第1話 忘年会 上

 十二月三十一日 午後五時ちょうど。

 俺は愛車の『CB400SF』にキーを差し込んでメーターを起動させる。セルを回すとボオォオンと勢いよくエンジンを吹かしいつも爆音のマフラーを堪能する。

 相変わらずいい音しやがる。こいつ・・・。

 もう30年も前に作られたこいつは走行距離五万キロを超える。しかし、その音に現在も衰えはなく快調にエンジンを温めていく。

 今日は大阪の祖父の家に向かう途中、月崋山げっかざんの忘年会に顔を出し阪奈ハンナ道路を通って大阪に入る。

 二百キロもある巨体に跨りギアを一速に入れる。「ガタンッ」といい音がしてクラッチを少しづつ離していくとゆっくりとその巨体は発進する。

 月崋山の総本部は生駒山のふもとにあり、実家からは二十分と少し。

 エンジンの回転数を目一杯あげてスピード出していく。


『このバイクはな、加速が命なんだ。どのバイクもそう。スピード出してあげないと次第に鈍ってきよる。だからな、制限速度なんか関係ねぇ。ポリに追われればぶっ飛ばして巻いてやれ』

 これが父さんから教わった最後の教えだった。このバイクは父さんのお下がりで父さんは第十九代目『月崋山』の総長を務めた人だった。

 一昨年、仕事の長距離トラック運転中に雪山でスリップを起こして死んでしまったが父さんは俺の憧れだった。大きな背中に腕の龍の刺青。これが遺体確認に役立つなんて思ってもみなかったが。


 まもなくして月崋山の総本部についた。喧騒けんそうなどが少し離れたところからも聞こえてくる。

 半コルクヘルメットを腕に抱えながら門をくぐる構成員が皆頭を下げてきた。

「お疲れ様です。天音あまねさん!」

「馬鹿野郎!天音さんじゃなくて剛さんだと何回言えばわかる。お前の鼓膜をぶち破って新しく張り替えるぞ、オラァッ!」

「す、すいやせん」

 そう。この苗字と名前とのギャップが俺が抱えている長年の悩みの種でもあるのだ。決して自分の名前が嫌いというわけではないが『天音』という苗字に『剛鉄』という不釣り合いなちぐはぐのせいで中学の頃はよく舐められた。

 まぁ、その度に全員ボコボコにしてやったのだが。

「その辺にしとけ」

 俺は軽く後輩の頭を小突いて目的の場所に向かう。

 この月崋山げっかざんのメンバーの年代は様々だ。

 第二十一代目の月崋山総長は二十二歳の「大三日月おおみかづき 総一郎そういちろう」という人だ。総一郎さんはヤクザの構成員でありながら月崋山の総長を務めており、この月崋山の大元がとある大阪のヤクザにつながっているという。

 この忘年会の資金もこのヤクザから流れてきた金が使われている・・・らしい。

 ヤクザの金が使われていることを俺はあまり好ましく思っていないのだ。父さんが総長を務めていた時代は皆それぞれに仕事持っていたり親がお金持ちだったりと自分たちの資金は自分たちで調達していた。しかし、父さんの次代の総長がヤクザの孫だったらしくこの月崋山も組織の一つとして統合されてしまった。


 俺は頭を下げてくる者に軽く片手で挨拶をしていく。そして、二階建てのプレハブ小屋まできたところでライダージャケットのファスナーを下まで一気に下ろした。

 俺は総長が少し苦手だ。いつもニヤニヤしており何を考えているか全く読めない人なのだ。その上、ミスを犯した部下には厳しく平気で小指を落とそうとするときもある。

 つかみどころのない人なのだ。

 気が重いが挨拶だけはしないとな・・・

 俺は気だるげにプレハブ小屋の階段に足を乗せてゆっくりと一段また一段と登っていく。

 こんこんとノックを二回し「剛鉄ごうてつ入ります」と告げてからキィキィとその引き戸を開ける。

「総一郎さん、お疲れ様です」

 総一郎さんは中性的な顔立ちで長く伸ばした髪を後ろで一つにまとめている。

 足は長く、身長は百九十センチを超える。その出で立ちから「カミソリの総一郎」と呼ばれている。いや、カマキリの間違いでは?

「天音ちゃん、お疲れ様。どうぞ好きなところにかけてちょうだい」

 総一郎さんの椅子になっているのは全身を亀甲縛りにされた男の構成員だった。おそらくなんらかなミスを犯したか反旗はんきひるがえそうとしたのだろう。よくあることだ。

「総一郎さん、天音ではなく剛とおよびくださいと何度も申し上げていますでしょうが」

「あら? でも天音ちゃんってぴったりな名前だと思うけど?ご両親に感謝しなくちゃね!」

 そういって総一郎さんはフフフと楽しそうに笑う。

 そんな僕は顔は童顔で目つきこそ鋭いが髪は全体的に肩にかかるまで伸ばしておりその上、高校に入っても身長はあまり伸びず百六十三センチで止まってしまっている。

「今日はご挨拶に寄らせていただいただけですので、今日のところはこれで失礼します」

 そう言ってきびすを返そうとした時、不意に総一郎さんのまとう空気が一変したような気がした。

 殺気に近いがそれとは別の、人が考え事をするような空気。こういう時総一郎さんは決まって面倒ごとだったり理解が及ばないことを突発的に言い出したりする。

 まずいな・・・これは百パーセント面倒ごとだ。俺の全神経がそう警告を発している。


「天音ちゃん、ちょっと待って。大阪の事務所に野菜を届けてくれないかしら?」

「・・・」

 なるほど、これは面倒だな。今日は大晦日であり警察官もかなり目を光らせている。もし消音器不備などで止められ荷物検査でもされれば一発で終了してしまう。

 ふぅ。仕方ないそれとなく当たり障りのないように断るか。

「すみません、総一郎さん。今日は祖父になるべく早く来るように言われてますので、手下の者に行かせます」

 総一郎さんは一度俯向きながら顔をしかめたが、再び顔を上げた時にはいつものすまし顔に戻っていた。

「そう、わかった。天音ちゃんがそういうなら任せるわ。今日の二十三時までにいつもの事務所のポストにお願いね」

「承知しました」

 そう言って今度こそドアに向かって歩き出す。

「あ、待って天音ちゃん。―――良いお年を」

 振り返るとそこには笑顔のお面をびっしりと貼り付けた総一郎さんがひらひらと手を振っていた。何を企んでいるのやら。

「はい。総一郎さんも良いお年を」

 俺はそう言ってもう一度キィキィなる引き戸を開けて静かに階段を降りていった。

(野菜というのは薬物の隠語みたいなもので良い子は絶対に真似しちゃダメだよ)

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