。魔導に自信があるようだが、これならどうかな?」


 怒りを取り繕うようにそう嘯く悪魔だが、

 いやもう完全にキレてますやん。

 どうかな? とか言いながら結構無理して魔力練り上げてますやん。


 だなんて胡散臭い言葉遣いになってしまうような状況だがしかし、確かにそれはヘイリシュですら警戒するような強さを纏い。


「人族には出来まいよ……。膨大な魔力によって体を一時的に変質させて、段階を引き上げるこの技を」


 暴力的に、過激に、そして明らかに姿が大きくなった悪魔が、足を踏み出す。


 合わせてやっと、ヘイリシュも駆ける。


「ん。確かには出来ない。似たようなことは出来るけど」


 しかしそれでも尚やる気の無いメメィディカラから、悪魔が纏うそれよりも強い魔力が湧き出て、走る。






 ヘイリシュに向けて。


「おま!? 自分にやれよ! マジでふざけんな!」


 その、体への無理な負荷による苦痛と圧力を鍛錬の時から幾度も経験しているヘイリシュは、今まさに敵とぶつかり会う瞬間だと言うのに。

 メメィディカラのふざけたそれに引っ張られて、ついには本気でつっこんでしまうのである。


 そして自身が想定している物よりも、いきなり早くなってしまった体の動きに一拍遅れながらも、そのせいで先手を取られたヘイリシュは悪魔が振りかぶる腕を手に持つ剣で防ぐ。


「ちぃっ!」


 防ぐと同時に後ろからメメィディカラの魔導が飛び込んでくるのを、舌打ちと共に大袈裟な横っ飛びで悪魔は回避するも。


「あれ……? 本当に遅いな」


 口の中で、静かに呟いたヘイリシュの追走が瞬時にその足を縫いとめて、また物理的に足を貫いて、その動きを止める。


「っがぁぁ!!!」


 咆哮、途端に膨れ上がって空気が破裂するように魔力が弾けるが。


危ないのはあっち壁よ、守れ


 無差別に、全方位に走る殺傷力を伴ったそれを、メメィディカラの詠唱で発現した魔力壁で軽く防ぐ。


「あ、ありがとう。メイリちゃん」


 ラダトキィシヤの言葉にしかし、一瞬後ろを気にしたヘイリシュの隙をつき、自らの脚を切り離して大きく後ろへ飛んだ悪魔。


「……はぁっ、はぁっ、……っ、何なのだ! 貴様らは!」


 彼が知っている限り、人族に有り得ない彼らの力量に、先程から浮かべていた怒りに恐怖を混じらせてそう叫ぶ。


 そしてその言葉に困ったように眉を顰め、ヘイリシュは答える。


「何なのだ……って言われても」


 その後ろで、会話を無視するようにメメィディカラがまたしても魔導を紡ぐ。

 と同時に、「私も!」と叫んだラダトキィシヤが。


ドカンと弾けろ爆裂よ、広がれ

ぶっ飛びなさいませ!暴風よ、吹き荒れろ


 それぞれが谷の形を変えるほどの威力をもって、その場を等しく破壊する。


 その余りに凄惨な光景に、先に倒れた者達を救助した以外未だ何の動きも取れてない騎士達が呆然とし、


「ラダトキィシヤ様もあそこまで……!」

「2人揃って精霊言語を使わずに行使するなんて!」

「もしや前にメイリ君が言っていた、世界に対する伝達力の違いなのか……?」


 やっぱり魔導師達は興奮したのか、顔を突き合わせて彼らの世界に没入する。


(これは死んだかなぁ。というかメイリの奴、範囲内に僕がいるのに容赦なく第八位魔導使ったな今)


 ラダトキィシヤと違い、一切の修正を加えず、そのまま広がるように発動させたメメィディカラのその胆力に、冷や汗が背中を流れる。

 防御が間に合ったものの、下手をすれば自身も死んでいたのだから、まぁ当然ではあるが。


 そしてどう見ても耐えられる要素が一つも見当たらない現場を眺めて、


 途中から気の抜けていたそれを完全に緩ませて、


「何か、終わったみたいです」


 やはり呆然としたままのアインスに、そう振り向いて告げた。


「おう……。ごほん……、周囲を探索、安全が確認された後、帰投する。……いくぞ! お前ら! ボーッとするな!」


しかしそれでもまぁ、事態の収拾に走ろうとするのは優秀な証拠である。











────────────




「部下が世話になったな」


 事態をやっと理解し始めて、誰もが肩の力を抜き、そうして笑いが溢れたその瞬間、『それ』は現れた。


 強い、強い圧力。

 一歩、また一歩と、ゆっくり踏み出される足は、見るまでもなくその存在の力を表すように地面を枯らし。

 明らかに、先程の悪魔よりも遥かに上位であろう。

まるで貴族のように装飾の入った服に、優雅な物腰。自身が「世界における上位者」であるかのように、大仰な仕草で、その悪魔は降臨した。


 いきなりの変わった空気に戸惑いながらもしかし、されども彼らは訓練されたその通りに、


「接敵! 展開せよ!」


 新たな脅威へと、身構える。


 それよりも早く、先程よりも顔を強ばらせながら、それでも誰よりも早く、ヘイリシュは今しがた現れた悪魔に切りかかる。


 しかしその、誰もが見とれる程に鋭く閃いた剣は、いともあっさりと、指で軽く摘むかのように、その存在に防がれる。


「ほう。中々鋭いな」

「リジー! どいて!」


 巫山戯たようにそのままヘイリシュに笑いかける悪魔に被せるように、メメィディカラが怒鳴る。


全部凍って氷によって世界を止めバラバラになれそして崩壊せよ!」


 その、いつもよりほんの少し長い詠唱。

 彼女がレレィシフォナから、「本当に危ない時以外は使うな」と散々に言い聞かされている、第十位に当たる魔導。

 本来ならば戦時において複数の魔導師達による詠唱でもって行われるそれを、躊躇なく、遠慮なく、全力でメメィディカラは顕現させる。


「それは、駄目だ」


 しかし、それは世界に現れるよりも先に、メメィディカラが少し前にそうしたように、悪魔の片腕の一振りによって、その場の温度をごく少しだけ下げるに止まる。


「お前と、お前と、……お前か。危険だな」


 ヘイリシュと、メメィディカラと、そしてラダトキィシヤを順にゆっくりと指さして、


 それはまるで悪魔の子のように

 レレィシフォナを彷彿とさせるように


 獰猛な獣のように、笑った。

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