第6話 レレィシフォナは笑う

 いかにレレィシフォナの指導が酷く辛く苦しいものか、メメィディカラは餌と聞き上手なラダトキィシヤに釣られて滔々と語る。


「そうなのね。普段はそんなことをしてるのね」


 そんな相づちを打ちながら、ラダトキィシヤはニコニコと話を聞く。


「でもそれなら、メイリちゃんは逃げ出したいって思ったりはしないのかしら?」


 そんな言葉にメメィディカラはしかし、


「……レー様は、あったかいから……」

 あといつか強くなって痛い目に合わせたい。


 そこは言わなくてもいいかな、とボンヤリ考えてこれだけを口にする。


 しかしそんな反応にラダトキィシヤは途端に喜びを浮かべて。


「そうなのよ! お姉様って温かいのよ! とても心地いい魔力で、安心できるのよね! 」


 既に会話の中で姉妹であることをそれとなく伝え、メメィディカラの警戒を更に薄めさせていた、そしてレレィシフォナの魔力を幼い時分に誰より感じていたラダトキィシヤは同意する。


「私もお姉様に抱きしめて貰いたいわ。メイリちゃんはいいわね」


 そうしてやんわりと、まるで妹を慈しむかのようにメメィディカラの髪を優しく梳く。


「ラー様も、会えばいいと思う」


 しかしそんな優しくも残酷な言葉にラダトキィシヤはその手を下げ、悲しげに微笑みを浮かべた。


「無理なのよ。会いに行っても、私は会えないの」


 なんでだろう、その顔を見ると自分まで悲しい気持ちになる。

 そしてしかし、会えないというのはまたどういうことなのだろうか。


「なんで?」


 だからだろう。純粋にすぎるメメィディカラは、彼女の奥にある、その誰も踏み込めないシシハリットの重い扉に軽く手をかける。


「むしろ私はメイリちゃんが何も分かってないのにあの敷地に入れたことの方が不思議なのよね」


 クスクスと、それでもラダトキィシヤは気にせず愛しい妹を諭す。


「あそこはね、怖いの。怖くて怖くて、体だけじゃなくて心の奥から震えて、そこから1歩も動けないの」


 誰あろう、レレィシフォナが施したその魔の強烈な圧力に、常人は踏み入れることすら叶わないのだと。


 では「それができてしまう」ヘイリシュや、そして本人すら気づいていないがメメィディカラとは。


「貴女達を見ていると分かるのだけれど、多分、前に進む意志なのよ」


 それは私には無いの、と続けながら


「強くなりたい。死にたくない。そのためなら何かを犠牲にしてでも」


 だから、


「妹として会いたい、程度じゃお姉様は許してくれないの」


 意地悪よね?

 そうやってまた、悲しげに彼女は笑う。









 そうしてメメィディカラの話を聞き、彼女の胃が満足するまで2人だけの邂逅は続いた。


「魂に無理やり魔力を注いで形を変える……。こうかしら?」


 既にメメィディカラを退出させ、1人先程の会話を振り返っていたラダトキィシヤは、どうにも試行錯誤をしているらしかった。

 彼女は確かに、「何かを塗り替えるほど魂の求める欲望」などは持っていない。

 強さもヘイリシュという通過点、そして姉に並ぶための物でしかなく、誰よりもなどとは思っていない。

 そして貴族の責務として、とかく執着心は捨てなければならない。

 貴族であるがために姉に会えないというのは、彼女にとって存外耐え難く。

 そしてその欲望は、先より少ないとはいえ可能性さえあるならば常人にとっては命すら張る無茶さえも、軽々と彼女に行わせるのだ。


「魂っていうのが難しいわねぇ……。明確な形があればまだ何とかなりそうなのに」


 しかしおいそれと出来るものでもなく、何やかんやと悪戦苦闘する。

 部屋に1人で胸に手を当てながら怪しげな事を呟く、ともすれば(しなくとも)不気味な姿のそれを、誰にも見られていないのは幸いか。


「体に漲らせる、違うわね。んー、集める? でもそれ元からある物よねぇ」


 その矯正魂変質技術は、「外から」魔力を流し込む、と言っていた。

 であればと


「……魔石でも食べてみましょうかしら」


 一般的に、体内に取り組むことは毒と同義かそれ以上に危険とされている行為に走ろうとすらしている。

 原理は確かに合っているが、魂よりも先に魔力路が破壊されてしまう為、二度と魔導を扱えない体にさえなりかねないその行為には、だがしかし


「危険すぎるわね」


 さすがに止めたみたいだ。


「でも多分理屈は合ってるわよね。となると……」


 そう言いながら部屋に保管されている生活用の予備魔石を数個取り出しつつ、


「吸い出した魔力を取り込まず、ただの塊として自分にぶつける」


 まるで「自分を攻撃する」ようなそれは、常人に浮かぶ発想では無いがラダトキィシヤには関係ないらしく。


 魔石から浮き出る魔力が部屋を埋める。

 その濃度に未だ満足できないのか、


「お姉様は……これくらいかしら?」


 埋める。埋める。埋める。


 実に18個ほどの魔石をただの石に変え、目を眇めてすら部屋の向こう側が見えないほど濃密に漂う魔力を取り出したラダトキィシヤ。


「……ちょっとやりすぎたかしら。まぁいいわ」


 そう嘯きながら、漂う魔力にひたすらと固まるように想像を重ねる。


「流れるように……漏れないように……混じらないように」


 そうして出来上がった、部屋の中央にフワフワと浮かぶ、「自分の魔力に馴染んでいない」ただの魔の塊を眺め


「受け入れる。抵抗しない。飲み込む。吐き出さない」


 見るからに危険な、本能が必死に拒絶している、今からせんとする行為に自分を奮い立たせながら、


「鋭く、早く、……ギュッと」


 その気を抜けば震えてしまう声で、塊を包むように魔力を引っ掛け、


「……来なさい!!!」


 無理やり自身の体に、突き刺す。


 確証の無い、ただの思いつきで、しかもどうなるかも分からない。

 しかし毒を飲んだ時と同様に、それらの要素はラダトキィシヤの閃きと行動を留める効力を持たず、望むままに、その暴れ狂って体がバラバラになりそうな魔力を受け入れる。


 そして一切の悲鳴すら漏らさず、意識すら失わず、意地と思いの外強い姉への執着でもって。


 彼女は屋敷の誰にも気づかれないまま丸一日変わり続ける魂に耐えきり、その段階を引き上げた。


 我こそレレィシフォナの妹だと言わんばかりのその意志の強さは、確かに彼女に応えるように、命を明瞭に照らしていた。








 そして在り方の変わった魂にレレィシフォナは気付かぬはずもなく


 目の前で倒れ伏すヘイリシュを人形でもって馬乗りしながら枝をグリグリと腹に捻じらせていたその魔力を急に霧散させ、目を見開き、珍しく口を大きくあけて、


「……すごいな。まさか自分でやるとは。……ちょっとシシハリットを見くびっていたかもしれない」


 一つ呟き、そして徐々にその口に弧を描き、


「っくく、ぁはは……っ、あはははははは!!!」


 心底楽しそうに笑うのである。

 ちなみにそれを見ていた今しがたボコボコにされたヘイリシュは、遠い目かつ可哀想なものを見る目でもって、倒れながらレレィシフォナを見上げるのであった。







 どうやらラダトキィシヤまでもが化け物の仲間入りをしたらしい。


「でもまだ早いので、もうちょっと体を上手く動かせるようになってから」

 姉に逢いに行くのだ、と誇らしげに語る彼女を眺めながら、


(まるで悪夢だ)


 自身すら世間的に見れば既に化け物の類と言えるほど驚異的でありながら、ヘイリシュは遠い目をする。


 何となれば、その目にはシシハリットの娘2人に笑いながら追い回される未来さえ映っているのかもしれない。


「ですので、僭越ながらヘイリシュ様……」


 ちょっと恥ずかしげにラダトキィシヤは続ける。


「循環というものの鍛錬を、教えて頂けませんか?」


 そんな風に、ヘイリシュを巻き込んでラダトキィシヤは姉と同じ高みを目指すのである。









「もっとググッとやって、ガーッて回して、シュシュシュって出すの」


 休みの合間に、レレィシフォナと違って甘さ多めの姉に集りに来たメメィディカラは彼女なりのアドバイスをする。


「レー様のはとにかくギュッてして、すっごく重いのをヒョイって感じで持ち上げて、そのままクルクル回す感じ。でもまだできないから、ググッって感じなの」


 しかし全く分からない。

 私のレベルが低いのかしら? と思ってしまうほど伝わらない。熱意だけは伝わるが。


 何となくだが、とにかく強く固く圧縮するかのように集め、それを柔らかに巡らせて、一切の滞りなく放出する、というようなことだろうと感じ、


「これは厳しいですわね……」


 そしてその辛さを、身をもって体感する。

 そうしてまた、賑やかで激しい日々が、繰り返される。










 ────────────




「つまらん」


 ある日、ここ最近少し不機嫌に見えていたレレィシフォナのその声で、彼らは手を止める。


「変化がない。成長してない。意識が足りない。生き様が雑魚だ」


 それは、ヘイリシュに向けられていた。


 その言葉に、ヘイリシュは戸惑いながらも、


「でも、強くなってる実感はありますけど……」


 事実彼は、以前に比べて遥かにその実力を上げていた。

 最初の頃に相対した人形であるならば、片手でもって一歩も動かずに制することが出来る程には。


「単純な力じゃない」


 溜め息を吐き、本当につまらなそうな顔つきでレレィシフォナは否定する。


「未だに人形ごときに勝ててない。お前はやる気があるのか?」


 だがしかし、確かに人形相手に未だ1つもまともに打ち据えられていないヘイリシュは、


「それは、人形の強さを僕より上げているからじゃ……」


 なんとも情けないが、事実ではある。


「……」


 ついに目を瞑り黙ってしまったレレィシフォナの普段と異なる雰囲気に、合わせてヘイリシュも言葉を失ってしまう。


 そうしてしばらくして、


「リジィ、メイリとやってみろ」


 一つ目を開けて、そんなことを言う。















 結果として、であるが


「そんな……」


 ものの見事に、ヘイリシュは負けた。


「やっぱりダメダメ。リジーは本当にセンスない」


 ムン、と胸を張り、メメィディカラは勝利を誇る。


 翻弄し、挑発し、逃げ惑い、罠を張り、感情的になったヘイリシュの隙を見事ついたその勝ち方は、およそ美しくもなく、劇的でもなく、そして褒められたものでも無かったが、


「ズルい……」


 だが負けたのだ、と、膝をつくヘイリシュの目は、脳は、それを如実に主張する。




「何で負けたか分かるか?」


 ハッと、レレィシフォナの言葉に顔を上げる。

 そして強く見つめるレレィシフォナの目から逃げるように顔を背け、


「……はい」


 そう答える。が、


「分かってないんだよ、お前は」


 その答えをレレィシフォナは強く、強く否定する。


「お前はよく『ズルい』って言うけどな」


 そして訓練に使うメメィディカラの持つ木の枝(これはレレィシフォナが枝を気に入っている訳ではなく、大量に消費できるそこらに転がっている物だからである)を攫い、


「────この状態で、それを言えるか?」


 前に進み、一振り。

 その枝を眼前に突きつけられたヘイリシュの目を覗き込み、レレィシフォナは言う。


「戦いの場で私が1番嫌いな人種は、る気の無いやつだ」


 何かちょっとその言葉に普通ではない意志を感じたが、反射的にヘイリシュは答える。


 あります、と。


 いや多分ない。というか騎士として人としてあまりそれがあり過ぎても困るのだが、その気合いの入った返答にしかしレレィシフォナは、


「無い。足りない。お前は最初からそうだ。ずっと『次がある』と思っている」


 断言する。


「死んでから明日強くなることなど無いんだ。強くなってから明日に向かうなんて出来ないんだよ」


 そうして嘲笑うかのように唇を歪めて、


「おめでたいな。今の自分に出来ないことは、明日の自分にお願いするのか」


 彼にとって、非常に痛い一言を告げる。

 そのままの口調で更には


「私が優しく導いてくれる先生にでも見えていたか?お前の成長を優しく見つめる親でも幻視したのか?」


 どこから見ても優しくはないだろう、と誰もが否定しそうではあるが。

 その言葉に、ヘイリシュは強く下唇を噛み締める。


「次なんて無い。今しかない。今勝てない奴はずっと勝てない。だからお前は負け犬なんだよ。足掻けよ。食らいつけよ。腹を裂かれても前に進めよ」


 とは言ってもまだ足りないだろう、と1人声にしたレレィシフォナは、


 数歩足を下げ、ヘイリシュに相対し、


「いつでもいいし、どこからでもいいし、何してもいい」


 そしてかまえて、


「────かかってこい」


 彼にとって初めて、レレィシフォナが敵として顕現する。










「安心しろ。腕も力も魔力も、全部お前に合わせてやる」


 そんな風に軽く挑発しながら、レレィシフォナはヘイリシュを立たせた。


「……」


 喉を鳴らし、目の前に立つかの敵の殺意に震えが走るが。

 しかしそれでもヘイリシュは、男としての意地と、騎士としての誇りと、そして強さに対する執着でもって。


 静かに、剣を構える。


「行くぞ」


 その一言で、目の前にいたレレィシフォナが消える。

 驚愕の速度に、しかしヘイリシュは確かに感じる強すぎる殺意に向けて、剣を振るう。


「弱い」


 そして当然のように当たらない。

 眼下、極限まで地面に近づき、這うように迫っていたその姿勢を崩さず、ただ少しの魔力をそのまま固めて横合いに当て、剣を軽く弾いたレレィシフォナから、しなるように剣(枝だが便宜上剣と表記する)が横薙ぎにされた。


 それを飛ぶように避け、半歩下がりまた構え直した剣を振るうヘイリシュだが、


「下がったな」


 その一言と、直後圧倒的な速さで発現した泥の魔導に足を取られる。


 しかしそれでもヘイリシュは慌てずに自身も魔導を唱え、唸るような、それでいて切り裂くような確かな殺傷力を持った風を吹かせてレレィシフォナを下がらせようとする。


 これで仕切り直しと言わんばかりの攻防はしかし、やはりと言うべきか。

 肩が、横腹が、腿が、そして目のすぐ横が浅くない切り傷に刻まれるのも構わず、歯を剥き出して目を三日月のように歪ませたレレィシフォナの前身と、そのまま突き出された剣によって、

 あっさりと、幕を閉じる。



 かと思いきや、息を詰まらせ、腹を曲げ、蹲るように倒れかかったヘイリシュの顔面を、レレィシフォナは剣を持たない手でそのまま強く殴りつける。


 そしてまた跳ねるように顔を逸らしたヘイリシュの髪を思い切り掴み、剣の柄で鼻頭を打つ。


 血に塗れ、鼻が潰れたヘイリシュではあったが。

 彼女の過激さは知っていたためか、そこで剣を手放さず。

 怒りという激情でもって、2人の間に破裂する魔導を顕現させる。


 一瞬、離れた隙に2度はないとヘイリシュは前に進み、極致とも言えるほどの集中でもって、その剣を閃かせる。


 打ち合わせ、ここで2人の動きが止まる。

 弾けるようにまた離れ、打ち合い。


 先の傷で濡れていたせいか、レレィシフォナの剣を持つ手が、ほんの少しだけズレて。

 ズレたそれに思い切り剣を叩きつけ、そのまま沈めようとヘイリシュは力を込めた。


 パキリ、とはっきりした音が耳に届き、その剣を砕き、勢いのままレレィシフォナに届かんとした得物はしかし。


 一瞬前に剣を手離していた、レレィシフォナの右手に掴まれ(当然ながらヘイリシュのそれは真剣である)、大きく抉れたその手から盛大に血を溢れさせながらも。


 変わらぬ、獰猛な獣を象る顔のまま、左に握った拳をやはりヘイリシュの顔面に叩きつける。







 血を吹き出し、転がる。


 そしてそのまま地に伏せ、起き上がる気配のないヘイリシュを、先の姿勢のままキツく眺めていたレレイシフォナだったが。


「……もうおしまいか」


 その言葉と共に、腕を下げて体を反転させる。


 だがしかし、


「────ぅああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 叫び、拳を地面に打ち付け、震える足腰でもってまた立ち上がり、

 明確な殺意を持ってグチャグチャの顔そのままにレレィシフォナを睨みつける、ヘイリシュの姿に。


「……ぁはははははははははははははっ!!!」


 レレィシフォナは今世一番の笑いを上げて、なりふり構わずにヘイリシュに飛びかかっていった。


 ここに、まるで(事実揃って殺すつもりではあったが)殺し合いのような、しかし見事に無様な泥仕合が展開された。


 なおそれを見ていたメメィディカラはその殺気とちょいちょい目の前に落ちてくる指とか耳とか内臓とかに震えが止まらず、自ら望んで早々に意識を手放したのは余談である。














「多少はマシになったな」


 片腕を落とされ、残った腕の指も2本ほど切り落とされ、片目も潰れたレレィシフォナがそのままの状態で言う。


 相対する、というか今度こそ起き上がることも叶わず仰向けに倒れるヘイリシュはと言えば、


「いくら何でも酷すぎる……」


 しかし心なしか晴れやかな顔でそう嘆く(正確には完全に潰れていて表情は分からないが)。

 何であればその状態はレレィシフォナより余程酷く、顔の右側に当たる髪は頭皮から完全に削ぎ落とされて若干内部が見えているし、両腕は炭になって形も残っていない。足もまた同様に片方は切り刻まれて焼かれ、腹は横からバッサリといかれて料理に出そうな長い何かがデロンとまろび出ている。


 最終的には魔導による攻防と、その口に相手の肉を含んで互いに食い破るような地獄の様相を呈してはいたがしかし。


「……負けました」


 やはりその言葉は、どこか晴れやかではあった。







 ────────────


「一歩前に踏み出した感想はどうだ?」


 とまれ、自らに最低限の治療の魔導を施したレレィシフォナは、屋敷へとヘイリシュ(とついでに気絶したままのメメィディカラ)を運んだ。彼にとってそれは初めての離れへの訪問である。踏み出す足は半分無かったが。


 そうして多少の時間をかけ、治療ではなく時間の遡行(語られる常識であれば魂の存在する物体には影響しないはずのそれ)でもって体を揃って元通りにさせ。

 巻き戻る当時の痛みも当然ながら再現され、しかも速度を上げたために何倍にも凝縮された有り得ないほどの痛覚を刺激するそれに絶叫を上げて(ちなみにレレィシフォナは本来痛みを取り除いてその魔導を行使できる)。


 やっとのこと落ち着いた所で、レレィシフォナはそう言った。

 

「それって、そういう意味なんですか?」


 しかしその、前向きながら抽象的で、どちらかと言うと精神とか根性とかに対して出るはずの言葉に対してヘイリシュは疑問に思うが、


「当たり前だろう。どこにいたって何があったって、前に進まない奴は何も出来ない。得られない」


 そんな風に、まるで当然とばかりにレレィシフォナは答える。


「立ち止まるやつは足腰から弱る。魂が腐る。前に進むのが怖くなって、意志がドロドロに溶けて、生きていく強さがなくなる」


 まるでそれを見てきたかのように語る。


「まるで亡者だよ、奴らは」


 果たしてそれは誰を指すのか。


 しかしその、ヘイリシュの知らないレレィシフォナの根源にある何かを感じ、彼は言葉を失う。

 その姿をじ、と見つめてレレィシフォナは、


「お前の根源は何だ?」


 何のために剣を振る。

 何のために求める。

 何のためにその命を使う。


 そこで一つ呼吸を止めて、


「お前のそれは、強さへの慟哭だろうよ。そしてそれはお前を司る根っこだ。お前が強さを求める限り、お前は人であり続けられる。人のまま生きて、ひたすら前に進み、そして果てろ」


 切りつけた一手の際に言った、「下がったな」の真意はここにあると、彼女は告げる。

 そして息を呑んで話に聞き入るヘイリシュの瞳をしかと見つめ返し、


「逆にお前がそれを捨てたなら、その魂は魔力に呑まれて、人でなくなる。燃えカスは溶ける。漂う魔になるか、運が良くて精霊か。……どちらにしても、ただの騎士のヘイリシュは、その瞬間に誰でも無くなる。というか仮にあのまま惰性で鍛錬を続けていたら、多分かなり早い段階でそうなってたぞ」


 そんな恐ろしい話を宣う。


「それは……」


 え、でも自分で決めたとは言えそこまで危ない状況になるような魂にしたのってレレィシフォナ様じゃない?

 そもそもそんな話聞いてないし聞いてたらもうちょっと躊躇ってたよ?


 だが言わない。

 代わりに出た言葉といえば、


「……何でメイリには厳しくしないんですか?」


 鍛錬的な意味でなく、そのやり方について。

 嫌味とか、嫉妬とか、何故自分ばかりと言った理由ではなく(もちろん思ってはいるが)、単純な疑問として、ヘイリシュは問いかける。


「根源が違う」


 レレィシフォナはそう語る。


「あいつは本当に凄いよ。もしかしたら私よりもその欲望は深いかもしれない」


 そこで濃く笑い、


「メイリはな、『生きるために生きてる』んだよ。最も人間らしく、逆に恐らく誰もがそんなことを思えない」


 だからこそ、『生きるために』食らう。

 その執着は一見、飢えに対するそれかと見まごうが。


「殺してでも生きたい。奪ってでも生きたい。死んででも生きたい。極限まで追い詰められればそう思える人間はたくさんいるが」


 驚きではあるが


「あの子はどこまで行ってもそのままだよ。満たされても、飢えずとも、守られても、強くなっても」


 ただひたすらに、生きるがために何かをにする。


「だからたったお腹が空いたってだけの理由で、捕まったところでお咎めを受ける程度の者から逃げて、何も感じずに私の所へ来れるんだよ」


 もしかしたら、本当に


「メイリにとっては多分、私ですら糧でしかないんだよ。まぁ、本当にそうなったら殺すが」


 そこでつと巫山戯たように笑い、


「まあだから、メイリは変わらない。厳しくしようが、甘くしようが、あいつの根源はブレない。だからこそ、お前は負けたんだよ」


 その時を思い出したのかくつくつと声を上げる。


「私よりも、っていうのはそういう所だな。私なら逃げない。腕が千切れても、腹が裂けても、足が飛んでも、私は前にしか進まない。進めない。そういう命だから」


 つまり、


「メイリは違う。必要なら逃げるし、命乞いをするし、多分仲間すら売る。生きるために、それをする。小物程度がやる生き汚さじゃなく、本当の本気で、本心からそれをあいつはやる。罪悪感もなく、後悔も憐憫もなく、ただ生きるために、あいつは全てを使う。自分の物として、糧として、そして最後には、全部食らう」


 それはとても恐ろしい話ではないのか。


 そんな目をしたヘイリシュに気づいたのか、レレィシフォナは表情を緩めて、


「だから、メイリにとってとにかく甘やかしてくれて、生きるための全てをくれて、人として厳しくしてくれて、そしてメイリがそのまま人であるための拠り所になるなら、それもあいつにとって大事な根源なんだよ。……そんな顔をするな。少なくとも、私たちはもうそう思われてるよ、きっと」


 本人は自覚も無いだろうが。


 そう付け加えて、レレィシフォナは優しくヘイリシュの頬を撫でる。


「お前も、もうちょっと生き汚い方が人生楽しいぞ」


 そんな初めて見るレレィシフォナの姿にヘイリシュは出会った当初のようにポカンと口を開けて、


「────絶対夢だ、これ」


 台無しの一言を口にするのであった。



















 ちなみに、その言葉の代償は、


「6割全部使いこなせたら何が出来るか、お前に身をもって教えてやる」


 そんな言葉と笑顔と共に外に引きずり出されて、構えと言われてそのままに、


 初めに剣が弾き飛ばされ、次に腹を打たれ、同時に背中を押さえつけられ、そして顔を暗闇に覆われ、両腕を凍らされ、足元を沈められて、後はもう何かたくさんの物でもって殴られ続けて。


 ただひたすらに、何が起きたか分からないまま、魔力と、ただの暴力でもって、本日3度目の完敗を喫することとなった。


「魔導と剣が全部ほぼ同時に絶え間なく続くのに動きが止まらずひたすら殴られる感じ」


 その後彼はこう語ったが、「感じ」ではなく実際そうであったのは、やはり間違いなく余談であろう。

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