第3話 恋、自覚、違和感


初めての会話の頃から、2人はそういう運命に定められたかのように打ち解けた。


いつしか、大矢からも話しかけるようになり、彼女の好きな食べ物から本のジャンル、

家族の話まで知ることになって行った。

大矢はそのことが妙に誇らしく、彼女の秘密を自分の元で留めておきたいという気持ちに強く襲われた。彼女が、私語厳禁の図書館で

大きな声で笑うことも、意外と周りの女子のテンションが嫌いだという愚痴も、好きな食べ物はカツカレーだという男らしい味覚も全て、誰にも言わないで自分のものだけになればいいのに、そう思ったんだ。



2100年の技術大革新により安全性の増した原子力発電所が至る所の海岸線に連なり、工業地帯が学校の真横まで来ている。落ち葉ひとつなく苔一つない、気持ち悪いほど底の水色が映えている学校のプール。今は石碑、かつては、ここで入学式や卒業式の時、桜が咲き、親と子は記念写真を撮ったらしい場所。


そんな無機質な世界のど真ん中で彼女だけが、川原ゆりだけが、色を持って過ごしてるようだった。



正直、川原ゆりは変わり者だった。クラスでは、誰と深く絡むでもなく、全員に平等ににこりと笑顔を向ける優等生的存在であったのだが、大矢にとってはそうではなかった。結構、ずれた感性を持っていることを大矢は知っていたのだ。でも、それが本当におかしな感性、つまりマイナス方向にずれているかは、客観的に判断することはもはや不可能であった。


「53Hzだっけ?」

と彼女が突然に聞いてきた。

それは、彼女と友人になってから、大分経った頃のことだから、その言葉の意味を理解するには少し時間を要した。12月ごろだったろうか。世間は今年も、クリスマスムードだといい、クラスはお楽しみ会の準備に追われているのに、相変わらず2人は図書館で本を読み、時々おしゃべりをして司書AIにアラームを鳴らされた。3日に一回くらいはアラームが鳴り、職員室から今度は教師が来るので、彼女は途中からAIのコンセントを抜いていた。やめときなよ、とか、でもうるさいじゃない、とか、それもそうだけど、とか、じゃあオッケーだよ、みたいに決まってやり取りするのが楽しかった。

「53ヘルツ?」

なにそれ?という顔で大矢は彼女に聞く。呆れた表情を見せるでもなく、彼女はもう一度言う。

「そうだよ、一番最初にあった時。

ほら、ずらずらぁーって」

ずらずらぁってなんだろ?と頭の底にあった記憶を見つけた瞬間、顔が赤くなるのが分かった。

「覚えてないの?」

とはっきりも訝しげに聞く。

コクリ、と大矢が頷くと、くしゃりと笑い、

「すごーい怖かったなー、あれ」

えぇ、やっぱりしくじってましたか、私、とさらに顔が熱くなる。思わず、手を団扇にする。それでも、収まらない熱がバレないように天井を見る。ただ、彼女がこちらを見てきているのは分かるし、きっと簡単に心の内が透かされているのだろうと思う。そんなことを思い、情けなく思う。

「嘘だよ」

あまりにも、顔の熱が取れないから30秒くらい天井を見ているフリをしていたのだ。おい、なんか天井に見つけたのかよ、と言ってきそうな顔で大矢の方を見つめている。大矢は、その言葉にされないツッコミがあまりにも的確でまた恥ずかしくなる。

「面白かったよ」

「え?」

なにが?一体なにが面白かったのか、大矢には全く分からなかった。すると、その様子を悟ったように、彼女は少しだけ慌てて付け足す。

「ずーっと天井を見上げてるのもぉ、」

も?と大矢は目を丸くし、彼女の方に体全体を向ける。ふふっと花が咲くように笑みを浮かべ、にやりともしたあと、彼女は言葉を紡ぐ。

「ここでこうやって大矢くんとおしゃべりしてるのも」

糸に繋がれたように、彼女の言葉は、大矢の心の深いところまでしっかりと届く。途端、体全体が暖かくなる。この少女が僕は好きなんだな、と半ば他人事のように気づく。

「ねぇ」

「ん?」

「俺も、だよ、ゆり」

なんだかこのまま心に留めておくにはもったいないくらいの気持ちだった。ねぇ、ゆり好きだよ、僕は。君が好きだ。噛み締めるように、大矢は頭で何度も言葉にする。大丈夫、間違っていない。僕は、確実に川原ゆりが好きだ。

「ゆりって、何で急に?」

彼女は笑う。でも、純粋な笑顔ではないと大矢は気づく。どこか淀みを捨て切れていない、なんというか心がこもっていない、らしくない笑顔だったんだと思う。

「なんか、」

嬉しくって、と言っても良いのだろうか。大矢はただ彼女を悲しませずに素早く本に目を落としたかった。

「なんか?」

「友達になれた気がして。」

言ったあと、後悔した。2人は既に友達だ。

そして、親友かもしれない。ゆりとの関係を今までなにと定義していたのか急に分からなくなる。でも、1段階上のステージに2人が上がれた喜びは確かにあった。それは確かに、大矢1人の感覚ではなかった。彼女もまた、何かを感じていたはずだ。きっと恋、だった。2人が言語化出来ずとも恋だと自覚した瞬間だった。

「友達でしょ、もともと」

大矢の予想通りの返答だ。そして、次に彼女の口から出る言葉もなんとなく分かった。

それは大矢をとても、情けない気持ちにさせた。


「これからもずーっと」


彼女の濁った笑みが浮かぶ。


嘘だ、と思った。


きっとこのまま僕たちは友達ではいられない。


運命がそうさせる。

そんな気がふとした。厨二病的妄言だったかもしれない。しかし、強ち見当違いではないような気がしたのだ。


キーンコーンカーンコーン。


相変わらずの無愛想なチャイムが廊下から聞こえてくる。

2人は時間だね、とだけ言い、本を戻すため一度別れる。しかし、いつもどちらか1人が図書室の一つしかない扉に寄っかかって待つのがいつの間にか2人のルールになっていた。その日は大矢が先に本を片付け、錆びれたスピーカーをぼーっと見ながら、午後の授業の退屈さについての論文を頭の中で書いていた。というか、大抵図鑑コーナーの本を読む

大矢の方が片付けが早く終わる。彼女の読む文庫版の推理小説は図鑑よりずっと軽いが、置かれるコーナーが少し入口から遠く、帰り道の導線上にないのだ。そして、20秒くらいすると彼女は小走りで向かってくる。決まって、司書AIのコンセントを元に戻すのを忘れる大矢をいじりつつ、彼女が差し込む。

「このスピーカー、200年前のなんだって」

と大矢。

「200年前?」

彼女は指折りをするが、当然数えられる訳もなく、大矢が暗算して

「2000年くらいじゃない?」

「すごっ、2000年ってまだ季節があったんでしょー?すごいよ、スピーカー君頑張ってるねぇ」

彼女はニコニコしながら、明るい声でそう言う。

「もう鳴らないけどね」

寒いツッコミをしてしまったかな、と大矢は心配する。しかし、彼女の瞳はまだ輝いている。

「でも、すごいよ!200年だよ!季節があるんだよ!」

あまりにも既視感のある言葉なので、大矢は噴き出す。

「それ、さっきも同じこと言ってたよ」

こういうところが、かわいいんだよな、と子供のくせにちょっとカッコつけて思う。彼女はもぉと、保育園の先生が叱るように頬を膨らませる。

「ゆりって季節があった頃の話、好きだよね」

思ったままのことを言葉にする。

「うん、好きだよ」

少し表情に無理があった気がした。一瞬だけ。引きつっているわけでも、苦笑いでもないけれど、奥の方に暗さが立ち込めていた。

「だって、」

だって、と彼女が言う。彼女にしては、随分幼稚な物言いな気がした。きっとテンションが上がっているのだろう。僕にもその経験がある、大矢はそう思う。鯨の話だ。ゆりと友達になるきっかけで、かつ、ついさっき自分の感情を知るきっかけになった話題。

「だって、綺麗だから。」

それ以上でもそれ以外でもない、ただ綺麗だから。そう言われた気がした。

「忘れちゃダメだよ、季節を」

そうだ、だから文科省指定の教科書には四季について学ぶページが2052年から作成された。そして、このことも、昨日の社会でやったことだ。しかし、大矢には、彼女が季節の話題を出すのは、社会の授業で習っているからではないと本能的に分かる。彼女の忘れちゃダメという言葉には、重い何かがあるような気がした。でも、それは小学生の大矢には重すぎて、暗すぎる世界のものに見えた。だから、あえてその先は話を振らず、先程組み立てた「午後の授業の退屈さについての論文」を読み上げることにした。

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