第4話 《幕間》 ある日ある時の彼女

「つまらない」


 彼女は1人、そう呟く。

 張合いがない。手応えがない。殺意が足りない。


 足元を見るに、折り重なるように倒れている数人の男たちがいた。

 そして彼らは一様に、目であったり、指であったり、耳であったり────


 体のどこか一部が、明らかに「そうなってはいけない」状態を呈している。


 呻き声を上げる者からまた更に踏みつけ黙らせるその姿に、皆誰もが声を失って震えていた。


 そうして腰を落とし、一番近くにいた運の悪い(自業自得ではある)男に顔を近づけて、


「分かんないなぁ。人を襲おうとして何でやり返されただけで手の平を返したように謝るんだ? 私が悪いのか?」


 その無邪気で震え上がる言葉に男はつい喉から音を漏らし、


「た、助けて……」


 などと、情けない声を上げる。


「助けないけどな」


 そしてその喉を立ち上がってまた踏みつけ、声すら出せない男の顔面をつま先で蹴り飛ばす。


「……つまらない」


 そこまでやって、抵抗も、敵意も、悪意すらも消失させただ震えるだけになった男たちを眺め。


 彼女はその場から消える。






 父親1人に育てられた彼女は、どこまでも静かで、大人しく、美しく儚げで、そうしてどこまでも、異質だった。


 ボクシングジムを経営する親の元、打ち合う男共を眺めては、何故このような無駄なことをしているのだろうと考えた。

 そのグローブを留める紐一つあれば人の首を括り殺せるのに。

 その足があるならば人(男性)の急所など簡単に潰せる(これはそのままの意味で)のに。


 わざわざ殴り合い、防ぎ合う意味が、幼い彼女には心底不思議で、理解が出来ない物に感じられた。


 小学に上がる頃にはその美しさに拍車がかかり、また言葉数の少なさも余程強くなり、深窓の令嬢と思われるような、幻想的な美少女として彼女は君臨していた。


 そうして治安柄、また小学生特有の性格柄、彼女はよくからかわれた。


 悪戯をされ、物を隠され、奪われ、悪口を言われ、そうしてとうとう、その年代にしては格別に体格のいい乱暴者の、直接的な悪戯(彼にとっては間違いなく好意の裏返しであったが本人にとってそれは考慮すべきことではなかった)の時にソレは起きた。


 静かに座り、筆記用具を並べた少女の机からそれを奪い、高々と掲げて薄暗く笑う少年に対して、まず椅子を振り上げてそのまま叩きつけた。

 そして倒れ込み、未だ何が起きたのか理解できていない、その自らに都合のいい空想しか映さない目に、右の親指を突き刺す。


 絶叫が迸る喉を逆の手で掴み、そのまま力を込めて黙らせる。


 あまりに唐突なそれに、誰もが黙り、混乱し、


 そのまま少年の顔色が赤黒く、通り越して青白くなりかけた時、


「何をやっている!!!」


 その、授業を始めようと入室した教師という乱入者の声によって、彼女の初めての殺意ある行動は止められた(間違いなく彼はこの時この言葉で一命を取り留めた)。


 果たして少女は、「悪魔」と呼ばれた。








「何をしたか分かっているのか!」


 とまれ、その状況から場を移し、そこで教師にそう問われる。

 だがしかし少女は、


「指で目を潰して、逆の手で喉を潰して声を出せなくして、そのまま殺そうとしました」


「やり方を聞いている訳じゃない!!!」


 まるで当たり前に今日の献立を答えるかのような少女に、怒りに任せていた教師すらそこに恐怖を混じらせ、内心強く「こいつマジか!?」と叫びたいのを抑えつけて、そう少女の言葉を否定する。

 そのまま怒鳴りつけるが、何とも反応が悪い。


 親を呼ばれ、そしてまた片目を強く傷つけた少年の親と会い、大人同士のやり取りが為され、そうして家に帰ってきて父親にまた怒られ。


「人を殺そうとすると身が窮屈になる」という事を少女は知った。


 勿論、彼女はそれが世の中で悪い事で、普通は取らない方法だと知識として知ってはいる。

 しかし彼女にとってそれは全く意味の無い記号でしかなく、ただ現実、それを行おうとした結果の圧迫感にのみ、彼女の脳は学びを得た。


「……彼の左目は、今後ほとんど見えないそうだ」


 教師のその痛ましい言葉にも、彼女は何も感じなかった。

 もし言葉にするならば、ギリギリで「ふぅん」程度の物である。


 そしてそんな様子の少女に、おぞましい物でも見るかのように教師は顔を苦らせ、


「頼むから、大人しくしていてくれよ」


 再三に渡る説教に全く響く様子の無い少女に、諦めに近い言葉をかける。





 そうして大きな何かもなく、至って静かに小学を終え、中学に入り、また同様な事件を起こし(彼女にとっては起こされ)。腫れ物のように扱われ、誰にも触れられず。

 いよいよその、治安柄宜しくない若者の、いわゆる「危ない」だとか「ヤバい」だとか「キレてる」だとか評される者からの呼び出しを受けて。


 彼女の認識は、そこで固定される。

 ────彼らは足りない。生きる意思が足りない。殺すための、意志が足りない。



「脱げ」


 明らかに年上の少年(たまに少女)の集団に囲まれ、その中心らしき場に王者の如く腰掛けるこれまた少年にそう言われる。

 呼び出された先の、(正しい意味では)使われていない教室に入った後の事である。


 その言葉を受けた瞬間、敵だと理解した彼女は手っ取り早く腰掛ける少年に歩み寄り、何故かフラフラと不安定にさせている片手のナイフの刃をそのまま掴み。


「……っ、お前────」

 その口に、思い切り腕を突き込む。


 ビクリ、と一跳ねした身体からナイフを奪い、そしてそのまま少年の太ももを突き刺し、捻じるように肉を抉り、声すら上げれない少年が泡を吹くのを眺め。


 気絶した少年から手を抜き、そして並ぶ彼らに目を向ける。


 その目に、飛びかかろうとした者も、叫び声を上げていた者も、錯乱して逃げ出そうとした者も。誰もが動きを止めた。


 彼らは知らない。

 やり過ぎた結果、死にかけただとか。

 感情のままに人を傷つける程度のことだとか。

 そんな程度の「ヤバい」ではなく、間違いなく彼女は。

 初めから、徹頭徹尾、ずっと。

 殺そうとして人を殴る。

 殺すつもりで動く。

 絶対に殺すという意志で、どんな妨害にもその足を止めない。

 ただ本当に殺してしまう(のがバレてしまう)とやっぱり(自分本位な理由で)困るから、死なないギリギリで止めているだけであって。


 殺すつもりはなかった、のに死んだ。

 痛めつけて傷を作っていたら、恐れられた。


 その程度しか彼らは知らない。


 殺すつもりではあったが、殺さなかった。

 殺したいけど、死んだら面倒だから殺さなかった。


 その意味を、その行動原理を、彼女の殺意を。

 地位を高めるためだとか、自分の存在を守るためだとか、そんな人間らしさなどひとつも無く。

 純粋な殺意が、本質が、性質が。彼らとは決定的に違っていた。


 そうしてその美しく、血に汚れた顔を、獰猛な獣のように歯を剥き出しにして。

 彼女が笑う。


 やはりそして彼女は、悪魔の肩書きをより重くするのであった。





 そんな風に恐れられ、憚られ。


 それでも愚かな敵対者はたまに現れ、簡単に潰され。


 恨まれても、何をされても、最後まで追い詰めて必ず体のどこかに一生残る傷を刻む彼女に、誰もが離れていった。


 然しながら、恨みは残る。


 そうしてある日、高校を卒業する間近。

 帰路に着くと、家が燃えていた。

 そして父も燃えていた。


 それはつまり、




 彼女の行動を止める理由が、世界から消えた。


 過去敵対した者を1人ずつ、徹底的に、圧倒的に追い詰め、痛めつけ、二度と日の目を見れない程には傷つけ、

 そして世間的な事件として扱われながらも、彼女はその痕跡を掴ませず、1人ずつ、確実に、親を殺した者に近づいた。


 最終的に、重傷者38名、死者4名という。

 それなりに悲惨な事件として扱われたそれは、しかし最後まで誰もが口を割らず、結果誰も少女に辿り着くことなく、幕を閉じた。







 そういった者達から奪った金銭と、父のそこまで多くなかった遺産と、それなりに多かった保険金と、そしてこれからも奪い続け増え続ける金銭は意外と驚くほどに。

 何もせずとも悠々と1人暮らせる程度には、彼女の懐を潤わせた。


 だがしかし、と


「つまらないなぁ」


 敵がいない。殺意がない。

 隣人は彼女の境遇に哀れんで優しくする。そしてそれがまたぬるま湯に浸かったように気持ちが悪い。





 ────────────




 彼女がそのゲームに出会ったのは、そんな時であった。


 食材を買い込んだ帰り、路地に向けて映し出された映像に、そのゲームは紹介された。


 曰く、リアルな思考に近いNPC。

 曰く、リアルのように熱い戦闘。

 曰く、リアルのように盛り上がる闘技場。


 ゲームなどしたことがない彼女ではあったが、フルダイブ型のゲームで、闘技場という言葉に妙に心惹かれ、その足でゲームショップに立ち寄り、血に塗れた(比喩でなく)札束を叩きつけ、最新型のゲーム機とそれを買って、家に着く。


 次の日無理やり(彼女が自覚している魅力を最大限利用して)急ピッチでゲームの筐体(体ごと沈める安眠椅子のようなもの)を届けさせ、逸る気持ちを抑えつつゲームを起動する。


 しばらく、初心者らしい挙動を繰り返しながら、ある程度動きに慣れたところで、その身のまま闘技場へと走る。


 そこで彼女は、生まれてきて初めての敗北を喫する。

 ボコボコであった。完膚なきまでにボコボコにされた。


 歓喜した彼女はその殺意を原動力に、鍛え、調べ、突き詰め、世界フレーバーを知り、そして散財し、


 それでもたまに負けたりしながら、闘技場での殺し合いを楽しんだ。

 不満があるとすれば、斬った際に出るのは血しぶきではなくキラキラと光る何かで、落ちるのは臓物ではなく四角いポリゴンな点ではあったが(当然彼女は『それ』がどういうものかを現実でよく見知っていたため)。


 現実での動作に近くも、それでも遠い動きに辟易し、動作補助モーションサポートをオフにして、魔力循環と言われる同期率をひたすらに上げ(ゲームでは熟練度のようなものと示されていた)、そして動作補助の限界値である5割(大半の人間は、この時点で現実よりも遥かに高性能な肉体を有する)でも違和感を拭えず、本能のままに10割まで引き上げ、そこでやっと意のままに体を操れるようになって。


 そうして気づけば、誰も彼女に勝てなくなっていた。


 するとどうなるか。


 信奉者は増え、凌ぎを削りあった勇敢な同志が増え、そして祭り上げられ、称えられ。


 ギルドの長という立場に、いつの間にかなっていた。


 しかしながら彼女の行動原理は一つも変わらず、殺して、殺して、また殺して。

 たまのイベントはたった1人で最大効率になるまで1日中潜り、必要最低限の報酬で打ち止め。

 また闘技に潜り、殺し合った。


 またしばらく、気づけばギルドは、世界ランキング一位という立場になっていた。


 殺し合いの頂点という肩書きは、名声を求める者、強さを求める者、彼女に信奉する者、そして彼女に敵意を持つ者を、とかく集めた。


 それでも彼女は変わらず、殺し続けた。


 トップギルドと銘打たれたそれは、彼女の行動をさほど制限はしなかったが、他者の悪意もまた制限されなかった。


 自由気まま、傍若無人な彼女に辟易していた、適当に選んだ初期からいる副ギルド長の扇動と。

 企業が絡んだギルドの企みによって、彼女はいともあっさりと、その座を追われた。



 そうしてまた、彼女の行動を止める理由が、世界から消えた。







 ────────────




 当然の帰結ではあるが、彼女が追いやられた後のギルドは、しばらくトップのままではあったが、思いの外あっさりと瓦解した。


 しかしその原因は、据えられた最強というシンボルが無くなったことで信奉者を中心にかなりの人数が離脱したことでも、ギルド長の権限を譲渡した次の瞬間その場にいた全員を殺し尽くしてギルドの財産のほとんどを奪って去ったことでも、立場故に辛うじて止めていた行動に制限をかけなくなった彼女の、度重なるイベント報酬が配られた直後のトップ周辺ギルドへの襲撃(この時名前を真っ赤に染めてレッドプレイヤーいただった彼女は最強の肩書きよりも、虐殺者ブッチャーの名で知られていた)による被害が非常に重かったことでも、無関係なプレイヤーすらも見境なく敵対した(と彼女が認識した)者全てを殺し尽くしていたが為に元いたギルドへの評判が下がっていたことでもなく。


 ある日を境に、唐突にギルドが消えた。



 それでも知らずとばかりに、変わらず殺し合いに興じていたある日、『それ』に出会った。


 そうして、悪魔であり虐殺者である彼女は、世界から消えた。

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