第3話 シシハリットの名を持つ者

「拾った」


「いやもう何も言いたくないんですけど……」


 ドサリ、と音が聞こえ、ヘイリシュが毎度の如く離れに向かった先、珍しく既にレレィシフォナが外にいるのを目にした。しかしながら今ほどはそんなことよりも、異変というか、異物というか、その音を奏でた物を凝視しながら、


「……どこでですか?」


 明らかに拾ったというより、拉致してきたの方が正しいだろうという言葉を飲み込みながら、かろうじて口に出せる(大分的外れな)意見を口にする。


 1週間もボコボコにされながら、しかもたまに相対する人形がその指らしき連なった枝を上向きに折るように挑発して来たり、コケにするように転ばしてきたり、馬鹿にするように踏みつけて踊ったりするのに、何故か懲りずに毎度元気にやってくる奇特なヘイリシュでも。

 さすがにその、蓑虫のように縄で体も見えないほどグルグル巻にされ、猿轡を噛まされ、まるで雑に荷物のように扱われていながら、薄汚れて適当に切り分けられた髪からでも分かるほど鋭く尖らせた瞳をレレィシフォナに向ける小さな子供を、騎士の端くれとして無視は出来なかったようだ。


「うーん、そこらへん?」


 何故疑問形なんだとか、指を指す先はもはや人の手が入らずに森と言えるほどの形になってしまった林であってそれは場所じゃないとか、そもそも真面目に答える気があるのかとか、気を抜くと言いたいことが全部漏れてしまいそうになるのをぐっと堪え、


「……とりあえず、縄解きませんか? すっごい目でレレィシフォナ様のこと見てますよ」


 やんわりと、ヘイリシュは進言する。









「つまり迷子だと?」


 とまれ、とびきり胡散臭いレレィシフォナをなんとか下がらせ、未だ警戒している(というより殺意すら抱いている)少女に穏やかに話しかけ、暴れなければ危険は無いことを散々に言い聞かせ、同時に暴れたらレレィシフォナは間違いなくどんな小さな子供でも笑いながら殴りつけるだろうことを実体験を混じえながら話して聞かせ、なんとか何事もなく?縄を解く。


 そうしてやっと得た情報は、なんというか。


「孤児でお腹が空いて、盗みを働いてバレて追いかけられて、どうにもいかんと貴族の地区に逃げ込んで、追いかける人数が増えすぎたからいよいよとばかりに目の前の柵を越えて、とにかく動き回ったら森の中にいた」


 という、呆れるべきなのか、その行動力に驚嘆すべきなのか。


「何でもいいがもうそれは私のモノだぞ」


 悩ましいとばかりに顎に手をやり唸るヘイリシュの背中から、ひょいと顔を出してレレィシフォナは告げる。


「……真面目に言ってます?」


 犬か猫じゃないんだから、とヘイリシュが突っ込むと、


「超真面目だぞ。どうせ出生届など出ていないだろう。貴族の責務として、あ、もう貴族じゃないけど、いたいけな少女の未来を案じて、このレレィシフォナ様が見事立派な淑女に磨いてみせよう」


 多分恐らく、淑女と書いて戦士と読む世界の話だと思われる。


 いやいや、と頭を振りヘイリシュは改め。


「無理でしょう。大量殺人鬼でも作り上げるつもり……間違えた。どうやって育て上げるって言うんですか」


 そもそも自分の立場を分かっているのですか、と問うた。多分に本音が出過ぎていたが。


「今日は楽しい鍛錬日和になりそうだなぁリジィ」


 そしてまるで頭のおかしい研究者のように扱われたレレィシフォナは、彼が嫌う(つまり彼女が好む)女の子のような渾名でヘイリシュを獰猛に睨みつける。


 から笑いを浮かべて誤魔化す彼をさておき、


「そうだなぁ……。少女よ、腹いっぱいのご飯と、ぐっすり眠れるフカフカのベッドと、泡だらけになって温まるお湯と、もうちょっと頑張ったらお小遣いが貰える生活は欲しいか?」


 先程の威勢の良さも治まり、むしろ貴族に捕まった事実に若干恐怖に震えていたその子供は、レレィシフォナの言葉にしばらく首を傾げ一言、


「……ご飯」


 と小さく呟く。


 つまりまぁ、それだけでいいということらしい。








 ひとまずということで胃に優しい物を少し食べさせ、汚れた体を泡の中にぶち込んで綺麗にして、上がった先で今度はベッドにまたぶん投げて、明らかに疲労と栄養不足のその体を無理やり休ませた後に。


 林の中で何故か寝転がっていた(恐らく本人は望んでいない)監視役を叩いて起こし、ヘイリシュの耳には人の肉を打つ鈍い音と、明らかに痛みに呻く声が聞こえていたが、とにかく叩いて起こし、最終的に呻くばかりで起き上がることが出来ない監視役に、ヘイリシュが最近毎日自身にかけるせいか非常に上達した(してしまった)治療の魔導を施し、両親へと伝言を走らせる。


「というかなぁ、私の立場だからこそだろうが。この敷地に迷い込んで、もし仮に私が保護しなかったらどうなると思ってるんだ?」


 とまれ、先程の話であるがと。

 何故ちょっと怒られてるような感じで問われてるのだろうとヘイリシュは感じながらも、


「それは普通に……警邏に引き渡されて、孤児院のどこかに引き取られるとかではないのですか?」


 そのあまりに甘い答えにレレィシフォナは鼻を鳴らし、


「阿呆め。シシハリットの、この国の第一位貴族の懐の、1番柔らかくて痛い所だぞ、ここは。普通に考えて殺されるに決まってるだろう」


 死んだはずの娘がいる場所。悪魔の子と呼ばれた娘が隠される場所。


「そもそも柵を越えた時点で危なかったからな。私が監視役をぶん殴って止めるのがもう2秒も遅ければ、林の中で先にそいつが殺してたぞ」

 

 平然と、前後共に恐ろしいことを口にする。

 というか真犯人は目の前にいた。しかも起こすのにまた殴って、いや叩いていた。

 唖然とするヘイリシュにレレィシフォナは構わず続ける。


「だから初めに言っただろう。普通じゃないって。お前がおかしいんだよ。私に近づけて、人として私を扱えるのが。疑いもなく、私がただの強いだけの娘だと思えるその精神が」


 いやただの娘だとは思ってないです。むしろ普通に残虐非道な女王の生まれ変わりか何かだと思ってます。


 とは言えず、そのレレィシフォナが敢えて作り出した厳かな雰囲気に呑まれかけるが


「って、僕がおかしいんですか!?レレィシフォナ様の方が絶対おかしいですからね!?」


 やっぱり納得しかねて口にしてしまう。

 ここ最近の鍛錬(という名の可愛がり)で、随分とその丹力というか、所謂クソ度胸がついてしまったヘイリシュである。









 ────────────




「とりあえず今日から魔力循環の訓練もするか」


 こともなげに、予定外の割と長い時間を終えて、やっととばかりに鍛錬に明け暮れよう(言い換えれば人形にボコられる)としたヘイリシュに、レレィシフォナはそう告げる。


 その言葉に、先のそれを随分と気にしていたヘイリシュは、


「その、そもそも魔力循環とはなんでしょうか……?」


 純粋な疑問を口にする。


 それを見て、レレィシフォナは何故か


「お前、中央の冒険者とやらと会ったことがあるんだよな?」


 関係のないはずのそれを確認してくる。

 それは何故か。













「無詠唱にしろ、詠唱にしろ、そして纏う魔力にしろ、異常な速さと大きさじゃなかったか?」


 そしてヘイリシュ以外、この国で誰も知らないはずのそれを、言葉にする。


 息を呑んだヘイリシュは、


「────なぜそれを」

「うるさい。いいから答えろ」


 しかし疑問も、質問も、答え以外を許さぬとばかりの圧力が伴ったレレィシフォナの言葉に口を噤んだ。


「……はい。事実かの冒険者は、魔導の扱いが桁外れに上手かったです。それこそ異常なほどに」


 そうしてしばらく、圧力に晒されながらもゆっくり言葉を選んだヘイリシュの返答に、


「アレはな、魔力循環率が高いからなんだ」


 あっさりとその雰囲気を和らげ、元のような口調でレレィシフォナは続ける。


「来訪者は特別な魔力路を持っているだとか言われているが、そんなことはないんだ」


 そして放たれる、誰もが知り得ない、そして勘違いしている事実。


「単純に、体に巡る魔力路が、太くて長くて、そして多いだけなんだよ」


 それでもって


「特定の内臓や筋肉と同じで、ただの器官の一つのそれを、慣らして鍛えて壊して増やして、体に馴染ませるだけで誰でも同じように、というかあんな外付けの物よりはるかに強くすることが出来るんだよ」


 それを今日からお前がやるのだと、朗らかに嗜虐的な笑みを浮かべながらレレィシフォナは告げた。







「全然分かんないです」


 取るものも取りあえず、まずはひたすら体に魔力を流してみろとのことで。


 うんともすんとも言う気配の無いその様子に、レレィシフォナはしかし、


「逆にお前らのその意識の薄さで何で魔導が発現するのか私には分からないんだがな」


 そう反応する。


「想像の固定化っていうやつか。それも冒険者から教わったのか?」


 何となく、さっきまでのまるで何でも知っているかのような雰囲気もなく、レレィシフォナは尋ねる。


「そうです。『こういうものだ』と定義することで形を明確にして、手に取りやすく、脳に描きやすくすると教えられました」


 そしてその言葉に何度も頷き、考えるように眉間に皺を寄せ、


「んー……んー……。の技術を再現しようとするとそうなるのか……。よし」


 そうしてやっと、その考えを纏めたのかしばらく唸ったレレィシフォナは、


「一旦その固定化とやらを全部忘れろ。今のお前が求める魔導に、そんなショートカットキー頭打ちの存在する技術は邪魔でしかない」


 バッサリと、またしても中央の神に等しき(と本気で考える者すらいる)教導を切り捨てる。


「そもそも本来、『かくあらん』魔導の形なんて物は無いし、『かくあるべき』事象の定義なんて限定されないんだよ」


 意味分かるか?と目で問いかけながら

 レレィシフォナは講義する。


「前に言った通り、魔導とはあくまで手段であり、世界のシステム仕組みであり、特別な何かではなく、理屈あって存在するものだ」


 しかし天を仰ぐかのように手を広げてレレィシフォナは続ける。


「つまり想像の固定化っていうのは、仕組みの理解と発想さえあれば何でも出来る魔導の可能性を、程度の低い脳で惰性的に『それしかできない』便利な道具に下げてしまうようなものなんだよ」


 そして嘆かわしい、とばかりに大袈裟な表現で例えた。


 居住まいを正して、


「まぁそもそも、魔力とは何ぞと言うことなんだが。お前はどういう認識なんだ? リジィ」


 先程より、その『知り得た知識』の齟齬の擦り合わせをするかのように問いを重ねるレレィシフォナに、ヘイリシュもまた考えを纏めながら、


「言葉にするのが難しいですが、以前耳にした話では……『寄り添い、そこにあるもの』だと」


 改めて考えるに、やはり特別な何かのように扱っていた事実が浮かび上がる。


「うん。全く違うな」


 そしてそれは既に否定されていたが、レレィシフォナはもうちょっとだけ正確にそれを表現する。


「そこにあるのは確かに間違いはないんだが、より明確にするなら元々私達にも含まれている。つまり世界を作るその仕組みに組み込まれた、最も根源に近いエネルギーだな。もっと分かりやすく言葉にするなら、『命を組み立てる要素の一つ』だ」


 つまりそんな目に見えないあやふやなものでも、意思を持った何かが手を加えるものでもない、と断言する。


「お前らが精霊と呼ぶ存在は、別段世界の根源に携わる者でもなんでもなく、ただ単にその命が限りなく魔に近いだけのものだし、魔に連なる者、つまり魔族であっても同じように、人より少しばかり形作る力が魔に寄っているだけなんだよ」


 分かりやすく言うなら、と一つ置き


「精霊だろうと、魔族だろうと、伝えられるかの魔王だろうと。特別な何かも、森の奥に隠された聖剣も、封印された伝説の秘術も、そんな物は全く意味が無くて。単純な暴力で彼らを上回れば、つまり思いっきり魔力を込めてぶん殴れば、簡単に殺せるんだぞ」


 何故例える話がすぐに殺伐とするのか、と思わないでもないが、

 つまりそういうことらしい。






「その命から湧き出る魔力を、体を通して外に排出する、もしくは巡らせて根源に近づけるのが、魔力回路、魔力路と呼ばれてる物だな」


 レレィシフォナは滾々と湧き出る水のように、人を惹きつける魔性のその言葉を紡ぐ。


「そして循環率を上げるというのは、つまり別の表現にするなら『体を魔に近づける』ということだ。当然、世界に漂う魔に近いそれであればあるほど、滞りも少なく、透明度も高く、描いた理想に近く魔導は顕現される」


 ちなみにだが、と 


「恐らく世にいる来訪者の大半は、循環率で言えば下限が5割ほどだな。同時にこれは彼らの上限と思ってもまぁ問題はない」


 こともなげにそう嘯く。


「対してお前、というより人族の現状は、下限が1割程度だ。この差がどれだけモノを現実に起こした時のズレになるか分かるか?」


 魔導の威力だとか、展開速度だとかの表面的な話ではない。


「自身の根源が魔に近づけば近づくほど、魂の老化は遅くなる。魔族の中でも長寿だったりするのがいるのはそういう理由だ」


 そして来訪者はと言えば


「奴らは言わば魂の半分が精霊のようなものだからな。体は衰えず、魔力は減らず、思考も熟練されない」


 5割とは、即ちそれだけ昇華された存在であると宣うのだ。


「10割まで引き上げたら精霊という存在になってしまうのではないか?」


 講釈をたれる教授のように、レレィシフォナの言葉を反芻するヘイリシュの前を後ろ手に組み歩きながら彼女は続ける。


「答えは、否だ。そもそも下限として、肉体があって初めて循環というものが行われる。魔力そのものというのはただのエネルギーだからな。意識も無いし、肉体も無いし、ましてや世界の意思などに介入しない」


 種族としてその魔力循環率にどのような意味があるのか。


「精霊は実にその命の9割が魔力で出来ている。だから食事も、排泄も、肉体すらもいらず、そして意思が弱い」


 そして人族というと、


「どこまで循環率を上げようと、人の形は崩れない。ただし命そのものを近づけるということは、その有り様は元から乖離し続ける。人族が人族で居続けるために、平時は下限の1割で抑えられている」


 つまり、


「魔力路を鍛える、というのは、即ち魂に巡るそれの変化であり、元にある魂すら異質に変えていく。一応余談だが、来訪者は初めから5割だな。奴らは人が辿り着ける、その到達点として作られた存在なんだ」


 ここで初めて足を止め


「つまり人族の限界も5割だと思え」


 そして、しかし


「今からやる鍛錬で、魔力循環率を最低でも6割まで持っていく」


 限界なぞ知ったことかとばかりのことを言う。

 先の内容と合わせるならば、それはつまり、魂の許容量が5割で、それを超えるということは、


「────怖くなったか?」


 人で無くなる。

 暗にそう示したレレィシフォナの薄暗い笑みに、ヘイリシュは心の底から震えながら、それでもやはり





「……いえ、やります」


 強さへの執着は、拭えない。












 よろしい、とその笑みを濃くして、


「先に言った通り、魔力はただのエネルギーであり、体に宿るそれはただのお前を形作る要素の一つでしかない」


 言い換えるならと


「手や足と同じだ」


 身も蓋もないことを言う。


「魂が魔力に『馴染んでいない』、つまり循環率が低いのは、赤ん坊と同じだな。手も足も上手に使えない。しかし根源に近づけば近づくほど、当然のごとく自由に扱える」


 そうなると当然、


「詠唱も別に精霊言語でなくていいんだ実は。人族の魔力との乖離を補助するためだけに作られた仕組みの一つなんだよ、あれは。つまるところ循環率が上がりさえすれば、『その現象になる』意志の元言葉にすれば、そのまま形になる」


 ただしと注釈を入れて、


「まぁこれは補助が無くなることと同義だから、全てを脳で処理しなくちゃいけないんだが。つまり無詠唱っていうのはな、その過程を画一的にして負担を減らし、簡略化することで顕現させる技術なんだよ」


 そして改めて、


「だが本来世界にこうあるべき姿なんてのは存在しない。だから現象に起こす際に伝導率が落ちるし、形はあやふやになる。はっきり言って想像の固定化なんてのは、奴らの怠慢が招いた悪たる歴史だと思え」


 まるで来訪者そのものを批判するかのように、レレィシフォナは断言した。










 ────────────



「とりあえず外から無理やり魔力流し込んで、魂から穴を空けていこう」


 その講義の後に様々な意識で持って自身の魔力路を探ってはみたものの、ついぞ見つからないとなった折の一言である。


 聞くに恐ろしい発言であるにも関わらず、何故かウキウキと顔を喜ばせて、ヘイリシュへと手を伸ばすレレィシフォナの姿に、彼は確信に近いほどの、嫌な予感を捉える。


「ちょっと痛いぞ」

「待って!!!」


 ゾッとした。

 そしてどうやら正解らしい。

 あの、人形を操り、笑いながらヘイリシュの顔面を見るも無惨に腫れ上がらせ、しかしそれでも「遊んだ」と評する彼女の口からでた「痛い」の言葉。


 恐ろしい。

 考えうる未来の可能性に、先程決意した意思すら曲げたくなるほどに恐ろしい。


「……それって、どれくらいですか?」


 恐々と、その頬に一筋の汗を流しながらヘイリシュは問う。


「んー……」


 そして可愛らしく眉根を寄せて、レレィシフォナが考えた末に出した答えは、


「体力の限界を超えて体を鍛えて、次の日ベッドから起き上がれなくなるほどの苦痛って言って分かるか?」


 分かる。というより何度も経験をしている。むしろ現在進行形で経験が増えている。


 しかしそれならばなんとか、と答えようとしたヘイリシュだが、続く言葉に固まる。


「その状態で全身に剣を刺されて骨という骨が燃やされて、突き立てられた剣でそのまま脳をかき混ぜられるような感じ」

「やっぱ今日はやめときます!!!」


 というかそれを彼女は経験しているのか。

 二重の意味でその恐怖に負け、脱兎のごとく飛び出そうとしたヘイリシュの足は、2歩も進まずレレィシフォナが発した魔導に取られその場に転がる。


「死ぬ! 殺される! 誰か!!!」


 その必死な声にしかしレレィシフォナは快活に笑いながら、


「あっはっは。絶対に死なないから安心しろ。そして諦めろ」


 翳した手を、這いつくばりながら逃げようとするヘイリシュの背中に突き刺した。


「──────────────!!!!」


 その絶叫は、麗しの騎士たるヘイリシュにとって幸いにも、シシハリットの監視役と、レレィシフォナ以外の誰にも聞かれることは無かった。







 ────────────



 気づいたら朝だった。

 何を、と思うが事実日は窓から煌々と部屋を照らし、身を起こしたヘイリシュの髪をキラキラと光らせる。


「起きたかね」


 その言葉に飛び跳ねる。

 警戒と、そして何よりその存在に今まで気づきすらしなかった程に摩耗してしまった魂の亀裂が、ヘイリシュの鼓動をはやらせた。

 しかして見るに、


「ブララマン卿……」


 漲らせた緊張を解き、大きく息を吐く。


「ここは……?」


 その当然の疑問にブララマンは一つ頷き、


「うむ、その、なんというか」


 いまいち要領を得ない声を漏らし、そして同じく、ヘイリシュよりも余程に小さくため息をついて、


「本邸の客室だ。……まさか君が倒れたまま放置されるとは思っていなかったのでな。取り急ぎ私の部下がここまで運んだのだよ」


 すまなそうな声色でそう告げる。


 というか、

「放置されてたんですか……」


 彼女ならばやりかねん、とは思うが実際にやられるとかなりショックだなぁ、と、何処かぼんやり(しかしながら少なくない悲しみを感じつつ)考える。

 どうにも考えが纏まらない。油断すればフワフワと浮いて行きそうな体に、持ち上げることすら億劫な腕に、物を考えるのを否定する脳に、動くのを止めようとする命に。

 間違いなく疲弊していたヘイリシュは、


「まぁ、そういうこともあるでしょう」


 あってたまるかと普段であれば思うことを告げ、頭を下げているブララマンを言外に許した。


 しばらく休んでいなさい、と優しく告げて静かに去ったブララマンの既に見えない背中を見送り、ヘイリシュはともすれば何十日かぶりの休息にその身を任せる。








「多少、顔色は良くなったみたいだな」


 とまれ、昼食を一緒にということで、フットワークの軽いらしいブララマンがまた客室に顔を出す。


 その場で食事の準備を広げた使用人を下げさせ、そして音の漏れないように魔導を部屋に巡らせ、


「改めて、娘がすまなかった」


 ブララマンは小さく頭を下げた。


 朝よりも遥かに調子が戻ってきていたヘイリシュはその様子に大いに慌てながら、


「いえ、そんな。僕も進んでやっていたことですので。頭を上げてください。というかこちらこそ勝手に色々とすいません、いやホントに」


 しばらく、謝罪の応酬が止まらなかったのはご愛嬌である。


「────一旦この話は置いておこう」


 仕切り直し、とばかりに食事に手をつけ、なんとか穏やかな会話に戻った2人であった。

 しかしながらやはりどちらも気になることや言いたいことが色々とあるらしく、作られた雰囲気は何処かギクシャクと噛み合わず、まるで味のしない料理に時間をかけて呑み下す。


 そうしてやっと、カタリとナイフを置いたブララマンは、


「君の配属先は、シシハリットになったよ」


 そう、静かに告げる。


「もちろん断ってもいいし、国を出てもいい。しかし仮にどこかに、となるならば、ここを捨てて他に、という訳には行かなくなってしまう」


 回りくどいが、ブララマンが言いたいのは


「君は、我々の共犯者になってくれるかい?」


 要するに、娘を知られ、そして関わりを持たれた彼を、以前とは違う形で身内に引き込もうという訳である。


「────一点、気になることがあるんです」


 言外に、共犯者そのものに関しては是非もないと匂わせながらも、ヘイリシュは口にする。


「彼女は、何故かは分かりませんが、来訪者と同じか、それ以上の知識を持っているんです」


 以前にもブララマンが感じた違和を同じく、しかし違うとすれば


「それはまぁ、彼女を見ていれば、関われば受け入れられるような(実際には諦めるような)ことなのでいいんですけど」


 そこでつとブララマンと目を合わせ、


「多分、レレィシフォナ様は来訪者と敵対しています」


 そもそもブララマンと会ったのは2週も前に一度きりだと言うのに、レレィシフォナを通じて何故か少し分かり合ってしまう2人であったが、その認識だけは、ヘイリシュの方が多分に進んでいた。


 しかし本質的に彼女をより見てきたブララマンは、

「……来訪者の敵となり、そして最後にはこの世界の敵になると、君は思うかね?」


 その懸念だけを、口にする。


 答えとしては無関係に思えるそれであったが、恐らくそれは、ブララマン、ひいてはシシハリットと、そしてヘイリシュの意志を確認する、本質的な物であった。







 しばらくの沈黙が場を支配して後、

 口を閉ざしていたヘイリシュが顔を上げて言ったのは、


「それは……無いと思います。彼女はどこまでも人であろうとしているように、僕は感じました。それが出来るだけの力を持っていても、彼女はそれをねじ伏せる意志を持って、そして正しく使おうとしていると」


 そう感じたと、彼は告げる。


 そしてもし間違えるのならば、


「シシハリットの剣として、僕が止めます。彼女を人のまま終わらせるために、僕がそれを守ります」




 ここに、正しく信念を持って、彼はシシハリットの共犯者に名を連ねることとなったのである。














 そんな気恥ずかしくも、男同士でしか通じえない晴れやかな雰囲気は、使用人の慌てた声と、それに被さるように大きな音を立てて開かれた扉に破壊された。


「いた」


 そしてその破壊神と見まごう者は、先日よりこざっぱりと髪を切り揃えられ、相変わらず鋭すぎる目付きを光らせ、そして無感動な表情を変えずに、ヘイリシュを見つめてそう呟く。


「君は……なんでここに?」


 あろうことかレレィシフォナ的ポポリ枠らしき少女の姿を見つけ、ヘイリシュは思わずとも驚く。


「レレィ……レゥ……レシシ……」


 もごもごと口をすぼませて、いくつかその名を挑戦しようと開きかけていたが、


「……レー様が呼んでた」


 諦めたのか、もはや誰だかも分からない人の名を告げて、話は終わったとばかりに少女はそのまま部屋の中に入ってくる。


「────ちょっ……っと待って!」


 そのままポカンと口を開けているブララマンの近くまで寄り、そうして机に並ぶ食べかけの料理に目を輝かせ、いきなり手を伸ばしてブララマンの目の前に置かれたメインの肉を攫い、口にしようとしてようやくヘイリシュは慌てて止める。


 ちらと後ろで悲鳴を上げた使用人が崩れるように気絶したのが垣間見えたがそれどころではなく、


「────いやだから待ってってば!」


 その隙をついて手を動かす、いまだ諦めの悪い少女から皿ごと料理を奪い、混乱の場のおさめ方にヘイリシュはとかく頭を悩ませるのであった。






「君、何しにここに来たの?」


 なんとかその場を落ち着かせ、色々と誤魔化し、正気を取り戻したブララマンの餌付けにより部屋に根付き、もはや食事をしに来たのだと言わんばかりに余り物を貪る少女に皮肉を含んでヘイリシュは問いかける。


「……」


 ちら、と目だけを動かして見遣り、しかしそのまま食事に戻る少女の姿に、さしものヘイリシュも少し苛立ちを隠せない。


「レレィシフォナ様はなんて言っていたの?」


 それでもまだ見目にして10にも満たないであろう少女に、優しく語りかけるが


「……ん、呼んで来いって」


 それだけ呟き、また食事に戻る。


 警戒を解くために上げていた口角を少し以上に引き攣らせたヘイリシュを見て、ブララマンは声をかけた。


「まあまあ、ヘイリシュ。食事くらいはゆっくりさせてあげよう」


 どうやら娘に関わるものは無条件で(多分ヘイリシュも含まれている)受け入れてしまうのか、高位の貴族らしさなどかなぐり捨てて、穏やかな空気を纏って少女を優しく眺めてなどいるが。

 そしてやっとのこと食べ終えた所で、


「……まんぞく」


 けぷり、と可愛らしく胃の空気を漏らす。


「美味しかったかい?」


 声を上げようとしたヘイリシュよりも先に、笑顔のままのブララマンが少女に問う。


「とても、おいしかった、……です」


 言葉足らずながら、なんとかギリギリの本人にとって最大限丁寧な言葉遣いで答えたそれにブララマンはなお笑顔を深め、


「そうかそうか」


 なんであれば頭を撫でくりまわし、まるで本当に本心から可愛がるかのように振舞っていた。

 事実彼にとって、どんな経緯であれ娘が初めて自ら「救った命」の少女は、それだけで価値を持ち、見るに大変丁寧かつ盛大に世話を受けたであろう綺麗な肌やら、娘のお古の服やらから察したレレィシフォナの行動に、また大変な喜びを感じていた。

 そしてそれはそのまま少女への許容と、それ以上に慈しみを抱くに十分すぎるものであった。


 先程までよほどに分かり合えたはずのヘイリシュなどまるでいないかのように置いてけぼりにし、


「ところで、君の名前はなんというのかな?」


 ブララマンはどうやら少女への興味に脳を支配されているらしかった(もちろん貴族的な嗜好から来る偏愛などのそれではない)。


「名前……ない、です」


 しかしそんな少女の答えに、事態についていけないヘイリシュもある程度冷静さを取り戻す。


「そうか、無いのか。レレィシフォナ……レー様は君のことをなんて呼んでるんだい?」


 それはちょっと確かに気になるな、と耳を傾けるに


「ん、メメィディカラって、呼ばれました」


 こくりと、初めて本人にとって「個人を指す記号自分だけの特別」で呼ばれたことが記憶に新しく、また恥ずかしいのかちょっと俯きながら少女は答える。


 その答えに感動しているのか、ブララマンは


「メメィディカラ……いい名前だ! 今日から君はメメィディカラだ! さっそく役所に届けを出しておこう! 君にぴったりの可愛らしい名前じゃないか!」


 手放しで褒めている。どころか暴走している。

 確かに感動を覚える一幕ではあったが、ついとヘイリシュは


 鋭い目で目力が凄いから……女性の名前(名のどこかで母音を伸ばす特徴がある)に当ててメメィディカラ……


「お前目力すごいなぁ! 頑張ればそのうち睨むだけで人を殺せるようになるからな!」


 などと嬉嬉としてつけているレレィシフォナの姿が脳裏に浮かんだが、さすがにいやまさか、と


「なんか、レレシ……レー様は、目がどうとかって、言って、ました」


 まさかであった。


 というかレレィシフォナは言えないのに自分の名前ははっきりと言えるのかと。





「さて、メメィディカラくん。レー様が呼んでいたと言っていたが」


 とまれ、話が進まないので必死にブララマンに主張して、無理やり切り替えさせる。


「今日はヘイリシュ君は、おじさんと話すからそっちに行けないんだ。そう伝えてくれるかな?」


 穏やかなその瞳にしっかりとメメィディカラと呼ばれた少女の顔を映し、立場と腰を落として対等に会話を試みる。


「……ん。わかり、ました」


 これ多分餌付けしたから素直に聞いてるだけだろうなぁ、と。

 チラリと消えた料理に目を向けてから答えたメメィディカラの無表情を眺め、ヘイリシュはやはり鋭く(さっきから別段望んでいないが)その思考を読んだ。


 そうしてメメィディカラは今度こそヘイリシュをしっかりと見上げ、


「3日も休んだから厳しくする、って言ってた。ちなみに私はもうできる。は全然駄目」


 もしや魔力循環6割云々のことなのだろうか、定かでないが。

 心なし得意げにそう伝えて、ブララマンの声に呼び出された使用人に伴われ、むしろ伴って堂々と部屋を退出する。


「……え? 3日?」


 呼んで来い以外の内容もあったのかとか、なんでいきなり下に見られたんだとか、今より厳しくされたら本当に死ぬんじゃないかとか突っ込むより先に愕然とする。

 ここに来て初めて、彼は自分が思ったよりもはるかに長く危険な状態にいた事を知ったのだ。








 ────────────





「今後の話だが」


 先程の醜態(と呼んで差し支えない)など無かったかのように、その顔に真面目さを浮かべたブララマンが告げる。


「学びに行くまでの数ヶ月は、君自身のために時間を使ってくれて構わないが、来年よりヘイリシュ君にはティアの護衛に着いてもらう形になる」


 最初に提示していた内容とそこまで変わらない物であったが、


「ティアは学び舎に本邸から通うことになるため、1日を終えてからはまた自由に過ごしてくれていい。少しばかり遅くなってしまうが、その分他に手を煩わせることは無いと約束しよう」


 掘り下げるならば、娘2人につきっきりになるということである。


「合わせて、君の住まいに関してだが」


 そうして既に家を持っているヘイリシュに遠慮してか、


「そのままでもいいし、家ごとこちらに移してもいい。何なら本邸に住んで貰っても構わない」


 そこでヘイリシュはや、つい反射的に答えてしまう。


「離れに住むのは────」

「駄目だ。絶対に許さん」


 完全拒否であった。

 目がマジだった。

 マジと書いて殺すと読むそれだった。


「すいませんでした!」


 ちょっと調子に乗っていたらしいヘイリシュは、こんな形で高位貴族の怖さを感じたくはなかったと思いながら慌てて頭を下げる。


「……家を移させて頂いても宜しいでしょうか」


 その取り繕う言葉に、ブララマンはその圧力を霧散させ、


「すぐに手配しよう」


 そういうことになった。





 ────────────


 カタリ、と茶器の置く音が聞こえる。


「鍛錬のしすぎで倒れたと聞いて私、凄く焦りました」


「お恥ずかしい限りです」


 そう微笑んでヘイリシュの前に手ずからお茶を注ぐラダトキィシヤに、ヘイリシュは微妙に引きつった顔を無理やり笑顔にして答える。


 あっさりと自身の将来が決まった矢先であったが、

「ティアに君がいることを聞かれてしまった。後で顔を出してくれると助かる」


 とのブララマンの言葉に、こうしてヘイリシュはここ最近の毎日に比べてどうにも落ち着かない時間を過ごしている。

 むしろと言うか、


(癒しだなぁ……なんで同じ顔でこうも違うんだろう。まるで天使のようだ)


 出会ったばかりのレレィシフォナに対する印象など、ものの僅か1日足らずで破壊されたヘイリシュは、そのラダトキィシヤの醸す空気に絆され、心中そう呟く。


「どのような鍛錬をされたんですか?」


 そうして自分の分を入れ、向かいに座ったラダトキィシヤは一口含んでから言葉をかける。


 都合2度目の逢瀬でありながら、毎度可愛らしい表情に似合わぬ内容しか話していないように感じるが、ヘイリシュとしては余程話しやすいのか。しかしレレィシフォナの存在を秘匿されている(ちなみに先程ついでとばかりにブララマンに告げられ心底驚いた)彼女にその内容を詳らかになど出来るはずもなく、


「魔導の鍛錬で無茶をして、魔力を使いすぎたんです」


 無難な答えを用意した。


 その返答に、

「そうですか」


 一言だけ、変わらぬ笑顔でラダトキィシヤは静かに茶を含み。


「お姉様はお元気でしたか?」


 そう、問いを重ねた。


 ヘイリシュは驚愕に目を見開き、しかし慌てることもなく。

 内心ではブララマンに助けを求める声を大きくあげていはしたが表面上穏やかに。


「……知ってらしたんですか?」


 だがその言葉に微笑みを返すばかりで、ラダトキィシヤは何も答えない。


 また一口分、彼女のお茶がちょうど飲み干され。


「みんな、ズルいですよね」


 いきなり何を、と思うかのような言葉を発する。

 何も言えないヘイリシュから目を逸らし、少し口先を尖らせ、まるで拗ねた少女のような顔つきで。


「私だってずっとお姉様に会いたくて、でも会っちゃいけないって分かってたから黙ってたのに」


 可愛らしくヘイリシュを上目で睨みつけるように見つめ


「ヘイリシュ様はいきなりお姉様と会ってるし」


 その頬はぷくりと膨れ、


「お父様もお母様も何も言ってくれないし、お姉様は勝手に私を心配して守ってくれるし」


 そんな家族を愛する言葉のままに、


「みんな、ズルいです」


 内心を吐露する。






 これはラダトキィシヤ本人にしか預かり知らぬことではあるが、彼女は事実、かなりの昔から姉の存在を認識していた。


 初めはちょっとした危機、誰も見ていない階段から落ちかけた時。または誰もいない池に落ちかけた時。もしくはやはり誰にも知られていないお忍びの下町散策で野良ポポリに追いかけられた時。

 まぁ要するに、ラダトキィシヤは多分に明るいと言うよりはむしろ元気が良すぎる節があり、実際には両親の前ですらある程度取り繕った上での「好奇心が強い」という評価で。

 つまるところ彼女の本質は、その評価すら未だ甘く、間違いなくレレィシフォナの妹と断言出来る程には自己の誘惑に正直な少女であったのだ。


 まぁそんな彼女が何かしら好奇心のままに勝手な行動を取った際、当然レレィシフォナの異常性と違い、幼い手足はそれなりのハプニングを招く。


 のだが、そういった危機全てで、何故か抱えられたように戻され、包むように拾い上げられ、そして見えない壁にぶつかったかのようにポポリが止まり。


 その経緯を経て、彼女は確かに誰かに守られていることを知覚した。


 次に当然、誰であるかを調べる。


 これまたレレィシフォナの妹らしい、と言うべきか、彼女の行動力は両親の想像を遥かに上回り、また使用人の手になど遥かに負えない次元に達していたため。

 あっさりと、拍子抜けするほどに、彼女は姉の痕跡を見つける。


 もちろんのことながら、両親、特にブララマンは当然姉の形跡を残さぬように様々な思い出やら贈り物やらを処分し、使用人の口を(たまに物理的に)黙らせていたのだが。


 まさか週に1度だけ家族で取れなくなる食事の時間を狙って自らごく少量の毒を煽り、失いかけている気を無理やり覚醒させながら遠耳の魔導を唱え(この時点で彼女の意地により得た魔導の実力はヘイリシュを軽く凌駕していた)、姉に会えなくなった母のそうとも取れないような、娘「2人」に対する心配の呟きを確認し、そしてやっと意識を手放したのである。

 動機としてはごく単純で。

 彼女が1人の時にしか誰かは現れず、それを両親が知らぬはずもなく、知らずとも見られる訳にもいかず。であれば屋敷内の人間かどうかを確かめつつ、ついでに両親が何かを漏らすのではないかという。

 そんな所は似ないで欲しい、と両親であれば言うだろう突き抜けた行動力の為せるそれであった。

 なおこれはレレィシフォナが珍しくも「敵」を探さず、また殺さずして終わった事件であったために、ブララマンにとってはかなり記憶に新しいものでもある。

 敵を見つけた所で妹本人であるから、動きようもないというのが事実であったが。


 そうして実に高位貴族らしい教養と行動力と、そして案外と鋭い洞察力を持ってして、「恐らく姉がいて、家族は隠している」という仮定にたどり着いたのである。

 末恐ろしいことに、ラダトキィシヤが実に8歳の時である。










 そういった事の経緯を壮大な歌劇のように語り、そしてまるで自慢の姉を披露するかのように誇らしげなラダトキィシヤは、


「お姉様には秘密にしておいてくださいね?」


 その言葉と共に、悪戯げに微笑む。


 何故かと問えば、


「まだ、お姉様に会うのに私は相応しくないですから」


 だそうだ。


 とまれ、それだけの話でラダトキィシヤは退出し、ヘイリシュもまた予定より早く身を持て余したために、自然とその足は少しばかり暗くなってしまった庭を歩き、離れに向かっていた。


「……もしかして、釘を刺されたのかなぁ?」


 私はお前の行動を把握しているぞと。

 私はお前よりレレィシフォナを知っているのだと。


 そういう感情を、確かに感じ取ったヘイリシュは、改めてシシハリットという名の重さと、その名を連ねる者の重い人間性というものを垣間見たようで、若干の心狭さを抱いてしまう。


(全然気持ちが休まらない……)


 そして一つ大きなため息をつき、離れにたどり着くのである。





 見るに屋敷の前の、いつも鍛錬をする開けた場所に果たして2人は立っていた。


「調子はどうだ?」


 開口一番、メメィディカラが行う魔力循環を眺めていたレレィシフォナがヘイリシュを見かけて言う。


 え、優しい……とは言わず、


「えぇ。大分良くなりました」


 至って普通の受け答えをする。

 しかしその回答を望んだのではないらしく顔を顰めて。


「お前の体調じゃなくて、魔力は馴染んでるかって聞いてるんだよ」


 つまりそこはどうでもいいと。

 変わらぬ暴虐ぶりに、ヘイリシュは何故この環境に自ら飛び込んだのか若干の後悔と過去の自分への憐憫を抱きつつ。


「……違和感がすごいです。体がいつもより重くて、もがいても前に進まない感じがします」


 しかし実際気だるさを抱いている変調を伝えた。


「器だけが大きくなったせいだな。世界に漂う魔をより多く感じられるようになるんだ。だけど魔力路が馴染んでないと、その魔力に体が保たない」


 そして視線を目の前の呼吸すら浅くさせているメメィディカラに向け。


「こんな風にな」


 その言葉と同時に、ヘイリシュですら目を見張るほどの魔力をその身に纏っていた少女はその身を崩れさせた。






「多分だが、成長しきっていない魂の方が形を崩した時の影響が少ないんだろうな。まさかお前が3日も倒れたままだとは思ってもみなかったよ」


 全然、全く、これっぽっちも悪びれずにレレィシフォナはヘイリシュに言う。

 意識を失ったメメィディカラを屋敷に運び、さてと前置きしてからの言葉である。

 ちなみに彼女は無理やり広げられた魂にヘイリシュと同じく倒れるも、たった半日ほどで元気にご飯を食べる程に回復したらしい。


「よし、とりあえず魔力を体に巡らせてみろ」


 言われた通りに、ヘイリシュは魔力を身に纏うが、普段と全く違うそれに慌て、通り過ぎる制御をついグズつかせてしまう。


「こ……、れは」


 溢れる魔力に全く対処できず、そしてそのまま魔力は流れるように霧散してしまった。


「分かるか?今のはお前の魔力路が幅だけ広がったのに薄っぺらでゴミクズのように短い物だったせいで、魔力が器に辿り着くまでにほとんど霧散してしまった状態だ」


 そしてと続ける。


「元の器が以前の場合、器から流れる量も、そして外から取り込む量も、微々たる物にしかならない。それが循環率1割の根本的な原因だ」


 つまり今ほどの魔力の奔流は、


「小さな穴が空いた物凄く大きなグラスを、海に沈めたようなものだな」


 だから勝手に溢れて、そのまま外のものと混じってしまう。


「お前が今からやることは、蓋をした状態でその海に飛び込んで動き回れるくらいの水をグラスに詰め込んで、同時に蓋を開けても混じらないようにグラスの中で水を保つようにすることだ」


 ところでさっき言った、


「体が気だるくて動きが阻害される、つまり魔力に潰されてるのは、蓋を解放せずに1割しか溜まってない水の入ったグラスを海に沈めようとしても抵抗がすごいのと同じだ」


 ではなぜ人族はその海で生きていけるのかと問えば、


「元が小さなグラスに、水以外の詰め物で埋めたからこそ、異質でありながら海の底を歩けるだけだ」


 ということらしい。そしてその、魂に詰め込まれた異物(この場合豊富な感情や欲望を指す)が元から少ない魔力の路をより細く隠すために、中々人族が魔力循環という発想に気づけ得ない理由とも言えた。

 とまれ、


「あの流れた魔を抑え込んで、自分の魔力に馴染ませて、それをひたすら自分の意思で外に放出しろ」


 魔力循環の鍛錬が始まったのである。






「お前と違って魂が柔軟なせいか、メイリは随分馴染むのが早いなぁ」


 ウンウンと、頷きながらレレィシフォナがメメィディカラを愛称で呼びつつ褒めそやす。


「実に4割まで循環率が上がっててもまだ維持できるのか。そろそろ限界まで抑え込むようにしようか」


 笑顔で今後の予定を組み立てていく。対して既に手足のごとく4割の循環率を維持できることを身をもって見せていたメメィディカラは、無表情のその頬をピクリと引き攣らせ、そして全身から小さく震えてなどいる。

 聞くに恐ろしい6割という数字に、喜んでいるようにはまず見えない。


「それに比べてお前は……」


 と一転呆れた目と口調で、


「不器用にもほどがあるだろう」


 未だ限界で3割、ギリギリ半日維持できるのですら2割の、一度限界を迎えてへたりこんでいるヘイリシュは、既に荒い吐息を漏らしながらも反論する。


「だってこれ……、制御しようとするとすっごい暴れるんですよ!抑えるだけでいっぱいいっぱいなのにそれを外に流すの本当にキツイんです!」


 本来であれば、先に魔力路を鍛え、そうして自然と変化していく魂であるが。

 何であればやかましいとばかりに結論である器から先に(無理やり)作り上げた弊害で苦戦しているその元凶たるレレィシフォナは、


「子供にできてお前にできないのか?天才のお前が?騎士の代名詞と呼ばれたお前が?天下のヘイリシュが、まさか9つの子供に負けるのか?」


 知らぬとばかりに煽りまくる。

 そして一旦その魔力を霧散させたメメィディカラでさえ、


「リジーはダメダメ。センスない。ヘタレだし」


 完全に舐めきった発言をかます始末である。


「ちくしょう! やってやる! やってやりますよ! ええ! メイリ絶対泣かす!」


 騎士にあるまじきことすら口にして、そしてまた倒れるまで鍛錬を続け。

 まるで賑やかに、そんな日々が紡がれる。








 ────────────



 1年が過ぎ、ラダトキィシヤの護衛として正式に雇用されたヘイリシュは、その日常に大した変化もなく過ごしていた。

 ある程度憧れから落ち着いたラダトキィシヤの迂遠な姉のお伺いをやんわりと避けつつ学びを終えるまでやり過ごし(もちろん仕事としては常に真剣ではあったが)、そしてレレィシフォナの元で鍛錬を続け。


 そうして6割という提示をクリアして、既に先に自身の力で実に7割、短ければ8割の循環に魂が耐えられるほどにまで鍛え上げたメメィディカラと同じ時期に、やっとのことで実戦形式に魔力の循環を組み込む段階に進んだ。


「循環を維持しながら剣を振り、自分の動きに反発する魔導を体現させながら、頭の先から足の指先まで魔力のみで動かしてみせろ」


 そんな頭のおかしい、(理論上魔導と魔力を別として扱うのならば可能ではある)実現出来るかも分からないことを言われる。


 つまり、体に巡らせた、ようは流れる魔力をそのまま維持し、その中から無詠唱かつ明確な想像で常に体を縛り付ける魔導を唱え、その状態で維持している魔力をそこから減らないように(つまり供給と放出を同時に行いながら)魂に馴染んだ手足としての魔力で体を動かす。


 ということである。詳しく説明しても相変わらず全く実現できる気がしないそれではあるが、


「まず循環させる、いつも通り器を通して自分の色で放出させる。放出した魔力で手足を無理やり動かす。同時に何でもいいから体を固定するイメージで魔導を発現させる。こんな感じだな」


 こともなげに実演してみせて、レレィシフォナは「さぁ」と2人に剣を渡す。


「頭を使え。常に考えろ。常に処理し続けろ。思考を止めるな。動きを止めるな」


 横合いからビシバシと(物理的なものを含めて)指導する彼女の姿に、半泣きになりながらも2人はいつも通り倒れるまで体を動かすのであった。









 ────────────



 鍛錬はつらい。痛いし、疲れるし、力が抜けて気持ち悪いし、倒れて寝たいのにレー様は怖い声で無理やり起こす。


 それでも、気色の悪い笑顔で叩いたりしてこないし、意味もなく物を投げつけて怒ったりしないし。


 上手にできたら凄く喜んで褒めてくれるし、汗と土で汚いのに、綺麗なドレスが汚れるのも気にせず抱きしめてくれるし(ちょっと痛いけど)、一緒にお風呂に入って洗いっことかしてくれるし、夜は寝るまで一緒に文字の本を呼んで聞かせてくれる。あとレー様が作るご飯は美味しい。




 たまにある休みに度々呼びつけられ、餌に釣られるがまま本邸にてブララマンにそういう話をせがまれ、メメィディカラはこう語る。


 そしていつも通り本邸を出て、貰った(割と少なくない)お小遣いを下町のお肉とかお菓子で無くしてしまおうと企んでいた(既に本邸で夜の食事並の量を食べていたが、彼女の食への執着は拾われる以前より変化はない)メメィディカラだが、


「あら? あらあら? あらあらあら?」


 そんな声に、玄関から出ようとした足を止められた。

 振り向くに、


「あなた何かしら?野生の子猫みたいなツンツンした魅力を感じるのだけど、こんな可愛らしい子家にいたかしら?」


 同じく学びが休みであったらしい(ヘイリシュは朝からレレィシフォナに泣かされている)、ラダトキィシヤその人に見止められる。


「それにこの服、……ふぅん?」


 無遠慮に矯めつ眇めつためつすがめつ眺め、1人納得しているかのように頷きをこぼすラダトキィシヤ。


 その顔をじ、と見て、何だかモヤモヤするな、と感じたメメィディカラはそれをそのまま口にする。


「なんか、変」


 そんな余りにあまりな言葉に、ラダトキィシヤはあんぐりと口を開けて、

「へ、へん?私がかしら?」


 そんな問いを漏らす。


「レー様と同じ匂いするし、同じ顔なのに、……なんか、フワフワしてる」


 そしてあろうことか(事実何も知らされていないメメィディカラは)秘匿されているレレィシフォナの存在を多分に匂わすことまで口にしてしまう(本人は失言だとさえ思っていない)。

 と言うより、レレィシフォナ自身もまた妹に存在を認識されていることをそれとなく感じていたため、別段メメィディカラの行動に制限をかけなかったのも理由に含まれるが。


 その言葉に目の前の少女がどういう存在なのかある程度察したラダトキィシャは、しかしそれを明確にすることはせず、


「そうなのね。 私に似ているレー様って、どんな人かしら?」


 何とかこの少女を逃してはならぬ、と畳み掛ける。


「あら? 貴女街に出るつもりだったの? 何か欲しい物でもあるのかしら?」


 そして何の疑問もなくメメィディカラは、「レー様」と微妙に違うものの似た雰囲気を持つ目の前の少女に警戒心を薄れさせ、


「ん。ご飯いっぱい食べる」


 自身の最大の弱点(どんなに鍛錬がキツく不機嫌になっても最後には必ずその手段を取るレレィシフォナによって籠絡されているため、本人は本気でそう思っている)を晒してしまうのであった。


「まぁ! まぁまぁまぁ! それなら私の部屋にいっぱいのお菓子を用意するわよ? 一緒にお話しましょう?」


 そしてその、今日のようにたまに口に出来るシシハリットの豊かで甘美で天にも登るようなお菓子を想像したメメィディカラは、


「────ん。ふわふわの、赤いのが乗ってるやつがいい」


 その瞬間ラダトキィシヤはレレィシフォナに非常によく似た獰猛な笑みを一瞬、隠しながらも確かに浮かべ、

「ケーキね! 私も好きよ。いっぱい食べましょうね?」


 あっという間に、ものの見事に釣り上げられてしまうのであった。

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