第三話:ディスイズ

 森を抜け街道に出たときには夜になっていた。

 街道といっても塗装された綺麗な道ではなく、微かな死臭が漂う獣道だ。

 地中にはスケルトンらしきアンデットの気配がする。


 私は早く街に行きたかった。

 本当は現代に召喚され、タブレットやらパソコンやらを手に入れたかったのだが、この世界にもないとは限らない。

 もしかしたら異世界ならではの画期的な発明品があるかもしれない。


 この世界には神秘が色濃く残っている。

 私が受肉できているのがその証拠だ。

 悪魔のような高位存在を受肉させるのは並大抵の神秘の濃さではない。


 本来、精神生命体であり他世界の住民である悪魔は人間界にいるだけでエネルギーを消耗する。

 しかし、今の私は絶好調だった。

 まるで魔界のようだ。

 空気が気持ちいい。



「師匠! 待ってください! 師匠───!」



 パタパタと後ろから駆け寄ってくる子がいる。

誰だろう、知らない子だ。

 迷子かもしれないが、声をかけて不審者だと勘違いされても困る。

 今じゃ幼女に声をかけるだけで逮捕される時代なのだ。

 可哀想だが無視しよう。



「無視しないでください師匠───!」



 まるでプンスカと音が聞こえるような仕草で頬を膨らませながら抗議の声を上げてくるのは、先程助けた銀髪の少女だ。


 相変わらず綺麗な魂をしている。

 剥製にして部屋に飾りたいくらいだ。

 ブブ君がいたら瞬く間に食べられていただろう。


 振り返りジッと彼女を見つめ始めた私に、少女は少し顔を赤らめながら目を逸らしてボソリと呟く。



「そ……そんなにジッと見られても……ま、まだ心の準備が……それに……わたしは弟子ですし……はっ! もしかして、禁断の師弟関係に……」



 少女が顔に手を当てながら首を左右に振る。


 何を言ってるんだこいつ。

 出会った時からそうだったが、感情がすぐに表に出るタイプだなこの子は。

 さっきまで死にかけていたというのに、もう既に頭お花畑な胆力がすごい。



「ゴホンッ! さっきも言ったが、私は君を弟子にするつもりもないし、したつもりもないし、させるつもりもない」



 毅然とした態度で、懐から取り出した愛杖を突きつけながら少女に言う。

 少女は信じられないものを見たような顔をしたが、何かに気付いたかのようにハッとした後平静を取り戻す。



「弟子じゃなく……恋人ということですか……い、いえっ! まずはお互いのことをよく知ってからでないと! でも、師匠がどうしてもというのなら、やぶやかではありませんが……」



 やめろ。

 私を犯罪者にするんじゃない。

 そんなふうに顔を赤らめてチラチラこちらを見るな。


 私の気配に怯えて現れたりはしないが、地面にはスケルトンさんだっているんだぞ。

 心なしか白い目で見られてるような気がする。

 いや、アンデットなのだから心などある訳がないか。



「……はぁ、とにかくだ。私は弟子はとらない。もちろん恋人でもない」


「愛してるって言ったじゃないですか!」


「いや、言ってないぞ?」



 何を言うんだこいつは。

 いや、嫌いじゃないとは言ったよ。

 この子の純粋な魂の色はむしろ好きだ。

 だが、私が好きなのは彼女の魂であって断じて幼女に好色を持っているわけではない。



「………誤解しているみたいだが、私は君の魂の色が好みなのであって君自身では───」


「魂さえも愛してくれるなんて……。そんな……」



 ダメだこいつ聞いてねえ。

 そもそも悪魔に魂を好かれて喜んでいる時点で完全にズレている。

 彼女もハーフとはいえ、悪魔の端くれならそれがどれほど恐ろしいことなのか分かる筈だが……。

 宝箱を開けたらミミックだったときのような気分だ。



「師匠は街に行きたいんですよね! わたしもある街に行く途中だったんです! 案内しますね!」



 ぐいぐいと私の手を引っ張って歩き出す少女。

 いつの間にか彼女に案内されることが決まった。

 有難いのだが……私、彼女に振り回されていないか?

 いや、強欲の悪魔たるこの私があのような小さな存在に振り回されるはずがない。

 気のせいだろう。元々案内させるのは想定通りだ。そのために懐柔したのだ。

 彼女は私の掌の上で踊っているにすぎないのだ。 

 …………懐柔しすぎた気もするが。



「そういえば、君の名前をまだ聞いていなかったな」



 街に着くまで呼び名がないと何かと不便だろう。

 何気ない一言だったが、彼女は先程までの明るい表情から急に暗い顔になる。

 こちらを見ながら腕を引っ張っていた彼女は、手を離し私に背を向ける。


 風が彼女の髪を凪ぐ。

 夜空に煌々と輝く月のような美しい銀髪がサラサラと揺れる。

 再びこちらを向いた彼女はもうさっきまでの笑顔に戻っていた。



「ありません。まじない名ならありますが、悪魔としても人としても、名前はありません」



 呪い名とは文字通り呪いをかけられた名前だ。

 その効果は単純かつ強力で、名を付けた主人に絶対服従となる。

 彼女の位置、記憶、力、そして───魂

 あらゆることを把握し、支配する強力な呪いだ。

今も彼女の全てを名主が掌握している。


 注意深く魔眼を凝らすと、巧妙に隠蔽されているが呪いの気配を感じる。

 私と出会ってから効果を発揮した様子はないようだが、今後いつ名主が彼女に意識を向けるか分からない。


 名主が気紛れを起こしたら死ぬ。

 彼女は今までずっと、常に生殺与奪を握られた状態で、いつ死ぬか分からない恐怖に怯えながら生きてきたのだ。


 それでも尚───その魂で在り続けるか。

 ゾッとするほど………強い。


 彼女の魂を汚すなど、私が絶対に許さない。



「なら、この私……強欲の悪魔『マモン』の名において、君に『名』を与えよう────」


「───え?」



 彼女が予想外の返事に驚き、目を開く。

 銀髪が揺れる。

 サラサラと風に流されるその髪は、夜空の月に反射して幻想的な輝きを纏っていた。

 彼女の頭にそっと手を触れ、厳かに、穏やかに命名する。



「───『イズ』。今日からそれが、君の名だ」






 この日、少女は名前を得た。


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