【1】

鈴原友希様


 お手紙ありがとう。友希さんからの手紙をまた読めるとは思ってなかったので、受け取ったときは本当に驚いて、嬉しくて、何度も何度も読み返してしまいました。


 今だから言えるけど、塾で友希さんの担当になったときは本当に大変でした。授業中は全然集中しないし、宿題はやってこないし、何かにつけて敵意を剥き出しにしてくるし。私は何か嫌われるようなことをしてしまったのか、ひどく悩みました。


 仲澤かなめです、今日から一緒に頑張ろうね、と自己紹介した私に、友希さんは目を合わせてもくれませんでした。初回の授業では、一言も口を利いてくれませんでした。

 当時大学1年生で、バイトを始めたばかりの私は、小学4年生の女の子が自分に懐いてくれないどころか、テキストを開くことを1時間拒否し続けるなんてことがあるとは想像もしていませんでした。


 友希さんが学校に通えていないのだということは、最初の授業が終わってから聞かされました。塾長が伝えるのを忘れていたそうです。

 そういう子供にどう接するものなのか、右も左もわからない私はすっかり途方に暮れてしまいました。


 友希さんはいつも何かに怒ってましたね。そして、友希さんに理不尽な怒りをぶつけられて、私まで本気になって怒ってしまった。生徒相手に本気で怒ってしまう自分が嫌でした。でも、それと同時に、あの時の私は、自分があんなふうに感情をむき出しにすることに、不思議な新鮮さを感じてもいたような気がします。

 友希さんの気持ちをもっと知りたくて、友希さんが何に怒っているのか知りたくて、あの「交換日記」を思いつきました。

 ここには、お互いに何を書いても良い、ただし嘘はつかないこと、ここに書かれたことは絶対に人に言わないこと。そういうルールで始めた交換日記でしたが、友希さんの書く内容が毎回毎回あまりにも凄まじいので、それを人に言わないというのは大変な苦行で、でも一方ではそういう秘密を私だけに打ち明けてくれたということが嬉しくもありました。

 日記に書かれた友希さんの文章は、初めはぐちゃぐちゃな思考の断片を撒き散らしたような、乱暴な言葉の羅列で、文章と呼べるかもあやしい代物でしたが、5年の秋頃からだったでしょうか、少しずつ内容が整理され、充実したものになりました。読み手である私を意識するようになったのか、日記の中で私のことを「かなめ先生」と呼ぶようになりました(友希さんに名前を呼ばれることが、私にとってどれほど大きな衝撃だったか、私がどれほど幸せな気持ちになったか、友希さんにはきっと想像もつかないと思います)。その頃から、成績も上がってきましたね。受験の成功が、現実味を帯びてきました。


 ひとつも合格が無いまま迎えた2月2日。第一志望のS中学校を受けるか、滑り止めの学校を受けるか、前の日の面談で、お家の人や塾長は当然ながら滑り止めを勧めました。その時の友希さんの無言で2人の話を聞いている様子をよく覚えています。時々チラッと私の方を見てましたけど、私は何が正しいのかもわからず、何も言えませんでした。

 結局、S中学校を受験することを友希さん自身が決めました。あそこで合格できていれば、映画になってもおかしくないくらいの逆転劇になったのですが、現実は酷でした。


 結局、友希さんに何もしてあげられなかった。


 その後、私はどんな顔をして友希さんに会えばいいのかわからなくなって、そのまま塾を辞めて、友希さんから逃げました。本当にごめんなさい。小学校に通えていなかった友希さんが、ご両親と離れて、親戚の方の家に暮らして、別な校区の中学校に通っている。すごいと思います。すごいと思う、としか言えません。


 もうすぐ教育実習が始まるのですが、友希さんにきちんと向き合えなかった私が、本当に教員を目指していいのか、今になってわからなくなってしまいました。教員採用試験も、申し込みは済ませましたが、受験するかどうかは決めていません。


 ねえ友希さん、私は教員になって良いと思いますか?


仲澤かなめ

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