12.食堂

 開けたドア越しに食堂を見回したが、ざっと見た感じ、先ほど見たときと特に変わりはないようだった。窓は閉まったままだし、テーブルや椅子、燭台などもそのままのようである。


 と、僕が入り口の前に突っ立っていて二人の邪魔になっているのに気付き、数歩、食堂内へ入った。二人も中へと入り、周囲を見回す。


 書斎で本でも倒れたのを聞き間違えたのかな? と思い始めたとき、僕はようやく物音の正体に気付いた。僕は暖炉の方を指さして言った。


「ああ、あれか」


 そして、暖炉に近づく。その時には二人とも、原因に気付いたようで、僕に付いてきた。


 暖炉の下には、木製の鹿の仮面が転がっていた。

 その付近にはよく見ると、錆びて途中で折れた釘と、紐が落ちている。

 どうやらこの仮面は、釘と紐を使って壁に掛けられていたが、ついに限界を迎えたらしい。


 僕は仮面を手に取り、いろんな角度から鹿の厳めしい面を確認してみた。

 どうやら落ちた際に割れたり、傷付いたり、といったことはなかったらしい。


「どうする? これ」


 僕が尋ねる。梶原はストローで牛乳を飲みながら、しばらく唸った後、ストローから口を離して、言った。


「まあ、その辺のテーブルに置いといてくれ」


 僕は言われたとおり、仮面をテーブルに置こうとした。


 と、その時、鹿の目が光ったような気がした。

 僕は思わず仮面を取り落としてしまった。仮面は再び、床に転がる。


「おいおい。大事に扱ってくれよ。貴重品かどうかはわからんけどさ」


 梶原は努めて冗談めいた声で言った。

 僕は再び、仮面を拾い上げながら弁解する。


「いや、悪い。いやなんというか、鹿の目が光った気がしてさ」


 そう言うと笑われるかと思ったが、意外にも笑い声は全くあがらなかった。

 梶原が言った。


「変な錯覚を見ることもあるさ」


 その声は、いやに真面目な雰囲気だった。


 そのとき、ふと、僕は思った。梶原が言うように、今のは本当に錯覚だったのだろうか?

 論理的に考えれば、実際に何かが光ったか、光ったように思わせる何かがあったから、僕がそう感じた、と考えるほうが妥当だろう。


 それで、思い切って、鹿の瞳を直視してみた。

 するとやはり、鹿の右目が光った。


「あれ、ちょっと待ってくれよ」


 僕はそう言いながら、二人の間を避けて、窓際の方へと早足で向かった。遅れて二人も付いてくる。


「おいおい、どうした、道村」


 梶原の問いに答えるのも煩わしく、僕は窓際の、日の当たるところに来ると、日光の中に仮面をかざし、鹿の右目を見た。

 鹿の右目にはなにやら、レンズのようなものが嵌まっていた。眼鏡のようなものではなく、カメラや顕微鏡のようなやつだ。


「二人とも、鹿の右目を見てくれ」


 僕はそう言って、二人に見えやすいように鹿の仮面をかざして見せた。二人はそれぞれに驚きの声をあげた。


「なんだこりゃ。仮面の片目になんでこんなものが嵌まってるんだ?」


 梶原は素直に感想を口にした。

 一方、長家は少し考えるようにして、それから、恐る恐る、といった感じで口を開いた。


「あの、それって、仮面を付けたとき、レンズ越しに何か見える仕組みになって……るんじゃ……」


 言い澱んだ理由はよくわかる。僕だってこのレンズを見た瞬間、それは思いついた。

 問題は、こんな不気味なものを、誰が付けるか、ということだ。


 三人は鹿の面を見ながら、しばらく沈黙した。


「……中に針が仕込まれていて、頭に刺さって死んだり……しないよな」


 梶原が言う。

 僕は仮面を裏返して、一応確認しながら、言った。


「あれって確かアステカの遺物じゃなかったか? これはどう見ても日本製だろ。その点は心配ないと思うが……ウェンディゴってのはヤバいのか?」


「人を惑わすだけで実害はないとする説もあるし、ウェンディゴに取り憑かれると人肉を欲するようになるという話もある」


「じゃあ、吸血鬼になるのと大差ないじゃんかさ……うん。見た感じ、レンズ以外に仕掛けらしい仕掛けはない」


「そうか。それは良かったが……どうするかな」


 おそらく三人とも、迷信の類いを信じてはいないはずだった。

 しかし、この手の歴史的研究には、死者の呪いだのなんだのという話はつきものである。呪いで死んだとされる考古学者は大勢いる。


 有名なのはツタンカーメン王の呪いで、王墓発掘に関わった人物は、発掘責任者であるハワード・カーターのパトロンであったカーナヴォン伯をはじめ、ことごとく怪死したとされる。

 しかしあの呪いの正体は、ツタンカーメン王のものというよりは、マスコミの呪いだったと言える。


 ツタンカーメン王墓の発見は世紀の大ニュースだったわけだが、それだけに、遺跡には大勢のマスコミや現物人が殺到し、発掘作業に支障が出るようになった。

 そのため、ハワード・カーターはイギリスのタイムズと独占契約を結び、他のマスコミを王墓の取材から追い出すことにした。

 書くことがなくなってしまった各紙は、その恨みもあって、カーナヴォン伯が死亡したのはファラオの呪いだったと書きたてた。

 その記事が大評判になり、新聞が売れまくったために、マスコミは王墓発掘に関わった人が死亡する度に、ファラオの呪いだと書き立てるようになった。しまいには、とにかくエジプトに行ったことがあるだけの人が死んだときまで呪いだと言い張るようになり、呪いで死んだとされる人のリストを挙げるだけで紙面が尽きてしまう有様だった。


 そんなわけで、考古学者にまつわる呪いなんて、結局のところ作られたものではある。

 しかし、ラザロ教授がこの館で失踪したのも事実である。

 となると、どうしても心情的に、こんな不気味な仮面を付けて大丈夫なのか、ということは、考えずにはいられなかった。


 だが、いくら考えても始まらないのも、これまた事実である。


「よし、じゃあ僕が付けよう」


 言ってからすごく後悔したが、もう遅い。

 二人は心配気にこちらを見ながらも、頷いた。

 梶原が言った。


「わかった。何も無いとは思うが、万一何かあったら、即座に救出する」


「もし吸血鬼になるようだったら……いや、その場合は大丈夫か。すでに日光が当たっているし」


 そう言って僕は笑ったが、笑ったと言うよりは引きつっただけな感じになってしまった。

 僕は一応、吸血鬼対策として日光の良く当たる窓際に、窓側を向いて立つと、深呼吸して、それからゆっくりと仮面を付け……ようとした。


 ……眼鏡が邪魔で付けにくい。

 僕は眼鏡を外して胸ポケットに収めると、再び仮面を付けてみた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る