花に愚弄【サンプル】

高槻汐那

第1話 拾いもの



 白銀の世界とは、こういうことを言うのだろう。

 リビングのカーテンを開けると、雪が土や草木を覆い隠していた。重みに耐えられなくなった枝がすっと揺らして、雪を落とす。吐いた吐息が窓を曇らせた。

暖炉に火をつけて、コーヒーを淹れた。何をしても、この静かな空間は音が響く。無駄に広いキッチンとリビングに、持て余した部屋。

 殺風景な広いリビングを持つこの家は、父の遺産である。去年の秋に亡くなり、一人息子の私が財産をすべて貰う形になった。彼はずっと一人だったから、とやかく言うような親戚もいなければ、葬儀に呼べる人もいなかった。彼には私だけだった。

十五になった年だった。私を迎えに来た時、彼は白髪交じりの髪にフレームの細い眼鏡、骨張った細身の体をしていた。身に着けているものは高そうなものばかりだったけれど、それを台無しにしてしまうくらいに不健康さが際立っていた。子供を選ぶ感覚はペットショップでショーケースから犬や猫を見るようなそんな気分だろうと、子供の私は考えていた。しかし、初めて自分を必要としてくれた人だから、私は彼の言葉に従った。口下手な彼は、あまり喋ることはなかったが、私の為に習い事や作法を教え、私の言葉一つ一つを丁寧に掬い上げては満足そうに微笑んでいた。

本当の親じゃない事を知ると大抵の人間は、可哀想にと言う。苦労をしたでしょう、と同情してくるのだ。しかし、血の繋がった親子がどれほど幸せなのか、それは比べようはないが、私たちは幸せな家族だったと思う。

ただ、他人の同情を否定するような事は言わなかった。人の価値観に物申すのも、自分の幸せを理解できない人に話すことも、なんだかもったいないようなきがした。

 珈琲を啜りながらテレビをつけると、高校生が両親を殺したと、淡々とした口調で読み上げていた。少なくとも、私は彼にそんな感情を持ったことはない。いくつかチャンネルを回して、赤いボタンを押した。プツンッと画面が黒に染まり、うっすらと自分の姿が映る。此処に、新聞は届かない。携帯は解約した。情報は、リビングのこのテレビと書斎のパソコンで得るしかない。固定電話をリビングの端に置いてはいるものの、引っ越してきてから3ヶ月鳴ったのは3、4回といったところか。

体に熱い珈琲が染み込んでいく。そろそろ、雪降ろしをしなければならない。残りのコーヒーを飲み干してマグカップを炊事場に置くと、コートを羽織って外に出た。空気は刺すように冷たい。歩く度に軋む雪の音と頬を刺す空気、雪は黒いコートに白い模様を浮かばせては消えていく。

 ここに来て、初めての冬だった。東京に住んでいたころは、雪が積もることはなかった。正直、雪掻きの仕方など分からない。だが、今のうちに積もった雪を払っておかなければ、まだしんしんと降り続ける雪に飲み込まれてしまいそうな気がした。

家の裏庭の奥、小さい納屋の引き戸を引いた。小枠の窓に、机と椅子が置かれたそこは、春になれば書斎にでも出来そうである。農具が置いてある為か埃っぽい此処で本を読むことは、ない気がするけれど。

雪かきスコップを手に取り納屋を後にしようとした時、カタッと何かが音を立てたので振り返った。

猫でも入り込んだかと、しゃがんでみると泥まみれになった人間の素足が机の下にあった。ぎょっとしたものの、足は黒い服から伸びているようだ。

父は、人形をこんなところに置く趣味はなかったはずだ。何より、前に入った時にはなかった。黒いそれに手を伸ばしてずるずると机の奥から引きずり出す。柔い肌に、息を吐いて、脈を打っている。小さい生身の人間だった。いつからいたのか、手先は冷たくなっている。

 雪かきの道具を捨て置いて、かろうじて死体になってはいないそれを抱えると、家に戻った。眠っているというより、気を失っていると言った方が正しそうだ。

内心、大変な事態だと焦っている。この積雪では、車はスリップしてしまう。救急車を呼んだとしても、来るのには何時間かかるだろうか。

ソファに寝かせたものの、彼が身に付けた服は雪のせいで湿っているのかやけに冷たかった。黒い大きめのワイシャツとスキニージーンズ。せめて暖かい服に着替えさせなければと脱がそうとボタンを外すと肌着は身に付けていない。この真冬に何という自殺行為。と言いたいが、彼はそんなつもりはなかったのかもしれない。無数についた赤黒い痣や不自然に丸い小さな火傷は、こちらが痛くなる程に白い素肌に色を落としていた。

 彼には大きいだろうが、自分の服で精いっぱい厚着をさせこれでもかと言うほど毛布を掛けマフラーも巻いた。心許ないが、目を覚ましてくれることを祈るばかりだ。時計は、既に昼過ぎを指していた。彼の食事も兼ねて粥を作る。本当なら、野菜や肉を入れて雑炊にしたいところだが、あの状態から起きてそれが食べられるのか私には分からなかった。

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花に愚弄【サンプル】 高槻汐那 @takatsukisena

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