第8話  思惑

シャアルは完璧に3つの任務をこなしていた。

辺境伯は些細なことも見逃せない。

長年仕えてくれる家の者から報告を受け、指示を出す。

騎士団は報告と指示を出した後、2時間ほど稽古をつける。

それができていれば休日以外、ずっとアリシアのそばに居られるのだ。

自分の全能力を持って短時間で仕事を終わらせる。

稽古では部下が悲鳴をあげていた気がするが、2日に1回程度なので大丈夫だろう。

アリシアの部署は元々静かな部署だ。

音をひろうことが 容易たやすいシャアルに護衛は何の問題もなかった。


「アリシア……」

その声は自分で思っていたよりも、ずっと熱がこもっていた。

夜の森に囲まれた自邸のサロンでシャアルは酒を傾けながら思い出していた。

あの幸せの瞬間を……。


アリシアが部屋に入ってきた瞬間、シャアルは自分の経験している事を疑った。

話には聞いていたが、自分には今まで一度も訪れることのなかった


つがいを見つけた時の瞬間。

獣族が番を見つける時、番はキラキラと

金の粉をまとっているかのように輝いて見える。

その瞬間が自分自身に起こったのだ。

親から子へ獣族であれば皆が聴く、運命の瞬間。

まさか自分に起ころうとは思ってもいなかった。

シャアルは、アリシアの艶やかな黒髪に金の美しい細かな光が巻き起こり、

アッという間にその輝きがアリシアの全身を包んだ瞬間を思い起こした。

何も考えられなかった。

身体の内側から何かが湧き上がり、シャアルの心に灯がともった。


『 あぁ……美しい…… 』


シャアルが心の底から思った言葉だった。


これまでも世に言う美しい女性には何度も会った。

しなやかな身のこなし、美しい巻き毛。

でもシャアルは残念ながら、それを心底美しいとは思えなかった。

いや、審美眼としては美しいと思うのだが、

シャアルに恋の魔法をかけるほどではなかったのだ。

アリシアを見て、生まれて初めて思った。

『……何と美しい……』

まるで自分も、その金色の世界にいるようだった。

『この人だ……私の番つがいはこの人…』

シャアルは心の中で呟いた。そして次の瞬間、心が跳ね上がった。

『番? 皆が夢見る番との恋? 私の目の前にいる、この美しい人が?

……あぁ……そうなのだ……彼女だ……私はこの人を逃してはならない……』

シャアルが夢ごごちから覚め、今この現実の瞬間も同じように決意した時、

来客の知らせが入った。


辺境伯である自分に来客は珍しく、どうしてもシャアルに会いたい人が訪れる。

「マキール宰相副閣下がお越しです」

そう告げられたシャアルは苦笑しながら答えた。

「分かった。通してくれ」

レモンドはシャアルの幼馴染で数少ない仲間の一人だ。

彼が心配して来訪したのだと言うことは、想像に難しくなかった。


「めずらしいな、酒か」

少しからかうようにレモンドが入ってきた。

「お前にも同じものを用意するさ」

シャアルは笑いながら答える。従者がデヴォン家秘蔵の酒をレモンドに出した。

そう、これはコルモを何年も漬けたものだ。コルモは小さな玉くらいの大きさで

森によくなる果実だ。赤い身でたっぷりの水分と甘い果肉をもつ。

そのまま食べることもあるし、加工して使うこともある。


「ん……、これはうまい」

レモンドは素直に喜んだ。

「そうだろう、辺境伯のとっておきだ。毎年漬けて、後世に残す。

今のは先々代のものだ」

「シャアル、それはそれは……僕は君の先祖に感謝すべきだな」

「そうしてもらえると皆、喜ぶだろう」

2人は、ご機嫌で杯をかわした。


「ところでレモンド、何かあったか?」

シャアルはわざと尋ねた。

「フフッ……そうだね、国としては少し、僕個人としては多大に……」

「どちらから聞こうか?」

「では簡単な方から」

「いいだろう」

銀髪を少し後ろに流し、シャアルは面白そうに話を待った。


「僕の部下にグラント・アンリ・ヌヴェルと言う者がいる。

ヌヴェル伯爵……ヌヴェル近衛隊長と行った方が良いか?彼の次男だ」

「ふん」

すでにグラントを知っているシャアルは面白そうに頷いた。

「彼には人族の妹がいる」

「よく知っているな」

「部下のことを知るのも上司の役目だろう?

何ヶ月か前から彼の様子がおかしくなった。

オロオロしたり、ひどく戦闘的になったり、

でも何とか冷静さを持ってそれをカバーしているようだった。

少し調べると理由はすぐに分かった。

その妹が任務を望み、それに大反対していたんだ」

レモンドはここでシャアルを見てニヤッとした。


「レモンド……何が言いたい……?」

「……君が番を見つけたと王宮中の噂になっている」

「ふむ……で?何か仕事に影響が?」


「そうだな……あるような、無いような……」

レモンドは面白そうに笑った。

「まず私の部下は一時放心状態になった。

おまけにニコラ殿下の計らいで、彼の仕事を半分にしなければならず、

他の部下はミスが多いので僕の業務が増えた」

「それは私に言われても知らんぞ。部下を何とかしろ」

「シャアル……君、わざと噂を流したな……?」

「……番を見つけたんだ。不思議ではあるまい?

彼女を手に入れるのは私1人で充分だ」

「君、着々と外堀から埋めるつもりだろう?」

「他に方法が?ヌヴェル家はスキの無い一族だ。

そう、私が持っている情報が確かならな」


「なぜヌヴェル伯爵を1番に攻略しなかったのか、そこが疑問でな」

「ああ、そこか。簡単だ。アリシア様が私を求めてくれる事が一番だからだ」

「ほぉ……噂は流し、でも正攻法で行くと……?

それはそれは純粋だな」


レモンドは本当に可笑しそうに笑った。

策略に長けているシャアルのとる戦略とは思えなかったからだ。


「レモンド、お前 妻を娶るまで何を考えていた?」

「もちろん彼女の全てが自分のものになる事だ」


「だろう?……別に不思議なことはない。

私も番つがいを見つけた魔法にかかった1人……

そういう事だ」


ニヤッと笑ったシャアルは続けた。

「まさかレモンド、魔法にかかった1人として、自分が結婚するまで

どのように振舞っていたか忘れたわけではあるまい?」

「君……それは開き直りだろう?あー、分かった分かった。

認めるよ、僕は僕らしくない振る舞いを沢山したし、したらしい」

レモンドは笑いながら、スッとシャアルを見て

「でも後悔はしていないよ。これからも後悔はしない」

「……そうだろうな」


シャアルはその時のレモンドを思い起こしながら答えた。

その時のレモンドときたら……国中を呆れさせて、気を使われまくり、

部下には腫れ物に触るように扱われ、おまけに奥方の父親にまで気を使わせ、

後に本の題材になるほどのロマンスだったのだ。

でも、そんなレモンドを見てもシャアルは不思議と幸せな気持ちになった。

仲間が伝説通りの経験をし、彼らの周りだけヴェールをかけたように

幸せが取り巻いていたからだ。

いずれ自分も同じ経験ができるのだろうか?

自分の心に少し不安を感じたのも、その時が初めてだった。


「レモンド、君から番に出会う瞬間が、いかに素晴らしいか聞いていたな。

君から聞いていなければ、

本当に自分に起こった出来事を幻と思ったかもしれない。

レモンド……素晴らしい経験だった……そして私はこれを永遠のものにする」

「そうか、話したかいがあったのだな……」

「金の粉が、そこかしこに舞って見えた。

私は、まるで動けず、言葉も思い浮かばず……

でも、とても幸福だった。そう、とても……」

シャアルは陶酔している風でもなく、ただただトツトツと話した。

「この経験は番を見つけたものにしかわからぬ、君はそう言った。

そして私はそれはその通りだと思ったのだ」

聞いていたレモンドは、とても幸せそうな顔をしていた。

それは彼がシャアルを仲間だ思っているからこそだった。


「シャアル、……その割に、お前の想い人は仕事に夢中だと聞いているが?」

レモンドは、からかうように現実を口にした。

「そうだ……そうなんだ……これは人族だからなのか……

どうやら彼女の家族は獣族が番を見つける時の話や、獣族と人族の違いの話を

あまり教えていないらしい。そして彼女は人族らしく、

戸惑いながらも私の様子を受け入れている」


レモンドはあきれながら笑った。

「それは……シャアル、何とも気の毒というか、気長に頑張れというか……。

ただ君の周りの部下や、仕事を手伝う人を思うと、早く何とかしろよと思うよ。

甘い時間が永遠に続いて満足なのは本人同士だけだからな」

「そう……獣族同志なら、もっと早くに事は進むんだろうな。

そう思うのが普通なんだろう。ただ私の相手は人族だ。

時間をかけるしかあるまい?私は楽しいから何の問題もない」

それを聞いて、レモンドは顔をしかめた。

「おい、君がそう思っているのは構わないと思うが、あまり気持ちを抑えすぎると

暴発するぞ。気をつけた方がいい。」

「そうか……そうかもしれんな。チャンスがあれば動くつもりではいるが……」

「グラントに色々聞いておこうか?」

「いや、必要ない。ありがたいが、私自身が人族の特徴を見つけることに

楽しみを感じているんだ」

「人の3倍の仕事をこなしていても?」

「そう、いつもの書類など何でもない。」

「それはそれは……王とニコラ殿下がお喜びになりそうだね」

「彼女は気が付かないうちに、私を頼っているんだ」

「頼る?」

「彼女は古文書に夢中になると、時間の観念がなくなってしまうんだ。

私が声をかけなければ、昼食を取ることも、休憩を取ることも、

同僚に話しかけられている事も、終業の時間すら忘れてしまうんだ」

「それは何とも……すごいな……」

「そこを私が一言、声をかけるだけで現実のリズムを取り戻す。

同僚の声は聞き逃すのに、私の声は耳に入っている。

……レモンド……自分にしかできぬ事にしてみたくはないか?」

シャアルはニヤッと笑った。


「そうだな……もしそれが僕の妻だったら、

当然その役目は僕が引き受けるだろう」

2人とも顔を見合わせ、お互いにニヤリとする。


「レモンド、私と意見の相違はなかろう?心配しすぎでは?」

「君が冷静に見えて、心配だったんだ。さっきも言ったけど、暴発しては困るしね」

シャアルはククっと笑った。

「笑い事ではないよ。番と出会ったのに、通常の振る舞いを取りもどす程

理性をひねり出すなんて……。周りの方がうろたえてるじゃないか。

現にグラントは右往左往しているし、兄のフィルも一緒だろう。

ヌヴェル伯爵にいたっては……奥方がいらっしゃらなかったら

どうなっていたか……」

「彼女の母君は知性にあふれているらしいな」

「猿属でいらっしゃるからな。良いか悪いかは別にして、とても冷静だ」

「あの時、冷静な振る舞いをとり戻せて良かったと思っている。

彼女のために……。殿下は獣族の振る舞いはご存知だ。でも彼女はそうではない。

今は礼を尽くせれば充分だ」

「野心のわりに、純粋な事だ」

レモンドはフッと笑った。


「レモンド、私は彼女に幸せだと思ってほしい。」

シャアルはニヤッと笑い返した。


「私に次ぐロマンスの物語の出版を、心待ちにしているよ」

レモンドは珍しく大笑いした。

「なぜ周りも私の優しさがわからないのか、不満だ」

「蜜月が過ぎ、いろいろな運命を見ろ。そうしたら分かるさ」

レモンドは笑った。


楽しい語らいが続く。

こうして夜はふけていった。

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